第42話 居場所
「どうして、ここに……?」
地面にへたり込むヘレネーが、ハイドを見上げてまるで夢でも見ているかのような声音で呟く。
「迎えに来ました。色々と話したいことはありますけど、ひとまず戻りましょう」
右足の怪我と彼女が叩きつけられたであろう土壁の凹みを見て、ハイドは手を差し出す。
だが、ヘレネーはその手を掴み取らなかった。
「ごめん、ショウ。……助けてくれてありがとう。でも、私はその手を取るわけにはいかない」
「ヘレネーさん……?」
「私はまだ、このダンジョンの依頼を達成できていない。だから戻るわけにはいかない」
「あの三人に脅されているんですか? だったら――」
「違う。……違うの」
ヘレネーの必死な声がハイドの言葉を遮る。
ハイドを見上げる彼女の碧眼は、何かに縋るような苛烈さを孕んでいた。
「私は、私の手でこの依頼を達成しないといけない」
絞り出すようにヘレネーの口から語られたのは、彼女の生い立ちと境遇。
そして、今回の無謀な挑戦へ至った経緯だった。
死んでも構わない、そんな悲痛な覚悟を伴ったヘレネーの話に、ハイドは静かに耳を傾ける。
(ああ、やっぱり俺は彼女のことを何も知らなかったんだな)
そう短くない時間パーティを組んで、多少なりとも信頼関係を築いたつもりだった。
それでも彼女が抱えていたものにまったく気付けなかったのは、自分が踏み込まないように逃げていたからだと、ハイドは改めて後悔する。
でも、だからこそ。
同じことを繰り返すつもりはなかった。
ハイドは周囲の安全が確保されていることを確認しつつ、ヘレネーの隣にそっと腰を下ろす。
隣で身動ぎする気配を感じながら、ハイドは口を開いた。
「俺、パーティが解散してからずっとソロで潜っていたんです。毎日毎日、色んなダンジョンの依頼を達成して、ギルドに報告して。俺は元々モンスターを倒すために冒険者になったので、それでいいと思ってました」
「……うん。ショウは私と違って、一人でも強いから。……だから私は、ショウとは一緒にいない方がいいと思ってる。私は足手まといだから」
「ヘレネーさん、そんなことを思っていたんですね。よかった」
「え?」
「俺、ヘレネーさんに嫌われたんじゃないかって不安に思っていましたから」
「っ、そ、そんなわけない! ショウを嫌いになるなんて、あるわけがないっ!」
バッとこちらを向く気配がして、ハイドもまた隣を見た。
ヘレネーの必死な顔と向き合い、やがて彼女の顔が真っ赤になる。
ふいっと顔を逸らしたヘレネーは、そのまま俯いた。
そんな彼女の姿を懐かしく思いながら、ハイドは続ける。
「まあそんな感じでソロでの冒険者生活も順調だと思っていたんです。でも今日、妹に言われたんですよ。――つらそうだ、って」
「……ショウ、妹さんがいたんだ」
「そこですか」
ヘレネーの少し場違いな突っ込みに力が抜ける。
それが
苦笑いを浮かべたまま、ハイドは続けた。
「妹には、やりたいことをしろって背中を叩かれたんです。それで気付いたんです。俺のやれることはモンスターを倒すこと。でもやりたいこととは少し違う」
人を守る力があるから、モンスターを倒す。
それは使命感のようなものであり、義務感でもあった。
そうする必要があると、自らに強いていたこと。
その必要は今でもあると思っている。
この力で人を守れるなら、やっぱり守りたい。
でもそれは、
「……俺がやりたいことは、またヘレネーさんと一緒にダンジョンに潜ること。もしヘレネーさんが俺を嫌って離れたわけじゃないのなら、またパーティを組みたい。――だから、会いに来ました」
「……私は、ショウからそんな風に思われる価値はない。迷惑ばかりかけるスキルで、故郷の皆から嫌われて、一人だと何もできなくて……それで……」
両腕で抱き寄せた足の間に頭を押しつけながら、ヘレネーは呪詛のように呟く。
それは正真正銘、彼女にとっての呪いだった。
ハイドはガシガシと頭を掻きながら立ち上がる。
煮え切らないヘレネーの態度に苛立っていた。
ヘレネーに対してではない。
彼女がこうなるまで追い込んだ周囲の環境に。故郷の人たちに。あの三人に。
ヘレネーの前に立ったハイドは、彼女を見下ろす。
その気配に気付いたヘレネーはおずおずと顔を上げた。
「俺、ヘレネーさんにとって故郷がどれほど大事な場所かはわかりません。だけどこれだけはわかります。死ぬような危険を課されないと帰れない場所は、故郷なんかじゃない」
「――っ」
だから、前世のハイドは逃げ出した。
かつて優しかった家族。実家。会社。およそ故郷と呼べるもの、それに近しい居場所、それらをかなぐり捨てて。
身と心をすり減らしてまで居続けるべき場所だとはとても思えなかった。
だからこそ言える。
「ヘレネーさんは、
ヘレネーの目がゆっくりと見開かれる。
ハイドの顔をジッと見上げ、口元が引き結ばれる。
そしてまた俯いたかと思えば、ぽつりぽつりと言葉が溢れ出す。
「私、ここに来るまでは故郷の森しか知らなかった。家族にも、村の大人たちにも、同世代の子たちにも忌み嫌われて。……それで村を追い出されたとき、本当は嬉しかった。外の世界でなら、私も変われるんじゃないかって。でも実際は全然変わらなくて、一人のままで……」
次第に
まるで今まで溜め込んでいたものが堰を切ったように。
「だから、私の居場所は故郷であるあの場所にしかないと思ってた。帰らないとって、そう思ってたの。……でも、でもね」
「――!」
ハイドは見た。
ヘレネーの碧眼がキラキラと輝き、そこから滂沱の涙が溢れ出すのを。
「私、本当はあんな場所に帰りたくないの! 普通に居るだけで嫌なこととかつらいことが起きる、あんな場所に……っ」
「だったら、俺と一緒にいてください」
「――――」
「ヘレネーさんにとって故郷がどうしても大切な場所なら無理に止めませんでした。でも、つらくて帰りたくない場所なら、俺とまた、パーティを組んでください」
「でも私は」
「俺は、ヘレネーさんがいないと寂しい。それに、ヘレネーさんにも笑っていて欲しい」
「――――ッ」
ヘレネーが目を見張り、目元から溢れ出していた涙が弾けてその勢いが弱まっていく。
その時だった。
「っ、ヘレネーさん! 崩れる!」
長らく周囲の安全を
ヘレネー自身が、そして何よりもハイドが。この場所に至るまでに障害となったモンスターを排除し続けてきた。
そして今、ダンジョンは新たなモンスターを生み出し始め――崩壊が、巻き起こる。
その場所は、ちょうどヘレネーがへたり込む地面。
小さなヒビが大きな地割れへ変わり、落とし穴へ変貌していく。
その間際、ハイドは彼女へ向けて手を伸ばした。
ヘレネーは一瞬の躊躇いの後、覚悟を決めた表情でその手を掴んだ。
土砂が崩れる音を発して、底の見えない奈落が生まれる。
その奈落に巻き込まれないよう、ハイドはヘレネーの手を力強く引き寄せた。
「っぅ、ヘレネーさん、大丈夫ですか?」
必死にヘレネーを引き寄せた反動でハイドはそのまま地面に仰向けに倒れた。
その衝撃を背中で感じつつ、胸元に覆い被さってきたヘレネーに訊ねる。
すぐ眼下で揺れる金色の髪。砂や土で汚れ、数々の戦闘で乱れながらも、綺麗な髪。
ヘレネーの頭を気遣わしげに見つめながらのハイドの問いに、しかし返事は返ってこなかった。
「ヘレネー、さん……?」
いつの間にか背中に回されたヘレネーの両手がギュッと抱きしめてくる。
胸にはぐりぐりと顔を押しつけられ、ハイドは困惑の声を上げた。
「――――たい」
ヘレネーが胸元で何かを言う。
しかし顔を押しつけたまま発した彼女の声はくぐもってしまう。
胸元がなんだかくすぐったい。
「あの、ヘレネーさん、今なんと?」
「~~っ」
胸元で身動ぎをしたヘレネーはやがてガバッと顔を上げた。
少し動けば唇が触れてしまいそうな距離。
彼女の頬には涙の痕があり、目は赤く腫れ上がっていた。
そんな状況で、ヘレネーはハイドを見下ろして叫んだ。
「私、ショウとまたパーティが組みたいっ。一緒にダンジョンに潜りたい!」
泣き腫らした幼子のような顔で。
それでも、生き生きとした輝きを放つ彼女の表情に、ハイドも微笑を湛えて返した。
「はい。また、よろしくお願いします」
◆ ◆ ◆
(……やっぱり、ヘレネーさんにはちゃんと俺のことを話すべきだよな)
決壊を防ぐためにモンスターをさらに倒しつつ、ダンジョンの一階層へ戻りながら、ハイドは隣に歩くヘレネーを見つめて思う。
彼女は赤裸々に自分のことを語ってくれた。
そして、故郷を捨てて自分とパーティを組むことを選んでくれた。
――なら、その思いに応えるべきではないだろうか。
「ショウ、どうかした?」
楽しそうに微笑みながら小首を傾げてくるヘレネーへ、ハイドは一度足を止めて向き直る。
すると、ヘレネーも不思議そうに立ち止まった。
「ヘレネーさん、セントリッツに帰ったら大事な話があるんです。聞いてくれますか?」
「えっ……う、うん。私も、ショウと話がある。というか、聞いてほしいこと……ううん、伝えたい、というか」
自分の緊張が伝わってしまったのか、ヘレネーもまた煮え切らない様子だ。
「じゃあ、戻ったら少し話しましょう。その前に色々としないといけないこともありますけど」
「わ、わかったっ」
ヘレネーはぎこちない仕草で頷くと、深く呼吸をした。
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