第10話

 翌年、ヴィルヘルムとビアンカはどちらも無事に学園を卒業し、卒業を節目としてヴィルヘルムは国民の前で立太子の宣誓を行った。

 前々から内定していたとはいえ、他にも王位継承権を持つ者が複数人いるとなれば、誰を後継に指名するかは国の行く末を左右する最も重要案件の一つとなる。

 こういうものは、一歩間違えば血で血を洗うような凄惨な後継者争いが起き、そこから内乱に発展する可能性すらある。

 今回それが起こらなかったのは、偏にヴィルヘルムが王位継承権第一位であった事と、先だって彼が巻き込まれた事件において、事件に与した者を実に情け容赦無く、しかし平等に裁きにかけた事実があったからだ。

 一度敵対したとなれば、ヴィルヘルムは血の繋がった相手ですら処断するのに悩みはしないだろう。

 そんな相手に勝負に出ずとも、王位継承権を持つだけで王室から品位を保つ為という名目で金銭の援助があり、生活は保障される。

 至高の冠である王権と共にのしかかる重責と、今までの安穏な暮らしを天秤にかけた者が実に多かった。裏返せば現王位継承者達には野心を持つ者が極端に少なかったのだ。

 ヴィルヘルム曰く、自らの血を流す事すら知らない箱入り共に負ける道理など無い、という訳である。

 こうして後継者レースを首位独走状態で制し、正式に王太子となったヴィルヘルムの隣には、当然婚約者のビアンカ・コルドゥラ・リンハルト侯爵令嬢が寄り添っていた。

 人々は世間の悪評とは真反対の、楚々としたビアンカの姿に感嘆の溜め息を吐いたという。


 ──ヴィルヘルムの立太子から更に一ヶ月後の事。

 久しぶりにリンハルト侯爵邸に戻って来ていたビアンカは、私室で茶会や夜会の招待状を至って事務的に選り分けていた。

 ある程度はビアンカの手に渡る前に篩にかけられているものの、それでもまだかなりの数が残っている。いわゆる持ち帰り仕事であった。

 テーブルの上に置かれた招待状の山を見てビアンカが溜め息を吐いたその時、老年の侍女頭がドアの外からビアンカを呼んだ。


「お嬢様。お客様がお見えになりましたよ」


 その言葉にビアンカはパッと顔を上げる。

 仕分けしていた招待状の山を放り出して控えていた侍女にドアを開けさせると、廊下で待つ侍女頭に微笑みながら答えた。


「ありがとう、ばあや。今日は天気が良いから東屋にお通しして。お茶はいらないわ。ワインをお願い」

「まぁ、まだお昼間ですのに」

「来週からはまた王城での窮屈な生活に戻るのよ。今日くらい見逃して頂戴」


 そんな遣り取りの後、ビアンカは身支度を整えて、やけに上機嫌に侯爵邸の広い庭にある白亜の東屋へと向かった。


「ご機嫌よう」


 東屋に設置されている長椅子にどこか落ち着かない様子で座っている来客に声を掛け、ビアンカは引き連れてきた使用人達にまずテーブルの支度をさせた。

 純白のクロスが掛けられた小型のテーブルには軽食と共にグラスが置かれ、上等な赤ワインが惜しげもなく注がれる。

 全ての支度がすっかり整うと、ビアンカはその場にいた使用人や侍女達を下がらせ、東屋を覆うように結界魔法を掛けた。


「お待たせしてごめんなさいね。でも、これで秘密のお話が出来るでしょう?」


 ビアンカのその言葉に、支度の間ずっと緊張で顔を強張らせていた来客、アップルヤード伯爵令嬢がおずおずと口を開いた。


「王太子妃になられるお方が私などにお話とは、一体何事でございましょうか」

「あら、そんなに緊張なさらないで。そうね、女同士の秘密のお話がしたいと思って」


 アップルヤード伯爵家はビアンカとアンナの間で交わした密約に従い、今まで特に関わりを持たずにいたので、二人が私的に会うのはこれが初めてとなる。

 にこにこと微笑むビアンカに対し、アンナ・アップルヤードはやはりどこか窺うような表情を浮かべていた。

 あまりにガチガチになっているアンナを見て、ビアンカは小さく溜め息を吐いて問うた。


「ねぇ、あなた、やっぱりわたくしに腹を立てているのかしら?」

「えっ? 私がですか? どうしてです」


 唐突な問い掛けにきょとんとした顔で首を傾げるアンナに、ビアンカは珍しく気まずそうに目を伏せてぽそぽそと言った。


「だってほら、わたくし、キャロル・ウィンズレッドを断頭台送りにしてしまったでしょう?」

「でも私はあの方と特に親しい訳ではありませんし……」

「そう? でもね、そういう事って、やっぱり身体の本当の持ち主に事前に一言断りを入れるべきだったかしらって気になっていたのよ」


 そうビアンカが告げた瞬間、ぎくりとアンナの動きが止まった。


「……どうしてそんな事を?」


 呟いた次の瞬間にはアンナの顔から表情がすっかり抜け落ち、硝子玉のような無機質な視線がビアンカを真っ直ぐに貫いた。

 けれどその程度で怖気付く可愛げなど、ビアンカにはそもそも持ち合わせがない。

 手遊びにワイングラスを揺らしながら、ビアンカは他愛もない世間話でもするかのような口調で語り始めた。


「簡単な逆算というところかしら。わたくし、処刑前にあの娘に会ったのだけど、アレの中身は全くの別人だったみたいなの。でも身代わりを立てたとかそういう訳ではなくて、身体は間違いなくキャロル・ウィンズレッドのものだと血縁関係を確認する魔法で確認が取れたわ。だとすると、本物のキャロル・ウィンズレッドの中身……、魂は何処にあるのかしらと思って出来る範囲で色々調べてみたの」


 牢での会話から、ビアンカはあの娘がキャロルの身体を使っているだけの別人である事に気が付いた。

 キャロルが言うには、ここは小説の世界で、主人公のキャロルがヴィルヘルムと結ばれるのだという。そして悪役のビアンカは処刑される。

 だとすれば、何度も人生を繰り返し、結局同じ結末を迎えるというのは納得が出来る。

 はじめからそうなるようにストーリーが定められているからだ。

 だが、それはあくまでも主人公が『キャロル・ウィンズレッド』だった場合の話である。

 器がキャロルなだけでは主人公足り得ない。

 ビアンカが今回このように生き延びる事が出来たのは、キャロルが『真の』キャロルで無かったからだと推察出来る。

 キャロルの肉体と魂が揃っている場合、ビアンカは絶対にキャロルに勝てず最終的に処刑されるが、その条件さえ崩れれば今回のようにビアンカにも勝ちの目が掴めるのだろう。

 しかし、キャロルの肉体は処刑後に規定通り処分されたが、もし魂だけでもビアンカに勝てるとしたら。

 肉体はともかく魂の処分方法などビアンカには見当もつかない。

 ならばせめて監視下におきたい。

 けれど、果たしてキャロルの魂はこの世界に存在しているのか否か、存在しているとするのなら何処にあるのか。

 それはビアンカにとってひどく重要な問題であった。

 ビアンカはまずウィンズレッド家近辺を入念に調べ、次にウィンズレッド家に加担した家門まで余さず調べ上げた。

 その過程でビアンカはある事に気が付いたのだった。


「あなた、自分の領地とは全く縁のない小さな港町の教会に、頻繁に寄付をしたり、孤児院の子供に勉強を教えに行ったりしているのですってね」

「……慈善事業は貴族女性の嗜みですから」

「貴族同士の利権が絡む事もあるし、面倒ごとを避ける意味でも普通は領内で行うものよ」

「それは」


 言葉に詰まるアンナに、ビアンカはにこりと笑って続けた。


「わたくし、ちゃんと調べたわ。あの教会の墓地にキャロルの実母が埋葬されたのよね。だからあなたはアンナ・アップルヤード伯爵令嬢として慈善事業という名目であの教会に通っている。この推理、いかがかしら? わたくしとしては良い線をいっていると思うのだけど。ねぇ、アップルヤード伯爵令嬢……いえ、キャロル・ウィンズレッドとお呼びしましょうか」


 そこから二人は無言のままお互いに視線を逸らさず、しばしの沈黙が場を満たした。

 結界魔法が維持されている事もあり、キンと耳が痛くなるような静寂だけがそこにあった。

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