第9話
みんなが真面目にというか、楽しそうにこの行事に取り組んでいることをゆっくりと受け入れながら、二階席の手すりによりかかって、ぼんやりとバスケットボールを眺めていることにした。そう、バスケットの試合じゃなくて、バスケットボール。ポジションを無視してみんながボールを追いかけている。抱えられたり引っ張られたり、誰も居ないところにポーンと投げられるボールの様子をずっと眺めていた。
「隣、いい?」
「あ………………うん」
隣から声がしたかと思えば、相手はさなだった。先日の妙なやり取りから、私達は言葉を交わして来なかった。というか、私が一方的に、さなに気付かれないようにやんわりと避けていた。
トイレの個室に一緒に入っていた時のことを掘り下げられて、上手く答えられる気がしなかったから。今でもどんな風に取り繕えば、あのときのことを違和感無く言い逃れられるのか分からない。そもそもそんな手段、存在するんだろうか。一緒にそんなところに入る時点で、もうおかしいし。極めつけに私の上に座ってたし。
避けていることに気付いているとすれば、さな本人だけだろう。普段から話す間柄ではなかったから、周りが不思議に思うことはなかったと断言できる。
「あの時の話、していい?」
「……………………うん」
「はは、めっちゃイヤそう」
嫌なんじゃなくて、困るんだけど。困るだなんて知られたら面倒だからそういうことにしておく。私はいつの間にか得意になっていた曖昧な笑みで誤魔化すと、さなの言葉を待った。
「ほんっとに記憶がなくてさ。ごめん、信じてもらえないよね」
「あー、ううん」
普通だったら信じられないかもしれないけど、今回ばかりは信じるよ。それやったの、私だし。さなはふにゃふにゃと顔を歪めると続けた。
「あたし、学校で吐いたんだ……って思ったら、なんかまた具合悪くなってさ。あの日、帰ったらまた吐いちゃったんだよね」
「そ、うなんだ。大変だったね」
ごめんそれ百パー私のせいだ。さなは元々具合悪くなんてなかったのに、思い込みでそこまでなれるってすごい。きっと、ギャルみたいな見た目に似合わずピュアな子なんだろう。
申し訳なく思う反面、この会話で私が一つ救われたことがあった。それは、さなは私の支離滅裂なはずの嘘を全力で信じているということ。疑ってるのに具合が悪くなるワケ無いし。誰かに信じてもらえるって嬉しいんだなって思った。それが嘘なんだから、私という人間は終わってる。
「あたしらって、どっかで会ったことあるのかな」
「どういう意味?」
そんなの、今更だ。会ったことがあるどころか、すれ違うくらいなら数日に一回はしているはず。互いを繋ぐような交友関係があるんだから、話をしたことだって無いわけじゃない。それはさなも覚えているはず。だから私が魔法少女になったあの日、彼女は声だけで私を私と認識できたんだ。
「あぁ、変な言い方だったよね、ごめん……その、学校で知り合う前っていうか、なんていうか」
「うん?」
「気持ち悪いかもしれないけど、あたし、リカちゃんを見てると、小さい頃会ったことがあるような、そんな懐かしさを感じるんだよね」
「……そうなんだ」
「うん。あ、キモいって思ったでしょ」
「ううん。そんなことないよ」
そんなことない。だって、さなが感じてる懐かしさというのは、おそらく私が彼女を巻き込んだあの日の記憶のカケラだろうから。子供の頃なんてもんじゃない、その懐かしさは出来たてほやほやのトンデモな出来事に起因している。
私が魔法少女だということは思い出していないようだけど、こうして、私に対する気持ちや感情だけは、さなの中で蓄積されているらしい。それを知っても、罪悪感のようなものは、あまりなかった。だって背に腹は代えられないし。
さなには悪いけど、ちぐはぐな気持ちと記憶のまま過ごしてもらうとする。魔法少女だなんて思われながら生きられるほど、私のメンタルは強くないから。
「リカちゃんは何やるの?」
「私? バスケ」
「えっ、意外かも!」
「私もそう思う」
「嫌なの?」
「嫌っていうか……本当はバレーだったんだけど、人数が合わなくて」
「あぁー……バスケって花形競技だから、プレッシャー感じてみんな遠慮するよね」
「そう。それに、運動神経も特別良くないし。みんなの足を引っ張らなきゃいいんだけど」
「え?」
さなは心底驚いたという顔をしてこちらを見る。私としては驚かれる理由がないから、逆にこっちがちょっとびっくりしてしまった。たぶん、顔には出てないけど。
「何?」
「……ううん、ごめん、そうだよね。なんでか、勝手にリカちゃんって運動神経バツグンだと思ってた。なんでだろ?」
「ふふ、変なの」
とりあえず笑って誤魔化したけど、多分そのふんわりとした印象は魔法少女としてハンマーを振るった時の私の姿のせいだろう。
ふと、このままさなの記憶を再利用し続けるのは危険じゃないか、という考えが頭を過ぎる。記憶を再利用って考え方がもう人権無視の極悪人のそれなんだけど、今は置いといて。もしかしたら、記憶を消しきれない日が来るじゃないかって、そんな可能性に気付いてしまったのだ。
とはいえ、あんな危険な場所に留まっているように言われて、本当にその通りにしてくれる人はなかなか存在しないだろう。少なくとも、私はさな以外知らない。記憶を消そうにも、魔法少女の姿じゃなければ魔法は使えないし。つまり、当面の間は、私はさなに縋るしかないのだ。私が魔法少女に変身しなきゃいけない場面が来ないのが一番いいんだけど。それは自分じゃコントロールできないし。
「……リカ、ハートだよ!」
「は……?」
体操着の襟を掴んでひょこっと姿を現したのはウガツだ。黙ってろって百億回くらい言って聞かせたんだけど、それでもこいつは私の言うことを聞かないらしい。だけど、唐突に発せられた言葉に、ウガツに注意する心の余裕なんて無くなっていた。
ハート……? この施設の近くにはそれっぽいものなんて……。
「なにこれ!?」
さながウガツを見て声を上げる。周りに注目されたくないからできるだけ大きい声をあげないで欲しいんだけど、今のはさなは悪くない。ウガツが悪い。私は動揺を押し殺して、自分の胸元を指差した。
「あっ、これは定期的に「リカ! ハートだよ!」っていうオモチャなんだよね。気にしないで」
いやどんなオモチャだ。絶対要らない。ほぼゴミじゃん。だけど、一目見てこれを魔法少女のマスコットだなんて思わないだろう。それだけが救いだ。さなは不思議そうな顔で私の胸元を覗き込んでいた。
「えぇ……? えっと、ハートってなに……?」
彼女の問いは、轟音にかき消されてしまった。何が起こったのかは、この目で見た。それまでじっとしていたバスケットゴールが落下したのだ。
たまたま人が居ないところだったからよかったけど、反対側のゴールだったら、わちゃわちゃとボールを取り合っている数名が危なかった。
「ちょっ! 今のヤバくない!?」
「リカ! 発生場所はこの体育館だよ! 急いで変身しなきゃ!」
「……来て!」
「えぇ!?」
私はさなの手首を掴んで立ち上がると、人目のないところを探して走った。変身するかはさておき、いざ変身しなきゃいけなくなったときに困ると思ったから。
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