第29話:「雨竜の月、降りしきる雨と冒険者たち」

 雨竜の月が訪れ、ベルガルドの街は長く続く雨に包まれていた。この月は、空に竜が水を注ぐかのように、連日雨が降り続けることから名づけられている。雨竜の月は、農作物にとって恵みの時期でもあるが、冒険者たちにとっては活動が制限される厄介な季節でもあった。


 ギルドの外を見渡すと、石畳の道が雨で濡れ、しっとりとした空気が街全体を覆っていた。冒険者たちも雨具を着込み、依頼に向かう準備をしている。ギルドの中は外の雨の音を遮るように、いつも通り賑やかであった。


 セリア・フォルスターは受付嬢として、雨竜の月でも日々の業務に励んでいた。ギルドの冒険者たちがどんな天候でも依頼を受けに来るように、ギルド自体も休むことはない。


「雨の日は、やっぱり気分が沈むなぁ……」


 セリアは雨が苦手だった。重たい雲と止むことのない雨は、彼女の心をどこか落ち着かなくさせていた。そんな時、ギルドの扉が重々しく開いた。


 入ってきたのは、いつものように無表情なガルドだった。雨具に身を包み、彼の体からはまだ滴る雨水が垂れていたが、その冷静な顔つきはいつも通りだった。


「また来た……」


 セリアは心の中でガルドの姿に少し緊張しつつも、目を離せなかった。彼がギルドに来るたび、彼女は少し恐怖と尊敬の入り混じった複雑な感情を抱いていた。そして、ガルドが向かった先は、やはりエリシアのカウンターだった。


 エリシアはガルドの姿を見ると、少しだけ微笑んで声をかけた。


「ガルドさん、今日はどんな依頼をお探しですか?」


 ガルドは無言でエリシアに依頼書を渡した。それは、雨竜の月特有のものだった。依頼内容は、連日の雨によって地盤が緩み、崩れかけた山道の補修と調査というもので、魔物の出現も報告されていた。雨竜の月では、特にこうした地盤崩れや水害が多く、冒険者たちにとっても危険な季節となっていた。


「雨の日が続くと、こうした依頼も増えますね」


 エリシアはガルドに依頼内容を確認しながら言った。ガルドは静かに頷き、依頼書を受け取って準備に取り掛かろうとした。


 そんなガルドの姿を、セリアは遠くから見つめていた。エリシアとガルドのやり取りを見て、ふと彼女は不思議な感情に襲われる。


「どうしていつも、あの二人はあんなに静かに話すんだろう……」


 セリアにとって、ガルドとエリシアの関係は謎めいていた。彼らの間には、言葉少なくとも深い信頼関係があるように見えたが、それが何故か気に障るのだ。自分の憧れであるエリシアに対し、ガルドの存在はどこか特別に感じられる。


「でも、あんな無愛想で怖い人……なんでエリシアさんが信頼してるんだろう」


 セリアは知らないうちに嫉妬にも似た感情を抱いていた。それは、自分でも説明できないほど不思議な感情で、心の中にモヤモヤとしたものを残していた。


 ガルドが依頼を受け、シルバリ山の山道補修に向かうことを知ったセリアは、しばらくギルド内で仕事をこなしつつも、ガルドのことが気にかかっていた。雨竜の月に山へ行くというのは非常に危険であり、魔物だけでなく、崩れかけた地盤やぬかるんだ道が大きな障害となる。


「ガルドさん、大丈夫かな……」


 セリアはふと、ガルドが雨の中で何をしているのかを想像していた。強力な魔物が現れる可能性もあるし、道中で遭遇する自然の厄介さも彼の行動を阻むだろう。


 シルバリ山の山道は、連日の雨で泥だらけになり、所々で小さな崩れが発生していた。ガルドは黙々と道を進み、調査地点に到着した。しかし、そこで彼を待っていたのは、ぬかるんだ地面の中から突如現れた泥ゴーレムだった。


 泥ゴーレムは、雨竜の月にのみ現れる魔物であり、大地と雨水の混ざった泥から形成される。その体は巨大で、強力な腕を持ち、近づいた者を泥沼に引き込む性質がある。ガルドはすぐに剣を構え、ゴーレムの動きを見極めた。


「……手こずりそうだな」


 ゴーレムは重々しく腕を振り上げ、ガルドに向かって泥の拳を振り下ろした。だが、ガルドはその一撃を素早くかわし、反撃の一閃を放った。泥の体に剣が刺さったが、その体は再び泥として崩れ、すぐに元に戻ってしまう。


「普通の攻撃では意味がないか……」


 ガルドはゴーレムの特性を見抜き、周囲の環境を利用することを決意した。雨が降り続けるこの月では、地面は常に湿っているが、逆にその特性を逆手に取ることで、ゴーレムの動きを封じることができるかもしれない。


 ガルドは地形を巧みに利用し、ゴーレムを岩場の方へ誘導しながら戦った。岩が多い場所では泥の形成が難しく、ゴーレムの動きが鈍くなる。その隙を見逃さず、ガルドはゴーレムの弱点であるコア部分を正確に見つけ、最後の一撃を放った。


「これで終わりだ」


 ゴーレムの体が崩れ落ち、コアが粉々に砕けた瞬間、魔物は完全に消滅した。ガルドは静かに剣を納め、息を整えながら依頼の続きに戻った。


 夕方、ガルドは無事にギルドへと戻り、依頼の完了を報告した。ギルド内ではセリアがカウンターの仕事をしており、ガルドが戻ってくるのを一瞬目にとめた。


「また、あのガルドさん……」


 セリアはまだ彼に対して複雑な気持ちを抱いていたが、どこかほっとしたような気持ちもあった。彼女はエリシアとガルドのやり取りを遠くから見守りながら、自分の中で芽生え始めている感情に気づきつつあった。


「なんで、こんな風に気にしちゃうんだろう……」


 ギルドの窓から聞こえる雨の音が、静かに響く中で、セリアは自分の心の奥底で渦巻く気持ちを見つめ直す。ガルドという存在が、彼女の中で少しずつ変化しているのを感じながらも、その正体にまだ気づけずにいた。


 雨竜の月の雨音が、彼らの日常を静かに包んでいった。

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