第2話 肥溜めの英雄

 怪獣によって追い詰められた人類の一部は地下生活を余儀なくされていた。もはや地上に人類が安全に暮らせる場所は僅かにしか残されておらず、そこに辿り着くのも至難。

 怪獣が跋扈する地上を長距離移動するのはあまりにも無謀なことであり、たった一度でも怪獣に見つかってしまえば残るのは死のみである。故に人類は散らばりながら各地の地下空間で暮すことしかできなくなっていた。

 その中の一つ、元は避難用に作られた都市の地下施設で暮している者達がいた。

 

「ごはんだーー!」

「俺が一番乗り!」


 地下施設では子供達の声が響いていた。バタバタと足音が鳴り、走って近づいて来る。

 子供達の声は次第に大きくなり、足音は大きくなる。どんよりとした地下空間が子供達の声で賑やかに、活気づく。そして子供達の声がすぐそこまで近づいてくると、ノックも無しに扉が勢いよく開き、何人かの子供たちが部屋に入って来る。

 そして子供たちは笑顔を浮かべたまま部屋の中を見回す。

 かなり広い部屋には何人かの大人達がおり、一人は機械の修理を二人は話し合って、もう一人は子供達が来るのを待っていたかのように手招きする。そして手招きされた子供達はテーブルの上に並べられた食べ物を見て喜ぶ。


「今日いつもよりも多い!」

「これ全部いいの!」


 と子供たちが声を上げながら椅子に勢いよく座って、目の前に並べられた料理たちに目を輝かせる。しかし喜ぶ子供達とは対照的に大人達は笑顔を無理矢理作っているもののどこか暗く、神妙な表情をしていた。

 子供たちは目の前の食べ物に目を捕らえて大人達の変化に気が付くことは出来ない。しかし子供達の中でも一人だけ、年長の男の子だけがその僅かな違和感に疑問を持った。そしてその男の子は、子供達のまとめ役であるヒナという16歳ほどの少女の服の裾(すそ)を引っ張って話しかける。


「何かあったの?」


 男の子が周りの変化に気が付き、そして自分に近づいてきた。その様子を見ていたヒナは男の子がどのような質問をするか分かっていたので特に驚くことは無く、大人たちとは対照的に完璧な笑顔を作って、しゃがみ込みながら男の子と目線を合わせて答えた。


「機械が動かないからちょっと心配してるのかもね。それよりもほら、お腹空いてるでしょ?早く席に座って」


 男の子の頭を撫でながら嘘なんて微塵も感じさせないほどに完璧な受け答えをしたヒナはそう言うと立ち上がって、男の子をテーブルに座らせる。そして子供達の準備が出来たのを確認してからもう食べても良いと伝えた。

 ヒナが許可を出すと子供たちは美味しいとは言えない缶詰と合成肉の料理を食べる。表情は特に苦しそうではない。子供たちはもう食べ慣れてしまって味覚が麻痺しているからだ。

 消費期限が過ぎていようと、腐っていようと美味しそうに食べてしまうだろう。それほどまでにここの環境は過酷で残酷で追い詰められていることだ。

 

「トンプソンさん。残りの食料は」


 最初、子供たちが部屋に入って来た時に手招きした男―――トンプソンの傍にヒナが近づいて小声で訊いた。


「大丈夫ですよ。パウロさんが命からがら持ち帰って来た食料のおかげでまだ備蓄があります」

「そうですか」


 ヒナの返答は重い。まるで何かを噛みしめ我慢しているように。

 そしてちょうどその時、外へと繋がる別の扉が誰かにノックされた。瞬間、ヒナとトンプソンは顔を見合わせ、機械の修理をしていた者や話し合っていた者達が行動を止めて静かになる。 

 だが、ノックの後に聞こえて来た声で場を包み込んでいた緊張は霧散した。


「3659。開けてくれ」

 

 最初に仲間であることを告げる番号を述べ、開ける様に願い出た。緊張を解いたトンプソンが胸を撫で下ろしながら扉を開く。すると開かれた扉の先には17歳ほどの少年が立っていた。

 顔や防護服が煤だらけになって、かなり疲弊しているのが見て取れる。


「すまない。これしか持ち帰れなかった」


 少年は煤や埃を扉の外で払いながらバックパックをトンプソンに渡した。そして少年はゆっくりと部屋の中を見渡す。テーブルで食事をする子供達、ヒナ、トンプソン、そしてどこか浮かない表情をする大人たち。

 それらをみて少年が表情を怪訝なものへと変える。そして何かを話そうと口を開いたところで子供達の声が部屋に響いた。


「あ!シドにーちゃんだ!」


 そう言いながら食べている途中にも関わらず子供たちが椅子から飛び降りて少年―――シドの元へと向かって走る。そして全力で走った勢いのままシドの足に抱き着いた。常人ならば押し倒されてもおかしくはない勢いだがシドはびくともせず、足に抱き着いた子供たちを苦笑しながら引き離す。


「まだ食事中だろ?それに今の俺に触ったら汚くなるだろ」

「えーー」

「ご飯食べた後ならいくらでも遊んでやるから」

「んーー。わかった」


 素直に納得してくれた子供達にレイが安堵しながら部屋の中へと入る。そして一度、子供達が椅子に座って食べるのを再開するのを見てから、部屋を見渡す。トンプソンやその他の大人、ヒナの顔をそれぞれ見て、違和感は疑念から確信へと変わった。

 そしてシドは僅かに表情を曇らせながらトンプソンに近づいて耳元で口を開く。


「誰ですか」

 

 シドの言葉にトンプソンは口元に力を入れる。そして小声で返した。


「治療室に行きましょう」

「分かりました」


 トンプソンとシドが別室へと移動する。その際にシドはヒナの方を見て視線だけで「子供たちは任せた」と伝えた。ヒナはため息交じりにそれを承認するとまた笑顔を作って子供達の方へと移動する。

 一方でシドは部屋から出たあとトンプソンと話ながら治療室へと向かっていた。


「今日はいつもよりも豪勢な食事でしたけど、うちにそんな備蓄残ってましたか」


 シドが知っている限りでこの拠点に多くの食料は残されていない。一日一食食べれればまだいい方だ。なのに今日帰ってみれば食卓には多くの食べ物が置かれていた。そのわけをシドはある程度予想できているものの、確信を得るためにトンプソンに問うた。

 トンプソンはある扉の前で立ち止まって、シドの質問に行動で答える。扉に手をかけてゆっくりと開けた。扉の先には幾つかのベットが置かれた大部屋が広がっている。

 ベットとは言いつつも布を引いただけの粗末なものだ。そして幾つかベットが並べられているものの、その上で寝ているのは一人だけ。トンプソンが扉を開けたまま、シドが先に中へと入る。

 そしてベットに横たわる男の傍まで近づくと、近くに置いてあった椅子に座った。


「…………」

 

 シドがベットに寝る男を見る。

 全身から血を流し、左足が無くなっている。右腕は恐らく折れているだろう。酷い負傷だ。顔には裂傷が走り、頬の肉が無くなって咥内が見える。それほどの負傷であるというのに男には治療措置は取られていない。傷はそのまま、薬は当然のこと包帯すらもまかれていない。

 痛々しい肉体のままベットに横たわっている。

 恐らく、もう長くはないだろう。だから。包帯を巻いたところで薬を投与したところで助からないのならば何もしない。包帯も薬もすべてが貴重なのだ。

 きっとこの男も治療を望んでいないだろう。死ぬを分かっているのに貴重な資源を無駄にするのは生きている仲間に迷惑をかけることになる。自分に使うぐらいならば仲間に使って欲しいとそう思っているはずだ。


 男の酷い負傷具合を確認したシドがゆっくりと口を開く。


「アランは……」


 トンプソンが答える。


「遺品は別室に」

「そうですか……」


 今、ベットに横たわっているこの男はアランと共に探索に出ていたパウロだ。もはや顔は原型を留めないほどに負傷しているため分かりづらいが、この地下空間で生きて来た仲間ならば分かる。 

 シドは頭を落とし、項垂れながら呟く。


「他には」

「マタイが負傷、リアムが意識不明の状態です」


 シドがより一層項垂れる。外の探索は危険だ。怪獣は当然のこと建物の倒壊に巻き込まれる可能性や無味無臭の毒ガスが漂っている場所もある。運悪くそういった場所に紛れ込んでしまえば何の武装も持たないシドたちは成す術なく死んでいく。

 食料や医療品の為とは言え、犠牲者が多すぎる。今回は食料が少なくなってきたためいつもよりも多くの人員が投入された。しかし結果はこれだ。多くの仲間を失った。

 だが人員を投入し多くの食料を持ち帰ってこれたのも事実。結果として今回の作戦は上手く行っている。ただ今回のような人海戦術は何回も使えるものでは無い。今回は良かったが次も同じようにとはいかず、作戦を練り直さなければならない。

 

 シドとトンプソンが会話を交わさずしばらくの時間が流れる。その間シドはずっと項垂れ、トンプソンはこれからのことについて頭を悩ませていた。いつまでも続いてしまうのではないかと錯覚してしまう静寂ではあったが、ある呟きによって止まる。


「シドか……」


 パウロが瞼を少しだけ開いてシドを見る。シドは内心で驚きながらも表情には出さず答える。


「起きたのか」

「まあ、な」


 パウロが瞼を降ろして、少ししてからまた開ける。


子供あいつらはいっぱい食えてるか」

「ああ。喜んでたぜ」

「そいつは……よかった」


 アランが決死の突撃をしたことで生まれた僅かな猶予でパウロはギリギリで生き残れた。だが生き残れた、とは言いつつ負傷は酷い状態だ。片足を失い、片腕は動かない。

 最初はすぐ拠点に戻ることも考えた。硬いベットの上で仲間と最後に話しながら治療を受け、また戦力として戻る―――だなんてことをパウロは思案した。しかし現実は非情だ。実際には、パウロが治療を受けたところで完治することは無く、戦力として復帰できる未来も無く、緩やかに仲間に迷惑をかけながら死んでいくのが現実だった。 

 あまりにも惨め。そしてアランに生かしてもらった命。そして仲間に迷惑をかけながら生きていくのをパウロのプライドは許さない。将来に展望が無いのならば今、できることを全力で行って、最高の成果を残して死ぬ。

 パウロは確固たる決意を固め、地上に残った。倒壊した建物の残骸を動かない体で掘り起こし、アランのバックパックを見つけ、それでも探索を続けた。

 幸か不幸か、怪獣が建物を踏みつぶしたことで、地面が壊れ、今まで地図に載っていなかった地下倉庫があることが分かった。地下倉庫に残っていた食料や医療品は多くなかった。しかしそれでも数十日分の食料はある。

 

 地下倉庫を見つけた時、パウロは自分がここまで生き残って来た理由が分かった気がした。今ここで地下倉庫を見つけるためだけに、アランに生かしてもらったのだと。

 すでに体は動かず、意識は朦朧としていた。しかし体を引きずって、這いつくばりながら拠点へと戻り、仲間に地下倉庫の場所を報告し今ここにいる。ほぼ気力だけでここまで来た。

 もうすでに燃え尽きて意識はほぼ残っていない。一言、言葉を紡ぐだけでも体が悲鳴を上げ、気力が削がれる。それでも仲間の約に立てたパウロは満足気な表情をしていた。


 静寂が周りを包んでしばらくの時間が流れる。パウロに寄り添うように。そして、ゆっくりのパウロが口を開いて、言葉を紡ぐ。


「楽しかったぜ…色々と」

「……」

「シド……お前だけ、が俺たちの希望だ。お前だけだ、怪獣あいつらを……倒せたのは。だからよ……」


 それ以上喋って体に負担をかけないようパウロの言葉を遮ってシドが答える。

 

「ああ。わかってる」


 パウロは静かに目を閉じて、僅かに口角を上げた。


「……。ありがとよ」


 パウロが笑みを浮かべたまま目を閉じる。そこでシドが立ち上がってトンプソンに小声で告げた。


「すみません、俺はもう行きます」

「他の人たちも呼んできてくれませんか」

「わかりました」


 シドが答えると扉の外に出る。そして扉が閉まるとそのまま壁に背中を預け、目を瞑って天井を見た。


「……はぁ」


 大きく息を吐く。そして顔を降ろして目を開ける。仲間を呼びに行くために歩き出したシドの背中はより一層、広く、厚くなっているように感じられた。

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