第4話 許容できない異変
次の日の朝。
また昨日と同じくルーチンをこなす。ベッドから起き上がって、机の横の父の位牌に声をかけてから1階に下りる。母親と妹に挨拶をし、冷蔵庫を開けて牛乳を取る。昨日の残り物の混じった朝食を食べ、家を出た。
まだ早朝だと言うのに、既に蒸し暑い空気の中を歩く。これからだんだんと涼しくなっていくのだろうが、一日二日で変わるようなものではないようだった。
なんとなく……本当になんとなくだが、後ろを振り返ってみる。スーツを着たいかにもサラリーマン風な人や、ランドセルを背負った子供、さらに遠くには俺と同じ制服の男子も見える。だが、その中に金髪の女性は居ない。
「……バカバカしい。」
無意識に『天使様』を探している自分に気づき、苦笑する。
美しい金髪、不可解な消失。昨日、あの後ろ姿を見てから、時折彼女のことを考えていた。おかげであの後のアルバイトには全く身が入らなかった。休憩中にあまりにも天使様の話をするものだから、対象に笑われてしまったほどだ。名前どころか顔すら知らないのにおかしな話だと思う。片村ではあるまいし、俺がそこまで気にする道理は無い。気になるのは、きっと、あの幽霊の如き消失が不可解過ぎたせいだろう。そうに違いない。
俺は気を取り直して学校へと向かう。
今日は片村とは出会わない。もっとも、別に待ち合わせをしているわけではないので、待つことはしなかった。なんとなく同じ時間に家を出て、たまたまお互いを見つけたら声をかける。その程度のことだ。だから、アイツが居ないことは特段それはおかしいことでは無かった。結局、一人のまま校門をくぐった。
……だから。その異常に気付けなかった。
俺が異常に気づいたのは朝のホームルームが始まろうとする直前、始業を告げるチャイムが鳴った時のことだった。
ガタガタと皆が席に戻るのを見て、俺も触っていたスマートフォンをカバンにしまう。
ふと視線を上げるとそこには誰もいない空席。それを見て、「今日は片村は休みだろうか?」などと考える。結局、通学路はおろか学校に来ても片村の姿を見かけなかった。不真面目そうに見えて、奴が遅刻したところを見たことが無い。加えて、馬鹿は風邪をなんとやらということなのか、超が付く健康児なので病気で休むこともめったにない。
珍しいこともあるものだ、と思いつつも特段気に留めることもなく溜息をついた、その時だった。
ガタンと、目の前の席に見知らぬ男子生徒が座った。
「……?」
一瞬思考がフリーズする。後ろ姿しか見えないが、背格好がどう見ても片村ではない。クラスメイトの誰とも一致しない、誰か。
その誰かは、さも当然のように片村の席に座り、あまつさえ机からノートを引っ張り出している。まるで、そこが自分の席だとでも言うように。
「お、おい……」
しばらく言葉を失っていた俺だが、どうにか声を絞り出す。だが、その声は教室のドアが開く音にかき消された。
「はい、ホームルームを始めますよー。みんな席について。日直、号令ー。」
間延びした先生の声。担任の小川先生。いや、俺にとっては昨日から担任になった小川先生。彼女は日直の号令の後に、出欠を取り始める。俺は目の前の男子生徒に声を掛けそびれ、悶々とした気持ちのまま黙るしかなかった。
「阿部ー。」
あいうえお順に生徒の名前が呼ばれる。呼ばれた生徒は気だるげに返事を返していく。その流れに淀みはない。
「小野寺ー。加藤ー……」
だから、淀みが無いからこそ、違和感があった。
違和感は続く。
「
俺の名前が呼ばれる。俺の次は
「佐藤ー。」
「はい。」
俺の後に呼ばれたのは、このクラスでは聞き覚えのない苗字で。しかもそれに応えたのは、目の前の男子生徒だった。
その声で思い出した。『佐藤』。話したことすら無いが、確か別のクラスにこんな奴が居たはずだ。
でも、わけが分からない。なぜ別のクラスの奴が片村の席に座っているのか。なぜこのクラスの出欠確認で佐藤が呼ばれたのか。そして……なぜ、誰もそれを気にしないのか。
クラスの転籍……なら先生が何か言いそうなものだ。そして周囲を見回しても、佐藤の存在を気にしているクラスメイトは居ない。まるで、それが当たり前だというかのように。まるで、昔からそうであったと言うかのうように。
「おい……。」
俺は我慢しきれずに、佐藤の肩をつついた。
佐藤は気楽な感じで肩ごしに振り返ってくる。そのままこちらに椅子を倒して来た彼に問う。
「佐藤……だっけ?何で片村の席に座ってんの?」
俺にとっては当然の疑問。しかし、佐藤は眉間に皺を寄せて答えた。
「え?片村って誰?」
「――。」
息が詰まる。まさか、そんな。
「誰って、それは……。」
「あ、もしかしてまた変な夢でも見た?ほら、例の……記憶障害、だっけ?」
「っ……!何で、知ってるんだよ!」
別に記憶障害のことは隠しているわけではない。だからといって誰にも彼にも言いふらしているわけではない。まして、他のクラスの奴が知るはずもないことなのに。この佐藤という男は、さも当たり前のように、そのことを指摘して来たのだ。
「えぇ?本当に大丈夫?桜間君が自分から話して来たの、まさか覚えてない?」
覚えていない。話したことはおろか、この佐藤という男子生徒と面識があったことすら覚えていない。いや、覚えていないのではない。そもそも、そんな事実は存在しない。
「ほら、そこー。何騒いでるのー?」
俺が声を荒らげたせいだろう。それに気づいた小川先生がこちらを注意してくる。
「先生。なんか桜間君が調子悪いみたいです。」
黙っていれば良いものを、佐藤が余計なことを言う。
「桜間君?大丈夫ー?」
「え、あ、大丈夫です!すみません!何でもないです!」
こちらに寄って来る先生を慌てて制す。
冗談ではない。こんな訳の分からないことを
俺は訝しがる佐藤に「スマン」と謝ってその場をおさめる。
なんとか平静を装って席に座り前の背中を見る。だが、内心は平常心とは程遠かった。今すぐに大声を出して問いただしたかった。「片村はどこにいるのか」と。
それでも、その衝動を無理やり押さえつける。そのままホームルームが終わり、小休止の時間になっても、俺は黙ったまま席を離れなかった。
周囲にとって変な質問を繰り返すのは得策でないことは既に経験から学んでいた。取り乱して精神病院送りにされるのは二度とゴメンだ。
それに、俺は恐れていた。「片村はどこに居るのか」。その質問に対する答えを、聞いてしまうのが。何よりも怖かったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます