座興みたいなトラブル
赤穂城から引き返して赤穂御崎に。今日はあれこれ回ってくたびれた。今日の宿は、
「ここです」
これは立派な温泉旅館だ。さて部屋は・・・ちょっと待った、ちょっと待った同じ部屋はいくらなんでも拙いだろうが。流花を誰だと思ってるんだ。
「社長夫人の御意向で御座います。なにかあれば、目の前の海の藻屑にして差し上げます」
美玖が言うと本当にやりそうで怖いよ。こうなったら仕方がない。まずは風呂に行こう。ここの風呂も気持ちが良いな。夕陽を照らし込む趣向だそうだけど、海を眺めながらの露天風呂は贅沢だ。
ここも部屋食じゃなくてお食事処か。席に案内されたけど、横長の座敷を敷居で区切った感じだな。真ん中が通路ぐらいの感じで、窓側と部屋の奥側にテーブルが一つずつある。窓際の席だからちょっとラッキーかも。ボクたちが席に着いてから少し遅れて隣のテーブルのお客さんも入って来たのだけど、
「流花じゃないの。生きてたの?」
「えっ、サナ・・・」
このケバい女は誰だよ。年恰好からすると流花と同年代にも見えるし、あのタメ口からすると、
「高校中退の負け組さん」
流花の高校の同級生だな。流花の顔が強張ってるぞ。それでも絞り出すように、
「高校は卒業しています」
「あらそうだったの。学校には来ないし、卒業式も来なかったから中退だと思ってた」
こいつ・・・流花は言ってたな。突然の悲劇に見舞われた流花に同情したのもいたけど、逆に侮辱したのもいたって。こいつは侮辱した方で良さそうだ。
「まあ高卒でもあんまり変わんないけどね。底辺転落一直線しかないじゃない」
そうじゃないのは見たらわかるだろうが、底辺がこんな宿に泊まれるはずないだろう。サナは無遠慮にジロジロこっちを見てから、
「なるほどね。そこのオッサンはそのオバハンのパパだろ。今夜は追加の尻振りダンス要員として買われたんだ。リッチなオッサンに買われて良かったね」
勝手に決めつけるな。
「流花も底辺なりに出世したみたいだね。こんな宿に呼ばれて食事までさせてもらってるじゃない。こんな御馳走食べさせてもらってるから、夜の尻振りダンスは頑張らないといけないよ」
ここまですらすら良く出るもんだ。
「朝までオバサンと尻振りダンスの競演か。流花にはお似合いのお仕事だよ。それにしても、こんな底辺女と同級生なのが恥ずかしいよ。そう思うだろマサヤ」
この男も誰だ。
「前に話していた親にも見捨てられたクズ女か。尻振りダンスが仕事とはね」
女はマサヤと呼ぶ男と腕を組みながら、
「マサヤは会社の御曹司なのよ。わかる、次期社長夫人になるってこと。底辺で尻を振って暮らす流花とは住む世界が違うのよ」
流花は俯いて顔が真っ青だ。いくら同級生でも、いや人間として口にしてはいけない事だとわかっとるんか。
「こんな底辺女の隣で食べたくないよ」
「ああそうだな。あの食事が尻振りダンスのエネルギー源だと思うとヘドが出そうだ」
もう我慢ならん。ボクが席を立ちかけたのだけど美玖の方が早かった。
「御丁寧な挨拶、痛み入ります。宜しければお勤め先をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか」
サナと呼ばれた女は待ってましたとばかりに、
「教えてあげるよ。マサヤは大見黒食品の社長の御曹司なのよ」
「おおそうだ。底辺が残飯を欲しいと言うのなら口を利いてやっても良いぞ」
大見黒食品か・・・星雷社がまだ場末のビルの時に近くにあった弁当屋だ。あの頃は大見黒屋だったけど、ボクも良く買いに行っていた。他の社員もそうだったから、いつしか会社に昼の注文を取りに来る出入り業者みたいになって行った。
あれから星雷社も大きくなり、二度の引っ越しをしたけど大見黒屋も付いて来てた。大見黒屋も星雷社だけじゃなく、星雷社の関連企業や、下請け企業にも販路を伸ばし、大見黒屋から大見黒食品になったぐらいだ。
大見黒食品が大きくなったのは星雷社の成長に伴う部分は多いはずだ。星雷社関連会社だけでなく、他にも販路を広げているけど、あれだって星雷社の出入り業者の看板は小さくないと思ってる。
ところでだが、星雷社に社食構想が出ている。規模もそこまでになったのもあるから福利厚生の一環ぐらいだ。もっとも現在の社屋では手狭も良いところだから、新社屋に移転した時ぐらいの話だけどな。
社食は委託の方針になってるけど、順当ならこれまでの付き合いもあるから大見黒食品になりそうなものだが、社内の異論は大きいんだよ。大見黒食品も大見黒屋時代は美味かった。爺さんは味にとにかくこだわる人で、時にコスト抜きとしか思えないのも多々あったぐらいだったもの。
これが二代目の息子の時代になって落ちてるんだよ。規模拡大のためもあるだろうけど、効率化によるコストダウンをやり過ぎたのじゃないかと思ってる。だからだと思うけど、
美味い → 並 → 不味い
こんな感じで評判が悪い。社長は長年の付き合いもあるし、食へのこだわりが殆どない人だから大見黒食品に委託しようぐらいの考えだけど、社員の意見としては、この機会にチェンジしたいの声が高くなっている。
せっかく自前の社食を持つのに大見黒食品じゃ食べたくないぐらいで良いと思う。これにはボクも美玖も内心では同意してる。どうやって社長を翻意させようかと知恵を絞ってる段階ぐらいの理解で良いと思う。
まだ構想段階とはいえ大見黒食品にすれば星雷社の社食事業を取れば大きいし、逆に失えば手痛いから、あれこれ水面下で動き回ってる状況かな。この事業に関しては星雷社から見れば、幾らでも代わりはいるし、売り込みだって良く来るからな。
大見黒食品だって星雷社関連だけで商売している訳じゃないけど、星雷社が大見黒食品を切れば星雷社関連会社だって右へ倣えするだけじゃなく、星雷社に切られたことで他にも悪影響は懸念しているはず。
そういう状況になっているのをこの御曹司君は知らないのだろうか。そうだな美玖とボクが何者であり、さらに流花が星雷社でどういう地位にあるのを知らないのだけはわかる。わかってあれだけの放言、暴言をやっているのならアホウの極致だ。
「こっちが勤め先を教えたんだからあんたも言えよな」
「言えないのじゃないか。尻振りダンスの勤め先なんか」
美玖は顔色一つ変えず、
「これは失礼しました」
おいおい持って来てたのかよ。美玖は名刺を差し出し、
「星雷社で営業部長を務めさせて頂いている初鹿野です。どうかお見知りおき下さい」
おっ、さすがにマサヤは知ってたか。顔色が変わったぞ。
「星雷社の、は、は、初鹿野部長・・・」
「どうしたのよ。どこかの売春クラブのやり手婆なんでしょ」
「黙れ。あなたが初鹿野部長と言う事は、もしかしてこちらにおられるのは」
「専務の藤崎です。今日は社長夫人の無聊をお慰めするためにこちらにお邪魔させて頂いております」
もう顔が真っ青を越えてるぞ、
「しゃ、しゃ、社長夫人。そう言えば結婚式に出席した親父が社長の奥様は若いと・・・」
「どうしたのよマサヤ。部長とか言っても売女のやり手婆だろ。底辺に堕ちて売女やってる流花・・・」
「うるさい。黙ってろと言っただろうが。まさか星雷社の方々とは知らず・・・」
美玖はニコリともせずに、
「丁寧極まる御挨拶、しかと三人で承りました」
「それは、あなた方を誰かを存じ上げなかっただけで・・・」
美玖は冷え冷えとした声で、
「相手が誰であるかわからなければ、あれほど丁重な御挨拶をして頂ける方とよくわかりました。弊社といたしましても、これに相応しい挨拶をさせて頂きます」
終わったな。それでも女は、
「なにが社長夫人だ、底辺の流花がなれる訳がないだろうが。ウソに決まってる。流花は尻振りダンス要員に買われただけで・・・」
「もう口を開くな。あっちに行け」
「なによ、底辺の尻振りしか能がない流花なのに」
「うるさい、黙れ!」
もめ事を聞きつけた宿の人がやって来て、二人をどこかに連れて行ってくれた。大見黒食品との縁はこれで切れたな。美玖も、
「良い機会になりました。あの方が次期社長なのを知ることが出来たのは収穫です」
取引企業をどう見るかはあれこれ視点はあるけど、やはりトップがどういう人物であるかは大きな比重を占める、今の社長もイマイチだが次期社長があれでは先行きは暗いな。あの言動だけでも評価としては十分だけど、選んだ女もなんだよあれ。
わざわざ、自分から喧嘩を吹っかけて自爆じゃないか。あそこまでやらかせば、せっかく掴みかけていた社長夫人の座を棒に振ったのじゃじゃないか。ずっと黙っていた流花が、
「サナは高校の時から流花を敵視していました」
流花も言いにくそうだけど、好対照の存在だったで良さそうだ。派手好きのケバ女と、控えめで清楚な流花ぐらいだろうか。男子の人気を二分していたと言うか、流花の方が人気あったぐらいで良さそうだ。
「サナはマウント好きでした」
ケバ女からしたら優等生だった流花は目障りで仕方なかったで良さそうだ。目の上のタンコブみたいな存在だった流花が悲劇に見舞われると、これ幸いとばかりに叩きまくったぐらいで良さそうだ。
「サナは上昇指向も強い女で、彼氏も次々とチェンジしていました」
イケメンとか高校生なりに将来の有望株と見れば、たとえ彼女がいても奪いに行くタイプか。奪うと言っても、
「どうやってかは噂だけしか存じませんが、ああいう時には自分の成功体験を話すことが多いものです」
それって、尻振りダンスか!
「おそらくあの勢いのまま、大学、さらに社会人になり、ついに捕まえたのが社長の御曹司かと。サナでもあれが失言ぐらいはわかるでしょうから、今夜は失言を挽回するために精を出されるはずです」
あの御曹司の程度も低そうだが、あれがどれだけの失言、暴言であったかぐらいは理解できる頭はありそうな気がする。尻振りダンスなんてさせてくれるかな。
「その辺はわかりませんが、御曹司を失えば次のターゲットに行くだけでしょう。ただ今回の失言は広まる可能性があります。だって部長をあれだけ侮辱してそれで済むとは思えません」
美玖の怒りを買えばボクでも海の藻屑だものなぁ。そのうち尻振りダンスが本職になっても不思議とは思わない。すると美玖が氷のように冷やかに、
「人を呪わば穴二つと申します。思わぬ座興はこれで終わりにしましょう」
それもそうだ。
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