夜話

 部屋に戻ると流花は、


「どうしてもお聞きしたいことがありまして・・・」


 なんだろ、


「どんなご夫婦やっておられるのですか?」


 はぁ、見ての通り普通の夫婦だよ。


「たしかに夫婦らしく名前呼びをされていますが、部長の話され方が・・・」


 ああ、あれか。あれは美玖の口調だよ。流花だって美玖が語尾を濁すような話し方が嫌いなのは知ってるだろ、


「それは徹底的に叩き込まれましたが、あれはあくまでも仕事でのことで・・・」


 普段から美玖はそうだけの事だ。たまに崩れることはあるけど、だいたいあんな感じだ。


「家でもですか?」


 そうだと言ったじゃないか。


「尾籠なお話ですが、夜の営みの時もですか。というか、ご夫婦ではあるのは良く知っていますが、どうしても想像が出来なくて」


 そこまで聞くか。ちゃんと夜の営みもあるに決まってるじゃないか。


「でも部長がですよ」


 美玖の体がどれだけ素晴らしいかはお風呂で見ただろ。


「それは・・・あれ程とは正直なところ驚かされました」


 そんな美玖が妻になってるのだぞ。そこで少し間を置いてから。


「もしかして部長は処女だったとか」


 幾つだと思ってるんだ。美玖は若く見える方だけど、流花より社長に歳は近いんだ。あんな良い女が処女の訳がないだろうが。すると美玖はしみじみと、


「美玖は流花が羨ましいです。流花は美玖の理想の結ばれ方をしています」

「理想とは?」

「初夜に処女を捧げる事です。しかも社長は童貞です」


 おいおい、そこまで断言するな。


「そうでした」


 そうだったのか。あの社長ならと思ったけど、まさかそうだったとは、


「美玖は生涯唯一人の男のみを知り、その相手にすべてを捧げたいと願っていました。この夢は無残に潰えてしまいました。夢が潰えたしまったので一人で生きて行くと決めていました」

「では専務が二人目」


 そうなんだけど、


「処女を捧げる事が出来なかったのは悔しいことでしたが、それでも剛紀は受け入れてくれました」


 ボクもそうだけど、処女への憧れとか願望はあっても、結婚相手の条件に処女を絶対視する男の方が珍しいはずだ。


「それよりもっと大切なものをあの汚らわしい男に奪われてしまったのです。これは剛紀にいくら慰めてもらっても死ぬまで悔いが残ります。美玖は偽りの真実の愛を見てしまったのです」


 美玖は処女へのこだわりもあるけど、それ以上に真実の愛を結婚詐欺師に見せられてしまった事の悔しさの方が大きいんだよな。そんなもの気にするなと何度も言っているのだけど、こればっかりは美玖のポリシーみたいなもので良さそうだ、


「だから専務との結婚にも後悔があるとか」

「とんでも御座いません。剛紀の心の広さはそんなちっぽけなものではありません。そんな美玖のすべてを受け入れ、これ以上はない渾身の愛をひたすら注いで下さいます」


 当たり前だ。それに値する女が美玖だ。


「だからこそです。最愛の人にすべてを捧げるのが愛です。真実の愛を見ることが許されるのは最愛の人のみです。それを剛紀に捧げられなかったのです」


 あんなものは生理現象に過ぎないと言いたいけど、


「だから流花がひたすら羨ましい。既に妻になっておられます。死ぬまで真実の愛を見せてくれる人は最愛の人のみです」


 あの社長なら離婚はしないだろ。そこから流花はためらった後に、


「流花も夫婦になったからには見たいと思っているのですが」

「愛があれば必ず見れます」


 断言するのは良いけど早漏の可能性だってあるぞ。美玖はじっと流花の目を見てから、


「流花には真実の愛の扉が見えているはずです」

「そ、それは・・・」

「恐れず進みなさい」

「ですが・・・」

「そこからが容易でないのはわかっています。だからこそ初めて真実の愛の扉を開くことに価値があるのです。これを捧げることが最高の愛です」


 ずっと二人の会話を聞いていて思ったのだけど、これって猥談だよな。それも違うな。流花は新婚生活を誰かに聞いて欲しかったぐらいだと思う。こういうものは、普通なら誰かが話題に持ち出してくれるはずなんだ。


 たとえば同僚だ。冷やかしも含めて、どうなのぐらいは誰でも出るよ。だが流花は突然みたいに社長夫人になってしまったんだよな。寿退職にもなってるのもあるけど、かつての同僚であっても社長夫人になると気軽に家を訪れられないよ。


 会社の同僚以外なら友だちもいる。これもまた流花にはいない気がする。友だちは学校で出来るものだけど、流花は私立の中高一貫校だ。そうなると小学生時代の友だちと関係を続けるのは難しくなる。


 中高も六年あるとは言え、中高時代の友だちとは顔を合わせたくないはず。今日の夕食で出会ったような女は論外としても、中退こそ免れたものの、高卒で終わった負い目はどうしたってあるはず。


 親兄弟もいないのと同様だから、流花はこういう話をする相手がいなくなってしまってる。だから美玖を旅行に連れ出したんだろ。美玖なら元上司だし、それこそ高卒の流花をイチから育て上げたような存在だ。


 とはいえ・・・一対一で旅行となると怖かったんだろ。その気持ちはわからないでもない。だからボクも引っ張り出されてぐらいで良いと思う。でも、やっぱり猥談だよな。流花が本当に話をしたかったのは夫婦の夜の営みだものな。



 流花は処女で童貞と結ばれている。それは何も悪くないのだけど、処女であっても初体験の次に目指したいのは何かぐらいは知ってるもの。それもどうやら、真実の愛の扉に近づいているで良さそうだ。


 この辺がボクは男だからわかりにくいのだけど、女が真実の愛を見るのは、ロストヴァージンの逆の意味で怖いで良さそうな気がする。この辺が男と違うみたいだ。男の場合はシンプルで最後の瞬間にセットのように付いて来る。


 だが女はそうじゃないぐらいは知っている。美玖も言ってたけど、真実の愛は見たいものだけど、見たことを男に知られてしまうのが怖いと言うより、恥ずかしいの思いが強いようなんだ。だから見てもそれを気づかれないように隠そうとするらしい。


 それ以前の問題もあるのかもしれない。メカニズムの基本は男も同じのはずだ。昂って行って最後にどうしようもなくなるぐらいだ。男は昂ればひたすらそれを目指して必発みたいなものだけど、女はどうしたって受け身になる。


 これも最後のところは男だからわかりようもないのだけど、最後のところで関門みたいなものもありそうな気がする。とくに最初の時だ。どういう感覚になっているか不明だけど、かなり我慢できると言うか、そこに自発的な意思が必要と言うか、


「すべては愛です。愛があれば乗り越えられます。真実の愛の扉は開かなければなりません。扉の先の世界に入れる喜びは何物にも代え難いものです。そこに連れて行ってもらえる時こそが真実の愛そのものなのです」

「でも怖くて・・・」

「だからこそ愛として捧げる無上の価値があります。流花は最愛の人に捧げることが出来るのです。美玖から言わせれば本当に羨ましくて仕方がありません」


 どんな感じなんだろうな。昂りに昂り切り、それを堪えに堪えた末に、満杯になったダムが決壊するようなものなんだろうか。美玖の反応を見てるとそんな感じだものな。


「どうなってしまうのですか」

「言葉で表現できるものではありません。あれこそ究極の喜びの世界です。それを流花は知らねばなりません。そして、その世界に入れたことを伝えるのです。その時に夫婦の絆は不朽のものになります」


 真実の愛の扉の向こうの世界も広そうなんだ。どう言えば良いかわからないけど、途轍もなく奥深いのだけは間違いなさそうだ。美玖を見てると良くわかるもの。そうなってくれる美玖を見るのは幸せだけど、


「流花、真実の愛の世界は女にのみ入ることが許された特権です。入ればどれほどの特権なのかすぐにわかりますし、連れて行ってもらえた最愛の男への愛はいくらでも深くなります」

「そんなに・・・」

「美玖は一人だけに連れて行ってもらいたかったのです。そして真実の愛を見させてもらう事がどれほど嬉しくて、幸せな事かを伝えたかったのです。その夢は叶いませんでしたが流花ならそうなれます」


 もちろん美玖の考えがすべてじゃないし、これしか正解がないわけじゃない。だけど今の流花には合ってると思う。もちろんボクにもだ。だってだぞ、愛し合えばその相手しかいないと思うのは当然じゃないか。


 夫婦なら公式の籍まで入ってるし、恋人だってそうのはずだ。それでも何股も平気なのもいるけど、そういう連中をなんて言うか知ってるだろ。ヤリマンとかヤリチンだ。ヤリマンやヤリチンを恋人にして結婚したいとまで思わないだろ。


 ヤリマンやヤリチンだって結婚して相手が一人になれば良いようなものだけど、そうは行くとは思えないんだよな。だからあれだけ離婚するのだろうが。美玖の考え方も偏ってるところはあるけど、ボクにはピッタリだ。あれ以上の女がこの世にいるものか。

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