第十五話 神敵
「はぁ、はぁ……許さぬ、許さぬぞ」
息を荒げ、泥濘む道を走りながら、バルカンは恨み言を呟いていた。
その呪詛が向けられるのは、グレイやレインクルト、この事態を引き起こした者達だ。
いずれ世界の王になるバルカンに、こんなことをするなど許されるはずがない。
必ず苦しめた末に死刑にすることを固く誓う。
その脳裏には、拷問されて命乞いをするレインクルト達の姿があった。
「っ、このハシゴか」
そうして走れば、バルカンは漸く出口に辿り着いた。
かつて奴隷だったマヌル人に作らせた隠し通路も、これで終わりだ。
このハシゴの先は、王都の外にある森に繋がっている。
脱出し、共に政権を取った貴族達の下へ行くしかない。レベルカの正体を知る数少ない協力者達なら、レインクルトの息もかかっていないだろう。
そうして立て直し、レインクルトを反逆者として処刑するのだ。
チラリと背後を見て、レベルカが追ってこないのを確認する。
腹心たるレベルカを待つべきかとも思ったが、まずは安全地帯に逃げるのが先決だとバルカンはハシゴを上り始めた。
長いハシゴを必死で上り、森の中に設置された古井戸に出る。
ここまで来れば安全だ。そうバルカンは息を吐いた。
「ああ。神敵が漸く訪れてくださいました」
「あっ?」
だがそんなバルカンの安堵を踏み躙るように、木々の影から多数の人がゾロゾロと出現した。
それは老若男女様々な年代の者達だが、全員同じ服装のマヌル人だった。
その一番先頭に立ち、バルカンと相対するのは大柄な男。
南地区の支配者マクガフ司教である。
「なんだ、お前達は!」
「ハクア様は神である!」
バルカンの言葉に返答することなく、マクガフ司教はそう叫ぶ。
「白き色は神の証。それをあなたも知っているはずですよ。国王バルカン」
「それがどうした……」
ハクアが神話に伝わる神と同じ色だというのは知っている。
そう喧伝し、ハクアの名声を高めたのはバルカンだからだ。
しかしバルカン自身は欠片もそれを信じていない。神など物語に書いてある想像上のものであり、ハクアが白いのは突然変異か何か。
あくまでハクアを神格化し、それを従える己のための嘘だった。
「神を苦しめた愚か者! 神敵を! 我々が許すことはないでしょう!」
「「「天罰! 天罰! 天罰! 天罰!」」」
「聞こえますか。我らの怒りが」
だが物語上の神を、本気で信仰する者達がいる。そんな彼らにとって、神と同じ色を持つハクアは神。
そしてハクアを苦しめる全てを信者達は許さない。
バルカンとは、全身全霊を持っ以て排除すべき敵だった。
「な、何を馬鹿なことを言っているのだ! 我はバルカン・G・クリスタである! 控えおろう!」
「いいえ。あなたは神を苦しめた愚か者。さあ、天罰を!」
南地区の信者達は、容赦というものを知らない。
ずっと奪い奪われた地獄を生きて、様々なものが壊れた結果、神に縋った者達だ。
薬に犯された者もいる。心が壊れた者もいる。
そんな者達をまとめ上げるのは神という存在であり、そのためならばどんなことだってできるだろう。
「「「天罰! 天罰! 天罰! 天罰!」」」
信者達による喝采が聞こえる。その不気味さは、バルカンの言葉を詰まらせていた。
まるで話が通じる気配がなく、何かを盲信してそのためになんでもできるような異常者の集団。
それに囲まれて、正気でいられるはずがない。
「ああ……神が降臨なされた」
そしてマクガフ司教は呟いて天を仰ぎ──
「――これは……?」
天より降ってきたハクアに平伏した。
「ハ、ハクア! わ、我を助けろ。なんだこの異常なマヌル人の集団は!」
「……父様」
信者に取り囲まれて発狂しそうになっていたバルカンは、突如として降ってきたハクアに縋るようそう叫ぶ。
しかしバルカンを視界に入れながらも、ハクアが全く別の者を探していた。
「マクガフ、司教? だったよね、グレイは? 隠し通路で待ち伏せる、はず。ここが、そうでしょ?」
「グレイ殿ならば大丈夫ですよ。私が知る中で、かの英雄グレンザー様に並ぶ怪物。何が起ころうと傷ひとつありません」
「それは、知ってるけど、心配」
ハクアとしてはずっとグレイの側にいたかった。
しかし最高戦力を固めておくのは無駄であると、泣く泣く分かれて配置についた。
その心中にあるのは、グレイが大丈夫か。逃げ出したレベルカと相対して勝てるのか。それだけだ。
「グ、グレイだと? あのマヌル人ならレベルカが殺しているところだ!」
「えっ?」
「し、しかし我ならレベルカを止められる。あいつの命が惜しくば、助けろ!」
命乞いをするように、バルカンは叫ぶ。
それに一瞬恐ろしい形相を浮かべたハクアだが、瞬時に息を吐いて心を落ち着かせた。
「グレイは、負けない! レベルカさんより、絶対に強い」
「それはどうかな。あいつは奥義の使い手だ。いくらマヌル人が強かろうと──」
「──ああ。やっと脱出できた」
そしてバルカンの言葉を遮るように、古井戸からレベルカを担いだグレイが顔を見せた。
「何っ。レ、レベルカ!!」
「王は捕まえたか。助かったマクガフ司教。それに、ハクア」
気絶したレベルカを地面に転がし、グレイは笑顔でそう言う。
「グ、グレイ!」
そして再会できたことを喜ぶように、ハクアはグレイに思いっきり抱きついた。
「うおっと。俺は大丈夫だ。というか結構泥だらけだから」
「良いの! 好き!」
「まったく。……ハクア達は大丈夫か?」
「うん。私達は、勝ったよ。みんな無事。みんな、頑張った。だからグレイが心配で、走ってきちゃった」
「そうかそうか」
人目も気にせず抱き合う二人。
そんなハクアを呆然と見つめていたバルカンは、慌てて倒れ伏すレベルカへと駆け寄る。
レベルカの力でこの場を切り抜けようとするが、強い衝撃を受けたレベルカが起き上がることはなかった。
「な、なんたることだ。お前ほどの女が、負けるとは」
返事をしないレベルカに、強いショックを受けるバルカン。
彼が知る中でレベルカより強いと断言できたのは、姫騎士ハクアと、故人たるマヌルの英雄グレンザーだけだ。
それほどの傑物なのに、グレイという貧民街の青年がレベルカを打倒するとは。
その現実が、受け止められない。
「や、やはりそうなのだ。あの時感じた予感は間違っていなかった。我らに破滅をもたらすのはマヌル人だ。そうだ。だから我は……」
ブツブツと、現実逃避をするようにバルカンは呟く。
そんな彼に、グレイはゆっくり近づいた。
「国王バルカン。これで、終わりだ」
「……マヌル人」
「でも最後に、一つ聞きたいことがある。なんで、俺達を隔離したんだよ」
グレイが問いかけるのは、貧民街の始まりだ。
かつて奴隷解放を約束してくれたバルカンだったが、その実態は王都の外でマヌル人を隔離し、地獄を生み出すものだった。
マヌル人は王位を取るために全力で協力したという。しかしその果てが貧民街という地獄なら、あんまりのことだろう。
「……人ではない者と、なぜ共に暮らさねばならない」
その問いかけに、バルカンは呟くように言う。
「……どういうことだ?」
「貴様らは真に人ではない者達! 居場所を作ってやっただけでも温情だ。皆殺しにしたかった! かつての王が、なぜ闘術の使い手を皆殺しにしたか今ならわかる! 薄汚い獣風情が!」
バルカンは絶叫するように罵詈雑言を並べ立てた。
そこにはマヌル人を酷く嫌悪する態度が見て取れて、彼の悪意がグレイにぶつけられる。
なぜかつてのバルカンが、貧民街の住人を皆殺しにしようとしたのか。その理由が、彼の態度に込められていた。
しかしわからない。元は協力者だったはずなのに、何があればこれほどの悪意を持てるのだろう。
「マヌル人は人ではなっ──ブフッ」
さらなる悪言を吐こうとしたバルカンは、一発の拳で中断された。
「っ! グレイを、馬鹿に、するな! 許さない!」
そこにはバルカン以上に激昂するハクアがいた。
心優しきハクアの顔には、見たこともないような怒りが沸いている。
最愛の人を罵倒して、そんな彼を苦しめてきた父を許してはおけぬのだろう。
「ハ、ハクア……何を」
「もう、何も喋らないで!」
感情のままに父に対し、攻撃し、激昂する。
それは呪われていた頃のハクアにはできなかったこと。解呪され、大好きな人ができたからこそ、ようやく軛から解き放たれたのだろう。
ハクア・G・クリスタは解放され、バルカン・G・クリスタは終わった。
王の交代という一大事件は、こうして一夜にして幕を閉じた。
しかし全てが上手く運んだわけではない。
事後処理の方が大変だし、不可解な事象の理由は未だわからない。
一体誰が、何の目的で王城の者達を気絶させたのか。
それはその後の調査でも、解明されなかったことである。
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