第5話 夢の回廊

「おっと、忘れてた。爺さん、夢の回廊の事を教えてくれないか。司も知りたがってるし」

「ええ、是非、お願いします」

「うむ。教えてやらんでもないが、どうだ、話せば長くなるし、いっそ、ここに泊まって行く事にしては?」

「まだ言ってる。五右衛門風呂は諦めてくれないか。どうせ、興奮して血圧が上がって寝込むのが関の山だよ」

「う~ん、ダメか。なら、それは次回と云う事にして。容易(たやす)く分かり得る事ではないが、ワシの知り得てる所を教授してみるか」

「なるべく手短に頼むよ。話し出したら止まらないんだから」


「うむ。まず初めに、ワシらの心の有り様を探って見るとしよう。

 以下を参考にしてくれぬか。


 ***  人間の心の有り様            コンピューターで例えれば

 六識~六感、眼・耳・鼻・舌・意(自我意識)・・・・ 入出力装置

    によって得た認識(分別)        

 七識~自我や環境を思考する識 ・・・・・・・・・・ 制御装置

 八識~経験した事や時々の自らの行いを記憶・・・・・ 記憶装置

    六識・七識から得た事柄を上書きする


    夢の回廊 ⇒ 精神世界 ⇒ヨミの世界

 九識~根本浄識 ⇒   〃     〃               ***



「爺さん、コンピューターを持ち出したりして大丈夫?」

「お爺様、流石ですわね。そのお年で~」

「な~に、若いもんにはまだまだ引けは取らんぞ」

「お爺様、よくって」

「うむ」

「この九識と云うモノは?」

「仏菩薩が知り得る識とでも言って置こうか」

「お爺様、こちらにもその様な教えが有るのですか?」

「勿論だとも。では、説明を施すことにしよう。


 ワシらの心の中では六識から八識へ、八識から六識へと一瞬ごとに情報が互換されおる。

 例えば、司殿は蓼の葉っぱをかじられたかな?」

「はい、昨夜、新に言われて」

「どうであった?」

「とても辛かったです」


 爺様は懐から蓼の葉っぱを取り出した。

「司殿がこの葉っぱを今見た事で、先に八識に記憶されていた情報を七識が取り出して六識(自意識)に伝え、司殿本人に『この蓼の葉っぱは辛い』ことを思い出させる。

 今ここで司殿がこの葉っぱをかじれば、七識は六識からの情報を得て『この蓼の葉っぱ辛い』と八識に伝え、八識は記憶の上書きを施す。


 モノの好き嫌い、言動の善悪もこのような事を繰り返して形づけられ、その人間の性格、人格が出来上がって来る。



 さて、九識は無始無終の精神世界で時空を超越しており、ワシらの様なぼんくらは入り込む事が出来ない。かと言って、その入口が閉ざされている訳でも無い。


 夢の回廊とは九識の入口に至る媒体と言える。

 眠ることによって自意識が乏しくなり、反対に潜在していた意識が目覚め夢の回廊が開かれる事と成る。

 誰もがそれを垣間見てるのだが、己が見た夢さえ覚束ないのであるからして、目覚めれば跡形もなく消え去って居る。


 九識を極めれば、生命の本源のヨミの世界に至る事が出来る。


 ワシらの血筋は遥か昔からこの夢の回廊を伝ってヨミの世界の片鱗をかすめ、他の世界、例えば、司殿の居られる金色世界に行き来出来て居る。

 それが有ってか、折々の菩薩様に重宝がられ使い走りの任を受け賜って来ておる。


 新の素行が芳(かんば)しく無いのでこの事は言えず仕舞いで今日まで来ていたが、司殿との縁(えにし)が時の到れることを告げたようである」


「父さんは夢の回廊を伝い、ヨミの世界に娑婆世界の窮状を訴えに行ったんだね」

「そう云う事じゃ。あれは新と違って正義感に溢れ、他人(ひと)の苦しみを見過ごす事が出来ぬ質(たち)で有ったからな」

「へぇ~、僕の父さんて、そんな人だったんだ」

「うむ。それに比べお前は・・・。いつまで経っても手癖が治らんようだな」


 司が口を挟んだ。

「お爺様は、新の盗み癖を見て見ぬふりをして来たのですか?」

「持って生まれたものじゃから、おいそれとは治らんでの~」


 新にも些かの言い分があるようだ。

「でもさ、貧乏人には手を付けて来なかった。富豪と呼ばれる奴らから困って居る人に分け与える為にやって来たんだ。鼠小僧や雲〇仁左衛〇のようにね」

「ふん。何が鼠小僧だ。それこそ、盗人猛々しいと云うモノじゃ。この出来損ないが!」

「お爺様、そこまで言わなくても」

「うむ。この際、司殿の手足となって、心を入れ代えて来るんだな」


 気まずい雰囲気が漂った。

 司が間を取り持った。


「ところで、お爺様。ここで一人暮らしなのですか?」

「うむ。ワシの嫁は金銭感覚が至らないので追い出した。娘は嫁に出したし、次男坊は、それ、そこの鍛冶小屋で一人寝泊まりしておる。訳ありでな、人前には顔を出せずにいる」

「お寂しいでしょう」

「そうじゃのう。司殿が・・・、止めて置こう。年寄りの詰まらぬ願いであるからして~」

「それって?」

「司、言わずとも知れている。司が気に入ったんだろ、なあぁ、爺さん」

「何を言って居る。どうせ、泊まって行かないなら、さっさと帰るがよい」

「だってさ。じゃあ、又な、爺さん」

「うむ。金色世界での活躍を期待しておるぞ」


 司が悦に入って応えた。

「お爺様、私の巧みな手綱さばきで新を更生させて見せます」

「おう、おう、よく言ってくれたな。新、だそうじゃ。出来れば、ワシもその手綱さばきを受けたい所じゃが~」

「爺さん、鼻の下が・・・」

「何を言っておる!」


と声を荒げた爺さんの口から何やらが飛び出した。


「きゃぁ!」


 司が悲鳴を挙げた。


 爺さんは素早くそれを手に取ると口の中に戻した。


「モグモグ・・・、すまぬ。入れ歯が飛び出してしもうた」

 






 

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