異世界世界平和〜美しく残酷な世界の話〜

焔葉千尋

第1話 残酷な世界

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。

 人間も獣人も人魚も竜もエルフも天使も魔人も全て、全てが気持ち悪い。命に意義も意味もな無い。存在している、ただそれだけなのに虫けらみたいに足掻いて藻掻いては争って、挙げ句の果には生殖本能を愛と呼ぶと来た。

ほんと…気持ち悪くて反吐が出そうだ。






「あぎゃああぁぁあーー!!!」


 硬く冷たい作業台、拘束された手と尾鰭、体中に走る熱く感じる程の激痛。醜く甲高い叫び声が部屋中に響き渡る。


「あぁ…美しいものが自分の手で壊されていく」


私を殺さない様に体を切り刻みながら笑う狂人、ムスリムは、作業台の傍に置いてある空の注射器を取り出し溢れ出しては止まらない血液を採取する。


「これでわたしは不老不死になる…」


狂人は血でいっぱいになった注射器を眺め、にやりと口角を上げその黄ばんだ歯を覗かせた。


「まあ…不老不死の効果が確かめられなかったとしてもお前は大事に大事に痛めつけてやろう」


皺だらけな手で尾鰭を撫でながらなんとも恐ろしいもしも話を語る。このままこの狂人に飼い殺される。そうでなくとも、私の心はこれからの実験に耐えきれずに壊れていくのだろう。そんな暗い未来しか見いないというのに何処か他人事の様に感じる自分がいた。


 ガチャリと部屋の鍵が掛けられる音が鳴る。あの手酷い人体実験の後、傷の処置を私を切りつけた張本人であるムスリムに施された後、人間になる薬を飲まされこの狭いタコ部屋で戻された。敷き詰められるように眠っている私と同じ様に連れ去られた先で買われた奴隷たち。猫のような耳と尻尾が生えた獣人に、尖った耳が特徴のエルフ、それらの体には無数の切り傷があった。眉を顰めながら部屋の中を歩き、ひとつ、鉄格子がハマった窓の側に空いている布団を見つけそこに潜る。


「今日もお疲れ様ヒルルカ」


隣から声をかけられ視線をよこす。するとそこには翡翠の瞳をこちらに向けながらここに似つかわしくない輝かしい笑みを向ける人間の少女、カローナがいた。カローナは楽しげに口を開く。


「ねぇ、また故郷の話をしてよ!」


そう言われ私は話す。海の中の生活を、家族の話を、人間に攫われるまでの話を、記憶を掘り起こしては音に出していく。その度に郷愁にかられ胸がツキりと痛む。どんなに体を傷つけられようと、拷問の様な仕様を受けようとも胸なんかちっとも痛まないのに、どうやら私はカローナの前では弱くなってしまうようなのだ。


「いいなぁ…ね、ワタシね海に行ってみたいんだ!ここから出たら行こうよ!」


明るい未来の話をするその表情は本当にその未来が訪れると信じていると真摯に語っていた。


「私が連れて行ってみせるよ」


「その時はお願いね、一緒に逃げて海を見よう!約束だよ」


布団から飛び上がり高く上げた握り拳、月明かりに照らされキラキラと光る翡翠がより一層煌めいているように見えた。思わず見惚れてしまい反応に遅れる。そんな自分を不思議に思った少女はどうかしたのかと問い、私は首を横に振りなんでもないという意思を告げると、大きく頷く。


「うん、約束だ」






 私は人魚だ。海の中で生まれ、海の中で育った。海の中では幼い頃から海の外に出るな、人間を見かけたら直ぐに逃げろと口酸っぱく言われていた。それにも関わらず、当時本で読んだおとぎ話の地上の生活に憧れていた私は、好奇心に負け海から出た。愚かな私はその時に出くわした人間と交流を持ってしまった。人間が話しては持ってくる海には無い物の数々と、生き物の話に完全に警戒心が解けていた私は気づかなかった。その人間が珍しい生き物を攫っては売る密猟者という事に。

 捕らえられ狭苦しい水槽に入れられた私はその後オークションにかけられ不運にも現在の飼い主であるムスリムに購入され今に至る。ムスリムは流行っていた人魚の地肉を食べると不老不死になるという迷信を信じているのに加えて、美しいものを傷つけると性的興奮するような変態であった。そんなムスリムのお眼鏡に適った私は日々死なない程度に痛めつけられている。増えていく傷に怒りさえ抱かなくなっていく心、何度助けを呼ぼうと、何度痛みを叫ぼうと、その声が誰かに届くことは無い。いつしか叫び疲れた私の声は枯れ果て、遂には助けを諦めた。これからもこの日々が変わるという事も無いのだろう、そんな絶望的な想いを抱いている反面、どうしようもない程に願ってしまう。カローナと無事にこの地獄を逃げ出せるようにと。






「今日も実験だよ」


相変わらずの実験という名の拷問を受ける一日。その始まりは扉をノックする音からだ。コンコンとリズムの良いノック音が二回、誰に対してかは告げずにニコニコと笑っている。意味なんて無いのに…ただ恐怖心を与えたいだけなのだ、アイツは。それだけのために時間を割く、何とも無駄な時間だ。しかし、その効果はてきめんで、部屋にいる奴隷たちは皆顔を青ざめブルブルと震え上がっている。そんな皆を順に見ていったムスリムは指をさして声を掛ける。


「カローナ」


隣にいるカローナを見つめるとカローナはしょうがないとでも言いたげに笑う。


「今日は遊べないね」


「ああ、うん…また夜にね」


歩きながらも振り向き手を振るカローナに私も軽く手を振る。カローナが外に出て完全に扉が閉じられる。ムスリムが実験するのは一日一人なのである。これは今まで実験体としてここに連れられてきてから変わりない事、その分長く痛めつけられるのだが。今日はなにもない事が決まった今、暇になった私は、実験を終えたカローナが戻って来たらどんな話をしようかと考え始める事にした。

 そう、今日も何気ない日だと思っていたのだ。痛くはあるけれど殺されず、ご飯を食べて夜になれば戻ってきて眠くなるまで話す。そんな日なのだと…





 夜の帳が下りた頃、扉が開かれた。部屋に入るカローナは俯いており、何処か元気がなかった。布団から出た私はカローナなの下に行き話し掛ける。


「カローナ大丈夫?」


「…」


黙ったままのカローナに嫌な予感がした私はカローナの顔を覗き見る。すると、今まで微動だにしなかったカローナが私を抱き締めた。


「カローナ?」


もう一度名前を呼ぶ。しかし反応は無い。不審に思っていると、カローナの体が尋常じゃない程に震えている事に気づく。


「もう…やだよぉ」


堰を切ったようにその翡翠の瞳から大粒の雫が次々と溢れていく。冷たい体、抱きしめていた体を離し、しっかりとカローナの様子を見ると、朝の時に出た服とは変わっており、ぶかぶかのシャツ以外は何も着ていなかった。


青痣が増えた体と生々しい噛み跡。

股の間から垂れる白濁と赤。


何が起こっていたかを察したその瞬間、息が止まる。


「カロー…ナ?」


カローナは泣きながら頷く。どこまでも続く暗い夜、静かな空間に啜り泣く声が響く。


 ああ、この世界は


 なんて…


 残酷なのだろう






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