第5話 スランプ

 2014年5月以降、時計坂は極度のスランプに陥り、1曲もつくれなくなった。「カナエが曲づくりでつまずいているのを初めて見ました。ネットで歌詞を叩かれたのがショックだったみたいなので、震災から離れて作詞したら」と海野はアドバイスしたが、だめだった。時計坂は食欲不振で口数も少なくなり、海野は心配して病院に連れていった。うつ病と診断され、自宅療養に入る。


 時計坂を除くBMOのメンバーはバンド会議を開いた。「ちょっと批判されたぐらいで、メンタル弱すぎだろ」「批判されないような歌詞を書いたらどうなんだ」「私が書くから作曲だけしてくれてもいい」などと祈沢は言ったが、海野は首を振った。「カナエは病気です。しばらく休ませます」と彼女は断固として言った。「じゃあBMOはどうなるんだよ」「回復するまで残ったわたしたちでがんばりましょう」「新曲は出さないのか」「祈沢さんがつくってください。曲つくれますよね」「演奏はどうする」「当面はキーボード抜きで」というようなやりとりがあって、曲づくりは祈沢に一任された。


 海野は時計坂を治療に専念させる決意をしていて、ひばりヶ丘の自宅には他人を立ち入らせなかった。この頃の時計坂のようすはわからないが、人前でパフォーマンスができる状態ではなかったようだ。


 祈沢は2013年3月に早稲田大学を卒業し、就職せず、音楽で食べていく決意をしていた。並々ならぬ気合いで青春路線を打ち出し、『夏祭り誰と行く』『天体望遠鏡』『ブルーブルースプリング』をつくる。ライブハウスで演奏したが、評判は散々だった。


「ストップをかけるべきだった。ブラック・マジック・オーシャンのイメージを損ねた」と伊東は言い、「あんなのBMOじゃない。やっぱりカナエさんがいないとだめだめ」と石亀は言った。「祈沢さんはがんばった」と海野はかばったが、祈沢自身がダメージを受けて、作詞作曲を完全にやめてしまう。時計坂がいないBMOは集客力もガタ落ちだった。「カナエ帰ってきて」という声がネットにあふれた。


「時計坂を出演させろ」と金崎は伊東に命じたが、8月に母親の病状が悪化し、時計坂は帰郷して東京に戻ってこなくなった。「稼げないバンドに金は出さない」と金崎は言い、BMOはついに活動を休止した。石亀は「事務所に泣きついて」声優業を再開し、祈沢はバイトで食いつないだ。海野と駒田は大学に通い、学業に打ち込んだ。海野はときどき石巻へ行き、時計坂に会っていたようである。


 10月、時計坂の母は退院したが、「完全には治らない病気」だったという。「もしお母さんさえよかったら、一緒にひばりヶ丘で住みませんか。広い一軒家ですよ」と海野は時計坂の母に言った。たいへんな喜びようで、仮設住宅を引き払って引っ越した。3人で暮らし、時計坂の精神状態も快方に向かっていく。「シズクには感謝しかない。BMOに戻りたくなってきた。創作意欲も出てきたんだけど、どんな詞を書くべきなのかは依然として迷っていた」(時計坂談)。


 2015年1月、時計坂の母の病状が急激に悪化して救急搬送され、都内の病院に入院する。1月21日、帰らぬ人となった。享年47歳。「震災がなかったらもっと長生きしてたと思う」と時計坂は語っている。「いつ死ぬかわからない。無駄にときを過ごせない」と思い、彼女は楽曲制作を再開する。


 3月に入り、BMOメンバーと伊東、君塚とで「BMOの活動再開へ向けての会議」が開かれた。冒頭で駒田が「音楽を一生の仕事にしようとは思えなくなりました。BMOは辞めます。大学は留年してしまったけど、これから真面目に勉強して卒業し、ふつうの就職をめざします」と言って、退室する。


 のっけから冷や水を浴びせられたが、「駒田の穴は埋められる。良くも悪くもBMOは時計坂しだいだ。やる気はあるか」と伊東が問い、「あります。やります」と時計坂は答えた。祈沢は「正直言ってほっとした。時計坂がやらないなら、私には音楽で稼ぐあてがなかった。同時に他人をあてにしている音楽人生に疑問を覚えた」とこのときの気持ちを率直に語っている。石亀は再開した声優業が以前と比べて順調だったが、「カナエさんについていきます」と発言した。「カナエさんのいるBMOをやらないという選択肢はありませんでした。だけど声優の仕事が好きだって自覚しちゃって、そっちもやめられない。命懸けで両立させようと思いました」(石亀談)。


「時計坂、曲をつくってくれ。いろいろと批判もあることは承知しているが、ファンはおまえの曲を支持している。歌詞で悩むことはない」と伊東は言った。「もう雑音には惑わされません。つくりたいものをつくります。2、3曲できてます」との時計坂の返答で、再開の方向性は決まった。「BMOは時計坂の個性でもっている。彼女の曲を全力で売る」(伊東談)。


 海野はほとんど発言しなかった。「『わたしはカナエのパートナーだから。ともに歩むだけ』と会議の後で言ってくれた」(時計坂談)。「カナエのスランプを機におのおのが考えを深め、ひと回り成長したように感じました。辞める決断をした駒田も含めてね」と君塚は語っている。

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