36.舞踏会

 

 エリカは廊下を闊歩する見回りの兵士の目を避けつつ、地下へと続く階段を探す。結局それは中庭を超えた先の別館にあり、辺境伯領の城と概ね同じだった為、思ったよりも随分早く見つけることが出来た。


 暗い中で濡れて艶めく石の階段を、一歩一歩と下る。ドレスの裾が黒く汚れて少し残念に思ったが、そんな事を気にしている場合ではないと首を横に振り、階段を下りきる。飾り気のない石の廊下に出た。壁に、等間隔で松明が並べられている。エリカは廊下の奥をじっと見て、身を低くし、隅に積まれていた木箱の裏に、さっと隠れた。──足音が近づいてきている。


 だが、靴の音ではない。ヒタヒタとした、肉食動物が歩くような、そんな音だった。それでいて、カチ、カチと固いものが当たる音も混じっている。恐らく、爪が床を打つ音。


 気が付かれないように、そっとそっと、木箱の陰から顔を出して音のする方を見た。暗がりから、松明を持った獣人ワーウルフがこちらに近寄ってきている。大きさは頭が天井につきそうでつかないくらいだから、6フィート7インチくらいか。手には武器を持っている。恐らくロングソード。そして脇腹には焼印。


 やはり操られた魔物は城内にもいるか、とボウガンに手を添える。すると獣人はクンクンと鼻を動かし、辺りを見渡し始めた。暗がりでは目は利かないが、鼻が利く。突如香ってきた女の匂いに、違和感を覚えているのだ。


 獣人は木箱を見た。その瞬間、エリカは飛び出し、その頭に矢を撃ち込む。見事に脳を貫き、獣人は声を上げる間もなく倒れた。エリカは地を這うようにしてその亡骸の陰に隠れる。そして、獣人の来た方向を見る。


 壁から灯りが漏れている。部屋があるのだ。その灯りは時折チカチカと暗くなったり、そうでなかったりを繰り返す。


(……影だ。誰か、いる)


 今度は後ろからヒタヒタと音がして、振り向く。新手の獣人だ。間髪入れずに頭に矢を撃ち込む。敵は音もなく倒れる。先に倒した獣人の血の臭いで、己の体の匂いが消されていたようで、突然襲われずに済んだ。このまま止まっていては窮地に陥りやすいから、一気に部屋の近くまで走る。


(……中は結構広そう)


 壁に張り付き、息を殺す。半開きになった扉を、ゆっくりと音を立てないように足で押し、部屋の中を覗き込む。


 そこにいたのは、2人の男。1人は机に向かっていて、背中を向けている。何か、書いているようだ。離れた場所にもう1人がいて、鞭を手に誰かを打っている。


(罪人の拷問……)


 そっと背を壁から離し、その打たれている誰かを見る。天井から鎖で吊るされていて、身体中血塗れの男。背格好に見覚えがある。そのだらしなく伸びたような髪にも、青い瞳にも。──もしかして。


「ウォルターさん……?」


 言ってから気がつく。──鎖に繋がれたウォルターの両手、その小指と薬指がもがれている。


「……っ!」


 エリカは思わず口に手を当て、後退りをした。


 当たり前だが、ウォルターが捕まっている事は想像していたし、覚悟もしていた。もしかしたら、ご飯を食べさせてもらっていないかも。鎖に繋がれて、手首を痛めているかも。そう、心配していた。だが、実際に目の前に飛び込んできたのは想像の何倍も酷い仕打ちだ。


 脳裏によぎる。あの晴れを乞うた雨上がり。妻と子を失ってもなお故郷のために尽くそうとした、寂しいとも悲しいとも断言できない、つめたい石のようなウォルターの背中。


 それで、冷静でいられるわけがなかった。エリカは扉を蹴破った。


「誰だッ!」


 鞭を持つ男が振り返る。エリカは何も言わず、矢を2発放つ。2本とも腹に命中し、後ろに吹き飛んで積まれた木箱を散らし、荷に埋もれた。


「貴様、どこから入ってきたッ!」


 次に、座っていた男が剣を手にエリカに斬りかかる。だが、エリカはその剣を持つ手を掴み、思い切り捻って投げ、地に叩きつけた。そして喉を勢いよく踏みつけた。兵は血反吐を散らして、焼けた虫のように丸く縮まる。


「……今すぐ助けます」


 エリカは肩で息をしながら、剣で鎖を斬ってやる。ウォルターは膝から崩れ落ちた。


「出血が酷い。早くなんとかしないと……」


 エリカは事情を聞くよりも傷を治さねばと思い、ドレスの内にある薬を取り出そうとする。が、ウォルターが赤い3本の指でエリカの腕を掴み、それを止めた。


「──先に、女達を助けてやれ」


 言われて、嫌な予感がした。ウォルターがこの有様。だとしたら攫われた女の人達は、どうしている。


「この先が、だ」


 エリカはウォルターの目線の先、赤い顔料で塗られた鉄の扉に目を向ける。立ち上がり、ゆっくりと近寄り、そしてその酷く冷たく、重い鉄の扉を押し開けた。


 開けてまず、臭いが鼻につく。血の臭いだ。まるで錆びた鉄を擦ったような、血の臭いだ。痰が絡む。


 音は、様々。ガボガボという水の中で誰かが叫ぶ音、小さな悲鳴、呻き声、助けてと叫ぶ声、パチンと何かを弾く音、潰す音。他にも色んな音がして、騒がしい。


 目に入ってきたのは、茶色い服を着た兵士。茶色いのは、血の色だ。兵士は様々な道具を扱って、裸の女達を傷つけている。1人はペンチのようなもので爪を剥がしているようだし、1人は女の顔を水桶に入れて頭を押さえつけているし、1人は縛られた女を松明で焼いていて、1人は……、あとは……、もうこれ以上、見たくない。


 部屋の隅には、山になって折り重なっている裸の人たち。その内の1つに、金色の髪があった。それで、ついにハッキリと思い出した。スレイローの酒場で、困ったように笑って近寄ってきた凛々しい男装の麗人の姿と、顔を。


 扉が開いたのが分かって、兵士たちはゆっくりとそちらを見た。エリカはその彼らを強く睨め付けるでもなく、ただ目を見開いたまま、震える手で黒い剣を抜いた。いつも輝きを湛える赤い瞳は、深い血の色をしていた。


「ひっ……!」


 兵士の1人が怯えた声を上げた。水桶に沈めていた女の顔から手を離し、尻餅をついて後退りをし、近くにあった剣を握った。エリカはその兵士の足に向けて、矢を放った。


「ぐわっ……!」


 矢を腿に受けた仲間を見て、他の兵達が言う。


「貴様、何者だ!」


「何のつもりだ……‼︎ 落ち着け! 話をしよう!」


「やめろ! そんな事は、無意味だ‼︎」


 兵達の中には自らが何をしているのかを理解している者もいたから、エリカを恐れて宥めようとした。──既に自分達がどうなるかを、察している。


「絶対に許さない」


 エリカは一歩踏み出す。スカートの中で、ぱしゃんと血が跳ねた。


「絶対に、許さない……ッ‼︎ お前らは畜生だッ‼︎ 畜生以下だッ‼︎ 全員人の皮を剥いで、その汚い中身を引き摺り出してやるッ‼︎」


□□


 舞踏室には先のスロー・ワルツよりも豪華なワルツが流れていた。これはヴェニーズ・ワルツといって、既に瘴気に飲まれた東の国で流行っていたワルツの形式だった。スロー・ワルツよりもややテンポが早く、大きく弧を描きながら踊るため、軽やかかつ優雅な動きが特徴だ。


 キャロルと獅子侯は踊る。領の若手達も8組ほどフロアで踊っていて、彼らも大変煌びやかであったが、皆の注目はキャロルらに集まっているのであった。


「こんなに間近で見ても美しい。私は今まで、これ程に美しい女性を見たことがない」


「大袈裟にございます」


「大袈裟なものか。……どうだ。もう少しこの城に留まるつもりはないか。私が取り立ててやろう。無論、お前の家族もな」


 キャロルはくすりと笑う。


「お戯れを」


「いいや、私は本気だ」


「奥様に目をつけられます」


「ハハハ。あいつはもう死んだ。私には過ぎた女だった」


「それは、失礼いたしました」


 目を伏せつつ、キャロルは続ける。


「閣下のお側に仕える女性たちも黙ってはいないのでは」


「私に仕える女?」


「──領中から優れた女性を集めていると聞きます」


 キャロルは顔をあげ、獅子侯の目を見た。獅子侯は眉を上げて小さく驚いてみせる。


「ほう、知っておるか。その事を」


「閣下は女の身分でも腕が立てば重用してくださると、噂が立っております。私も出来れば閣下の騎士として仕えとうございます」


 獅子侯は鼻で笑った。『女の身分でも重用する』か。どうやら、そうして集められた女もいたらしい。


「お前に剣は似合わない。それに、何か勘違いしている」


「勘違い……?」


「女を集めているのは、雇うためにあらず」


「──では、何のために」


 キャロルの手に思わず力が入る。突っ込んで聞いているにも関わらずこの男は余裕の表情を崩さない。何か嫌な予感がした。


「そうだな……。どう話せば良いか……」


 獅子侯は言って、踊りを止める事なく目を瞑る。見ている貴族たちには、それが大変優雅なものに思えた。


「──この世界に輝聖は必要ない。そうは思わんかね」


 キャロルは何かを言おうとして微かに口を開けたが、言葉が出なかった。


「輝聖の意味が分からんか? 即ち、光の聖女のことだよ」


 獅子侯は薄く目を開け、左の口の端を僅かに上げて微笑む。


「……光の聖女は、日蝕で現れなかったと聞きます」


「いや、そうではない。確かに、この世界の何処かに存在する」


「何故、そうと分かるのです」


「私は獅子と呼ばれた男だ。獣物けだものは、鼻が利く。──正教会が秘密裏に輝聖を探し始めているのを掴んだ」


 キャロルは思う。この男の話ぶりからして、日蝕の日に女神像を腐らせたリトル・キャロルが輝聖である事までは、知らないようだ。


「さて、輝聖は何を考えている?」


「え? 何を、考えているか……?」


 突然問われて、答えに詰まる。


「そうだ。迫る瘴気に。この世界の崩壊に。何を、思う?」


 獅子侯は笑みを浮かべたまま続ける。


「知らぬ存ぜぬだろうか。果たして心は痛めていないのだろうか」


「……心は、痛めているのではないでしょうか」


「ならば何故、この世界の危機を前にして、なお現れない」


「それは……」


「何故、故郷を追われた我が民を、そして私を救おうとしない。何故、私や民たちをあわれんでくださらない」


 キャロルは、やや息を荒くする。額に汗が伝った。この問答、苦しい。


「悲劇に溢れたこの世界を救う力を神から授かっておきながら、卑怯にも表に出てくることなく、世界の片隅でのうのうと生きる輝聖など、果たして我らに必要であろうか」


 答える事が出来ない。


「思うに、輝聖は臆病なのだ。逃げているのだ。ハハハ……」


 強い耳鳴りがして、胸の内に黒く重いものがずしりと生まれる。それは呼吸を遮り、手足を急激に冷やし、震えをもたらす。心臓の鼓動が煩いくらいに聞こえ、優雅な音楽を掻き消していく。


(私が、臆病にも逃げている……)


 確かに、己はジャック・ターナーに旅を続けろと言われた。正教会に狙われるのを避け、輝聖の力がさらに覚醒するまで待てと、そう言われたのだ。だからそうしてきた。逃げているのではない。ちゃんとした、理由があるんだ。


 ──違う、逃げてなんかいない。お前に何が分かる。


 そう、叫びたい。


 だが、叫べない。それは、己が輝聖であると白状するようなものだから、だろうか。いや、そうではない。──獅子侯の自論を否定する権利がないんだ。状況を見ても、己は世界から逃げていることに変わりはない。


 日蝕で腐食の力を手にした。聖女でなかった事を受け入れられず、この力とまともに向き合おうとしなかった。逃げていた。己は、そこから変わったつもりだった。しかし、客観的に考えた時、己は何一つ変わっていない。未だに逃げているんだ。臆病にも。


「だから、私は探している。何も出来ない、役立たずの輝聖をな」


「……どうやって、探すのですか」


 キャロルはあまりに重い唇を意地で開けて、なんとか言葉を発した。


「幾ら臆病な輝聖と言えど、生命の危機が迫れば激しく抵抗するだろう。聖女たる力を使い、何とか逃れようとする。そのはずだ」


「生命の危機……?」


「臆病者には罰を、と言ったところかな。輝聖に瘴気の民の苦しみを理解させてやるのだ」


 獅子侯はニヤリと笑う。


「──輝聖を炙り出すには拷問の他、これなく」


 キャロルは踊りを止め、目を見開く。


「……女を集めるのは輝聖を探るためと、そう仰せですか」


「左様。輝聖と疑わしき者には拷問をかける」


「そうして無実の者を痛めつける事に、意味は……?」


 獅子侯は笑みを崩さず、言う。


「──輝聖は犠牲の山を見て、自らの卑劣を悔やむべし」


 キャロルは獅子侯の瞳を見据えた。そのキャロルの黄金の目、光を湛えて、はるか奥に宇宙を携える。その銀河にも似た煌めきは、強烈な光の力。即ち、輝聖たる者の生み出す殺気である。


 2人の周りに旋風が起きる。それで、周りで踊る若手達は何事かと、足を止めた。


 獅子侯は黄金の瞳を見て、キャロルの手を離そうとした。無意識だった。体が、そう反応したのだ。が、キャロルのその手がしかと掴んで、離せなかった。


「……違うな。貴様。準男爵の娘などではないな」


 キャロルは答えない。


「──何者だ、貴様」


「お前の敵だ」


 キャロルは鋭く息を吸う。その瞬間、突如、獅子侯の体が金色の炎に包まれた。光の力によって生み出された生命の輝きが炎となって、獅子侯の体を焼く。


「グワァァァァアアアアッ‼︎」


 体が焦げつく。黒ずむ。髪が巻き上がり、炭となって舞う。肺が焼け、息ができない。次第に目も見えなくなり、力も入らなくなり、膝をつく。


 炎が上がって、3秒、4秒。唐突な発砲音が舞踏室に響いた。1つや2つではない。計8発。舞踏室を警備していた兵達は、白煙を漂わせた銃を持っている。その全ての銃口はキャロルに向けられており、放たれた弾丸は全てキャロルに命中した。


 腹部に2発、太腿に1発、右肩に1発、胸に1発、頬に1発、首に1発、顎から右耳にかけて1発が貫通。キャロルは文字通り蜂の巣となって倒れた。血溜まりが急速に出来上がる。


 舞踏会の参加者達は、何が起きたか分からない。ただシンとして黙り、倒れた少女と燃える盛る男を見ていた。演奏が徐々に消えていき、メキメキと男の体の焼ける音と、チルチルという流水音にも似た血の流れる音が聞こえている。


 さらに10人程度の兵達が出入り口から舞踏室に入ってきた。テラスの大窓からも同程度の兵が現る。その兵達は皆、鉄砲を持っていて、持ち場につくや否や、すぐに構えた。


「放てッ!」


 火だるまの獅子侯が右手を振り上げ、下ろす。兵達は引き金を引いて弾を放つ。狙いはこの舞踏会に参加している男子。弾の殆どは目論見通りに命中。マール伯は6発の弾を体に受ける。他、マール伯爵領の重鎮は漏れなく撃たれて倒れる。


 ここで初めて女達は悲鳴を上げた。逃げ出そうとして自らのドレスを踏み転げる乙女もいれば、ただ立ち尽くして金切り声をあげる乙女もいる。男達はみな、倒れている。舞踏室の床は赤く染め上げられた。


 兵達は獅子侯に寄り、その身を焼く聖火を手で消そうと試みながら、彼を部屋の外へ連れていった。兵の1人がうつ伏せに倒れるキャロルを蹴り転がし、まだ息があるのを確認すると、顔にもう1発撃ち込んで、とどめを刺した。それを見て、隣で踊っていた同年代の乙女が叫びに似た悲鳴を上げる。


 獅子侯と兵らが舞踏室から出て行った後、部屋に火が放たれた。それは一気に燃え広がり、あたりには火柱が乱立する。


「な、何が起きたっ!」


 不貞腐れて部屋の隅でしゃがんでいた無傷のジョッシュが部屋の中央に駆けて出る。周りを見ても、分からない。倒れる男子と、流れ弾に当たって蹲る何人かの女子、悲鳴をあげて駆け回る貴婦人と乙女、そして紅蓮の炎があるだけである。頑張って理解しようとしていると目の前にシャンデリアが落ちてきて、ジョッシュは尻餅をついた。


 突然の事に血の気が引いて、伯爵夫人のマーガレットが倒れる。それを支えたのは、身体中に弾を受けたマール伯であった。マール伯は鉄製のマスクから血を垂れ流しながら、残念そうに笑う。


「くっくっ。獅子侯め。牙を剥きおったか」


「ち、父上……!」


 マール伯の服は水を含んだ雑巾の如く液体を垂れ流し、それが足元に血溜まりを広げてゆくが、本人は気にするそぶりもなく肩を揺らして笑っている。


「さてさて。領を乗っ取るつもりだな。最後まで信じていたが、裏切られたわ。ははは」


 今ここにいる貴族達は皆、恐慌の中にいる。斯様な時にこそ、家臣達の長、領を治める者として、堂々たる様を見せねばならない。ここで膝をつけば、不安に思う家臣達をさらに絶望させることになる。だからどれだけ血を流していても絶対に倒れるわけにもいかないし、笑顔を崩すわけにもいかない。マール伯爵ノア・バトラーとはそういう男であった。


「りょ、領を……、乗っとる……⁉︎」


 ジョッシュはハッと息を飲んだ。


「つ、つまり、獅子侯を信用しすぎるなと言っていたライナスは正しかったと言うわけかぁ……! ちゅ、忠言を無視するべきじゃなかった……! この俺が迂闊なあまりにっ! ええい!」


「──何も忠言を無視しているわけではない。ワシは最後までロングランドから逃げ延びた哀れな男を信じたかっただけだ」


 マール伯はテラスへ続く大窓に目を向ける。どうやら、複数の魔物に囲まれているようだった。それに気づいた乙女達はきゃあきゃあと声を上げる。逃げようとしても、炎が邪魔で逃げられない。蹲って泣く者もいる。


「この城に入った祝賀の列は、ただの祝賀の列にあらず。荷運びに扮すは領軍精鋭。他家臣の列も同様にするよう通達してとる。──城内には百戦錬磨の忠義者が300」


 ジョッシュは口を開けたまま、マール伯を見ている。


「ライナスに伝えよ。敵はロングランドの獅子侯アンデルセン伯。兵力はロングランドの兵が100。貸し与えた我が領兵は1000。彼らは味方と思うな。調略され敵兵となっているものと捉えよ」


「ラ、ライナスが……、来ているのですか……⁉︎」


「さてな。だが、彼奴きゃつなら来る」


 そう言った所で、舞踏室に味方の領兵が何人か駆け込んできた。怪我を負って動けない者達に肩を貸し、燃え上がる部屋から速やかに脱出させる。魔物がテラスから舞踏室に入ろうとしたが、回り込んでいた別の兵達が食い止めた。


 マール伯が大声を張り上げる。


「動ける女子は怪我人を外に運べ! 息のない者は放っておけ!」


 ジョッシュは思い出したように、急いで立ち上がった。


 ──そうだ。あの、美しい準男爵の娘はどうなった。


 遠目からボーッと見ていたが、突然倒れ込んだ。そんな風に見えた。となると、あれは撃たれたのか。


「お、おい! そこに女の人が倒れていなかったか! 獅子侯と踊っていた、あのひとだ!」


 キャロルの近くで踊っていた令嬢が、呆然としながらもこれに答える。彼女は脚に力が入らないようで、へたりこんでいた。ドレスには共に踊っていた男子の血糊がこびりついている。


「……立ち上がって、外に、出ました」


「立ち上がった……⁉︎」


 ジョッシュは軽く胸を撫で下ろした。動けたと言うことは、無事なのだ。


「廊下に出て、南から逃げろ、と言ってました。でも、でも……!」


 次いで令嬢はポロポロと涙を流し始め、顔を歪める。


「──あの子……、頭を撃たれたのに、生きてた……。に、人間じゃない……!」


□□


 居城、地下の拷問室。エリカは傷ついた女達に処置を施していた。キャロルから貰った薬は相当に効力があり、彼女達の傷つけられた体を治してゆく。


 捕えられていた女達は42名。内、10名はまだ子供。エリカが発見した当時、20名は気を失っていて、10名が事切れていた。意識のある者から話を聞くに、先に捕えられていた者達はこれ以上にいて、殆どは死亡しているらしい。亡骸は何処かに運ばれて行ったと言う。


 暗い拷問室、天井からの雫が床を打つ音だけがある中、ウォルターは口を開いた。


「……閣下は、マール領を奪うつもりだ」


 エリカは『月影のシャーロット』の脚の腱を治療しながら、言う。


「領を奪う事とこの人たちを拷問することに、何の関係が……」


「光の聖女だ」


 エリカはピクリと反応し、ウォルターを見た。


「閣下は、俺が来ると喜んで迎え入れてくれた。そして上機嫌に話してくれたよ。……教皇ヴィルヘルムは光の聖女を探しているらしい」


「つまり……、光の聖女を見つけ出して……、正教会の後ろ盾を得るつもり、ですか……?」


「この国では領主や国王より、正教会の方が強いからな。教皇に気に入られれば、どんな無理でも通るってな。そう仰っていた」


「どんな無理でも……」


 ウォルターは虚しく笑って続ける。


「そうだ。マール伯らを葬り去り、領を奪う。そして教皇に光の聖女を献上し、この領を閣下のものとするのを公に認めさせる。それが、閣下のやりたかった事だ」


 エリカは拳を握りしめた。その手は震えている。


「流石の俺も、これには意見した。我が領土を奪った瘴気や魔物と変わらないやり方だと、そう思った。……それで、このザマだ」


 ウォルターは失った小指と薬指を見た。これでもう、剣は握れない。


 ──閣下のために剣を振うことが己の存在価値だった。


 前領主の前で行われた御前試合で、己は15歳にして無敗だった。今思えば、随分と生意気な子供だった。負けた相手に『もっとこう動け』だの『練習しろ』だの、歳上でも構わず上から目線で物申した。


 勝利卿と呼ばれ始めたのもその頃だった。勝利は文字通り勝つということ。卿と呼ばれていたのは、偉そうな己を揶揄するための、なんというか、尊称と言えばよいか。つまりは、調子に乗って人にあれこれ指示する人間をと言って馬鹿にするようなものだった。


 初めて負けたのが、閣下だった。何で戦う事になったのかと言うと、それは己が調子に乗りすぎていたからだ。この領で1番強いやつと戦いたいと、豪語してしまった。


 己はいつも通り身体強化を使用して、頸椎を打とうとした。だがその動きは閣下に見切られ、右腕を捻りあげられた。あれは痛かった。今でもあの痛みを思い出す。


 それで、試合を見ていた男達が『折れ』だの『殴れ』だのヤジを飛ばしていた。そこで自分が嫌われていた事に気がついた。そして腕を折られるのだろうな、と覚悟していたが、閣下はそうはしなかった。──持っていたファルシオンを渡し、それを握らせた。扱いにくいジャジャ馬だが、良く切れると言って。


 だがもう、そのファルシオンは握れない。閣下の為に剣を握ることは、もう出来ないのだ。


「閣下は狂ってしまわれた、か……」


 セオの言葉を思い出す。確かに、少し見ない間に我が主人は変わっていた。妙に目が爛々としていて、忙しないような覇気に満ちていた。己の知る獅子侯は、もっと静かで、山のように聳える、巨大なお方だった。


 閣下が狂ったとしたら、それは一体誰が狂わせたのか。きっと我々、故郷を失った民達なのだろう。己らの希望が、期待が、愚直さが、閣下の身を焼いたのだ。全てを背負わせ、そして狂わせた。


「……それより、良かったのか」


 ウォルターは気を失って倒れた兵達を見る。みな、エリカが倒した。だが誰1人として死んではおらず、彼らもまた同様に怪我を処置されていた。


「殺すのは違うと思ったから」


 本当は、1人残らず殺そうとした。初めの1人の首を刎ねようとして剣を振り上げたその時に、相手が怯えて蹲るのを見て、やめた。


 冷静になったのだ。ここで感情に任せて人の命を奪ったら、もう止められなくなってしまう。命乞いをされても聞き入れる事ができず、ただがむしゃらに奪ってしまう。そうなれば最後。己は未熟だから、奪うのを自分で止める事が出来ない。気が済むまで剣を振るって、それで、それで……、多分だけれど、永遠に気が済むことはないまま、もっともっと、多くを奪う人間になっていくんだ。そんな気がした。


 凄く浅はかな表現かも知れないけれど、闇に堕ちていくっていうのは、こういうことなんだと実感した。


「キャロルさんが言ってたんです。強い人っていうのは、誰からも奪わず、誰からも奪われない人だって」


 エリカは立ち上がり、放っていた剣を鞘にしまった。


「でも、獅子侯は沢山の事を奪ってゆく人なんだ。土地も、命も、尊厳も、敵味方関係なく奪っていく。一度奪う事に慣れてしまうと、きっと永遠に奪い続けてしまうようになって……。誰かがそれを止めないと、周りの全てが不幸になっていく」


 晴れ乞いの村の生贄達。苦しみぬいたネリー・アーヴィンという同年代の魔法使い。従騎士のセオ。そしてウォルター。彼ら全員、可哀想だ。故郷を失って可哀想なのに、何でこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。早く獅子侯を止めないと、周りの人たちの全てが奪われてしまう。


「ウォルターさん。──私、獅子侯を討ちます」


 ウォルターはエリカを見上げた。


「ウォルターさん達の希望を奪うことになるかも知れないけど。キャロルさんと私が、新しい希望になれるようにするから」


「……お前と、キャロルが?」


 そう問うた時、遠くでパンという音が響いた。それも、1つではない。幾つもだった。連続して、何回も何回も鳴る。


「……銃声だ。始まったか」


 ウォルターは天井を見る。舞踏室で、誰かが撃たれた。


「早く行かないと」


「──待て!」


 声を上げたのは、治療を施したばかりのシャーロットだった。


「私たちも行こう」


 すくりと立ち上がり、軽く地を踏み締め、手を握っては開く。まだ完全とまでは言わないが、腱は繋がったようだった。剣を握ることは出来よう。


「でも、まだ完治してないんじゃ……」


 シャーロットはこれ以上言うな、と掌で遮る。そして鼻で笑った。


「なあに。ここにいるみんな、光の聖女ではないかと疑われるほどに噂となった強者。心配には及ばないさ」


 そういってウィンクをする。


「さて、敵の数は如何程か?」


「ロングランドからは100人前後の兵を連れてきているはずだ。あとは、そうだな……。謀反を起こすくらいだから、マール伯爵領軍の兵が敵方に多くいると思う。魔物がどれだけかは分からんが、大量。2000は覚悟しておいたほうがいい」


「ははは。だ、そうだ。それをお嬢さんが1人でやるかい?」


 エリカが返答に困っていると、シャーロットは大声で言った。


「ここに集められた者達は1人1人が一騎当千! 冒険者として、兵として、武で名を馳せた戦乙女だと思えっ! だから、案ずるな。たとえ20%の力しか出なくても、1人200体の魔物を相手にできるっ! どうだ、心強かろう!」


 そして、ニカッと笑う。彼女の後ろで、動けそうな何人かの女達も、みなやる気満々とアピールしてみせた。その数、凡そ10人程度か。


「拷問をかけられて逃げ帰るなど武人として生き恥を晒すようなもの。それに、命を奪われた子たちの無念がある。分かれ、エリカ・フォルダン」


 エリカは根負けして、ぺこりと頭を下げた。


「……お願いします!」


「それでよし!」


 黙っていたウォルターが言う。


「シャーロット、騙してすまなかった。他のみなも。代表して謝る。……俺のことはどうとでもしてくれ。この指では抵抗もできない」


 シャーロットは片眉を上げて、さして気にしてないような表情をする。他にウォルターが捕らえた冒険者の女、葦旗会あしはたかいマスター、"鉄仮面"エロイズ・ライムも、マリ・リドリーも、ライラ・キャンベルも、ジャニス・ピルキントンも、一先ず何も言わなかった。みな、元は軍で働いていた者たち。主人の命は絶対という掟を理解はしていた。


「君らとは違い、瀕死の人間を痛めつける趣味はない」


 そう言ってシャーロットは一つ溜息をつき、ずいとウォルターの前に出る。そして要求するように手を差し出した。


「悪いと思っているなら、協力したまえ騎士殿。今すぐ人数分の布を。2分間、与えてやる」


「布……?」


「裸で戦えと言うのか?」


 シャーロットは自らの胸を指差し、ニヤリと笑った。


「温情だ。腰巻になるだけで良い。この胸は敵兵と魔物どもに見せてやる。死に土産としては面白かろう」

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