坂越から赤穂に

 ありゃりゃ、センターラインが無くなったな。トンネルを潜って、橋を渡って、またトンネルを潜って、裏道って言葉がピッタリ来るような道だよな。そのせいか交通量も少ないな。それでも向こうに海が見えてきた。海岸線に下りてきて、この辺が坂越みたいだ。


「あそこに看板が見えます」


 看板って堤防の切れ目の手書きみたいなやつか。あんなものウッカリしてたら見逃すじゃないか。ここが海の駅しおさい市場らしいけど・・・けっこうクルマが停まってるな。坂越で牡蠣を食べるならここって聞いてはいたけど、


「牡蠣だよ牡蠣」

「美味しそう」


 お昼に食べたばかりだろうが。ここは見るだけにして、しばらく走ると、


「右に入ります」


 なんも案内が無いけど坂越の街に入れるみたいだ。へぇ、道がタイル舗装してあるぞ。古そうな家が建ち並んでるけど、


「パナソニックの看板がある角を右に入ります」


 相変わらず何の案内表示もないけど曲がって見ると・・・こりゃ、凄い。こんなところにここまでの街並みが残っているのに驚いた。そうなるとここが坂越の港になるのだろうな。坂越も今は鄙びた漁村で牡蠣ぐらいしか思い浮かんで来ないけど、江戸期は重要な港だったんだ。


「千種川水運の終着駅です」


 今でさえというか、今の方が想像しにくいのだけど、因幡街道や出雲街道からの荷物が千種川を下って坂越に送られ、坂越からさらに大坂に送られていたんだ。その繁栄の跡がさっきの古い街並みで良いはず。


「ですが河口港ではありません」


 そう出来なかったぐらいだろう。千種川の河口には赤穂が作られてるけど、港を作るには無理があったぐらいのはず。水深とかの関係ぐらいだろう。だから坂を越えた坂越を積み出し港にしたのだと思う。


 坂越港から坂越湾の西側を下って行くのだけど、ずっと一車線半の道だな。景色も悪くないところだから観光道路化を考えなかったのかな。そこまでの需要がなかったからと言えばそれまでだけど、この道はそのまま進めば赤穂御崎公園に通じてるはずだったのだけど走って行くと、


「こ、これは・・・」


 おいおい、土日休日は二輪車通行止めってなんだよこれ。


「六甲山の二輪車規制みたいなもののようです」


 かつては暴走を繰り返していた連中がいたのだろうけど、まさにバイクの負の遺産だよ。仕方がないから引き返し坂越トンネルから県道四五九号を南下。県道三十二号に入って、


「赤穂城を目指します」


 へぇ、ここは四車線になるとは意外だった。千種川を渡ったところで、


「次の信号を右折です」


 この道は赤穂の南側を走るバイパスなんだろうな。ここを曲がって旧市街って感じかな。おっ、石垣が見えて来たけど凄いな。こんなものあったっけ。手前の川は堀なんだろうな。


「次の信号を左に曲がってみます」


 美玖らしくないけど、なんにも案内がないものな。赤穂城の角を曲がったぐらいのはずだから、ここで左折は賛成だ。橋を渡ると櫓みたいなものが見えるぞ。


「入って見ます」


 右側に見えるのは復元した櫓だけど左側に見えるのはお店屋さんか。なんか紛らわしいな。門があるけど進入禁止だから左に曲がると、


「無料駐車場ってなってますけど・・・」


 どうなんだろ。なんか巴屋って書いてある店の駐車場だよな。美玖が店に確認に行くと、


「停めても良いそうです」


 後で塩味饅頭でも買っておくか。さっきの門のところに歩いて行ったけど、堀があって、右手に二重の隅櫓、白塗り塀が巡らされてるけどここだっけ?


「三の丸大手門となってますから、ここのはずですが・・・」


 赤穂城には子どもの頃に連れて来てもらったことがあるんだよね。当時の赤穂城は復元された隅櫓と門があっただけだったんだよ。それしかなかったから赤穂浪士関係の時代劇なら定番のように使われてた。怪しいなんて記憶じゃないけど、たしかクルマで橋を渡り、門を潜った気がするのだけど、


「う~ん、剛紀が子どもの頃ですから、当時は本丸に赤穂高校がありました。ですから普通に通れたのかもしれません」


 そこからお城巡り。これは立派なものだ。篠山城も立派だけど赤穂城だって負けていない。篠山城も大書院が再建されてるのはすごいけど、城壁とか、櫓とか、門が復元されてる方が見る方にしたら楽しいな。


 それにしてもたった五万石の小大名にこれだけのお城は立派過ぎると素直に思う。その辺はあれこれ政治的とか、戦略的な思惑があったのだろうけど、


「この城も天守台は作られても天守閣は築かれていません」


 そういう城はパッと思いつくところだったら、明石城も、篠山城もそうだ。作られなかった理由は予算の問題だとか、家康が許さなかったとかの話もあるけど、一説では天守台を作るのも大名の格の問題だったとか、なんとか。


 あれかな。大名も城持ち大名とそうでないので格付けされていたらしいけど、城持ち大名でも天守台があるかないかで格付けがあったとか。


「そう言いながら、江戸城天守閣は家綱の時代に再建をあきらめています」


 あれは予算問題だし、江戸期の大坂城だってそうだろ。赤穂城も実戦には使われなかったはずだけど、それでも赤穂浪士が歴史に名を遺したからラッキーだったと思う。だって明石城や篠山城に比べたらネームバリューはずっと上になってるもの。だからこれぐらい整備したって罰は当たらないと思うよ。


「坂越が赤穂の外港になったのは塩のせいでしょうか」


 みたいだな。赤穂は千種川の河口部に位置するけど、かつては広大な干潟が広がっていたそうなんだ。たぶんだけど、赤穂城も干潟に面して作られていた気がする。赤穂の塩は江戸期を通じて最高の塩とされていたらしいけど、その秘密が広大な干潟にあったらしい。


 能登なんかで今でも昔ながらの塩づくりをしているところもあるけど、あれは揚浜式と言って、海から組んできて来た海水を塩田に撒いて濃縮する技法らしい。それに対して赤穂では入浜式の製塩法を確立したそうなんだ。


 入浜式では潮の干満を利用して塩田に海水を入れるそうで、揚浜式に比べると効率的でなおかつ大規模に出来るとか。干潟だから干拓して米を作るのも当時ならトレンドではあるけど、米より塩が儲かったぐらいで良いと思う。赤穂の塩は江戸期のブランド品で七割が江戸に送られていたそうなんだ、


「坂越からですね」


 そうなる。江戸へは大坂の塩問屋経由で送られていた気がするけど、それとは別に商船が赤穂の塩を直接買い付けに来ていたはず。そんな富も坂越の街を作ったんだと思う。


「塩味饅頭を頂きに行きましょう」


 そうだな。

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