第7話 BMOヒストリー
『海のレクイエム』のヒットはフューチャーフレームの経営陣を色めき立たせたらしい。金崎は2度目の全国ツアーの決行と次のアルバムの制作を伊東に命じた。「でかいハコを押さえろ。いまが稼ぎ時だ」と言われて、伊東は憂鬱になった。BMOの内情を熟知していたからである。
2015年秋、石亀は声優として成功しつつあった。彼女が主役を張る『ガールズバンドファイト』は秋のハケンアニメとなり、早々に2期の制作が決定した。アニメ内バンド『フルスロットル』は声優たちによるリアルバンドとしても活動していた。BMOを軽々と飛び越えて一般的な知名度の高い人気バンドとなり、さいたまスーパーアリーナ公演に向けて動き出していた(スーパーアリーナの収容人数は37000人。BMO最大のコンサートは14500人収容の日本武道館公演である)。
石亀は2016年冬アニメ『俺の実妹と義妹の冷戦』で実妹役を演じることも決定しており、BMOをつづけることが困難になっていた。「余計な仕事はやめてほしいと言われちゃったんですよ。いまがいちばん大事なときだから、副業はやめろと。わたしにとってBMOはすごく大切で副業なんかじゃないんですけど、声優は一生やりたい仕事だから迷いに迷いました」(石亀談)。
海野は大学卒業後の進路で悩んでいた。彼女は宮城県でチェーン展開する『海野ベーカリーグループ』の社長令嬢で、父から家業を継いでくれと頼まれていた。震災で兄を失い、ひとり娘となった海野は両親から重い期待をかけられていた。「カナエと音楽をやっていくか、仙台に帰ってパン屋修行をするか。ものすごく悩みましたよ。カナエに相談したら、『家の方が大切でしょ。お父さんお母さんを大切にしなよ』って悲しそうに笑って言うんです。あ、この件はカナエには相談できないって思いました」(海野談)。
伊東はフォースアルバムの制作を時計坂に依頼したが、「出し切っちゃってすぐにはつくれないです」と断られた。「予想どおりだった。『海のレクイエム』は時計坂の渾身の作品で、作詞作曲を終えた時点であいつの中のなにかが燃え尽きたような気がしていた」(伊東談)。
サードアルバムが売れてBMO人気は一部で沸騰していたが、この頃のメンバーの気持ちはバラバラで、その活動は細々とライブハウスに出演する程度となっていた。「温度差がすごく大きかったです。祈沢さんはもっと活動したがってイライラしてるし、サイバラはドラムを叩きたくてうずうずしてるんだけど、カナエは達成感があったみたいでのんびりしてました。サリーは声優が忙しくてあまり会えなくなっていたし、わたしはなにはともあれまずは卒業という気持ちでした」(海野談)。「BMOでやりたかったことは全部やったような気がしていた。しばらくは充電していたかった」(時計坂談)。
「(BMOを)遊ばせておくな」と金崎は怒鳴ったらしい。12月、伊東はメンバーを集めて会議を開いた。「BMOがメジャーの階段を駆け上るか、このままでしぼむか。いまがいちばん大事なときだ。全力を出してほしい。2回目の全国ツアーを企画したい」と彼は言った。「声優事務所と同じようなことを言われて、本当に困っちゃいました」と石亀は語っている。祈沢と才原は乗り気だったが、海野と石亀は黙り込んだ。
時計坂がふたりと話した。「サリー、全国ツアーできる?」「4月以降ならまだなんとかスケジュール調整は可能かも。ちょっと即答はできないです」「シズクは?」「カナエがやるならわたしもやるよ」「わかった」そんなやりとりをした後、時計坂は黙考した。「伊東さん、あたしたち、そろそろ潮時じゃないかと思うんです。全国ツアーはやりましょう。それで解散」とBMOの創始者は言い出した。
祈沢は激昂した。「待てよ。私たち、これからじゃないか。いまやめるなんて言うなよ」「あたしはやってもいいですよ。でもつづけられない事情があるやつもいる」「やめるなんて誰も言ってないだろ」「見ればわかるじゃないですか。声優とか家の事情とかいろいろあるって」。時計坂と祈沢がけんかを始めて、伊東は会議を打ち切った。数日後再度集まり、2016年4月以降にツアーをやることだけが決定した。「最後の仕事だね」と時計坂は言い、伊東と祈沢はそれに対してコメントしなかった。
時計坂、海野、石亀の間で、BMO解散は既定の方針のようになっていった。全国ツアーは最後の打ち上げ花火。そこに向けて盛り上げようと、2016年に入ってからライブ活動を活発化させた。石亀が出演できないときはヘルプのベーシストに頼んだ。
祈沢は解散に同意していなかったが、ライブ回数が増えることは歓迎して、表面的には合わせていた。「時計坂と決定的に対立することは避けた。怖かったんだ」とこの正直なギタリストは語っている。才原は「ライブハウスは楽しかったけど、先輩たちのけんかは嫌だった」と言っている。彼女は時計坂と海野に可愛がられていたが、BMOの活動を左右するような発言権は持っていなかった。
時計坂は祈沢と話し合った。「解散ツアーにしましょう。きちんとファンにそう伝えてやりましょうよ」「いやだ。やっと成功しかかってるんだぜ。頼むからつづけようよ」「シズクとサリーは無理です。祈沢さんさえよければ、そしてサイバラにやる気があれば、3人でバンドをやりましょう。BMOじゃないやつを」「やめたくない」「つづけられないのはシズクとサリーだけじゃないんです。あたしの気持ちも終わってる。BMOは鎮魂歌のバンドなんです。もうそれは終わりでいい」。時計坂の決意は固く、祈沢は泣く泣く解散を受け入れた。
「時計坂は悲しみから逃れたり、両親や友達を悼んだりするためにやってたんだ。いつまでもそうしてはいられない。私は純粋に音楽をやりたかった。BMOは終わらせるしかない」(祈沢談)。ふたりは伊東に会い、全国ツアーの終了をもって解散したいと伝えた。伊東は引き留め、翻意を促したが、時計坂の決意をひるがえすことはできなかった。「社長に怒られたよ。しかしなんと言われても、どうしようもないところまで来ていた。俺にできることは最後の祭りを盛り上げることだけだった」(伊東談)。時計坂、海野、祈沢、石亀、才原は解散に向けて全国を駆け巡る。
以上が関係者に長時間に渡るインタビューを行って構成したBMOヒストリーである。ブラック・マジック・オーシャンは時計坂の言葉どおり、「鎮魂歌のバンド」だった。「わかりにくいバンド」と言われたが、振り返ってみると、あの震災の鎮魂をテーマに歌い、それ以外の曲はひとつもつくらなかった(祈沢の曲を除く)。
解散ツアーは全国20か所で行われ、2016年8月、日本武道館で有終の美を飾った。日本のガールズバンドの代表的存在となり得るポテンシャルを持っていたが、残念ながら活動期間が短く、有名にはなり切れずに終わった。『海のレクイエム』発表以後、曲を出していないが、20年代になって再評価され、冒頭に書いたとおり『走れ!』が映画『相撲大好きいのまたさん』の主題歌になった。曲は震災とはまったく無関係に使われている。映画を見ると、ただの青春ソングにしか聴こえないところが、曲の普遍性を示していると言えないこともない。
その後、石亀はよく知られているとおり人気声優の道を歩み、現在に至っている。時計坂とのつきあいはつづき、ときどき都内で飲み歩いているという。海野はいったん仙台に帰ったが、『海野ベーカリー東京進出計画』を立て、2024年現在、池袋店の店長として奮闘している。ひばりヶ丘ではないが、「時計坂と同居している」そうだ。時計坂、祈沢、才原はバンド『スケッチ』のメンバーとして音楽業界で活躍しているが、それについての記述はこの記事の目的ではない。スケッチに興味のある方は『軽やかなサウンド スケッチのノーミーニングな世界』を参照されたい。
ガールズバンドクラッシュ みらいつりびと @miraituribito
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