第7話

「ごめっ、」


 緋山くんの胸を押して体を起こし、下を向いたまま謝罪の言葉を口にした。

 今が夜でよかったと、心底そう思った。多分、普段よりずっと赤く染まった自分の肌を見られずに済んだはずだ。


 「妹尾」


 「今の車って、患者さんかな?今日の夜勤って苫(とま)さんたちだったよね。大変じゃなきゃいいけど」


 「妹尾、」


 「今日は金曜日だから、アル中とかきそうじゃない?アレって大変なんだよねー」


 延々としゃべり続ける私は息も絶え絶えになりつつあった。すぐ目の前にある自分の車を目指してひたすら歩き続けた。


 悪いけど緋山くんの顔を見て普段通りに話せる気がしない。

 恥ずかしさと、情けなさと、自分の愚かさに自己嫌悪しかない。


 なんであんなことしたー?


 車からかばってもらって、お礼すら言えていないことに気付いたけれど今更なにも言えなかった。さっきの失態を思い出す切っ掛けにしかならないって分かっているから。


 バックから車のリモコンを取り出しボタンを押す。ロックが外れた音がして、私は車のドアに手をかけた。


 「妹尾っ、」


 緋山くんの少し焦ったような声がして、同時に再び二の腕を引かれる。


 「え、なにっ……?」


 腕を引かれるまま彼の動きに逆らえずにいると、自分の車の向こう側迄引っ張られ、彼が隠れるように身を縮こませるのを見てそれに倣う。


 すぐに人の足音と声が聞こえて、思わず息をひそめた。


 「あれー?緋山さん達いないよー」


 「てっきり駐車場に戻ってきたと思ったのに」


 「てか、なんで俺ら追っかけてるわけ?」


 「そうだよ、あの二人が飯に行くのだって珍しくないじゃん」


 車の陰から盗み見れば、同じ病院のスタッフ達が数人固まっていた。その中の女子達は、確か緋山くんの隠れファンだったはず。


 

いつだったか、面と向かって2人の関係を聞かれたことがあった。他の人達は緋山くんと私の関係を変に疑う人はいなかったけれど、彼女達だけは違った。


 「違うよ。今日出てきたのってあの高級焼肉屋だよ?友達やただの同僚と行くような店じゃないし」 


 「えー、たまたまじゃないのか?」


 「絶対怪しい。それに、妹尾さんって最近建ちゃんにも……」


 「は?けんちゃん?誰それ」


 「えー、もういいじゃん。次の店予約してるんだからさー。早く行こうぜ」


 女子達は納得していない様子でブツブツ言っていたけれど、促されるまま繁華街の方へ戻っていった。


 しばらく緋山くんも私もその場から動けなかった。別に彼女らが戻ってきたとしても、隠れる必要もないんだけど。


 ていうか、どうして隠れたんだろう?


 不思議に思って隣を見上げれば、緋山くんは膝を抱えて突っ伏していた。


 「緋山くん?どうした?」


 「……」


 「気分悪いの?」

 

 食べ過ぎたんだろうか?お酒……には酔う筈ないよね?私達、こうして一緒に食べに行くことはあっても、アルコールは取らない。車を運転するってこともあるし、いくら友達同士でも、お酒の絡んだトラブルだけは避けたいし、勿論コロナ禍という点でも、お互いにの中で暗黙の了解みたいなところもあったと思う。


 不意に顔を上げた彼との距離が、思ったよりも近かったことに気付き、慌てて距離を取った。地面に手をつき、彼から離れる。


 そう。

 離れたはずだった。


 それなのに、さっきよりも近い所に彼の顔があった。お互いの視線が絡んで、一瞬時間が止まった気さえした。


 「妹尾……」


 「……」


 緋山くんが私の名前を呼ぶ。口元を覆っていたマスクが僅かにズレる。合わせて口からこぼれた吐息が、唇に触れる。そして伝わった微熱。


 地面に手をついて、そのままバランスを取れずに尻もちをつく形で地面に座り込む。


 それでも動けなかったのは、座り込んだ私から離れずに追いかけてきた彼の唇のせいだ。


 ほんの一瞬だったのか、それとももっと長い時間だったのかは分からなかった。頭の中が真っ白で、何も考えられなくて、与えられる人肌が徐々に熱を帯びていくのが分かった。


 ただ、彼が私の名前を再び呼んで、私を抱き寄せる迄、何が起こったのか分からなくて半ば茫然としたままだった。


 背中に回った腕で、ギュッと抱きしめられたことで、現実に引き戻された。


 ハッとして、気づいたときには彼を突き飛ばしてしまっていた。


 「……妹尾」


 「あ……わ、私……」

 

 なんと言えばいいのか分からなかった。分からなかったけれど、さすがにこのままここにはいられなかった。


 急いで立ち上がったけれど、足が震えて身体がふらついてしまう。それに気づいて支えようと、伸ばしてくれた彼の手から思わず逃げるように離れた。


 その態度は、多分彼を傷つけてしまっていた。だけど、それに気付く余裕は今の私にはなかった。


 「あ、ごめんなさい。あの、私、もう帰らなきゃ……だから、えっと、」


 握りしめていた車のリモコンキー。ロックを解除して急いで運転席に乗り込んだ。


 車の傍に座っていた彼もさすがに車から離れた。

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