第17話 愛桜ちゃんと一次選考
里帰りの余韻もほどほどに、僕と
山崎さんや
一次選考は、一チームあたり十五分間という限られた時間しかないので、作るべき資料はそこまで多くない。
だが、その制約のなかで審査員に自分たちの意図を余すことなく伝えられるように、むしろ一枚一枚のスライドを丁寧に作り込む必要があった。
山崎さんのフィードバックは厳しかったが的確で、僕たちには無い視点からビシバシと指摘が入る。
愛桜と山崎さんのわだかまりもすっかり溶けたようで、今ではお互いに忌憚のない意見を交わしていた。
まあ、山崎さん側は愛桜に対して、最初から思うことなんて無かったのだろうと思うが。
僕は、そんな二人の意見を最大限尊重しつつも、全体の流れを見ながらプレゼンに収まりきらない部分を削っていく。
山崎さん曰く、プレゼンは感情的になりすぎてもダメだし、論理的になりすぎてもダメらしい。
だから、プレゼンには理論に矛盾がないことは当然として、「いかに相手の感情を動かすか」が求められるようだ。
相手の気持ちを
それになぞらえて、プレゼンは「プレゼント」であると、誰かが言っていたのを聞いたことがある。
というか、なぜ愛桜はプレゼン資料は上手く作れるのに、この前の謎キャラクターのステッカーのように、旅行のお土産のセンスは壊滅的なのだろうか……。
ともあれ、大学時代の遺産を最大限使いつつも、なんとか社会人としても十分に通用するプレゼン資料を作ることができた。
*
そして、残暑が続くなか、ついに一次選考の日がやってきた。
審査員たちは、その日の朝から会議室の一角をずっと占領して、ひたすら各チームのプレゼンを聞いて評価していた。
一見、聞いているだけで給料が発生するのであれば楽な仕事だなと思ったが、決してそんなことは無いだろう。
というか、僕ならやりたくない。
僕たちは、指定された時間に会議室へ入って十五分間のプレゼンをするだけだが、審査員は朝から晩まで公平にジャッジをし続けなくてはいけないのである。
さあ、お互いになかなか大変な一日になりそうだ。ファイト。
僕は審査員たちに、上から目線で心の中からエールを送った。
そんな風に勝手に彼らの身を案じつつも、発表の時間までは普通に業務を行っているのだが、まったく身が入らない。
同じく愛桜も、先ほどから何回も時計をチラ見しており、心なしかソワソワしているように見えた。
なお、この日のために顧客とのミーティングは、前後に日程を調整してずらしておいた。
そのことをあらかじめ伝えておいたので、愛桜も外回りはせずに会社でずっと仕事をするようだ。
去年はそこまで気が回らなかったが、今年は色んなことを先回りして考える余裕がある。
仕事に慣れてきたのもあるが、周りの人との信頼関係ができたことも大きいと思う。
同僚たちは僕たちの仕事を先回りして巻き取ってくれたし、賀来さんはコーヒーやそれに合う秘蔵のお菓子をよく差し入れしてくれた。
ちなみにプレゼン当日の今日は、レッ〇ブルの差し入れをもらっている。
さすがにエナドリに合うお菓子は無かったようで飲み物単品だったが、ありがたい限りだ。
エナドリの適量摂取によって頭もほどよく冴えてきたので、今日はいいプレゼンができそうである。
プレゼンの様子は公開されていて、特に申請や予約無しで見ることができるので、敵情視察がてら僕たちのプレゼンの開始時間の三、四十分前くらいにはもう会議室に入ることにした。
会議室に入ると、別の部署の先輩が「持続可能性」をテーマに据えて、「未来のインテリア」について身振り手振りをしながら説明していた。
世論の関心が高いテーマを扱っており、それはすなわち会社としても取り組んでいくべき内容だ。
テーマ自体は非常に真面目な内容で、お世辞にも面白いとは言えなかったが、話し手の軽快な語り口のおかげで難解さが和らいでおり、思わず聞き入ってしまうような説得力があった。
プレゼンが終了して拍手をするかたわら、愛桜が横にいる僕に小声で話しかけてきた。
本番前とあって、その表情はさすがに少し緊張して硬くなっているように見える。
「皆さん、すごいプレゼンですね」
「そうですね。年々レベルが上がっている気がします」
「去年の資料を見てたから想像はしていたんですけど、実際に見るとすごさが際立ちますね」
「たしかに。でも、僕たちの発表内容も全然見劣りしていないと思います」
「そうだといいですね!」
「大丈夫。楽しんでいきましょう」
僕がそう言うと、愛桜は元気よく頷いてくれて、少しだけ表情が柔らかくなった。
そんな愛桜を見ていると、僕もなんだか少しリラックスできてきたような気がする。
その後も、他のチームのプレゼンテーションを見ながら、愛桜と感想を言い合った。
どこのチームもレベルが高い。
でも、北欧系のなかでも、ノルウェーやデンマークに焦点を当てた発表は無さそうだったのが幸いだった。
ふと、重厚な審査員席のデスク上に、真面目な空気をぶち壊すかのように、でかいファンシーなぬいぐるみが置いてあるのが目についた。
もちろん言うまでもなく、最近なにかと出番の多い弊社マスコットキャラクター『インテリアザラシさん』である。
そんな雑多な光景を眺めていると、僕たちを呼ぶ声がした。
愛桜と顔を見合わせてプロジェクターの方へと進む。
「次は、営業部の煙山さんチームお願いします」
「はい! よろしくお願いします」
そう愛桜が明るく返事をして、一次選考のプレゼンが始まった。
今回の一次選考は、一チームあたり十五分間のプレゼンと質疑応答という構成になっている。
主に愛桜が話すが、数値を用いた分析のパートや、質疑応答などでは僕も話すつもりだ。
発表自体は、何回も練習していたのでスムーズに進んだ。
問題は、どのような質問が来るのか分からない質疑応答の時間である。
発表が終わると会場に拍手が響き渡り、審査員たちが各々で会話を始めた。
「いやー、コンセプトはいいね。内容も明快で分かりやすい」
「一見、ニッチすぎるかもとは思いましたけど、勝算はありそうですね」
「そうですね。あとは、テーマから具体的な商品内容を詰めることができれば、問題ないかと」
「ただ、『ヒュッゲ(Hygge)』だっけ。意味は、居心地のいい空間だったかと思うんだけど、この概念の認知度は低いだろうな」
「そう思います。要は生活者が、現地の生活をより身近に感じられるような工夫が必要ですね」
おおむね好評価のように聞こえたが、一人の審査員が『ヒュッゲ』についての懸念点を指摘し始めた。
「じゃあ、煙山さん。『ヒュッゲ』という概念は、具体的にはどのようなものなのか説明できる?」
「はい! 『ヒュッゲ』とは……」
ノルウェーやデンマークにおいては、インテリアにおいて居心地の良さや温かみを重視し、かつ自然との調和や機能的なデザインという相反する要素を両立するという特徴がある。
このような『ヒュッゲ』という考え方は、単なるインテリアのスタイルという枠を超えて、日常生活のすべてと結びついている行動指針となっているらしい。
愛桜は、想定内の質問とも言いたげな表情で、再度プレゼン内の資料を見せながら説明を繰り返した。
審査員の男性は、うんうんと頷きながら説明を聞きつつも、まだ納得いっていないように首をかしげる。
「うーん。そのあたりがどうも抽象的で分かりづらいんだよなあ。居心地の良さっていうのは、言うなればすべてのインテリアに求められていることだよね」
「……それは、そうですが」
「この概念が、ノルウェーやデンマークのインテリアの特徴というには、少しインパクトが弱いように感じるんだよな」
愛桜は、ここに来てはじめて少し焦ったような表情を見せた。
プレゼンの資料を順繰りに投影しながら、どのように説明すべきかを考えあぐねているようだった。
僕は、愛桜に「ここは任せて」と目で伝えると、会議室に気まずい沈黙が生じる前に口を開いた。
「はい。おっしゃる通りだと思います。正直、『ヒュッゲ』は今の日本では浸透していないですし、インパクトも薄いかもしれません」
「うんうん。そうだよね」
「でも、みんなが知っている素朴で幸福な光景に、『ヒュッゲ』という名前を与えることに意味があると思うんです」
例えば、冬の寒い日に家族や恋人とコタツで足をくっつけながら、ミカンを剥いて談笑すること。
例えば、会社や学校から足早に帰宅して、一人暮らしの狭い六畳半に友人を集めて酒盛りをすること。
例えば、掃除や洗濯等の家事なんかをすべて後回しにして、アラームをかけずにお昼まで寝ること。
そういう何気ない光景のなかにこそ、『ヒュッゲ』は存在するのだ。
「たしかに、発祥こそノルウェーやデンマークの概念ですが、日本での生活にも『ヒュッゲ』は存在します」
「少し分かってきたぞ。日常との親和性の高さを訴求して『ヒュッゲ』を浸透させるということか?」
「そうです。これで、ノルウェーやデンマークにより親近感を持ってもらうことができると考えます」
僕が「あと一押しだな」と思いながら、説得材料を頭の中で組み立てていると、デスクの上の場違いなぬいぐるみと目が合った。
その瞬間、ほぼ完成していた説明のロジックが霧散し、僕の口から自然に言葉が滑り落ちていった。
「例えば『インテリアザラシさん』って、『ヒュッゲ』を体現している生物だと思うんですよね」
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今回もお読みいただきありがとうございます。
次の更新は、11/21 or 22 を予定しています。
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