第9話 湖の上で


 お昼ご飯を終えると。


 ぷつん、と何かの糸が切れたのか、お姉ちゃんはわたしに寄りかかって、微かに寝息を立てはじめる。その衝撃でお姉ちゃんの上着のポケットからメモが零れ落ちた。そこには今日のために作られたと思われるデートプランに、更にみっちりと書き込みがされていた。そして一番下には真面目なお姉ちゃんっぽくない、ポップな字体で『双葉ちゃんと立派な恋人同士になること!』と大きく書かれていた。


 ——わたしと『特別』であり続けるために、ここまで準備してくれたんだ。そりゃ、疲れも出るよね。しかも今日のお昼のメニュー、お稲荷さんに煮物に揚げ物なんて、めっちゃ時間かかるだろうし。朝早く起きて作ってくれたんだろうな。


 そう思うと無性にお姉ちゃんになんかしてあげたくなって、ちょっと悩んだ末、わたしはお姉ちゃんに膝枕をしてあげることにした。


 これまでお姉ちゃんに膝枕されたことがあっても、お姉ちゃんに膝枕してあげるのは初めてかもしれない。それは、お姉ちゃんがわたしのお姉ちゃんで、わたしはお姉ちゃんの妹だったから。


 勝手にこんなことしたら起きた時にお姉ちゃんに怒られちゃうかな? そんなことをぼんやりと考えていると、またお姉ちゃんのポケットから落ちたメモが視界に入る。メモにはさっきは気づかなかったけど、『双葉ちゃんと立派な恋人同士になること!』と書かれた下に極小で、「双葉ちゃんのお姉ちゃんじゃなくて、恋人になれたら、双葉ちゃんに甘えてもおかしくないよね……?」と、不安そうな震えた文字で書いてあることに気づいた。その文字を、わたしは思わずそっと撫でてしまう。


 ーーそっか。これまでお姉ちゃんはお姉ちゃんってイメージが強すぎたけど、今のわたし達は姉妹じゃなくて、彼女同士で対等だもんね。だからお姉ちゃんがわたしに甘えてきたり、わたしがお姉ちゃんを甘やかしたりしても、別におかしくないんだ。そしてお姉ちゃん任せにしないでわたしがデートをリードしても、別におかしくないんだ。


 そのことになぜか心にモヤモヤを抱きながらも。わたしはお姉ちゃんの頭を彼女が彼女にするように、優しく撫でた。



 お姉ちゃんが目を覚ましたのは眠り始めてから30分ほど経ってからだった。


「はっ、わたし、寝ちゃってた?」


「うん、すごく気持ちよさそうな寝息を立てて寝てたよ」


「ええ、枕も気持ちよく……って、双葉ちゃんの太ももを枕にしちゃってたの⁉︎」


 あたふたとし出すお姉ちゃんに、わたしは自然と微笑む。


「別にいいよ。双葉たちは付き合ってるんだから、恋人を膝の上に乗せて寝かせてもいいでしょ。琴音ちゃんの寝顔、可愛かったし」


「うう、もうお嫁に行けない……」


「琴音ちゃんは双葉に永久就職が決まってるから大丈夫だよ」


 冗談めかして言いながらわたしはお姉ちゃんの背中をさする。


「それに、今の琴音ちゃんはわたしのお姉ちゃんじゃなくて、恋人なんだから、もうちょっとわたしに寄りかかってくれた方がきっと恋人っぽい……よ?」


 目を丸くするお姉ちゃん。けれどお姉ちゃんは最終的に小さくはにかみながら頷いた。それを見てお姉ちゃんは、今はわたしのお姉ちゃんじゃなくて『恋人』になりたいんだな、と確信できてしまって、なぜか心がざわついた。


 その気持ちを振り払うようにわたしはパン、と手を叩く。


「ま、それは置いておくとして。そろそろ次のところ行こうか? 次は園内の湖畔のボートだっけ」


 わたしの提案にお姉ちゃんは小さく頷いた。


◇◇◇


 家族連れやカップルで賑わっていたハイキングコースや花畑と打って変わって、湖はわたし達以外のお客さんがおらず、貸切状態だった。


 200円払って二人乗りのボートを借り、湖の中心あたりまでやってくると、あまりの静けさに、この世界にはわたしとお姉ちゃんしかいないんじゃないか、って言う錯覚に陥る。湖畔の水面に、春の柔らかな日差しが反射して煌めいていた。


「ねぇ双葉ちゃん。わたし達以外誰もいないし、今日はデートなんだから、ここでキスしてもいい?」


「えっ、ここで⁉︎」


 唐突に切り出したお姉ちゃんにわたしは慌てる。


「こんな明るい屋外で実の姉妹同士でキスをするのはちょっと大胆すぎない?」


「別にいいでしょ。今日はデートなのに双葉ちゃんと1回もキスできてない。それに、今のわたしは双葉ちゃんのお姉さんじゃなくて恋人なんだから、悪い子になってもいいんでしょ?」


「そこまでは言ってない!」


 わたしの抵抗も虚しく、お姉ちゃんはわたしの唇を奪ってくる。途端に、わたしの脳は蕩ける。


 ミシッ、とボートが軋む音。不安定な水面で揺れる船上。湖面には波紋が広がる。


 ーーわたし達、ほんとに悪い女の子だ。でも、まあいっか。


 快楽に落ちていきながら、わたしはそんなことを思った。

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