出題編2‐4

「副島さん、おそらく警察の方が到着されました」


 階下から吹き抜けを通して井野さんの声が聞こえてきたので、私たち三人はそのまま階段を降りて玄関へと向かった。窓からは、警察ヘリが飛んでくるのが見えた。


「警視庁捜査一課の登松です。この度はお悔やみ申し上げます」


「火野研究所責任者の副島です。ご苦労様です」


 副島さんが警察手帳を掲げる登松刑事にぺこりと頭を下げる。井野さんと岩塚さんも一緒に頭をさげるから、私も頭を下げた。格好としては、私も井野さんも人が亡くなっているので華美なデザインは避けて、黒の服で上下を統一していた。


 見た限りでは、私も所員に見えるだろうか。


「とにかく、現場と遺体を確認させていただきます。案内をお願いしてもいいですか?」


「わかりました。こちらです」


 副島さんが警察を先導して、火野博士の遺体が放置されてある研究室へと歩いていく。ぞろぞろと警官がそれに続いていった。予想通りというのか、有名人が被害者であり容疑者でもあるから辺境だとは言えどもヘリコプターを飛ばしかなりの人数が送られてきた。私もそれについていったが、警察にそれを咎められることは無かった。探偵さんに少しでも情報を渡すためにできることをしなければいけない。 

 昨日、副島さんと怯えながら通った道なのに警察官が前にいるだけでここまで安心できるのかと思う。怖いという感情は全く湧いてこなかった。


「なるほど、これはひどいですね。ご冥福をお祈りします」


 登松刑事は、火野博士の遺体に向かって手を合わせた。火野博士の遺体はかなりグロテスクだが、よく落ち着ている。さすがは、捜査一課の刑事だなと思う。警察のことはよく知らない私でも、さすがに捜査一課が殺人専門の課だということは知っている。なら、警察は殺人として見ているのだろうか。


 登松刑事が出入り口を封じるように研究室のドア付近に立って、警察官たちが現場の保存や写真撮影を行う。それを部屋の外から眺めている私たち。登松刑事は、主に副島さんに対して多くの質問を行っていた。


「とにかく、調べさせてもらいますね。それと、ここにはどうやら凶器になりそうなものがありますね」


 そう言った刑事は、実験器具などが並んだ棚を見る。確かそれは、昨日私が手をついた拍子に中のものが倒れたはずだが、整理されて並べられていた。おそらく、副島さんたちが戻しておいてくれたのだろう。


「遺体を見たところによると、まあ検視の結果にもよるでしょうが焼死のようですね。しかし、皮膚どころか体中がどろどろに溶けて判断には時間がかかるでしょうな。それで、ここには凶器になりそうなや薬品が多数あるようですが、どのようなものがあるか教えていただけますか?」


 登松刑事がそう言うと、副島さんは部屋の中にある引き出しを指さした。


「そこにある引き出しを開けて、中にあるノートを取り出していただけますか?」


「おい、誰か言う通りにしてくれ」


 登松刑事も顎で副島さんの指さす方向を示すと、警察官の一人がその引き出しをがらがらと開いた。そこには、一冊のかなり使い込まれたノートがあった。


 登松刑事がそれを警察官から受け取るのと同時に、副島さんは説明を始める。


「これは、試薬を管理するために作成してるノートです。購入した時や実験で使用した時にこのノートに記載してあるので、ここに書かれてあるものは基本的にこの実験室か薬品庫に保管されているはずです」


「なるほど、これはお借りしても大丈夫ですか?」


「ええ、もちろんです。必要であれば薬品庫にもご案内します」


 そう言われた登松刑事は、ぱらぱらとノートをめくる。少しのぞいたノートのページには文字がびっしりと、しかしわかりやすくまとめられていた。なんとなく、副島さんがまとめた感じがする。


「それで、みなさんには何か思い当たる薬品はありませんか? 例えば、この薬品ならば状況と照らし合わせても問題なく遺体を焼き切ることができるというような。正直、私にはさっぱりでして」


 副島さんは、まるで刑事がその質問をするとわかっていたようにすらすらと話す。


「結論から言うと、この部屋にある薬品ではどうやってもあんな短い時間で、誰にも気づかれずに人をあそこまで焼くことは不可能なんです」


「不可能?」


 その表情はぽかんとしていた。


 きっと副島さんが何かしら思い当たるものがあってそれを検証すれば事件もすぐに解決できるだろうというぐらいの考えだったのだろう。しかし、その期待は打ち砕かれることになる。


「ええ、ここは確かに炎に関する研究を行っています。そのため、過去の研究結果などにも詳しいつもりですが、どんな研究結果を照らし合わせてそんな方法はどうにも思いつかないんです。確かに一時間半ほどで遺体を燃やすのは火葬場で行われているようなやりかたでも十分に間に合います。ですが、人の皮膚が燃える匂いはご存じかもしれませんけどすごい匂いがするんです。うちの研究所では安全管理を徹底しているので人を燃やしているのに、その匂いに気が付かないことはありえません。また、焼死でしたら助けを求めないことも不自然です。その条件を達成できるような方法は、私共には思いつきません」


「なるほど」 


 筋の通った理論に納得したのだろう。登松刑事は困ったように頭を掻く。それを見て、井野さんも岩塚さんも頷いている。後で聞いた話によると、朝のうちにノートを見ながら三人で様々な方法を考えていたらしい。しかし、どれもどこか不備のあるようなものばかりだった。


「思いつかないですか……まあ、それに関しては科学班にも話を聞いてみないとわかりませんね」


「よろしくお願いします。あくまで、捜査に関しては素人の考えなので」


「では、次は事情聴取をさせていただきますね。これを、化学班に回してくれ。みなさんは、どこか広いところでお話を聞かせていただきます」


 登松刑事はノートを警察官に手渡すと、先ほど来た道を戻っていった。私も、それについていく。ノートを私も見たかったけれど、仕方がない。


 私たちが昨日、食事をしていた部屋に入ると、登松刑事が先ほど私たちにしたように、部屋で待機させられていた他の警察手帳を広げて自己紹介をする。やはり、警察手帳を見るとみんな緊張するみたいだ。顔が強張っているのがよくわかる。


「それでは、いきなりで申し訳ありませんが一人ずつ、昨日の夜に何をしていたのかを説明してもらえますかね。では、そちらの方から」


 登松刑事はそう言って、長岡博士に話を向けた。


 長岡博士はぎょっとした表情をしたが、咳ばらいをしてから話し始めた。


「僕は夕食の前は自分の部屋で勉強をしていました。どのような話になるかもわからなかったので、火野博士が過去に発表した論文を読み返してもいましたね」


 そこから、まずは来客全員に聞いていくがみんな同じような答えばかりだった。

私も、眠っていたとしか言えないのでアリバイは証明できない。客人側には、全員がアリバイを証明できなかった。


「では、所員さんたちはどうですか?」


 登松刑事は続いて、副島さんたちに聞いた。その口調から推察するとどうやら、警察側は所員側を疑っているらしい。確かに、殺害の準備という面では所員側のほうが容易だ。


「私は、基本的に料理の準備に追われていたのでそれが始まる午後四時くらいに目撃してからはずっと調理場にいました。それからもみなさんの料理やお酒を運んだりしていたので、ずっと誰かの目に入る場所にいたように思います」


 副島さんの言う通りだ。私たちが食事をしているときも慌ただしく、しかも食事に邪魔にならないように気遣いながら配膳をこなしていた。落ち着いてからは私と西野博士が一緒にワインを飲んでいたことを証言できる。


「僕は次回の論文に必要な資料の整理を行っていました。それが、だいたい四時半ごろから夕食の配膳開始までですね。場所は自室です。特に変わったことなどはありませんでした」


 岩塚さんが話し終わると、次は井野さんが話し始める。少しでも早く疑惑の目から逃れたかったのだろう。早いスピードですらすらと舌が回る。


「僕は、倉庫と薬品庫のほうにいました。実験に必要な薬品の確認と準備を終わった時に火野博士へ確認してもらおうと現場に行ったのがだいたい五時五十分でした。ただ、その時にちょうど夕食の準備が始まったので結局、火野博士に確認をお願いはできていません。それからは副島さん、岩塚さんと一緒に配膳をしていました。そして、食事会の途中に副島さんに言われて火野博士のいる現場へと向かいました」


 それを聞いた登松刑事は、副島さんに視線を向ける。副島さんは、しっかりと肯定の意味を持って首を縦に振った。


「そうですか。みなさんご協力いただきありがとうございます」


 そう言って頭を下げると、登松刑事は部屋から出ていった。


「とりあえず、お食事をご用意します」


 副島さんがそう言って、沈黙を打ち破る。しかし、その空気を悪くするものがいた。長岡博士が、右手を挙げていた。


「いえ、私は結構ですよ。出来合いのものはありませんか?」


「どういうことですか?」


 副島さんはいたって何事もないように続けたが、この二日間でそれなりに長い時間を共にした私にだけは少しだけイライラしているように見えた。


「ここには非常用に缶詰などはおいていないのかな?」


「念のために備蓄がありますが、もしかして私たちを疑っているんですか?」


 長岡は不気味な笑いを浮かべて、こう続けた。


「ええ、もちろんですよ。なんなら、アシスタントの三人がグルなんじゃないかと」


 彼は至極当たり前のように失礼なことを言ったことを私はびっくりした。常識がない人には会ったことがあるけど、明確に悪意を持って傷つけようとしている人は初めてだった。

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