ep.15 心の内

 昭和のいつか。どこかにある佐藤優子の自宅。季節は夏の終わり。


「まぁまぁ皆さん、今日は本当にありがとうございます」


 佐藤優子のお母さんによる丁寧な見送り。


「優子さんをこれからもよろしくお願いします」


 深々と頭を下げる。


「こちらこそよろしくお願いします」 


 俺も頭を下げる。飯田も瑛子もそれに続く。佐藤優子の少し驚いたような顔。初めて見る。


「お母さん、少し大袈裟。◯◯君も」

「優子さん、そんなことないのよ。お友達は大切にしなきゃ」


 佐藤優子が良き家庭に恵まれてることになぜか安心する俺。仲良きことは美しきことかな。


「じゃ佐藤さん、また!」


 俺は滅多にしない優等生モードで挨拶して家に向かう。


「佐藤さん、普通に娘してたね」 

「うん。俺も意外だった」

「お母さんもすごく佐藤さんを大切に思ってる」

「匂いでわかるんだな」

「あいつ……猫被ってたけどね」

「瑛子、そこは突っ込んでやるなよ……」


 どうにも佐藤に対して容赦がない瑛子。


「あいつもこのまつろわぬ者も、お兄ちゃんに色目使い過ぎ」

「まぁ落ち着けって。それより明日から文化祭だけど、瑛子がウェイトレスで手伝う喫茶店には行くぞ。酒巻もな」 

「来てくれるんだ」

「飯田の妹、由美だっけ?あの子もウェイトレスするんだよな?顔合わせたらちょっと気まずいからあまり気は進まないけど」

「あの時は……由美がごめんなさい……」


 随分と前のように感じるあの夜の出来事。


「飯田のせいじゃないから謝ることはないよ」

「飯田由美ね、私のこと苦手みたい。お兄ちゃんの席には行かせないから安心して?」

「酒巻も喜ぶだろうな」


 実は酒巻『黒瀬瑛子は俺の中では第三位』だそうだ。


「◯◯にとっちゃ黒瀬瑛子は『小さい頃可愛がった妹みたいな子』だろ?黒瀬にとって◯◯は『小さい頃可愛がってくれたお兄ちゃん』に過ぎないんだよな?』


 と、正しく解釈してくれてるから助かる。俺もこの子と高校で初対面だったら少しは……いや年下はないな。


「酒巻先輩は視線がいやらしいから苦手です」

「……私もちょっと苦手かな。フォークダンスの時、私の胸に触ろうとばかりするから」

「なっ!酒巻……あいつそこまで?エロ小僧じゃなくてエロおっさんじゃねえか」


 俺にはエロマンガの真似は出来ないと思うと同時に酒巻の飽くなきエロへの精進に少し感心した。

 だから彼女出来ないんじゃないか?とも思うが。あいつ本来ならモテるだろうに。


「酒巻先輩の目線は中年のおじさんみたいにねっとりしてるから」

「酒巻……お前さん株価が大暴落してるぞ……」


 そして男の視線は女子にはお見通しだと知り、自分を戒めようと思った。つい見ちゃうから無理だろうけど。本能には逆らえん。


「酒巻を弁護するわけじゃないけど、若い男がスケベじゃなくなったら人類滅びるからな?仕方ないんだ。種の保存は本能に組み込まれてる命令なんだ。常に『エッチしろ!子種を残せ!』と囁いている。俺たちはそれに逆らえない。生物としては当たり前のことなんだよ」

「◯◯君、趣味のこと語る時みたいになってる……」


 飯田の視線が痛い。


「お兄ちゃんはその本能を私に向けてくれたらいいのよ?私は早くお兄ちゃんと契りたいもん」

「真昼間から何つーこと言うんだ!女子高生のセリフじゃないぞ、瑛子」


 一瞬だけ瑛子とのエッチな妄想が膨らみ始めたが、飯田の嗅覚を思い出し冷静になれた。危ねぇ。


 クラスに少しヤンキーっぽい奴がいる。遅刻、欠席何でもありだ。

 で、そいつは他校の女子だろうとバイト先の女子大生だろうと相手を選ばずやりまくって、いたした行為の詳細を俺たちに話す。ごく当たり前のことのように。

 

 クラスの男子たちは鼻息荒く熱心に聴いているが、俺は羨ましいとは思いつつも、一方で心にブレーキがかかるのを感じていた。


 別に品行方正を気取るわけではない。原因はわかってる。


「飯田は文化祭で何するんだ?」

「私は商業バスケ部の屋台を手伝うんだ。よ、良かったら来てくれるかな?」

「なんの屋台?」

「たこ焼きとお好み焼きと焼きそば、だよ」

「行く行く。お好み焼きは、オオタが潰れて寂しかったからなぁ」


 地元商店街の真ん中に、おじいさんが一人でやってる店があった。

 お好み焼きとラーメン。変わった組み合わせの店なんだが、低価格なので俺たち学生の人気は高かった。けど昨年の終わりに突然店が閉まった。

 店主であるおじいさんが病気とのことだ。隣の模型店の店主が教えてくれた。


「お好み焼きの担当は、オオタのおじいちゃんの孫娘なんだよ」

「マジか!受け継いだんだな……」

「合宿で食べた商業の子はすごく美味しいって言ってたから」

「それは楽しみにしてしとくよ」

「お兄ちゃん、来てよね」

「行くから行くから」


 あの事件によって高校生活のイベントが全て無くなってがっかりしていた俺は少し浮かれる。


 イベントもそうだが、図書室へ行けなくなったのも困った。読みたい本がまだまだあるのに、図書室は封鎖区域の中。


 それなら商業高校の図書室はどうかと言うと、その場で読むことは出来るが、借りることが出来ない。ま、俺たちは他校の生徒だし、貸し出しの事務処理が増えることはしたくないだろう。


 しかも休み時間は真面目に図書委員が仕事をしてるので、ちょっと拝借も出来ず。


 高校生の小遣いで毎月何十冊も買えない俺は厳選したSF小説とマンガ雑誌だけを買う生活。残念。


 今現在、俺の身の回りで起きてることはフィクションじみているが、当事者としては本を読む時みたいに飛ばして結末を先に見るなんて出来ない。当たり前だけど。


 心のどこかで何とかなるさと楽観的に考える俺と悲観的に考える俺が常に争ってる。


 あの事件に巻き込まれた生徒のうち何人かは不登校、或いは精神科通いだと聞いた。一人死んだわけだし。


 死亡した生徒と全く面識ない俺でもかなりきついものがあったから、クラスメイトとか友人なら相当堪えたろう。


 俺はその前に『事実は小説より奇なり』に遭遇し過ぎた。そのせいで感覚が麻痺してたから大して動じずに済んだだけだ。


 少し浮かれかけたが、それは失せた。


 良いことが続くこともあれば一転して悪いことが続くこともある。何が起ころうとも動じない心が欲しい。


 家に帰ると、あの事件以来ずっと日課にしている素振りをしてから眠りについた。


ああ彼女が欲しい。

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