異能神聖派 天授宗 3

「今、お父さんはどこにいるのかわかるか?」


 この答えを聞けずに行動には移れない。少しは気も和らいでいるだろう。好機と見て訊ねると、アリスは再び視線を落とした。自分の喉元を擦り、再び桜太郎を見上げた眼差しには勇気が籠っていた。


「あのね……」

「――アリス様、こちらにおられましたか」


 ベンチの真後ろから男の声が降り注いだ。桜太郎が振り返るより先に、その人物は花を踏み潰しながら正面に回り込んでアリスの前に跪いた。アリスと同じ異装の男だ。純白のローブに、裾の紋様。子供ならば民族衣装の印象が強いが、大人が身に纏うと宗教的、否――カルト集団の一員のような印象を受ける。


「突然お姿が見えなくなったものですから心配いたしました」


 女児相手にずいぶんと丁寧過ぎる言葉遣いだ。アリスはずいぶんと身分が高いらしい。


「なあ、アンタら、この子の知り合いか?」


 男の口上をよく聞いていたので、確実に知り合いであることはわかっている。だが、この二人の間柄を認識するうえで必要な確認だった。


「知り合い? 我々はこの御方の信徒です」


 気色の悪い返答に、不快感が盛大に煽られたのがわかった。重ねて怖気立つ。


(女児を信仰してんのか?)


 と思いながらも、桜太郎は内面をおくびにも出さず、明るい声音を意識して「あっ、そうか」と相槌を打ち、男の足元に人差し指を突き付けた。


「そこをどいてやってくれねえか? この子が咲かせた花なんだ。な、アリス……」


 と言いながら、アリスの反応を窺う。アリスは怯えた様子で硬直していた。呼吸が小刻みに震えている。冬の気配が近付く寒さのせいではない。明らかに、恐怖による震えだった。アリスの反応から両者の間の異常性を察知した桜太郎は、来年で四十歳に突入する身体で子供を一人抱きかかえながらどこまでいけるかとの憂慮をする間もなく、アリスを連れて逃走を図ろうと立ち上がりかけた。だが中途半端な体勢で動きを止めた。止めざるを得なかったのだ。


(……俺の後ろに二人)


 小さな花畑の奥へと二人分の人影が伸びている。細長い山のようなシルエットから、フードを被っていると推測した。この男やアリスと同じ集団の一員であることは明白だ。


(くそ、背後を取られたか)


 ベンチが多少の障害になってるくれる可能性もある。だが、相手が拳銃などの火器類……ましてや異能などを所持していた場合は、まったくもって無意味になる。


(こいつらはどっちだ? 異能力者か、非能力者か……)


 ローブのせいで武器の所持が確認できない。桜太郎は尻の置き所を変えるような動作を装って再びベンチに座り直しながら、さりげなく腰部の右側を撫でてそれの存在を確認した。


「おや、申し訳ありません、アリス様」


 と言いながらも、男はそこから移動しようとはしない。男は桜太郎を虚のような不気味な黒い眼差しで見つめている。


「もしやあなたは、非能力者ではありませんか?」


 男はそう訊ねて来た。突拍子もない。


「あぁ? そうだけど」


 相手に見えないながらも眉間にしわを寄せながら低い声で肯定した途端、ローブの三人はハッと息を呑んだ。理解不能な反応だ。じっと桜太郎を見つめる目元から光が湧き上がるように見えた。涙である。


「……なんと、哀れな」


 急かつ勝手に哀れまれて困惑する。それは男だけではなく、付き人の男女も同様だった。悲惨な表情で三人は涙を流しながら、本気で桜太郎を憐れんでいる様子だ。桜太郎は「は?」と単調だが最大限の疑問形の一文字を言いながらまごつく。


「つらいことを訊いてしまって、申し訳ありません。私はつい最近異能に恵まれたので、まだ気配というものがわからないのです」

「異能に恵まれた? ……後天性異能力者か?」


 【後天性異能力者】。この用語の対象語には先天性異能力者がある。異能力者と非能力者に分別されるまでに、通常では七年の時間を要する。出生から七年以内に異能の発現が確認されれば先天性異能力者。八年以降であれば後天性異能力者として扱われる。後天的な異能の発現は国内年間五件ほどと少ないとされているが、この累計には信憑性がない。未だに異能力者への差別や迫害精神が旺盛な現代、異能の発言によって自身への危害を恐れた後天性異能力者たちが自殺しているという事例と、家族に勇気を出して打ち明けたものの殺害されてしまったというケース、毎年数万人という規模の行方不明者数の中にも対象者が存在しているという可能性もあるし、まず何より名乗り出ないということがあるからだ。自殺ならば思念感応異能力者により発覚するが、行方不明者となると、まずどこで行方を眩ませたのかもわからないので難しい。これはあくまで生存者の累計である。


「へえ。国に異能力者登録してるのか? 国民の義務だぜ」


 日本の防衛省は異能力者の統計や異能分類をシビアに行っている。戦闘系異能力と非戦闘系異能力の比率を把握し、いずれ起こるだろう第二次異無日本内戦への対抗策を思案している。人種を抑圧する政策だとして人種差別が声高に叫ばれているが、防衛省もこれに尻込みするわけにはいかない。


 桜太郎が日本の対異能力者政策の一片を思い返している間にも、アリスの信徒たちは涙を流しながら、桜太郎を健気に哀れみ続けている。


「神に愛されず、長い間おつらかったでしょう」

「異能は神に愛されし者にのみ与えられし天授の力。神はあなたを天上の揺り籠の園で見つけ損なってしまわれた」

「ああ、非能力者だなんて、なんと哀れな……あなたも異能力者であればよかったのに。こんな世界では、力無きことは命を蝕みます」


 桜太郎は大きく目を見開いた。似たようなことを、幼少期に言われたことがある。溢れる懐古の心情の湿度は高く、温度は低い。一瞬、炎のにおいを感じたような気がした。逸れる思考を無理矢理引き戻し、一つの確信に意識を集中させる。


(アリスの信徒、つまり、異能力を崇拝しているってことは……こいつら、異能神聖派集団か)


 世界中に異能を崇める者で結成された組織があり、そのいずれもが国によって危険思想だと警戒されている。ただの新異派――異能によりもたらされる物事への善悪の区別を明確に認識したうえで、双方の和合を願う平和的思想の人々とは一線を画し、異能が起こす万象を神の思し召しとして、事故も事件も肯定し、これに反する意見には過激な言動を厭わない反非能力者精神が強い集団だ。その規模は集団と呼べる少数のものから、組織ほど巨大な物まで様々だ。いずれにしても厄介なのは間違いない。


 そういうことなら、さらに警戒心が高まる。桜太郎はこの者たちにとっての――


(駆除対象だ)


アリスへの恭しい態度も信仰している理由も、異能神聖派だからという結論で片付けることができるが、妙な感覚を覚える。


(異能力者が異能力者を祀り上げる理由はなんだ? アリスは花を咲かせる異能力者、ただそれだけのはずだ。それの何が……)


 ドレスのスカート部分が咲いたかのような形状をした数輪の花を見て、桜太郎にはある閃きが過った。花を空かせるのが好き、とアリスは言っていた。だが、まだ花の種類や名前、効能などはわからないだろう。もしもそれを利用して、この信徒たちがアリスに――


(違法薬物の材料になる植物を咲かせてたりしねえよな?)


 桜太郎の視線の先のその花は芥子だ。そして芥子は、麻薬であるアヘンの原料としても有名だった。疑い深く、花畑の植物を観察すると、花々の間に花を咲かせていない葉の縁がノコギリのような形状の植物が生えているのに気付いた。その正体を、桜太郎は知っていた。


(大麻か)


 眼差しが冷徹に大麻を見下ろした。花の華美さに気を取られて気付かなかった。アリスは無邪気にも、その植物たちの恐ろしさを知らぬまま生やしているのである。いや、もしくは、無意識に生やすほど癖付いているという可能性も捨てきれない。


(最近、薬物中毒に陥って異能を暴走させる事件が何件か発生してたな。かつて流行した異能作用特化型の違法薬物ではなかったが、それでも危険視されてる)


 おそらく、この信徒たちはアリスを利用して裏社会で一躍を買っている可能性がある。


(けど、芥子の花やら大麻を作り出せるからっつってここまで信仰するもんかね)


 取り除かれることなく沈殿する一つの疑問は、アリスが信仰される理由だ。だがダイレクトに問うことはできない。


「この子の父親も、アンタらと一緒にいるのか?」


 もしかしたら、アリスの父親がこの集団の長という可能性もある。もしそうであれば最悪の展開だ。否定してもらえるよう祈りながら訊ねた。


「いいえ。アリス様の父母神は存じ上げません」

「アリス様は、突然我々の目の前に現れた偉大なる御方」

「我々にとっては神の化身――いえ、今はまだ幼体の女神そのもの」


 ひとまず、アリスの父親が集団とは無関係であるとのことで安心する。そして気持ちが悪い返答があるとは覚悟していたつもりだったが、覚悟を上回る予想以上にアリスを神格化して解釈したものが返された。だが、また新たに疑問が生じる。


「現れた? どういうことだ?」

「言葉のその通りです。ふふ、しかし、アリス様にとてもよくしていただいたようで。あなたでしたら、我々が行う儀式に招いてもよろしい」

「儀式?」


 不穏な言葉だ。カルト集団がよく使うフレーズだとしても。




「はい――我ら天授宗てんじゅしゅうの女神、アリスに愛を賜るための」


 恍惚とした表情で男が言い放った瞬間、桜太郎は立ち上がって男の胸倉を掴み上げた。


「女の子に愛を賜る? 何気色悪いこと平然と言ってやがる。お前ン頭ン中には虫でも湧いてんのか?」


 低く、怒りが漏れ出す声で問いかけると、男も表情に不快感を露わにした。桜太郎の言葉が癪に障ったらしい。


「何?」

「ほとんど自供したようなもんだな。異能力者の女の子を利用し、不審な儀式を行うって――異武の武装捜査官の手前でよォ」




 異武いぶ――それは、異能犯罪武力対策局の略称である。ダンジョンゲート現象中に発起した防衛省管轄の機関であり、異能力者による事件や事故を専門的に取り扱っている。異能力者揃いのギルドとは対照的に、非能力者が人員の八割ほどを占める。代表的な部署が三つあり、武装捜査部、情報捜査部、捜査補佐派遣部が当てはまる。桜太郎はその中で、武装捜査部に配属されている武装捜査官だった。


 男の胸倉を掴んだまま、空いた片腕で懐のポケットに手を突っ込んだ。革のような手触りの物を掴み、それを慣れた様子で掲げて見せる。警察手帳と類似した作りのそれは、自身が異武の武装捜査官という身分を証明するための証明手帳である。上面には写真と階級、氏名があり、下面には記章があった。


 証明手帳の掲示は、対異能力者への威嚇行為だ。だが、桜太郎のそれは、大抵さほど通用しない。異能力者のほとんどは、証明手帳見て嗤う。そして決まってこういうのだ。


「……三等捜査官など恐れるに足らん」


 階級社会である異能犯罪武力対策局において、三等は最下層の身分だ。階級は三等から上に上がるに連れて、二等、一等、特等と変化する。異能力者が警戒心を露わにするのは二等以上だ。三等といえば、落ちこぼれて役に立たない人間が陥る階級だという認識が敵中にも味方内でも共通だった。


 だが、信徒たちはそう言えども嘲笑いはしなかった。男は桜太郎を睨み付け、そして、


「そうか、貴様――異能狩りの者か」


 と抑揚のない低い声で言った。途端に、花畑を取り巻く空気は重さを増した。殺気だ。しかし桜太郎は、怯んだ様子もなく飄々とした様子で言い放つ。


「何だその呼び方。異武の三等武装捜査官だっつってんだろ。集団思春期中二病症候群罹患中か? いい年した大人が、子供巻き込んで何やって……」


 言葉は呼吸と共に途切れた。腹部に重く与えられた衝撃により、桜太郎は後方に勢いよく吹っ飛ばされた。冬の気配に青ざめた空が流れていく。次いで、背中が地面を滑る感覚と共に、何度か後頭部を打ち付ける。


「イッテェな……!」


 脳を震動する痛み。頭が熱い。多少視界がくらんだが、すぐに明瞭に戻る。


「おじちゃんっ!」


 アリスが半泣きの表情で駆け寄ろうとしたが、女に拘束されて阻止される。暴れるアリスに対して、女もずいぶんと力を使っているように見えた。


「やめてよぉ! おじちゃんをいじめないで!」

「なりません、アリス様! あの者は異能狩りです!」


 女は金切り声で叱責する。


「これは駆除です。この者たちのせいで、神命のままに異能を行使する異能力者たちが罪人として……」


 別の男が宥めるように優しく声をかけるが、アリスが「やめてよぉっ!」と精一杯声を張り上げたことで掻き消された。アリスの視線の先で、桜太郎が棒で突かれている芋虫のように身悶えしているのが見えていた。


 不可視の衝撃が身体中に襲い掛かる。殴られているよいうより、身体の表面で分厚いゴム風船が破裂しているような感覚の痛みだ。だが、成人男性に殴られているよりかは痛い。身を守ろうとも隙が無い。突如始まった戦闘――というより、一方的な暴力の光景に周囲は騒然とした。


「ぐっ、がっ……!」


 一撃の度に呻き声が上がる。


「だめ! だめ!」

「聞き分けてください、アリスよ」


 男は桜太郎に攻撃を続けながら、穏やかにアリスを窘めた。男の意識がアリスに向けられた瞬間。桜太郎はすかさず立ち上がろうとしたものの、男は目もくれず異能を放った。強烈な足払いを仕掛けられたように、桜太郎は勢いよく転倒した。強かに頭を打ち付け、視界が揺れる。強烈な眩暈だ。


「っ!」


 全身が膜のようなものに覆われたような感触に包まれ、身動きが取りづらくなる。地面に押し付けられ、肉と骨が圧迫された。力んで抵抗する。苦しみながらも、桜太郎はこの状況に幸運を見出していた。


(いてえ、けど……こいつ、低級異能力者として覚醒したのか!)


 体感ではD級――異能力者としては最低ランクだ。確かに衝撃は強いが、肉を弾けさせ骨を砕くほどの強大さではない。加えて、力技でも身動きが取れる。とはいえ侮れない。食らい続ければ当然、大怪我に繋がる。最悪は死だ。桜太郎が感じる幸運とは、瞬殺されず、生きていられる時間を稼げるということだった。


(くそ、アリスに酷い光景を見せちまってる)


 傍から見れば拷問だ。桜太郎も自分が拷問にかけられているような心地だった。


「がっ」


 横っ面に強烈な衝撃が入った。脳が揺れ、一層酷い視界の揺れを感じる。アリスの、恐怖満面の顔が見えた。小さな唇が「おじちゃん」と言う形に動く。


(ああ、くそ。低級とはいえ、結局は異能力者。非能力者が真っ向から敵うわけがねえんだ)


 ――わかりきっていることじゃねえか。


 初動が遅れたからと言って自分ならばどうにか打開できる、なんて慢心はなくとも、力を持って生まれた者と、そうでない者の歴然とした差の前では敵わないことの方が多い。二十二年間、異武の武装捜査官を務めてきて実感してきた。


 ――可哀想な桜太郎。お前が異能力者ならよかったのに。


 炎のにおいが仄かに香る、あの男の言葉を思い出した。その男は、痩せて浮き上がった骨と皮の硬い感触の身体で子供の桜太郎を抱きしめてそう言ったのだ。


(思い出すと、ずいぶんとうぜえこと言われてたんだな。生まれを否定され、勝手に哀れまれて)


 憧れたことが無かったかといえば、嘘になる。その男が桜太郎に披露してくれる異能は、明るく、美しく、愉快で、そして優しいものだった。子供心に羨ましいと思った。三十九年間生きてきて、異能が使えたらと悔しさで項垂れることも多々あった。今だってそうだ。瞬間移動の異能があれば、アリスを連れてすぐに逃げられる。念動力の異能があれば、この三人を一気にねじ伏せ拘束することができただろう。


(――俺にも、異能があれば)


 自分自身を否定する、自分自身への失礼な願望。だが、願わずにはいられなかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

零零 ーゼロレイ 異能犯罪武力対策局ー 綾川八須 @love873804

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ