出題編2‐3

 できるだけ、事件のことは考えないでいようと決めた。私はあくまで探偵さんの目であり、耳である。餅は餅屋というように、推理はそのプロである探偵さんに任せればいいだろう。


「でも、探偵さんって本当に事件の推理をするんですね。浮気とか素行調査が主な仕事って聞いていたんですけど……」


 私の言葉を聞いて、探偵さんは不満そうにため息をついた。


「そんな興信所と一緒にされるのも……まあ、やることは一緒なんだけど。でも、うちは殺人専門だからね。別に浮気調査を馬鹿にするわけじゃないけどね」


「殺人専門って儲かるんですか?」


 今回は火野博士が明らかに不審な点がいくつもあるから警察以外にも外部からの目が必要だろう。だが、そんな事件は珍しい。それこそミステリ小説やドラマが流行ったころならともかく、そのころから科学は大きく発展したおかげで、犯行当日には警察が犯人に対してある程度の目星をつけているらしい。探偵の出番はあるのだろうか。


「まあ、久しぶりの仕事であることは否定しないわ。だからこそ、気合を入れて推理してあげるから安心して頂戴」


「わかりました。よろしくお願いします」


 私がその言葉を言い終わるのが先か、通話が途切れた。


 通話時間は一時間を超えていて、話している最中は気が付かなかったけれども電話の温度はかなり上がっていた。


 電話が途切れると、急に寂しさのようなものが押し寄せてくる。私は探偵さんに言われたとおりに体を休めることにしたが、どうやら頭をフル回転させて話をしていたせいか目はぱっちりと覚めてしまい、眠気はどこかへ消えていた。


「そういえば」


 そこで私は、友人たちからの連絡に全く返事をしてないことに気が付いた。さすがに、まだこの事件はどこにも報道されていないだろうから、過度な心配はされていない。そのため、わざわざ電話をかけてくるよう相手はいなかったが、普段から連絡をとっている友人には返信が遅れたことで少し心配をかけていた。


 そして、そのメッセージをすべて返し終わったと思ったら、ショートメールに意外な人から連絡が届いていた。そこには、いつでも電話をかけてくれと書かれていたので私はすぐにそこのメールに添付されていた十桁の数字をクリックする。すると、発信音を鳴らして画面が呼び出し中の状態に切り替わった。それから、わずかに一秒も経たないうちに通話へと切り替わる。


「もしもし、急にどうしたんですか? 前島教授」


 私が電話をかけた相手は、私がここにいる原因、前島教授だった。彼は普段のマイペースな口調とは違い、かなり慌てているのが面白い。


「渡橋さん、大丈夫か?」


「はい、大丈夫ですよ。それより、少し落ち着いてください。なにがあったんですか?」


 私は笑いを必死にこらえながら、心配そうにしている前島教授をとにかく落ち着かせようと元気な声を出す。先ほどまで感じていた少しの寂しさはどこへやらだ。


「いや、それはこっちが聞きたいよ。ともかく、君をそんな目に合わせて本当にすまない」


 教授は電話越しにいるはずなのに頭を下げているのがわかるほどに沈痛な声で言う。


「前島教授はこっちで何が起こったか知っているんですか?」


 別に知っていることは問題ではないけれど、それは警察がしっかりと管理できているのだろうか。私なんかが心配してどうにかなるものでもないけれども。


「ああ、君の連絡先を確認する際に大学へと連絡が入ったんだ。君はいちおう、僕の代理としてそっちに向かっているからおそらく、火野研究所の方もうちの大学に聞いてもらうように言ったんじゃないかな。それで、僕にだけ内密に教えてもらってちょうど大学に戻ってきたところだ」


「大学に戻ってきたって……出張は大丈夫だったんですか?」


 今回はかなり重要だと言っていたのを私は覚えていた。彼はすでに教授としての地位を得ているが、今回は自身の研究を行うために融資をお願いするべくわざわざ飛行機に乗ったのだ。研究中毒の教授からすれば、飛行機に乗って移動するなど大嫌いなのだが、そんな教授が飛行機に乗るほどなのだからよっぽどだったのだろう。


「可愛い生徒が命の危険にさらされているのかもしれないんだ。うかうか出張なんてしていられないよ。かといって、僕に何かができるわけでもないんだけれども」


 その言葉に、私の心はひどく揺さぶられたのは言うまでもない。しかし、その思いを、首をぶんぶんと横に振ってふりはらう。なんだか、人が亡くなっているのにその感情を実感するのはなんだかひどく薄情な気がしたからだ。案の定、研究以外は何もできない教授に気づかれるはずもない。


「とにかく、そちらの状況がわからない以上は適当なことは言えないけれど、とにかく身の安全を第一に考えてくれ。警察の方は到着しているのかな?」


「警察の方ですか、今日の朝には到着すると聞いていたんですけど」


「そうか、それなら少し安心だ。とにかく、警察の指示に従って自分の身を守ることに注力して欲しい。本当に無茶なことをしないでくれよ」


「わかりました。また、何かあれば連絡します、それと、こんなひどい目に合わせたんですから帰ったらご飯でもごちそうしてくださいね」


「そんな風に言えるなら大丈夫そうかな。うん、とにかく気を付けてね」


 その時、誰かが部屋のドアをノックした。その音は部屋の中が静かだったことも手伝って電話の向こうにもかすかに聞こえたらしい。


「誰か来たみたいだよ。心当たりは?」


 私はそう言われて、昨日の会話を新しい順から思い出していく。そういえば、長岡博士が去り際に安否確認を行うべきだと副島さんに忠告をしていた。なら、ドアの先にいるのは副島さんだろうか。


「ま、とにかくこのまま話を続けても仕方がないからね。とにかく、気を付けて。何か困ったら、いや何もなくても怖かったらいつでも電話してくれ」


 教授がそう言うと、電話は切れてしまった。私は電話を枕元に置き、ドアのほうへと向かった。その途中に、再びドアを三回ほどノックする音が聞こえた。


「は~い、ちょっと待ってくださいね」 


 私は少しだけ警戒しながら、ゆっくりと扉を開いた。隙間から少し外を覗くと、そこにはカジュアルな姿の副島さんが立っていた。


 昨日は一日中、白衣をまとっていたけれど、その白衣をなくして上は濃紺で無地の服に、下はジーパンをはいている。白衣がなくなってすっきりしたからか、スタイルの良さがより際立っていた。


「大丈夫ですよ。すでに渡橋様以外の安全は確認されています」


 私はその言葉を聞いてから扉を全開にすると、副島さんの左隣には少し下がって岩塚さんも立っていた。二人で行動することを徹底しているのだろう。なぜか、岩塚さんはいづらそうだけど。


 岩塚さんも灰色と黒を基調に無難なシャツとデニムで合わせている。二人とも背が高いしスラっとしているから、無難なもので充分おしゃれに見えるのだろう。同年代の平均身長に満たない私は、二人のスタイルが羨ましい。


「わざわざ朝からご苦労様です」


 私は二人に向かって頭を軽く下げてそういった。


「いえいえ、気にしないでください。それよりも、昨日はよく眠れましたか?」


「はい、よく眠れました。いいお部屋を用意してもらいありがとうございます」


 部屋は防音もしっかりしており、ベッドは高級なもので、横になるとまるで包み込むように体が深く沈んでいった。半袖のパジャマから出た腕が冷房で冷えた掛け布団にくるまれて、とても気持ち良かった。


 いつも、隣の家からテレビの音が聞こえてくる部屋で、くたくたの敷布団で眠って いる私は、大学に入ってから最もよく眠れた気さえもする。人が亡くなっているのに無神経だとも思うが、私があれこれ悩んでも何かが解決するわけでもない。


「それは良かったです」


 そう言って笑顔を作る副島さんの目尻には疲れの色が滲み出ていた。私とは対照的によく眠れなかったのだろう。


 無理もない。副島さんにとっての火野博士は、上司でありこの屋根の下で長い時間を共に研究に費やしてきた仲だ。事故であろうと事件であろうと、そんな人が亡くなったことを簡単に割り切れる状態ではないだろう。


「それで、警察の方から連絡があってもうすぐ到着されるそうです。なので、捜査をスムーズに行うためにどこかに集まっておいてほしいと言われたので、他の皆様には昨日の夕食で使用したホールに集まっていただいているんですが、渡橋様も来ていただいてよろしいですか?」


「もちろんです。すぐに荷物を持ってきますね」



 私がそういうと、副島さんが不思議そうな顔をするのがわかった。


「ん? どうしたんですか」


「いえ、私は大丈夫なんですけれども、男性陣は目のやり場に困るというか」


 私は、そう言われてから副島さんの視線に合わせて自分の体を見る。


「あ、すいません。すぐに着替えてきます!」


 思えば、目覚めてから連絡を取り続けていたせいで


 私は起きてからすぐに探偵さんと電話をして、その途中で副島さんたちが訪ねてきたため服もパジャマのままだ。そして、それは大きくはだけ胸元はかなりあけっぴろげになっている。

 

 そのことを理解して、ようやく岩塚さんがなんだか居心地の悪そうにしていた理由を知る。そりゃ、少し年下くらいのしかも女性がだらしないパジャマ姿でいれば居心地が悪いだろう。私は申し訳なかった。


 とにかく、私は最低限の着替えとメイクを終わらせた。電話中に暇だった手を櫛にして髪の毛は直していたので、いかにも寝起きのような風貌ではなかったけれど、マナーとしては褒められたものではない。


「お待たせしてすいません」


 私がちょうど準備を終わらせて、ドアの前で待っている副島さんと岩塚さんに頭を下げた時、遠くからヘリコプターの旋回音が聞こえてきた。

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