第9話:「霧竜の月の探索依頼」

第9話:「霧竜の月の探索依頼」

 霧竜の月、ベルガルドの街は霧に包まれる日が増え、冷たく湿った空気が広がっていた。冬の訪れを前にして、街中の人々は暖かな衣服を着込み、日が短くなっていく中で忙しなく冬の準備を進めている。


 ガルドは、いつものようにギルドで新しい依頼を探していた。街が霧に包まれ、視界が悪くなるこの時期、依頼の内容も探索や護衛など、視認が難しい環境での仕事が増えることが多い。彼は特に気負うこともなく、依頼掲示板に目を走らせていた。


「探索依頼か……まあ、霧が出る季節にはありがちな仕事だな」


 掲示板に貼り出されていたのは、街の外れにある古い廃村に物資を運び込む途中で消息を絶った商人を探してほしいという依頼だった。特に危険な魔物が出るわけではないが、霧竜の月には霧が深く、道に迷いやすい。しかも、霧の中には小規模ながら「霧影(むえい)」という特殊な霧魔物が現れることもある。


「ガルドさん、この依頼、引き受けていただけませんか?」


 カウンターの向こうで、エリシアが優しくガルドに声をかけた。彼女はいつも通り、優雅な微笑みを浮かべているが、その目には少し心配の色が見えた。


「霧影か……普段は大した相手じゃないが、深い霧の中じゃ見失いがちだからな」


 エリシアが提示したのは、商人の捜索依頼。商人の名はダランといい、日用品や食料品を運ぶために森を越えて廃村へ向かっていたが、出発後二日経っても戻ってこないという。


「ダランさんは経験豊富な商人ですから、霧の中で少し迷っているだけかもしれませんが、念のためお願いします」


 ガルドはその依頼を一瞥してから、軽く頷いた。


「まあ、霧の中じゃ見失ってもおかしくないしな。霧影に遭遇しても、そこまで危険ってわけでもない。Cランクに丁度いい仕事だ」


 そう言ってガルドは依頼書を受け取り、準備を整えるために外へと向かった。


 ベルガルドの街を抜け、ガルドはすぐに霧に包まれた森へと足を踏み入れた。道は通常ははっきりとしているが、この霧竜の月では視界がほとんど遮られ、まるで白いカーテンに包まれたような感覚になる。


「やっぱり霧が濃いな……」


 ガルドは慎重に歩を進めながら、迷わないように道の印を確認していった。森の中は薄暗く、木々の間に差し込む日差しはほとんど見えない。商人のダランがここで道に迷ったのも無理はない。


 彼が歩いていると、やがて足元に何かが転がっているのに気づいた。近づいて確認すると、それは小さな木箱だった。明らかに人が落としたもので、中には食品が入っている。これが商人ダランの物であることは間違いない。


「ここまで来てたか……もう少し先を探してみるか」


 ガルドは木箱を拾い上げ、さらに奥へと進んでいった。


 ガルドがさらに森を進んでいると、ふと背後に微かな動きを感じた。彼はすぐに手を剣の柄に置き、霧の中を見回した。


「……やっぱりか」


 薄い霧の中から、ゆらゆらと形の定まらない影が現れた。それは「霧影」と呼ばれる魔物だった。霧影は、霧の中に溶け込むように現れ、遠くから見ればただの霧の塊のようにしか見えない。だが、近づくとその体は人の形を模したように見え、襲いかかることもある。


「こいつら、単体なら大したことないんだが……」


 霧影は個々ではそれほど強力な魔物ではない。しかし、数が増えると一気に手強くなるため、早期に対処する必要がある。ガルドは霧影の動きを冷静に観察しながら、一撃で仕留めるためのタイミングを見計らった。


「さあ、どっちから来る……?」


 ガルドは剣を構え、霧影が形を成すのを待った。霧影が一つにまとまり、攻撃を仕掛けてくる瞬間、ガルドは剣を振り下ろした。正確な一撃で、霧影はかき消された。


「一匹か。霧が濃いから増えると思ったが、まだこの程度なら問題ない」


 ガルドは剣をしまい、再び商人ダランの足取りを追い始めた。


 しばらく森を進んでいると、ガルドはようやく木々の間に誰かが倒れているのを見つけた。近づいて確認すると、それは依頼にあった商人ダランだった。彼は倒れてはいたが、気絶しているだけで、命に別状はなさそうだ。


「やれやれ、無事で何よりだ」


 ガルドはすぐにダランを揺り起こした。ダランは目を覚まし、霧の中でぼんやりとガルドの顔を見つめた。


「う、うぅ……あんた、誰だ……?」


「俺は冒険者だ。ギルドから捜索の依頼を受けて来た。お前が道に迷ったって話でな」


 ガルドが説明すると、ダランはようやく状況を理解したように、疲れた表情で安堵の息をついた。


「そうか……助かったよ。この霧で道がわからなくなって、あげくに霧影が出てきて……もうダメかと思った」


「まあ、無事だったのが何よりだ。さあ、街に戻るぞ」


 ガルドはダランを立たせ、ゆっくりと街へ向けて歩き始めた。ダランはまだ足元がおぼつかない様子だったが、ガルドの支えで何とか歩けるようになった。


 街に戻ったガルドは、無事にダランをギルドに届けた。エリシアは商人が無事であることにほっとした表情を浮かべた。


「ガルドさん、無事に解決してくださってありがとうございます」


 ガルドは少し笑みを浮かべ、軽く頷いた。


「ただの霧影だ。大したことじゃない」


 エリシアはその答えに笑いながらも、彼の手腕を改めて評価していた。


「それでも、ガルドさんがいてくれて本当に良かったです」


 ガルドはエリシアの言葉に対して、特に照れたりすることもなく、静かにギルドを後にした。霧竜の月の探索依頼――Cランクの仕事としては平凡なものだが、ガルドにとっては、こうした地道な仕事こそが冒険者としての誇りだった。


「霧が晴れるまで、しばらくはこんな仕事が続きそうだな」


 ガルドはそう呟きながら、次の依頼に向けて街の通りを歩き始めた。

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