エーオンアポリア

豆坂田

第1話 激動の日々よ

 燃え盛る都市。

 異形の怪物が空を飛んでいる。

 曇天の空には雷が響きわたり、火の粉が降り注いでいた。


「母さん!」


 炎の燃える音が響き、倒壊した建物が破壊音を響かせる中でもその声は異常なまでに響いていた。


「みんな――!」


 助けてと小さな男の子が呼んでいる。しかし助けは来ない。滑空する化け物たちがこの都市を焦土に変え、たった一人を残して殺したからだ。


「……助けて」


 響いていた声はそれを最後に消え去って、燃え盛る音と倒壊する建物の音だけが最後に残った。


 ◆


「おい、そっちは何かあるか」


 廃れ切った廃ビルを探索するアランが、近くの棚で物を漁っている仲間に呼びかけた。小声で、とても静かに何かに注意を払うように。

 声を聞いた仲間は棚に視線を向けたまま首を振って成果が無いことを告げる。


(……ッチ。これじゃあいつらの分の食料があと何日持つかわかんねぇ)


 アランが悔しさを胸に、眉間に皺を寄せながら心の中で吐き捨てる。強く拳を握り、項垂れる。額から流れる汗や拳、顔は商品や棚をひっくり返した時に舞う埃やすすで黒くなっていた。


(いや。まだだ。まだ何か残ってるはずだ)


 アランはそう自分に言い聞かせ、探索を続ける。何かあればいい。衣服でも布でも、食料があったら最高だ。医療品ならばさらに良い。だが、結局のところどれだけ意気込んだところで、祈ったところで無情な現実は変わらない。

 棚を注意深く一つ一つ見て言ってもお目当ての物は見つからず、ただいたずらに時間を浪費していくだけだ。アラン達は何度か場所を移して何度も探索を続ける。しかし見つかるのはガラクタと変わらない物ばかり。辛うじて衣服が見つかるだけでそれ以外に成果はない。

 探索するごとにアラン達の焦燥感は高まっていく。このショッピングモールにまだ探していない箇所はそこまで多く残っていない。そこに備蓄用の少量や医療品が残っている可能性は限りなく低く、また、いたずらに時間を浪費することで身をもって嫌にでも感じる暗澹あんたんとした退廃たいはいは精神を追い詰める。

 曇天の空模様がさらに暗くなってきた頃。帰還しなければいけない時間が迫ってきている。少しの物しか見つけられていないアラン達は焦燥感に駆られながら必死に探す。

 だが現実はそんなアラン達を追い詰めるように障害を放り込む。


「――――パウロ」


 風に乗って消えてしまいそうなほどに小さな声でアランが仲間―――パウロの名を呼ぶ。パウロはそれまで探索をしていたが、尋常じゃないほどに息の詰まった、切羽詰まったアランの声に体を硬直させる。

 そして返答せずにパウロはゆっくりと目だけを動かしてアランの方を見た。


「…………」

「…………」


 思わず、パウロは息を飲む。もはや流れる汗すらも鬱陶しいほどの緊張がパウロを襲っていた。これは予期できていた緊急事態だ。しかしいざ相対してみると吐き気を催すほどの緊張が場を支配し、正気を保つのがやっとという有様。


「…………」

「…………」


 アランとパウロは互いに喋らずに意思疎通を行う。そこまで難しいことを伝えたわけではない。単純なことだ。が現れたと、そういった意思疎通を行ったに過ぎない。

 パウロから見てアランは窓に近い場所で棚を探索していた。棚の最下段を隅々まで見ていたアランの体勢はしゃがみ込んでいる。そしてアランのいる場所から少し、視線を上へとずらすと窓とその奥に広がる光景が見える。

 いつもならば窓の外には荒れ果てた都市が広がっていたはずだ。しかし今はそうで無い。

 何も見えない。

 というより、のせいで灰色の鱗以外が見えない状態になっている。傷のついた巨大な鱗だ。それが何枚も重なって装甲のように張り巡らされている。

 圧倒的な存在感。もし少しでもアランのいる場所へと足を進めたならば建物は崩壊し、二人は生き埋めにされる。たった一歩。気まぐれで二人は殺される。敵対したところで殺されるだけ。攻撃したところで負傷を与えることは出来ない。

 アランと巨獣とではそれほどまで隔絶した力の格差がある。

 

 だが、それも無理が無いことだ。

 人類が全勢力を挙げてもと呼ばれる敵対生態を殺しきることは出来なかったのだから。それどころか人類は殺しきるどころか逆に全滅させかけられている。

 アランの目の前にいる巨獣。これも怪獣と呼ばれている敵性生体の内の一つだ。怪獣には様々な種類がいる。生物型、機械型、混合型の三種類の分けられ、巨獣は生物型の怪獣だ。

 大きすぎる巨体は硬い鱗で覆われ、生命力、回復力も生物としての枠組みを越えていたずらに強力。

 怪獣が現れた当時の科学力、技術力では傷をつけることすら難しく、殺し切るのなんて以ての外。当然、アランとパウロが束になったところで目の前の巨獣には敵わない。今はただ、静かにやり過ごすことだけに集中する。

 一歩も動かず。息遣いすらも注意して常に気を配る。


「…………」


 アラン達の行動が功を奏したのか巨獣はゆっくりと歩いて行った。窓からは鱗では無く空虚な街並みが広がっている。ひとまず、これで危機は去ったと考えても良いだろう。

 しかしここで警戒を解いてはならない。

 まだ他の怪獣が近くにいる可能性も考慮し、静かにゆっくりと退避する。まずはアランが周りに注意を払いながらゆっくりと立ち上がる。地面に散らばる硝子や金属片を踏みつけないよう踏む場所を選び、手や腕が変な場所に当たらないようできるだけ体に密着させた。一挙手一投足に注意しながらアランが立ち上がると歩き出す。

 しかし脅威というのはどれだけ注意していても突然にやってくる。どれだけの対策と準備をしようが、それらすべてを無意味だと蹴とばして覗き込む。


「―――――走れ!」


 突如、パウロが叫んだ。顔は尋常ではないほどに歪み、またすでにパウロも走りだしていた。アランは一瞬だけパウロがなにを言っているのか分からなかったが、緊急事態であるのはすぐに理解できたため体は勝手に走り出していた。

 しかしいくら走ったところで人が一秒で移動できる距離、一歩で移動できる距離は限られている。

 それら人間の軌跡は怪獣の一踏みで無駄になった。

 頭上から崩落音が響き、それらはすぐにアランのいた階層にまで電波する。周りの壁に亀裂が走り、広がる。アランは極限の緊張の中で引き延ばされた感覚の中で、まるで走馬灯のように周りの光景が見えていた。

 前を走るパウロの後ろ姿。広がる亀裂。舞い散る埃、倒れる棚。

 もう助からないと漠然に、だが確信をもってアランは感じた。

 とすれば、アランにできることは一つだけ。


「パウロ―――走れ!」


 背負っていたバックパックを前方に向かって投げる。そしてアランは崩れる天井に飲み込まれる直前に後ろを振り向いた。見えたのは窓の奥で光る赤い瞳。とても大きく、眼球だけで直径2メートルはある。

 そしてこの瞳はアランのいる建物を上から踏みつぶしていている犯人の物だ。


「―――――」


 アランは自らを奮い立たせるために叫ぶことは無く、ただ恐怖に怯えながら歯を食いしばり懐から抜いたナイフを手に怪獣へと突進する。天井が割れ、アランへと降り注ぐ。あとコンマ数秒も経てばパウロは瓦礫に押しつぶされ、プレス機に圧縮された後のように潰されるだろう。

 しかしアランの執念が恐怖心をも上回る。コンマ数秒という限られた時間の中でアランは今まで生きてきた中で最も早く地を駆け、押しつぶされる寸前に窓から飛び出た。

 窓枠を蹴って飛んだアランは両手で掴んだナイフを振り上げ、怪獣の眼球に突き刺す。水の限界まで詰められた水風船を破裂させた時のように、ナイフで眼球を突き刺した瞬間に赤色の血液が溢れ出す。

 瞬間、怪獣が叫び声をあげる。近距離からその声を聞いたアランの鼓膜は破れ、あまりにも強い振動で目や鼻から血が溢れ出す。

 そして怪獣は痛みのまま頭を振り回す。両手で握り締めた鋭利なナイフはいともたやすく眼球から抜け、アランの体は空中へと投げ出される。空へと大きく飛び上がったアランは初めて、今まで相対してきた巨大怪獣の全体を捕らえた。


「――っはは」

 

 勝てるはずが無いと笑みがこみ上げる。それは恐怖心から来たものではなく、当然に嬉しさから来たものでは無かった。諦観や虚無感といった感情からだ。

 だが。

 と、アランはまた別の意味で笑った。心の底から自分が今諦めてしまったのだとアランは理解している。だからもう戦うことができないだろう。完全に戦意喪失してしまった。

 だからパウロは託す。情けないことだが、いつかこの現状を変えてくれることを願いその者の名を呼ぶ。


「……はっは。頼んだぞ。し――――」


 だが、名前を呼び終わる前にアランは空中を旋回していた怪獣に喰われ、死んだ。

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