第4話 わたし達、付き合ってるんだし……


 それはわたしとお姉ちゃんとお付き合いすることになった翌日のこと。


 放課後の生徒会の仕事まで終えて家に帰ってきたわたしは、その足でシャワーを浴びてしまい、カップ麺だけの質素なお夕飯を流し込む。夕ご飯はいつも一人きりだ。お父さんの帰りは仕事で遅いから。そして一人きりでの食事、となると食に頓着のないわたしはどうしても簡単なものになってしまう。


 今のわたしの食生活を見たら、お姉ちゃんはなんていうんだろうな。そんなことを想像して頬が一瞬綻びかけ、でもわたしの代わりにひかりさんの食生活の心配をしているお姉ちゃんの姿が頭に浮かんでしまって、言葉にできないもの寂しさがこみ上げてくる。


 そうだ、今のわたしには『お姉ちゃん』はもういない。お姉ちゃんが心配するのはわたしじゃなくて、ひかりさんなんだ。学校にいる間は考えずに済んでいたそんなお姉ちゃんのことを、することがなくなったら思い出してしまった。すると、もういい加減になれたはずの一人きりの食事が、無性に寂しくなってくる。


 お姉ちゃんの声が聞きたい、お姉ちゃんの温もりを感じたい。そんな、叶いようもないことを願ってしまった時だった。


 携帯の着信音に気づいて出てみると、相手はお姉ちゃんだった。


 嬉々とした思いがこみ上げてくる。でも、お姉ちゃんのことを考えていて寂しくなっていたなんて子供っぽくてかっこ悪いから、お姉ちゃんの前ではあくまで平然を装って


「琴音ちゃんが電話かけてくるなんて珍しいじゃん。お母さんが大怪我したとか、何かあった?」


と尋ねてみる。


『そういうわけじゃないけど。用事がないと電話しちゃいけない?』


 電話の向こう側にいるお姉ちゃんはなぜかちょっと不機嫌そうだった。


「いや、そういうわけじゃないけど。でもお姉ちゃんが理由もなく電話をかけてくるなんて珍しいな〜、と思って」


『……別にいいじゃない。今のわたしは双葉ちゃんのお姉ちゃんじゃなくて、こ、恋人なんだし』


「え?」


 受話器の向こう側でぼそぼそと何かを呟くお姉ちゃんに聞き返してしまうわたしに、お姉ちゃんはちょっと怒ったように


『だからぁ! 今のわたしは双葉ちゃんのお姉さんじゃないんだから、別に用事がなくても電話してもいいじゃん、って言ってるの。こんなこと言わせないでよ、ばか……』


と言ってくる。今電話越しに話しているお姉ちゃんは、これまでわたしの目には完全無欠に映っていたお姉ちゃんとはまるで違って、わたしは思わず笑ってしまう。そんなわたしに電話の向こうにいるお姉ちゃんはますます不機嫌そうになる。


『今、わたしのこと面倒くさくて重い女だと思ったでしょ』


「ははは、思ってない、思ってない。確かに今の琴音ちゃんはお姉ちゃんじゃなくて、わたしの彼女さんだもんね。精一杯恋人になろうとしてくれるところが真面目なお姉ちゃんらしいというか、なんといか」


『双葉ちゃん、それ、絶対小馬鹿にしてるでしょー』


 お姉ちゃんが頰を膨らませているのが容易に想像できて、わたしも自然と笑うことができた。


「はは、だからしてないって。そんな健気なところ、わたしはかわいいと思うよ」


『か、かわいい……⁉︎』


 黄色い声をあげるお姉ちゃん。


「うん、かわいいよ。それと、ちゃんとわたしと恋人になろうとしてくれてるのがちょっと嬉しいかな。わたし、どこまで言っても琴音ちゃんの妹としてしか見られてないんじゃないかな、と思ってたから」


 最後の方はちょっとしんみりとしちゃって、我ながららしくない。まあ妹として見てくれるのも嬉しいけど、という言いかけた台詞はギリギリのところで飲み込んだ。


「はい、湿っぽい話はこれでおしまい。わたしの彼女の琴音ちゃんは電話でどんな話をしてくれるのかな〜」


『それじゃあ、えっとね……』


 それからお姉ちゃんは学校の生徒会であったこととか、運動部から土日の練習試合に助っ人として出てくれないかと頼まれただとか、今日学校で会った取り止めもない話をしてくる。


 特別何かがある訳じゃない。けれどそんなお姉ちゃんの話を聞いて、学校でのお姉ちゃんの姿を想像すると微笑ましい気持ちになってくる。


 ふと、姉妹で同居してた時はこんな何気ない話なんて意外としなかったな、なんて思う。なんでなんだろ、と思い返したら、むしろわたしばかりがお姉ちゃんに話してたんだっけ、ってことを思い出す。そこで改めて、今のわたしたちは姉妹じゃなくて恋人なんだな、ということを再認識する。


 それを意識した途端、とくん、と胸が高なってしまう。電話越しだからか、やたらとお姉ちゃんや胸の音を意識してしまう。お姉ちゃん相手なのにへんな気持ちになりそうになる。


 ――これはきっと電話で話してるから、ってだけ。耳元で囁かれてるようなものなんだもん。


 と、その時。


『なんだかわたし達、遠距離恋愛してる本物の恋人みたいね』


と、これまたお姉ちゃんが勘違いしそうな事を言ってくる。


「遠距離恋愛って……双葉が住んでるの、琴音ちゃん達の隣の隣の市だし、そこまで離れてないでしょ。琴音ちゃん、大袈裟すぎだって」


『はは、そうよね。だけど――これからも、こんな風に寂しくなって、双葉ちゃんの声が聞きたくなったら電話してもいい? わたしも、双葉ちゃんと離れ離れになるのは寂しかったんだから』


 可愛らしく唐突な告白をぶちかましてくるお姉ちゃんにわたしの心臓は一際大きく跳ね上がる。


 そんなこっちの気も知らずに電話越しからは


『お姉様ー、誰と話してるんです?』


と、遠くからひかりさんの声がノイズとして交じる。


『ひかりちゃんはともかく、そろそろお母さんに長電話してるのバレそうだから、切るね』


「あ、うん」


 お姉ちゃんの言葉にわたしは放心したまま適当に相槌を打つ。


『それにしても、こんな風に親に隠れて付き合ってると、ちょっとドキドキするよね。会うなって言われてるだけじゃなくて血の繋がった姉妹でお付き合いしてるって知ったら、お母さん達、怒るじゃすまなそう』


 そう悪戯っぽく言ってから極めつけには


『じゃ、おやすみなさい、わたしの双葉ちゃん』


と言い残して、お姉ちゃんとの通話は終わる。


 わたしの頬はかあっと熱くなっていて、わたしは我慢できずに枕に自分の顔を埋める。


 ――なにあのお姉ちゃん、可愛すぎでしょ!!!


 わたしはお姉ちゃんと付き合い始めたことで、とんでもない破壊力を持つモンスターを野に放ってしまったのかもしれない。

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