織愛 7
第7話
昨夜は特に気にとめなかった洗面台周りにも、改めて見るとやはり一人暮らしの存在感しかなかった。ならばあの写真は蓮の過去を暗示するものなのではないだろうか。織愛は例え単純に目に入ったからという理由ででも写真のことはたずねない方がいいのだろう、と思った。
「朝飯、喰える?」
リビングに戻ると、蓮がたずねた。美味しそうな匂いが漂っている。
「あ、はい。いただきます」
織愛は朝食を抜く習慣はない。どちらかというと夜よりも朝はちゃんと摂る。
蓮に言われるまま、前日と同じ椅子に座る。テーブルの上でポップアップトースターが熱を放っている。蓮は慣れた手つきで四角い玉子焼きパンを動かしている。織愛は蓮の動きをぼんやりと眺めた。
いつもこうやって一人で食事の支度をして、一人で食べているんだろうか、と思う。焼きあがった食パンがポンっと跳ね上がった。混ぜこまれたクルミの粒が見える。焦げの具合から、焼き加減は強めに設定されているようだった。
「お、パンが焼けたか。こっちも完成」
まるでタイミングを計ったかのように蓮が言った。
テーブルに運ばれてきたトレイには、厚焼き玉子と山盛りの千切りキャベツ、肉の角煮、野菜スープ、バター、ドレッシングのボトルが二本、載っている。蓮が取り分け用の皿とカトラリーを織愛の前に置いた。
「飯の方がよかったらあるぜ」
「いえ、トーストいただきます」
両手を合わせて織愛は礼をした。
蓮が食事に集中する自分を時々見ては満足そうに笑うのがなんとも言えずほっこりした。宿泊場所として自宅を提供するのも、食事の支度も、まるでそうするのが当たり前みたいに蓮は行動しているように見える。親切心とは違う何か、責任感に似た何かがそこにあるように感じた。
「脚、どうだ?」
食事が終わり、淹れたてのコーヒーのカップを織愛に手渡して蓮が言った。
じっとしている分には痛みは我慢ができる程度だが、歩くとさすがにキツイ。今日明日で状態が回復するとは思えなかった。
「腫れが引かなくて……」
「見せてみろ」
急に席を立って近づき、蓮は織愛のワイドパンツの裾をめくりあげた。
咄嗟の出来事に一瞬織愛の身体が硬直した。
──怪我したの左脚で良かった。
「病院行った方がいんじゃね?」
「俺もそんな気がしてるっす」
それも正直な思いだ。あの、頭からスーッと血が下がっていく感覚は負傷の経験値として記憶に残っている。
「乗せて行く。支度しろ」
「あ~、えっと……」
織愛は交錯する様々な状況に戸惑い、言い淀んだ。
「遠慮してんの? そんなのいらねえから」
「蓮さん、仕事は? 俺タクシー呼んでもらえればいいんで」
「ば~か。この雨だ。休みだよ」
バラバラと鳴り続く雨の音に、なるほどと思った。天気に左右される外仕事なのだと気づいた。
「じゃあ、お願いします」
半ば有無を言わせぬ態の蓮に、織愛は素直に従った。
「ああ。車回してくる」
そう言って蓮はコーヒーを一気に飲みほし、部屋を出た。
病院の入り口前で蓮はスポーツセダンを停めた。乗降のためのスペースはそこだけ屋根がかかっている。助手席から降りた織愛がドアを閉めた途端、自分の意志に反して両足が地面を離れ、身体が宙に浮いた。
──あ、あ! お姫様抱っこ?
「れ、蓮さん!」
「お前、ランマーより軽いな」
「蓮さん!」
織愛は、今自分を襲っているこの異様に鼓動を早くする原因が一体何によるものなのか、はっきりとはわからなかった。
「ちんたら歩いてんの、待てねえんだよ」
──らんまって何ですか? 恥ずかしいんですけど、蓮さん!
扉を開けて ~織愛~ 瑞口 眞央 @amano_alis
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