異能神聖派 天授宗 2

(困ったなあ、着いてきてる)


 軽く小さな足音が背後から着かず離れずの距離を保ちながら追いかけてきているのに気付いたのは、コンビニから離れてすぐのことだった。最初は、たまたま向かう方向が同じなのだと気にしてはいなかったのだが、十分ほど一生懸命な足音が途切れることがない。横断歩道の赤信号で止まり振り返ってみると、やっぱりアリスがいた。彼女は桜太郎とばっちり目が合うと、ピャッと看板の裏に隠れた。ワンピースの裾と、看板の縁を掴む短い指……やはり、アリスは隠密に桜太郎を追跡しているらしかった。


「……どうしたんだ?」


 と問いかけてみるものの、アリスは隠れたっきり反応を寄越さない。完全に隠れているつもりなのだろう。桜太郎はアリスの目的がわからず、困惑しつつも青信号になり歩き出した。


(こっから最寄りの交番は……)


 最寄りの交番までは、距離がある。自分の目的地とは正反対に位置するが、そこに誘導するつもりだった。桜太郎のような不審者かぶれの外見をした男が異人の女児を連れ歩いていると通報されてしまう可能性がある。女児が成人男性をストーカーしていても犯罪にはならないが、逆は言わずもがな。距離を空けつつも、アリスを気にかけながら、少しだけ速度を落として歩いた。


 広場に入ると、移動販売車があちこちに点在していた。香しい食べ物のにおいが食欲をそそり、桜太郎は自分の空腹が深まっていく感覚に苦しんだ。交番までは、あともう少しだけ歩かなければならない。ちらりと振り返ると、アリスは疲れた顔をしていた。加減をしたとはいえ、大の大人の男をずっと追いかけたのだ。大型犬と子猫ほどリーチのある歩行速度は苦労したことだろう。


「……まあ、俺も腹減ったし」


 桜太郎は広場の中央に設置されているベンチに腰を下ろした。隣のベンチは空席で、アリスは少し迷う仕草をしてそこに座った。そして、ビニール袋からチョコレートパンを取り出し、不器用に袋を開封して小さな口で目一杯齧り付いた。桜太郎もビニール袋からおにぎりを取り出し、あっという間におにぎりを平らげた。


 コーラのキャップを捻ると、パシュッと炭酸が放出される。アリスが肩を震わせたのが視界の端に見えた。恐る恐る桜太郎に顔を向け、飲み干す勢いでコーラを飲む姿を見つめている。


「……っづぁあぁああぁ……」


 炭酸が喉を痛めつけるが、その後に来る爽快感がたまらない。


(この場所も、内戦の時からずいぶんと変わったなあ……)


 この場所で死闘を繰り広げた時を思い出す。防御の要となる障壁が一切なく、襲い掛かる異能を踊るように躱しながら隙を見ては小銃で応戦していた。数多く転がる死体と瀕死の負傷者で足元はおぼつかず、苦戦を強いられた。神崎による都心五区焼滅のあとは、芝も骨も残っておらず、ただ焼け焦げ煤けた土地が広がるばかりだった。復興したとは思う。しかしそれは人口過密が予想される地形を集中的に修復したに過ぎない。都心五区は復興したという謳い文句は、実の所真実ではない。反映する建築物の森林から外れれば、未だ手つかずの荒れ地か、ダンジョンゲート現象終息の際に世界中に取り残されたモンスターたちが原始的な方法を用いて発生させた森林に棲み、野生環境を築いている。時々人里に下りては害を成すので、ギルドと呼ばれる対ダンジョンモンスター専門の団体組織が討伐や保護活動を行っている。ギルドの人員の多くは異能力者だ。


 コーラをもう一口ぶん口に含みながら、先ほどの中年男が言っていた言葉を思い出す。


(内戦を知らない世代、かあ……)


 異無日本内戦を知らない世代が増えている。当時生まれていた者もそれに含まれている。生まれていても、幼過ぎて内戦の記憶を覚えていない者は数多い。そんな世代たちに当事者たちが何を継承していけばいいのかと言えば、桜太郎はきっぱりと「平和を願う思い」と言い切る自覚があった。戦後、人や地域によって次世代に継承するものは大きく異なる。憎悪や怒りを繋ぐ者たちがいれば、和合や平和を願う思いを繋ぐ者たちがいる。


戦場を駆けた当事者としては、あの内戦はあまりにも残虐だった。両者共、怒りと差別に突き動かされるままに殺し合った。結局は異能力者側が勝利したものの、互いへの嫌悪感が増幅しただけで終わった。内戦の勝利の結果に求めたものが、異無間の力関係の確固たる位置づけだったこともある。異能力者は強者で、非能力者は弱者と決定的になっただけだった。


 内戦を知らない世代が、当事者の足元で関係改善に向けて動き出していることは知っている。根強い差別も憎悪も、今世紀では決して無理だろうが、それでも百一年後、百二年後には手を取り支え合っていける世界ならばいいと願っている。


(アリスはどうなんだろうか。この子がどの国の出身なのかはしらねえけど、海外は日本以上に異無間の戦いが多いし苛烈だからなあ)


 アリスは菓子パンを食べ終えていた。だが頬はハムスターのように膨らんでいて、チラチラと桜太郎の動向を気にする視線を向けていることから早食いをしたらしい。口元はチョコレートでベタベタに汚れている。


(……おしぼり、あったよな)


 おにぎりの包装を指先で掻き分けて、ビニールの底かあらおしぼりを取り出した。少し袋を破き、腕を伸ばす。


「……ほら、これ。口元が汚れてるぞ」


 アリスは戸惑いつつも、おしぼりを受け取った。


「あ、ありがとう」


 桜太郎は「うん」と返し、続けて問いかけた。


「どうして俺を追いかけて来るのか、訊いてもいいか?」

「……」


 アリスは口を拭きながら、小さく頷いた。だが、問いの答えを返そうとしない。桜太郎としては先ほどの口上が問いなのだが、アリスには伝わらなかったらしい。


(一問一答のスタイルがいいのかな)


 その方が、幼いアリスに一度に複数を考えさせて答弁させるよりもいいだろう。


「それで、何で着いてきちゃったんだ? 俺に何か、助けて欲しいことがあるのか?

「……」

「結構コンビニから離れちまったなあ、帰り道はわかるのか?」

「……」

「お父さんとかの電話番号を知ってるなら、おじさんがスマホで連絡できるけど……

「……」

「もしもどこかのコミュニティ……宗教とか、神様や偉い人にお祈りしてる所にいるなら、そこの名前を教えてくれるか?」

「……」

「……日本語、上手だな……」

「……パパが日本語話すから……」


 桜太郎はぐっと溜め息を押し殺した。欲しい情報のみ獲得できない。一問の度に、視線を俯かせたアリスの目にはうるうると涙が混み上がっている。泣くまいと唇を噛む表情が哀れで痛々しい。ただ桜太郎を不審がって答えないのか、それとも何もわからないのか……桜太郎としては後者が有力だとも思う。不審だと思うならまず着いてこないはずだ。しかし、桜太郎はアリスを助けたという実績がある。まるで餌付けされた子猫のようだと思いつつ、ほとんど収穫のない質疑応答を再開させる。


「やっぱり、迷子か? おじちゃんに助けてもらいたいのか?」


 アリスが上目遣い桜太郎を直視した。前髪に隠れた目の色を探すよう、じっと。何度か喉をつまらせながら、涙を堪えたまま、アリスはやっと言葉を放った。


「おじちゃんの目の色が、火の色だから」

「……?」


 子供特有の不可思議で意味不明な言い回しだった。だがアリスにとっては精一杯の答えだ。言葉の意味を逡巡し、けれども桜太郎の思考ではアリスの思考に到達できない。 


 桜太郎の虹彩は炎のようなオレンジ色をしている。先天的に毛髪や虹彩に物珍しい色彩が及ぶ事例がある異能力者の特徴と合致し、非能力者でありながらも同族による警戒と嫌煙の日々を送って来たという未成年時代の苦い思い出がある。幼少期といえば、現在よりも異無間の差別意識は強い年代で、異能力者を生んだと誤解した父親は母を詰って離婚を強要し、母は泣きながら抗ったものの、結局は離婚した。一年にも満たないうちに再婚したが、決して良い家庭環境は築かれなかった。


「もしかして、俺が異能力者だと思ったのか?」


 苦笑しながら訊くと、けれどもアリスは否定するように首を振った。ますます困惑する。


「おじちゃんから異能は感じない」


 異能力者は同族と相対したとき、異能の気配を感じることができるという。異能の種類や異能度の高さを特定し、戦闘になった場合敵うか敵わないかを悟り自衛する。異能度が高い者の中にはプレッシャーを放ち、相手を戦意喪失にまで陥れるほど萎縮させることができる者までいるらしい。


 異能を感じない、つまり、アリスは桜太郎から異能の有無を判断できる異能力者であるということだ。異相からそうだろうとは思っていたので、桜太郎自身驚きも警戒もない。


「そっかー。どこから来たんだ?」


 これも答えてくれないんだろうな、と思いつつも、アリスの不安を払拭するには極力会話を続けた方が得策かもしれなかった。しかしアリスは、桜太郎の予想を破りすんなりと答えた。


「イ、イギリスだよ! でも、パパたちと色んな国に行ってたの!」

「へえ! いいな。どこに行ったんだ?」

「えっとね、産まれたのはイギリスでね、それからロシアに行って、ちょっと前までアメリカにいたの!」


 イギリス、ロシア、アメリカ。桜太郎の脳裏に、この三国が他国に対して抱える世界情勢を激しく揺るがす大きな問題についての記憶が呼び覚まされていく。


(女神の遺骸獲得国か)


 【女神の遺骸】。ダンジョンゲート現象最盛期、世界に三柱の破滅の権化が訪れた。三柱の女神の資料を、養成学校在籍時に一度閲覧したことがある。


 資料上に貼付されていたその女神たちの容貌は、神々しいというより、女の姿をした禍々しい異形だった。この怪物が女神と恐れられた理由は、多くの国土を壊滅にまで追い込んだ強大な力だ。女神一体の討伐に千人もの異能力者があたり、過半数が死亡した。二か月を有して死力を尽くし討伐されたあと、女神の遺骸は討伐国に回収され、その後の情報は秘匿。遺骸を所有していない他国は、それらの悪用を危惧し破棄を強く主張。中には遺骸の一部をネコババしようと目論む国もあっての提案だった。


 しかし三国はことごとく主張を棄却。「今後のダンジョン現象による情勢に大いに役立つため、破棄はしかねる」と頑なだった。女神の遺骸を所有している三国同士も牽制しあっており、現在も一触即発の雰囲気が世界中で蔓延している。


「そこでアリスたちは何をしてたんだ? 遺跡には観光に行ったのか?」


 女神によって破壊された町の一部は、新生遺跡として観光名所になっている。戦闘の傷痕や、土地に降り注いだ女神の血によって発展した奇木の森、そこに集まるダンジョン産の新生物との触れ合いが人気だった。


 アリスは答えあぐねいて、少し時間をかけて答えた。


「パパは、アリスのお友達を探すためって言ってた」

「へえ、インターナショナルなパパさんだな」

「……それとね、練習してたの」

「練習?」

「うん。……異能の」

「異能の……? うわっ!!」


 足元から何かが這い上がって来る感触に、桜太郎は蛇か百足かと警戒してベンチに乗り上がった。足に絡みつくそれは蛇や百足ではなく蔦だった。白い小ぶりの花が咲き、桜太郎の太もも辺りまでしゅるしゅると巻き付いている。視界の下部がやけに鮮やかに動いている。見回すと、ベンチの周囲を囲むように、色とりどりで旬も異なる花々が咲き誇っている。突如出現した小さな花畑に、桜太郎は当然驚愕した。


「しょ、植物の生育の干渉できる異能なのか」

「……アリスはね、お花を咲かせるのが好き」


 アリスは花々の開花を眺めている。盆栽のように小さな桜の枝木の立ち姿が、未だ遠き春を待ち遠しくさせた。


「綺麗な異能だな」


 お世辞やおべっかなどではない、心からの賛辞。人を傷付ける異能ばかりを目前にし、時にはその身に受けてきた桜太郎にとって、和やかで美しいだけの異能は物珍しく思える。


 アリスはむにゅむにゅと唇を動かして、微笑んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る