第14話(番外編): 「影氷の爪の計略と崩壊」

 ベルガルドの街に、暗く冷たい陰謀がひそかに進行していた。魔族一派「影氷の爪(エイセリカ)」は、氷の魔力を操る残忍な集団であり、彼らは人間社会に再び恐怖を取り戻すべく、街の最も強力な拠点――冒険者ギルドを狙っていた。エイセリカのリーダーであるヴォルフガング・グレイシャは、冷徹な指導者であり、氷の魔力と知略を駆使して、その計画を進めていた。


 ヴォルフガングの狙いはただひとつ――ギルドの情報網の中心に位置する存在、エリシア・フェルガスであった。



「エリシア・フェルガス……彼女は、我々の計画に必要不可欠な存在だ」


 アジトの暗い洞窟に集まった部下たちを前に、ヴォルフガングは冷酷な声で語りかけた。その場にいる魔族たちは皆、彼の言葉に耳を傾けていた。


「ただの受付嬢などではない。彼女はギルドの情報網を握っているに過ぎず、その背後にはもっと強力な秘密がある。奴を手に入れれば、ベルガルドの冒険者ギルドは崩壊する」


 エリシアは街では単なる受付嬢として見られていたが、彼女の影響力はそれ以上のものだった。ギルドの裏で情報を統括し、冒険者たちの行動を管理する役割を担っていた。彼女が排除されれば、ギルドの秩序は崩壊し、ヴォルフガングたちが街に入り込む余地が生まれると考えた。


「さらに……あのエルフの血が持つ力も見逃せない」


 エリシアがエルフであることは、街でも知る者は多かった。彼女の長い耳がその証であり、彼女の美しさと威厳は、多くの人間や冒険者たちの尊敬を集めていた。しかし、ヴォルフガングが狙っているのはその外見的な特徴だけではなかった。エルフの血には強力な魔力が宿っており、特にエリシアの持つ力は並のエルフを超えるものと噂されていた。


「エルフの血は、我々にさらなる力をもたらす。エリシアを手に入れ、その力を利用すれば、我々はこの街を支配できる」


 ヴォルフガングは冷笑しながらそう言い、魔族たちにエリシアを捕らえる計画を説明し始めた。だが、エリシアに近づくことは容易ではなかった。彼女は常にギルドの冒険者たちに守られており、何より彼女の周囲にはガルドというしつこくちょっかいを出してくる万年Cランクの冒険者がいた。


「ガルド……奴は邪魔だが、問題にはならん。Cランクの雑魚に過ぎない。だが、彼を利用する手はある」



※※※



「リサ……」


 ヴォルフガングの前に現れたのは、一人の怯えた少女だった。リサは魔族によって捕らえられ、家族を人質に取られていた。彼女の任務は、ガルドに近づき、エリシアへの接触を果たすこと。リサはこの任務に従わなければ家族を失うという、強制的な状況に追い込まれていた。


「お前がガルドに取り入ることで、エリシアに近づく道が開ける。我々はガルドがエリシアとどの程度の関わりを持っているのか把握していないが、彼がギルドでよく顔を出すことは知っている」


 リサは震えながら頷いた。彼女は自分の家族を守るために、魔族の命令に従わざるを得なかった。彼女の役目は、ガルドの信頼を得て、エリシアへの接近を果たし、最終的にはエリシアを魔族のもとに連れ去るか、暗殺することだった。


 ヴォルフガングは冷たくリサを見下ろしながら言った。


「失敗は許されない。お前がもし失敗すれば、家族も含めて命はないものと思え」


 リサはその言葉を聞いて、さらに恐怖を感じた。彼女はガルドとエリシアに対して裏切ることを決意する一方で、心の中では自分の行動が間違っていることを痛感していた。



 ヴォルフガングはアジトで襲撃の計画を進めていた。彼のもとには冷酷な部下たちが集結し、氷の魔力を駆使して戦闘準備を整えていた。エリシアを捕らえ、彼女の力を手に入れる計画は、リサを利用してガルドを操ることで進行していたが、もし直接的な襲撃が必要になった場合に備え、彼らは武力での攻撃を準備していた。


「すぐにエリシアを手に入れる。もし、リサが失敗しても、我々は武力でギルドを制圧し、彼女を奪う」


 ヴォルフガングの目には、冷酷な野望が燃えていた。彼にとって、エリシアは魔力を奪うための道具でしかなかった。彼女を手に入れることで、彼の勢力はさらに強力になり、ベルガルドを支配する力が手に入ると信じていた。


 アジトの奥深くには、リサの家族が囚われていた。彼らは寒さの中、鎖に繋がれ、魔族たちに虐げられていた。リサの父親は弱り切り、母親は娘の安否を気にかけながらも、声を上げることさえできないほど消耗していた。ヴォルフガングは時折彼らの様子を見に行き、彼らが絶望の底にいることを確認すると、冷たい笑みを浮かべていた。


「娘が失敗すれば、お前たちの命はここまでだ。だが、成功すれば……お前たちは自由だ。だが、それは娘次第だ」


 リサの家族は震えながら彼の言葉を聞き、ただ娘の成功を祈るしかなかった。



 計画が進む中、ヴォルフガングのもとに緊急の報告が入った。


「ヴォルフガング様! ガルドがこちらに向かっています! リサを連れて……」


 その報告を聞いたヴォルフガングは一瞬驚いたが、すぐに冷静な表情に戻った。彼の計画が暴かれたことは予想外だったが、まだ対応の余地はあった。


「ガルドか……あのCランクの冒険者がどれほど役に立つか見ものだ。だが、リサがここに来たということは、奴が裏切ったのかもしれない」


 ヴォルフガングは急ぎ部下に指示を出し、アジトを防衛体制に入れた。彼の視線は冷たく、すでに次の手を打つための計算を始めていた。ガルドとリサがここに来たという事実は、リサの裏切りを示唆している。しかし、ヴォルフガングは計画の全体が崩れたわけではないと判断し、冷静に対応しようとしていた。


「ガルドが来るということは……リサがこちらの手先であることを知られたかもしれない。だが、問題ない。リサがここに来た以上、我々は彼女を使って奴らを罠にかけることができる」


 ヴォルフガングは手元にあった氷の剣を握りしめ、その冷たい魔力を集め始めた。アジト内の温度が一気に下がり、氷の結晶が洞窟の壁に広がり始める。周囲にいる魔族たちは、その圧倒的な冷気に息を飲んだが、彼らはすぐに命じられた通り防衛に就いた。


 アジトの外で、ガルドとリサは戦いに備え、静かに前進していた。リサの表情は苦悩に満ちており、何度もガルドに謝罪の言葉を口にしようとしたが、言葉が出なかった。彼女は家族を守るために魔族の命令に従っていたが、今はガルドと共にそのアジトを襲撃する立場にいる。


「……ガルドさん、私は……」


「何も言うな、リサ。今はお前を信じている。それで十分だ」


 ガルドの言葉にリサは涙を浮かべたが、何とか気持ちを立て直し、彼の後を追った。ガルドは剣を握りしめ、警戒しながらアジトの入口へと進んだ。


「ヴォルフガング……この先に奴がいるはずだ」


 アジトの入口には数人の魔族兵が立ちはだかっていた。彼らは冷気を纏いながら、ガルドに向けて一斉に氷の魔法を放った。ガルドはその攻撃を素早くかわし、一撃で魔族兵を切り倒した。戦いは予想以上に厳しかったが、ガルドは冷静に対応していった。


 リサはガルドを援護しながらも、自分の行いがこの戦いを引き起こしたことに深く責任を感じていた。彼女はガルドを裏切ったものの、ガルドはそれでも彼女を守っている。その事実が、彼女の胸をさらに締め付けた。



 ガルドとリサがアジトの奥へ進むと、ついにヴォルフガングが待ち受ける部屋にたどり着いた。そこには氷の魔力が満ちており、空気は一層冷たくなっていた。ヴォルフガングは冷たい笑みを浮かべながら、ガルドとリサを見下ろした。


「ようこそ、ガルド。そしてリサ……お前がここに来るとはな。裏切ったようだが、もう遅い」


 ヴォルフガングの声は冷酷で、彼の背後には強力な氷の魔法陣が浮かんでいた。彼はすでに全力でエリシアを手に入れる準備をしていたのだ。


「お前はエリシアを狙っていたんだな……」


 ガルドは剣を構えながらヴォルフガングに問いかけた。彼はエリシアを狙う理由が何であるのかをまだ完全に理解していなかったが、ヴォルフガングの冷笑からそれが単なる情報収集ではないことを感じ取っていた。


「そうだ、エリシアは我々が求める力の源だ。彼女を手に入れれば、ベルガルドは我々の手に落ちる」


 ヴォルフガングはガルドを嘲笑いながら、氷の剣を握りしめた。そして、一気に攻撃を仕掛けるべく、ガルドに向かってその剣を振り下ろした。


「終わりだ、Cランクの雑魚!」


 だが、ガルドはその攻撃を冷静にかわし、反撃の機会を狙っていた。ヴォルフガングの攻撃は強力だったが、彼は過信していた。ガルドは一撃で倒せる相手ではなかったのだ。



 ヴォルフガングとガルドの戦いは熾烈を極めた。氷の剣とガルドの鋭い斬撃が何度も交錯し、アジト内は激しい音で響き渡った。ヴォルフガングは強力な氷の魔法を使い、周囲を凍りつかせながらもガルドを圧倒しようとしたが、ガルドは冷静さを失わず、正確な攻撃を繰り出していった。


 リサはその光景を震えながら見守っていた。自分のせいでガルドがこの戦いに巻き込まれているという罪悪感に苛まれながらも、彼を信じていた。


「……ガルドさん、頑張って……」


 ガルドはヴォルフガングの攻撃を避けながら、最後の一撃を狙った。そして、ついにその瞬間が訪れた。ヴォルフガングが一瞬の隙を見せた瞬間、ガルドは渾身の力を込めて剣を振り下ろした。


「これで終わりだ、ヴォルフガング!」


 ガルドの剣がヴォルフガングの体に深く食い込み、彼の動きは止まった。氷の魔力が一瞬にして崩れ去り、ヴォルフガングは倒れた。彼の冷たい瞳はガルドを睨みつけたまま、次第に光を失っていった。



 ヴォルフガングが息絶え、影氷の爪(エイセリカ)の勢力は崩壊し始めた。冷たく凍てついていたアジトは、氷の魔力が消失するとともに崩れ去り、魔族たちは次々に敗走していった。ガルドはリサと共に、崩れかけた洞窟を急いで脱出した。


 洞窟の外に出ると、冷たい風が吹きつける中、リサは崩れ落ちるようにその場に膝をついた。彼女の心には、家族を守るためとはいえ、魔族に加担し、エリシアやガルドを裏切ったことへの深い後悔と自責の念が渦巻いていた。


「……ガルドさん、本当に……すみません……」


 彼女の声は震えていた。家族を守るために仕方なく行った行動とはいえ、罪悪感は彼女の胸を締めつけ続けていた。涙がこぼれ落ち、リサは俯きながらガルドに謝罪の言葉を口にした。


「もういい、リサ」


 ガルドは優しい声で言い、リサの肩にそっと手を置いた。その声には怒りや責める気配は一切なく、彼女の心の痛みを理解しているかのようだった。


「お前は家族を守るために戦った。それに、最後には俺と一緒に立ち向かってくれたじゃないか。だからもう、お前を責める必要はないさ」


 リサは顔を上げ、ガルドの優しい笑顔を見て、涙を拭いながら小さく頷いた。


「……ありがとうございます……」


 その瞬間、リサは心の中で重荷が少しだけ軽くなったように感じた。彼女はまだ自分を許すことができなかったが、ガルドの言葉は彼女を支えてくれた。ガルドの信頼と励ましを受け、リサは少しずつ前に進む覚悟を固め始めた。



 二人はベルガルドの街へと戻り、ギルドへ報告に向かった。街はいつも通りの賑わいを見せていたが、ガルドの心はまだ安らぎを得られていなかった。エリシアを狙う影氷の爪を撃退できたものの、彼女を標的にした理由がまだ完全には明かされていなかったからだ。


 ギルドに戻ると、エリシアがいつものようにカウンターで冒険者たちに応対していた。彼女はガルドとリサがギルドに入るのを見ると、すぐに駆け寄ってきた。


「ガルドさん、リサちゃん……無事だったんですね!」


 エリシアは心からの安堵の表情を浮かべていた。彼女はリサに近づき、優しくその肩に手を置いた。リサはエリシアを裏切ろうとしていたことを思い出し、瞬間的に顔を背けたが、エリシアの優しい声に心が緩んだ。


「リサちゃん、大丈夫ですか? あなたが無事で本当に良かった」


 エリシアの言葉に、リサは再び涙をこらえられなくなり、エリシアに全てを打ち明けた。自分が魔族の手先として利用されていたこと、家族を人質に取られ、どうしてもエリシアを裏切らざるを得なかったこと。エリシアに近づいたのも、彼女を害するためだったこと。


 エリシアはリサの言葉を静かに聞き、涙を流すリサを優しく抱きしめた。


「リサちゃん……あなたも辛かったのね。でも、あなたは最後に自分の意志で正しいことを選んでくれた。それだけで十分です」


 その言葉に、リサはついに全てを吐き出し、エリシアの胸の中で泣き崩れた。ガルドはその光景を静かに見守りながら、心の中でエリシアの優しさに感謝していた。


 その後、エリシアはギルドの部屋でガルドと二人きりで話す機会を作った。リサを一度落ち着かせ、部屋の外に出ていった後、エリシアは真剣な表情でガルドに向き直った。


「……ヴォルフガングが私を狙っていた理由、少しは気づいているんじゃないですか?」


 エリシアのその問いに、ガルドは黙って頷いた。彼が言葉に出さずとも、エリシアは自分が標的にされた理由を既に理解していることを知っていた。そしてガルドは、ヴォルフガングの言葉を思い出し、問いかけた。


「エルフの血……お前が持っているそれが、奴らにとって何か重要なものだったんだろう?」


 エリシアは少しの間沈黙したが、やがて小さく頷いた。


「そうですね……私がエルフであること自体は、街の人々にも広く知られていることです。でも、私の血……その背後にはもっと深い秘密があるんです」


 ガルドはその言葉に耳を傾けながらも、無理に聞き出そうとはしなかった。エリシアは言うべき時が来た時に、その秘密を明かすことをガルドは理解していた。


「……この街に平和がある限り、私はその力を使わないつもりです。でも、もしもこの街が危機にさらされることがあれば……その時は、全てを話すかもしれません」


 エリシアは静かにそう言い、ガルドに微笑んだ。その笑顔には、どこか寂しさと覚悟が含まれていた。


「わかった。俺はお前を信じるよ」


 ガルドはその言葉を残し、二人はギルドの外に出て、再び平和な街を見つめた。影氷の爪は消え去り、一時の平穏が戻ったが、ガルドの心の中にはまだ、エリシアを巡るさらなる危機の予感が残っていた。


「エリシア……お前を狙う者は、きっとまた現れる。だが、その時も俺がそばにいる」


 彼は心の中でそう誓い、エリシアとの未来を守るため、さらに強くなることを決意した。



 影氷の爪は消え去り、ベルガルドの街には一時的な平穏が訪れた。だが、エリシアを巡る影は完全に消えたわけではない。彼女のエルフとしての血統に隠された秘密は、これからも彼女を狙う者たちにとって強力な引力となるだろう。


 その日、ガルドはいつもと変わらない日常に戻るため、静かにギルドを後にした。しかし彼は、次に訪れる危機に備え、エリシアのために再び戦うことを決して忘れなかった。


 影氷の爪が去り、ガルドとエリシアの物語は次なる展開に向かって、静かに進んでいく。

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