第1章 痕(4)

 私は、スマホの情報と、それを補うように、壬朋の足首の赤い痕についてジャナに話した。

「壬朋ちゃんの話、ジャナさん、何か分かりますか?」

「あれだけではなんとも言えないね。足に銀色の糸がかかった、掛け声が聞こえた、だけじゃ」

「蜘蛛の糸みたいだったけれど、とても丈夫で、壬朋の足首には糸が絡まった部分が、赤く痕になってたんです。熱を持って、とても痛そうだった。壬朋はかなり怖がってて、外に出たくないって閉じこもってて──壬朋は、きっとあれは化け物だと怯えてました」

「ああ、それは正解かもしれないね」

 と、ジャナは言った。

「え、どうしてですか?」

「食べかけの獲物に、化け物が印を付けたのかもしれない」

「印?」

「目印にするんだ。人が家畜に焼き印を押すみたいなもんさ」

 翌日、学校が終わった後、夜が更けるのを待って駅の階段を見に行った。

 終電でホームに降り立つ。

 夏の夜は蒸し暑い。

 とはいえ、崩れ落ちた事故現場に出掛けようというのに、ジャナときたら、肩甲骨まで見えるようなノースリーブに、ミニスカートというセクシーな格好だ。

 場違いも甚だしい。

 そんなことを思いながら、私はジャナを現場へと案内した。

 崩れ落ちた階段は、現場検証中なのか工事も手つかずのまま、ぐるりと周囲を白いパネルに覆われている。駅が営業時間を終えた今、警備員もこの時間はもういないようだ。

 パネルで覆われた一部に、赤いコーンの立っているのが見えた。そこはパネルの一部が途切れ、折りたたみのパーテーションが置かれていた。どうやらそこが出入り口のようだ。

「どれ」

 ジャナは辺りに人がいないのを確認すると、二本の赤いコーンに張り巡らされた立ち入り禁止の黄色と黒のテープを無視して、中へ入り込む。

 と、内部では更に青いシートで現場が囲われていた。

 ジャナは、そのシートをめくり上げると、さらに奥へと入っていく。

「ジャナさん!!」

 慌ててその後についていくと、ジャナは、腕を組んで考え込んでいるようだった。

 私は周囲を改めて見回した。

 今夜は月もない暗闇で、まだ生きている街灯が現場を照らしだしている。

「ひどい、階段が途中までつぶれちゃったんですね」

 崩れ落ちた事故現場を歩く。街灯の明りは瓦礫に垂れて乾いた血や──おそらく人の頭を打ったであろう衝撃で、頭皮ごとこびりついた髪などを、生々しく見せた。

「万理愛、あんまりその辺をうろつくんじゃないよ」

「はーい」

 そう返事をしてジャナの元へ戻ろうと崩れ落ちた階段の前を通った時だ。

 何か糸のようなものが腕に絡みついた。

「え?」

 見れば、左手首に銀糸が絡みついている。

「え、え?」

 糸を手繰ると、真っ直ぐ上へと伸びていた。

 まさかこれが、壬朋ちゃんの言っていた糸? 

 そう思いながら、見上げた目線の先には、赤い鼻緒の草履が。

「──え……?」

 おそらく女物の草履、そしてその先に痩せこけた足が伸びている。今度はその脚を追って顔を上げると、頭上に広がるもやもやとした空間があった。


 目を凝らすと、ついにそれが見えた。


「いやぁ──!!」

「万理愛ッ!」

 私の叫び声に、地面に手を当てて何か調べていたジャナは立ち上がり、すぐに私のもとへとかけつけてくれた。

「どうした!」

「どうしよう、私、あの蜘蛛に食べられちゃうの!?」

 糸のついた腕を上げ、上空を指し示す。

 そこには、電柱を起点に巨大な蜘蛛の巣が張られ、その中央に巨大な化け蜘蛛がいた。

 化け蜘蛛の巣には、いつの時代のものなのかも分からない死体が幾つもかかっており、蜘蛛の糸にがんじがらめになっているそれらは、木乃伊みいらのようにひからびている。

「あれ、何??」

 たずねながら、干からびた死体を指さした。

「巣を張る種類の蜘蛛は、獲物を頭から丸かじりするんじゃなく、糸で絡めて動けなくした後、消化液を口から出して獲物を溶かし、その体液を吸い上げるんだよ。だからあれは、吸われた後の殻だね」

「そんな……」

 化け蜘蛛の腹は派手な黄色と黒の縞模様で、頭部には幾つもの目がついているのだが──よくみれば、その目は一つ一つが人の首なのだ。

 全ての首が、私を見て、と嗤った。

「もう、さっそく面倒を……連れてくるんじゃなかった!」

「でもジャナさんだけじゃここ分からないでしょう!」

 ジャナは舌打ちしながら私の腕の糸を引きちぎろうとするが、どんなに力を入れても一向に千切れない。おそらく鋏で切ろうとしても無駄だろう。この糸を外すには、壬朋のように、解くしかないのだろうか。


       ヨイショ、ヨイショ。


 を揃えて掛け声をかける。

「ジャナさん、掛け声が!」

 青ざめる私の腕を掴むと、ジャナは言った。

「万理愛、糸を舐めるんだ」

「え!?」

 あまりのことに驚き、こんな時だけれども思わず照れながら舌を伸ばす。

「もっと舌を出して! ベロっと!」

 は、恥ずかしい。

 けれども、舌先が糸に触れた途端、糸はどろりと溶けて地に落ちた。

「どうして……」

「人間の唾液はね、古来、化け物の邪気を払うそうなんだ。万理愛、おいで!」

「はい!」

 ジャナは私を抱え込むと、背中から翼膜を出し──それはノースリーブの背中の脇ぐりから、上手い具合に伸ばすことが出来た。私はその服装の意味を理解して、浅はかだったと反省する。これ以上にジャナにとって動きやすい服装はなかったのだ。

 舞い上がったジャナは蜘蛛の巣をかわしてさらに上空へと飛び上がる。

「きゃあ!」

 スピードを増して、ジャナはぐんぐん空を上昇した。

 しがみついていた私が、おそるおそる下を見ると──

「ジャナさん、街が……!」

 駅の上、空高く舞い上がって見たものは。

 駅を中心に丸く赤黒い光がとりまき──それはまるで、溶岩の沼のようだった。

 けれど、空からはそう見えると言うだけで、街自体は普通に機能しているようだ。

「この辺りは昔、沼地だったんだよ、そこにね、どうやら一匹の化け蜘蛛が巣くっていたらしいんだ。ジパングでは蜘蛛は水辺の化け物っていうらしいけど……」

 妙に詳しいジャナに、私は目で問い詰めた。

「ジャナさん?」

 ジャナは悪びれもせずに答える。

「万理愛のスマホを借りて、ちょっと調べ物をね」

「え、どうやって」

「あのスマホ、いつも顔を見せて動かしていたのをみてたから、ちょっとね、万理愛の顔になって──」

「やめてください、気持ち悪い!」

「まあ聞きな。今下に赤黒く光っているエリアがおそらく沼地だったんだろうね。ところがその沼も埋め立てられ、時が経ち、化け物も人びとの噂と共にすっかり風化して、大人しくなっていたようだけれど、この前、悪魔達があたしを探して魔風を吹かせただろう? あれで、化け物が活性化してしまったみたいだね」

 眼下の化け蜘蛛を眺めながら私はたずねた。

「あれも悪魔なんですか?」

「あんな奴、見たこともない……アレは、悪魔なんかじゃないね。アレはおそらく人間だよ。人間の悪臭がぷんぷんする。おそらく人間の罪そのものだ、それより……」

「え?」

 ジャナは自分にしがみついている私の左手首を見る。

 そこはくっきりと、赤い線が刻まれていた。

 化け物の焼き印だ。

「どうしよう」

 怯えて声が震えた。


「これはもう、アレを倒すしかないね」

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