第二十四話
「ねぇ、あたしってなんで田ノ原を出ようと思ったんだろ?」
悠亮は口を開けたまま、目の前のフォークと恵の顔を交互に見ていた。
しかし恵はそのままミートボールを奪わるのではないかと思い、手首を返すとすぐにそれをぱくりと咥えた。
「はぁっ? 知らねぇよ。わからねぇなら別に県外の大学を受験する必要ないだろ」
「だから悩んでるんだってば。その理由を探してるんだけど、だんだんわかんなくなってきたんだもん」
悠亮は溜息を漏らしながら、弁当に添えられてあったふりかけの小袋を破いた。
最初は素の白米として味わい、途中で残った米の量に対して彼は均等に振り分けていく。
恵から見ても細かく几帳面で気遣いのある彼の性格が良く表れていた。
「あの日傘の子になんか言われたのか?」
「なんか途中で少しだけ機嫌が悪くなっちゃったみたいなんだよね。気がついたら帰っちゃってたし」
「そりゃ明らかに恵が何らかの余計なこと言ったに決まってんだろ?」
「あたしは別にそういうつもりで言ったんじゃないんだけどなぁ」
「いや、恵の性格ならきっとそうだな。どんな面倒くせぇ発言をしたんだよ」
「それを言ったら悠亮のせいかもしれないじゃない。あんたが失礼なことしたから、怒っちゃったかもしれないのに」
「だってなんか俺、歓迎されてなかったもん」
「そうかな? あたしにはそうは見えなかったけどな」
「そういう鈍感なところがイラつかせたんだろ。んで何て言ったんだよ?」
「ホントそんな大した話じゃなかったんだってば」
友人を紹介すると強引に水無川まで案内されたものの早々に退散した悠亮。
その後に何が起きたのか、何故か機嫌を悪くしたという彼女との会話の詳細を語るのを拒む恵の態度は、悠亮にも矛盾しているような気がしてならない。
最初は構って欲しい女子によくある質問待ちかとも思ったが、そうでもなさそうであった。
異にする感情が絡まり縺れ、やがて一本に収斂されてしまうことで、いつの間にか表裏一体となって自身を惑わす。
道標を失いつつあることに恵本人も焦っていた。
それゆえ今は互いをよく知る、目の前の幼馴染の男子を頼らずにはいられない。
なので恵も諦めて自白することにした。
「実は昨日、その子と話したことなんだけさ……」
改めて彼女からの説明を受けた悠亮は、唖然として恵を見返す。
「恵さぁ。お前、自分がやっぱり矛盾してるのってわかってる?」
「あたしは別に悪口とか気を悪くするようなヘンなこと言ってないよ」
「震災に遭った田ノ原や福島のみんなに『大変だったね』って、よその子のお前が言いにくいなら、なんでよそから『大変だったね、頑張って』と言われたお前がイラつくんだよ? 俺は震災の前も後もずっと田ノ原在住だよ。俺からしたら『がんばろう東北』は素直な応援だと思ったし、嫌な気はしなかったよ。それをなんでよその子の恵が腹を立ててるんだ?」
「でも実際に大変だったんでしょ?『頑張ろう』ってよそから言われる言葉? あたしはそれを知ってるから言ってるの」
「横浜から見たら同じ福島だもんな。確かに会津は浜通りほど大きな被害はなかったよ。でもこっちもめちゃくちゃ揺れて怖かったんだ。それをお前はよそと同じ目線で全部一緒くたに『大変だったね』って言ってるだけだろ」
東日本大震災から十二年を経て、その記憶を若者達に伝えるべく、田ノ原高校では今年から震災学習が始まった。
ところが幼稚園生だった恵は、まだ横浜に居たので当事者としては蚊帳の外。
しかも悠亮の言葉にも若干の苛立ちが隠し切れていないのは、付き合いの長さゆえよくわかる。
だから恵は田ノ原で迂闊に震災の話題を出すのが嫌であった。
彼らにはこうやってタブーの話題があるのに、自分の言動や行動や、将来の進路といった個人的な話には無遠慮に入り込んできて、差し出口をしてくる。
恵もそんな不満が胸の内に微かに渦巻くと唇を尖らせるのだが、悠亮にしてみれば痛いところを突かれて腐っているだけの、いつもの幼馴染に見えた。
「結局さ、恵は田ノ原のことも嫌いじゃないんだろ? そのくせ福島や田ノ原を言い訳にして、自分が頑張ってない理由を見つけて安心しているだけだな」
「ちょっと悠亮、なにそれ。女子にそんな酷いこと言う? だって成績はあんたより良いんだから」
「テスト結果の話だけじゃありません。俺は俺なりに頑張ってます」
会話の合間にも早々に弁当をたいらげた悠亮は、菓子パンの包装を剥きながら恵をちらと見る。
「俺は蔵を継がなきゃいけないんだ。ただ酒造りを学べばいいんじゃない、大学に行って細菌学や公衆衛生を勉強したいし、会社経営や簿記も知らなきゃいけない。少なくともお前みたいにたった一瞬のうちに発言が前後するくらい、あやふやな人間じゃないんだよ。日傘の子にはそういう甘ったれたところをキレられたんだろ?」
「う~……悠亮のいじわる」
そう言って器用にチキンライスが乗ったフォークをぱくりと咥えた後は、頬を膨らませたまま上目越しに睨む恵。
ドジで不幸で勉強も不得手で憎たらしい所もあるが、こういう時の悠亮の芯が通った発言には返す言葉もない恵であった。
彼の言う事が間違いだった記憶は無いと、長い付き合いの中で知っているから。
そこで会話は一時中断して、互いに弁当の残りを食べ進める。
最後まで大切に残しておいたプチトマトを食べようとしたところで、恵は向かいの悠亮に尋ねた。
「……そういえば悠亮は東京府ってわかる? 京都府の間違いじゃないの?」
「確か大昔の東京都の呼び方だろ。東京府の中心が東京市で、そのまま東京都になったはずだよ」
さすがの酒蔵の息子といったところで、世界史や日本史は恵よりも成績が良いためか、難なく答えてみせた。
「南葛飾郡亀戸町はどこ?」
「詳しくはわかんねぇけど郡だからもっと地方なんじゃね? でも葛飾も亀戸も東京にあるよな。確かスカイツリーの近くかな?」
「そっか。東京の都会生まれなんだ……」
なにやら考え込んだと思えば、途端に納得したようにひとりごちる恵。
「うん、やっぱもっかいあの子と話をしてこよっと」
「おいおい。今週の木曜からテストだぞ。またフラフラするのかよ。マジで成績落ちるぞ」
「これから頑張れば間に合うから、へーきへーき」
そんな風にうそぶいて、自信を覗かせる恵。
訝しそうに向かいの彼女を見ていた悠亮だったが、昼休みを終えた授業で陽を浴びながら満腹感と安堵感に包まれた彼は、昨晩の眠気には到底勝てなかった。
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