ストーキング②



 あたしの一日は、スマホのアラームのセットで終わる。





 帰宅時間の遅い両親の夕食に同席して、談笑なんかをしたあと。お風呂に入って暫くすると十一時を回る。



 まだリビングでテレビを見てるお父さんと、あたしと入れ替わりにお風呂に入って出てきたお母さんに「おやすみ」を言って、自室に向かうのは十一時半頃。



 足音が余り立たないように爪先で階段を駆け上がり部屋に入るとすぐにベッドに近付く。



 部屋の電気は点けない。



 それでも慣れてるお陰で、何かにつまづく事もなく真っ直ぐ目的の場所に行ける。



 ベッドの上に飛び乗ると、すぐにカーテンの裾を持ち上げてその中に頭を入れた。



 窓とカーテンの間に入ったあたしは、斜め左下に視線を向ける。



 一応窓の端の方から眺めるようにしてるその場所は、カーテンが閉められず煌々とした明かりが漏れ、そこにいる人物を見やすくさせる。



「犯罪者」がいる。



 こっちから右の横顔が見えるようにして床に座ってる「犯罪者」はテレビを見てる様子。



 テレビ自体は視野の範囲に入ってなくて見えないけど、「犯罪者」の顔を照らす光の感じからそうと察する事が出来る。



 特に表情を変える事のない「犯罪者」が何の番組を見ているのかは分からない。



 明るい「犯罪者」の部屋からは暗いあたしの部屋の様子は見え辛いと分かってるけど、目を凝らせば見えるはずだからカーテンを開かないくらいの範囲で軽く引っ張って顔の回りを覆った。



「犯罪者」はあたしの視線に気付く事なく、床に置いてある缶ビールに手を伸ばし、中身を喉に流し込む。



 この国に定められている最低飲酒年齢よりも前から飲まれているビールの銘柄と、最低喫煙年齢よりも前から吸われている煙草の銘柄はずっと変わらない。



「犯罪者」が今度は煙草を手に取った。



 テレビから視線を逸らす事なくそれを口に咥え火を点ける。



 口から吐き出される煙は、あたしからは見えないはずだけど、何となく見えたように感じた。



 あたしは一日の中でこの時間が一番好きだと思う。



 後ろ手に床に手を突き、咥え煙草でテレビを見続ける「犯罪者」は全くあたしの視線に気付かない。



 何年もこうして見続けているのに気付かない。



 鈍感なのかもしれない。



 しくは見られてるとは思ってないから分からないだけなのか。



 人はある程度の予感がないと感付いたりするものじゃなくて、予想もしていない事には鈍感なのかもしれない。



 だとしたら、もしかしたらあたしも誰かに見られてるかもしれない。



 こうして「犯罪者」を見続けている事を見続けられてるかもしれない。



 そう思ったから「犯罪者」から視線を逸らし周りに目を向けた。



 見える範囲の窓に、こっちを見てる人影は確認出来ない。



 でもそれは一見すると分からないだけで、あたしのように隠れて見てる可能性もある。



 視線を戻すとそこに「犯罪者」の姿はなかった。



 少しも慌てなかったのは「犯罪者」が何をしてるのか分かってるから。



 程無くして朝同様に歯ブラシを咥えた「犯罪者」が戻ってくる。



 そして今度は朝とは逆に、畳んであった布団を敷き始める。



 収納する場所が少ないボロアパートでは、布団は常に出しっぱなしになってて、「犯罪者」は引っ張るような感じで布団を敷いた。



 歯ブラシを取りに行った時に一緒に片付けられたらしくもう床に缶ビールはない。



 ただ煙草と灰皿は置いたままで、布団を敷く際「犯罪者」はそれを足で壁際に寄せた。



 敷いた布団の上に枕が投げられ、「犯罪者」があたしから見て「奥」に消えていく。



 今度はさっきよりも戻ってくるのが遅い。



 その理由は多分口をすすいだあとトイレに行ってるからだと思われる。



 床に敷かれた布団が蛍光灯の光に照らされ、朝に見た時よりも綺麗に見える。



 自然の光で見るのと人工の光で見るのとは少し違う。



 人工の光は本来の姿を全体的に少し歪めて見せるように思える。



 ぼんやりと布団を眺めてると「犯罪者」が戻ってきた。



 スウェットを少し上げるような仕草をして戻ってきた「犯罪者」は、腰を折って前屈みになるとリモコンを取りテレビを消す。



 いで前屈みの姿勢のまま、持っていたリモコンを床に転がしてから壁際に手を伸ばし、今度はさっき足で寄せた灰皿の上に煙草を置いて取り上げた。



「犯罪者」が窓に近付いてくる。



 あたしとの距離が縮まる。



 この時間帯で一番距離が縮まるこの時が、あたしは凄くドキドキする。



 見つかるんじゃないかという緊張感と、胸に秘めた想いからの緊張感。



 少し出っ張った窓の桟に灰皿と煙草を置いた「犯罪者」は徐に背中を伸ばすと両手を広げた。



 抱き締めてあげるからおいで――と言わんばかりの動きにドキドキは加速する。



 想像というよりも妄想に近いものを頭の中に浮かべてニヤニヤとするあたしの視線の先で、「犯罪者」は伸ばした両手でカーテンを掴むと一気に閉めた。



 途端にボロアパートの二階の部分全てが暗くなり、二階にあるのは「犯罪者」の部屋のカーテンの隙間から洩れる微かな明かりだけになる。



 でもそれもすぐに消える。



 二階部分は夜の闇に包まれる。



 今日という日の終わりがやってくる。



 程無くしてカーテンの向こうの灯りが段階を踏んで暗くなった。



 あたしは顔を覆っていたカーテンから手を離し、窓に鼻先をくっ付けて「おやすみなさい。元親君」と呟き窓から離れた。



 カーテンを持ち上げ部屋の中に戻ると何だか少しおかしな気分になる。



 それは今日に限らず毎回の事で、あたしにはカーテンの向こうとこっちでは何となく世界が違うように思える。



 謂わばカーテンの内側――自室――は「現実」って感じ。



 だとしたらカーテンの外側は何になるんだろう。



 夢?



 幻?



 幻想?



 どれも違う。



 カーテンの外側にあるのもまた「現実」で、ボロアパートもそこに住んでるもり元親という人間も現実に存在するのだから。



 色々と考えながらベッドに寝転がった。



 掛け布団を持ち上げて体を入れた。



 ベッドの上に置いてあったスマホに手を伸ばし、明朝六時に目覚ましが鳴るようにセットする。



「おやすみなさい」


 セットが終わると、誰にでもなく天井に向かってそう言って、あたしは静かに目を閉じた。

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