将軍家の夜
食事が終わり寝床に入ったけど今日は寝る。さすがに疲れた。言っとくが倦怠期じゃないぞ。そんなものは美玖がいるのに来るものか。単に体力の問題だ。さすがにアラフォーだってこと。
「江戸時代の将軍は大奥で寝てたのですか」
大奥って日本版のハーレムみたいなところのイメージもあるけど、実際はどうなっていたのかの情報は断片的みたいなものしかないそうなんだ。その断片的な情報のソースは明治になってから大奥経験者の話を取材してのものらしいから、正しい部分もあるはずだけど全貌かどうかはわからないぐらいかな。
「鍵を開けて入るシーンは?」
映画とかテレビドラマでよくあるやつだろ。あれは正しいのじゃないのかな。大奥には入るには鍵がかかった門みたいな扉があって、開くと鈴が鳴ったらしい。だからその扉から続く廊下を御鈴廊下と呼んでいた。
将軍だけど昼間はどこにいたかだけど、大奥に隣接する中奥だった。ここは将軍のプライベートスペースみたいなところで、老中でも入れなかったとされている。入れるのは傍衆とか、近習とか、小納戸役と呼ばれる男のお世話係だけだったで良さそうだ。ちなみにこういうお世話役のトップが側用人になる。
「それって柳沢吉保とか田沼意次とかの」
そうだよ。将軍は中奥から表と呼ばれるところに出て仕事をするのだけど、老中は老中で将軍に取っては小うるさい存在でもあったようなんだ。老中が無能だったとする説も多いけど、将軍だって有能とは言えないだろ。
この辺の実際の様子もまた良くわからないところが多々あるのだけど、老中との協議を嫌がって中奥から側用人を使って老中に命令するスタイルが出てきたぐらいで良いと思う。なんていうか老中が大臣なら側用人が官房長官みたいなものだったのかもしれない。
「要するに側近政治をやっていたと」
そっちの方が正しいかな。側用人の話はそれぐらいにしとくけど、中奥に住んでいる将軍が大奥に毎晩行って寝ていたかどうかもはっきりしないところはある。と言うのも大奥で寝たらイコールで情事だろ。
「そのための大奥のはずです」
これもまた将軍で違っていた可能性はあるはずなんだ。大奥に行っても単に寝る事も出来た将軍もいれば、大奥に行かない夜は中奥で寝ていた将軍がいたって不思議ないと思うんだよ。
「そっか、そっか、大奥の断片的な情報のソースが幕末だけですものね」
基本的に大奥の情報は幕府もトップシークレットしていたはずなんだ。だって将軍の秘め事やってるところだからね。別に将軍じゃなくても秘め事の情報を知られたくないだろ。
「それは確かに。将軍がどうやって女を愛してるとか、女がどう反応したかなんて漏らせるものじゃないのはわかります」
大奥もまた将軍のプライベートゾーンってことだ。
「それでも三千人の美女から選び放題」
大奥には三千人ぐらいの女がいたらしいけど、大奥もまた身分制度がゴチゴチの社会だったのは正しいはずだ。三千人と言っても女しかいないような世界だから、掃除とか、洗濯とかの下働き用の女がまず多かったはずなんだ。
そんな女たちの身分を二分していたのが実家に御目見え家格があるかどうかだった。御目見えとは将軍に直接会える身分の事だけど、具体的には直臣のうちで旗本、大名、それに公家になる。殆どは旗本の娘と考えて良いはず。
将軍と顔を合わすことが出来るのは御目見え資格のある実家の娘だけで、それ以下の娘は将軍と顔も合わすことが出来なかった。せいぜい遠くから見たことがあるぐらいじゃないかな。
「商人の娘とかがお行儀見習いに上がる話になります」
たぶんな。
「それでも御目見え資格のある女から選び放題」
でもない。まず年齢制限がある。三十歳になると御褥お断りされてしまう。
「美玖はお断りになります」
ここから先がわからない部分が多々あるのだけど、三十歳未満で御目見え資格のある女が御中臈になれば将軍との情事をできる資格になるのは合ってるようだ。もっともそういう資格のある女なら誰でも御中臈になれたのか、それともさらに選抜があったのかも良くわからない。
御中臈になるのは将軍との情事資格を得た事にはなるのだけど、この御中臈もさらに二つに分かれていて、正室や側室の御付きの御中臈と、将軍付きの御中臈だ。将軍が情事の相手に選べるのは将軍付きの御中臈のみだったとされる。言うまでもないけどこれに正室と側室も加わる。
「将軍が御付きの御中臈を選ぶのですか?」
選ぶのは将軍ではなく大奥のボス女だ。ここから先が大奥と言う閉鎖社会の特徴になるが、大奥の女で一番重視されたのはいかに将軍の寵愛を受けるかになる。
「そういうところです」
そうなんだけど、将軍付きの御中臈になるだけで推薦者のボス女の格が上がり、将軍に寵愛されたらさらに上がり、側室にでもされようものなら大きな顔が出来たそうだ。だから誰を将軍付きの御中臈にするかで暗闘はあったと思うよ。
「どれぐらいいたのですか?」
これもよくわからないのが一説では八人とするのもある。八人は少ない気もするけど、その代わり入れ替わりはかなりあったのじゃないかな。
「将軍の寵愛が一定期間無ければ交代とか」
大奥のルールがはっきりしないのは、大奥内は女の自治制みたいなものが敷かれていたからだと考えてる。明文化された規則があるわけじゃなく、先例とか、慣例の不文律みたいなもの。とはいえ二百年以上はやってたから、時代と共に変わっただけじゃなく、
「他にも何か?」
そんなもの将軍の意向しかないだろ。将軍は絶対権力者だから、原則として将軍の命令は絶対じゃないか。とくに大奥の立場の上下は将軍の寵愛で変わるから、将軍が口を挟めば変わった部分はあったはずなんだ。
「やっぱりハーレム」
かどうかは疑問だ、将軍の意向は絶対とは言え、どんな意向であっても即座に実行される訳じゃない。あまりに無茶苦茶な命令とかなら諫言と言う名の抗議を受ける。大奥のルールもまたそうで、無暗にいじくれば、
「これは〇〇様から守られてきた云々とか」
そういう不文律を守る勢力は大きいのは今も昔も変わらない。だから、
「良きに計らえそうせい公になる」
時代が下るほどそうだった気がする。だから大奥内で色んな思惑から選ばれた御中臈から選んでいたんだろうな。もっとも正室や側室も入れて十人もいれば十分だった気もする。だってだぞ、将軍が一晩で相手に出来るのは一人だ。
「何人も侍らせてエロ親父やってたのじゃないのですか・・・」
一夜に一人だから一年で延べ三百六十五人がマックスになる。とはいえ毎夜頑張れる将軍なんていないわけだし、歳も取る。たとえば三日に一夜だったら一人当たり十二夜だ。週一以下の計算は省略だ。
「庭でも散歩していて腰元を見初めるパターンは?」
皆無じゃなかったみたいだけど、そういう場合でも急いで形式を整えていたはず。というかさ、そういう選抜方式なったのには理由があったはずなんだ。とにかく大奥では将軍の寵愛を受ける価値は大きいから、
「ポッと出が寵愛を受けると妬みや嫉みのターゲットになる」
女同士も怖いらしいから、リンチとか下手すりゃ殺されたりもあるんじゃないかな。そういうのが頻発されても困るから、
「なるほど、ボス女が庇護者になるシステムか」
そういう一面もあった気がする。将軍の方もこのルールを破ると厄介事が起こるから、あえて破るような事はしなかったぐらいじゃないかな。
「添い寝役って本当にいたのですか?」
これも良くわからないところがあるのだけど、将軍が情事を行うのは大奥の小座敷御上段だったとされている。間取り的には十畳の部屋で奥に床の間があった。情事に及ぶときは床の間を頭にして二組の布団が敷かれていたそうだ。
添い寝役は将軍が情事に及ぶ両隣に衝立を置いて寝ていたとなっている。添い寝役に課せられた仕事は情事中の睦言を聞き逃さないようにすることだった。これはとにかく相手が将軍だから、自分の子どもを将軍にするように頼んだり、実家の引き立てを頼んだり、大奥内の処遇改善とかを頼んだりをさせないためだとされている。
ところがだが、最近の発見で小座敷上段の間の幅が二間であった記録が出て来たそうだ。二間とは畳の縦二枚分だから、
「そんなところに四人も寝れば鮨詰め状態」
そうなる。もし添い寝役がいたとしても上段の間の左右にある入側縁ぐらいになるけど、そこと上段の間の仕切りは襖なんだよな。この構造もいつからそうなのかも実はこれも良くわからない。
大奥は五回焼失してるから小座敷上段の間の構造だって変わっている可能性はある。だが監視役はまだいる。下段の間に二人の寝ずの番がいるんだよ。
「上段の間と下段の間の仕切りって御簾だけでは」
そうのはず。つまりはすべてを見られながら、聞かれながらの情事になる。将軍は大奥の純粋培養みたいなものだから平気だったかもしれないけど、
「今だったら露出狂になります」
将軍と相手役にもそんな意識はないだろうけど、今の感覚からすればかなりどころでない異常な状況だ。ボクはいくら相手が美女だろうが、あれこれ選べたとしてもゴメンだな。
「美玖だってゴメンです」
それと思ったのだけどハーレム自体もボクに合わない。情事の楽しみ方も個人差が大きいだろうけど、ハーレム的な楽しみ方で真実の愛なんて見せられるかだ。男のロマン的には処女を女にするのもあるだろうけど、ボクは真実の愛を見てもらいたいの方が遥かに大きい。
結論はシンプルだ。美玖はこの世で最高の女だ。心の底から満足してるし、美玖以外なんて考えもしたくない。それだけの話だ。
「そこまで想われる美玖は幸せ者です」
もう寝よう。明日もロングツーリングが待ってる。
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