第6話


「うおぉーー!」


 太ももに力を入れて踏ん張って、かなり距離がある壁へと、ひとっ跳びで近付いた。腕を降ってこいつを割ってやるだけでも良かったんだろうけど、いなくなりたいなんて言うくらいだ。私だって情けをかけてやりたい。

 そう、こいつを粉砕するのが、私流の情けだ。壊してって言われなかったから。いなくなりたいんだったら、それくらいしなきゃ。


「どりゃああ!!!」


 軍服みたいなコスチュームは、私の何を源にこんな力を生み出しているのだろう。そんな疑問を抱かずにはいられないほどの力が湧き出る。

 不思議な閃光が迸り、いなくなりたいと語った壁は粉々どころか、光となってそのまま消えた。


「終わった……?」


 私の体は空中に留まり、少しすると、怪我をしないようにふわっとした感じで下ろされた。誰かがしてくれたような言い方をしているけど、苦悶の表情を浮かべる壁を無くしたのも、この体を優しく下ろしたのも、両方ともきっと私の魔法だろう。


「だけど、これは……」


 建物全体がキラキラと輝いている。比喩じゃない。本当に全てが輝いているから、自分が床の上に立っているということすら曖昧だ。このまま建物を出ろと言われれば、かなり厳しい。全部がキラキラに見えるって、目を瞑ってるのとほぼ同義だし。感覚を頼りになんとか部屋を出ると、廊下の向こうには二人が待っていた。


「いた! リカちゃーん!」

「二人とも、来てくれたんだ! 本当に嬉しい。ありがとう」


 私は真っ先にさなの手を取った。逃げないで、本当に待っていてくれたんだ。私だったら絶対に帰ってたけど。信じられないものを見る目で、私はさなを見つめ続けた。


「リカちゃんなら、きっとなんとかできるって、信じてたし!」

「はいはい、とりあえずこの場をおさらばするよ! あちしの言う通りにイメージして、リカ! 絶対に誰も来ない場所を!」

「え、えぇと……!」


 唐突な指示に、私が思い浮かべたのはトイレだった。しかも何故か学校の。

 結果、私達は女子トイレの一番奥、和式がずらっと並んでいるトイレの、唯一の洋式のトイレにワープした。

 思い浮かべた場所がいかに不適切だったかを思い知りながら、細くため息をつく。私は便器に座り、さなは私の上に座った状態だ。しかも、彼女は横座りになってこちらを向いているので、距離がやけに近い。


「あちしはてっきり、自分の部屋にワープするんだと……大体みんなそうだし……」

「私だって、こんな目的で問われてるなら自分の部屋のこと考えたわ」

「ウガツ、リカちゃんにだって事情があるんだよ。咄嗟に問いかけられて真っ先に「安住の地」としてトイレを思い浮かべるような事情が」

「さな? なんで? 実は嫌われてる?」


 まぁまぁ、という顔をしたさなのフォローは私を傷付けた。なんか便所飯してそうって思われてるみたいで嫌。

 女子高生の微妙なカーストの話なんて微塵も興味のなさそうなウガツは、壁に据え付けられてるトイレットペーパーの蓋の上に立って言った。


「時間が無いから手短かに伝えるよ! さっきの建物はハートという感情で暴走していたの!」

「か、感情……? ハートは敵ってこと?」

「そんな単純じゃ話じゃないの! ああもう! こっちの続きはあとで! リカ、もうすぐ魔法が使えなくなるけど、最後に使い方を教えるね! 変身するときに困るだろうから!」

「あぁうん」


 魔法が、もうすぐ使えなくなる。その言葉に緊張が走った。私は、ただの少女に戻る前に、どうしてもやっておかなくちゃいけないことがある。というか、それをしなければ、ここまでさなを帯同した意味も無くなる。

 ウガツが魔法の使い方を一生懸命レクチャーしようとしてくれているけど、それについては大丈夫だ。意図していなかったとはいえ、さっきも使ったし。強く念じればなんとかなる、これが我流のコツ。


「さな」

「あの、リカちゃん。ウガツの言うこと聞いてあげな?」

「さな」

「あの」


 私はさなを思い描き、強く念じた。彼女の中の、魔法少女に関する記憶が消えますように、と。

 こうしてしまえば、私を魔法少女だと知る人はいなくなる。魔法少女道連れ計画が失敗しそうだと察した後は、ハンマーを振るいながらこれを狙うしかないと考えていた。だから意地でも彼女を離さなかった。


「さな、忘れて」


 体が熱くなる。私の上に座って、その上抱きしめられてしまい、さなは完全にされるがままだった。何故か軽く抱き返してくれているので、結構怪しい体勢に見えるはず。トイレの個室なんて、誰も覗かないんだけど。覗かれたらものすごく言い訳がしにくい状態なのは分かる。

 体が仄かに発光して、魔法が成功したのが分かった。最後の魔力を使い果たしたせいか、私はいつもの制服に戻っていた。


「ちょっ! あちしの話を聞けって……! はぁ!?」

「ストップ。話はあとで聞く。今は可愛くないストラップ演じてて」

「なっ! 可愛くないって……!」

「シャラップストラップ」

「ぐぬっ……!」


 ツッコミたそうな顔をしているけど、さなの前で喋ることは絶対に許さない。私は目を見開いて、宙に浮いていたウガツをガシッと掴んで胸ポケットに詰め込む。


「んっ……」


 小さく声を発し、私の腕の中で彼女は目を覚ました。寝ぼけた顔で私を見つめている。魔法少女であることを忘れるように、そう願っただけなので、どのように補完されているのかは、彼女と話をして確かめないと分からない。最も手っ取り早いのは、ここ二時間ほどの記憶がすっぱり消えてることなんだけど。駅で大暴れした一件についてどう触れるべきかは、彼女の返答次第だ。当然それを心待ちにしていたけど、彼女が口にしたのは至極真っ当な疑問だった。


「あの……ここ、学校? のトイレだよね? あたしら、なんでこんなとこに?」

「………………………………………………………………具合が悪くなって、それで」

「その沈黙なに? 絶対嘘だよね?」


 さなの責めるような視線が私を串刺しにする。言わせてもらうけど、私は悪くない。というか、さなの記憶がどうなっているのかも確認が取れていない状態で、なんでこんなことになっているのか説明するのは、少し無理があると思う。っていうかこの体勢、意味不明すぎるし。

 私はさなの胸に顔を埋めて「吐きそう……」と呟いた。これで有耶無耶になるかと思ったけど、さなは「そうなの? 大丈夫?」と言って私の頭を撫でてくれる。


「ふえ、え、えぇと……」


 布と着痩せしていたらしい大きな胸に邪魔されたくぐもった声がトイレに響く。大分情けない声で、あんまり自分の声だと思いたくない。どうして、吐きそうなんて言われて相手の心配なんてできるんだ。しかもこのシチュエーションで。私なら「こっちに吐け」って便器を覗かせる。というか、大体の人はみんなそうする。

 さなは、すごく優しいけど、かなりチョロい気がする。とりあえず、ここはなんとか誤摩化せそうだ。私はそっと顔を離すと、少し前のことをたずねようとした。できれば向こうに話をさせるような質問の仕方をしたいなんて考えていたのに、さなの質問一つでそれらは無かったことになった。


「具合悪かったのって、リカちゃんなの? あたしって、ただ吐いてるリカちゃんを見てただけで記憶飛んだの?」


 鋭い指摘やめろ。

 私はなんて言っていいのか分からず、また吐きそうなふりをしようとした。が、あることに気付いた。今の言い方から察するに、おそらく、さなは何も覚えていない。他の記憶で補完されてるとかも何もなく。すっぽりと関係のある時間のことだけが抜け落ちているようだ。


「……違う違う。最初はさなが具合悪いって言ってたんだけど、ずっと介抱してたらちょっともらいゲロしそうになったの」

「あー……そうなんだ。ごめんね、全然覚えてない。なんでだろ?」

「なんでだろうね?」


 嘘だからだよ。だけど事実を告げる訳にはいかない。私はさなを立たせると、ゆっくりと立ち上がった。元々、二人で使うことを想定されていないそこは、かなり狭かったけど。というか、体勢については言及されなかったな。たまにこうやって誰かとトイレにいるのかってくらい自然に受け入れてて怖い。


「えー? いま何時?」

「えーと……あ、六時過ぎてるよ」

「マジで!?」


 さなは弾かれたように個室を出た。私はその後ろ姿を見送ろうとした。けど、一つだけ済ませておきたいことを思い出す。


「あの、連絡先、交換しない?」

「いいけど……あれ? 知らなかったっけ?」

「た、多分」

「そっかぁ。ミクちゃんの友達だから、てっきり知ってるものだと思ってた。ごめんごめん」


 そうして私達は連絡先を交換した。これで私が魔法少女だと誰かにバレていた時にはその力を以てさなを潰す、もとい粛正、もといメッ★ しなければいけないので、彼女の連絡先については必ず手に入れる必要があったのだ。


「ふふ。んじゃね!」


 今度こそ、さなが走っていく。ふわふわした茶髪を揺らして、なんでもない間柄の、友達の友達に背を晒して。へらへらしてて、ぱたぱたしてて。私みたいなタイプとはまるで違う、子犬みたいな女の子。

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