第五章 襲撃の真相 1, 忍び寄る脅威

「う、う~ん…」

眠たそうな声を出しながら、シャルは重たい瞼を開ける。周囲は既に明るくなっているものの、朝靄が周囲を覆っており、周囲の草原を幻想的に彩っている。また、いつの間にか眠りに落ちていたようだ。隣ではチェナが寝具にくるまりながら小さく寝息を立てている。

「よう、お早い目覚めだな」

そんな中、横になっていた荷車の下から声が聞こえる。下を覗き込むと既に起きていたゴウが自分の使っていた寝具を片付けていた。

「…!ごめんなさい、直ぐにお手伝いします!」

しかし、急いで荷車から飛び降りてきたシャルをゴウは片手を使って静止させた。

「いや別にいい。それよりも、折角皆よりも早く起きたんだ。ちょいと付き合ってくれねえか?」

そう言うとゴウは丸めた寝具を荷車の隙間に押し込むと、まだ少し燻っている昨夜の焚火の跡に向かって歩いていく。シャルも大人しくゴウの背中を追う。

「そこに座ってくれ」

ゴウは焚火跡に近づくとシャルに座るように促し、自分もすぐそばに腰を下ろす。

「それで昨日のことだが…」

ゴウは昨日突然涙を流してしまったことについて言及を始めようとする。

「すみません…。急にあんな取り乱してしまって…。俺は男なのに…」

「いや、気にするな。俺には分かる、あれは大事な人を亡くして悲しんでいる奴の流す涙だ、ってな。そういう涙に男も女も、子供も老人も関係ねぇ」

「え…?」

「お前さんの為になるかは分からねぇが、俺の昔話を聞いちゃくれねえか」

そしてゴウは自身の過去について淡々と話し始めた。

「俺には昔、同じ行商の友人がいたんだ。そいつとはまだ俺が見習いだった時に同じ行商に一緒に弟子入りして、同じ釜の飯を食う仲間だった。やがて俺達は独り立ちして自分の荷車と家畜を持ったが、それでも俺達は親友だった。そうしている内に、そいつには嫁さんと、子供が出来た。俺も何回か会ったことがあるが、嫁さんはいつも元気はつらつで、ちょっと内気気味なそいつにはお似合いな人だった。子供のほうも母親に似ていつも元気で、俺達の言葉をたどたどしくも直ぐに真似する賢くてお喋りな可愛い女の子だった。だが…」

ゴウはそこで声の調子を落とした。

「俺の友人とその家族はある時引き裂かれたんだ。他でも無い『灰の風』によってな」

「な…」

「丁度風狩りが行われる前、二人の子が七つになった時だった。当時灰の風の暴挙は最盛を迎えていて、最早西ノ国の力だけでは抑えられない程だった。けれどそんな中でも交易を止める訳にはいかなかった。交易を止めれば物の流れが麻痺し、西ノ国のような広大な国は成り立たなくなってしまうからな。だから当時の皇帝はやむを得ず、まだ無事だった行商を都に集めて大商隊を作り、それを騎馬兵団に守らせたんだ。敵の狙いを一つに纏まればそれだけ襲撃を受ける危険は高まるが、最強と謳われた西ノ国の騎馬兵団ならば守り抜けると、皇帝は考えたんだろうな。だが、それは間違いだった」

ゴウは続ける。

「灰の風共は皇帝が行商を一つに集めることを予期していた。だから騎馬兵の力を発揮しにくい、ハイラ山脈の山道に入る直前で隊に奇襲をかけたんだ。それに加え、仲間の盗賊達を山道に多く潜ませておいて、数で隊を制圧しようとした。灰の風の勢力もまだ都を超えた東側までは達していないと考えていた兵達にとっては予想外過ぎる攻撃だった。結果、隊は壊滅。そしてその中に俺と、俺の友人とその嫁さんと子供もいたんだ」

「ちょっと待って下さい!そんな危険を知りながら、何で友人さんは奥さんと子供を連れて隊に参加したんですか!?」

「あいつはあの時嫁さんと子供のことを考えて、行商を辞めて東ノ国に移り住もうと考えていたんだ。だが、幼い子供と戦えない女と共に当時の草ノ大陸を移動するなど自殺に等しい行為だった。手練れの武人ですら一人で都や宿場町を一歩出れば直ぐに首を取られるかもしれない、そんな時代だったからな。その宿場町も奴らに次々と堕とされ、都もその喉元近くまで灰の風の脅威が迫り、真に安全と言えるのは東ノ国しか無かった。だから隊に参加して、それで山越えを果たすのが最善だと考えたんだ。同じように考えている行商も、口には出さないだけであの場には沢山いただろうな。行商だけじゃない。中には明らかに病気の母親を庇っている父親と息子みたいな家族もいた。皆、草ノ大陸を離れたいという思いは一緒だった。俺自身も何度も襲撃を受け商売あがったりだったから、危険を承知で隊に参加した」

「でも、ゴウさんは生き延びた。そうですよね?」

「あぁそうだ。俺だけが生き延びちまったんだ。あいつと一緒に死ねたならどんなに楽だったろうか、また一緒に笑いながら酒を呑めたらどんなに幸せだろうかと何度も考えた。そうするうちにいつの間にか涙も枯れちまった。でも俺は逃げることはしなかった。いや、許されなかったというべきか」

「何故ですか?」

そう問われたゴウは朝靄に濡れた荷車の方を見つめた。

「子供を託されたからだ。あいつと嫁さんは体を奴らに何度も斬られ、血塗れになりながらも自分の子供を守り抜き、そして俺に託したんだ。俺は泣き叫ぶその子を連れ、必死になってハイラ山脈を登った。気づいた時にはかなり高いところまで来ていて、追手も巻いていた。が、当時冬が近づいていたハイラの山は極寒で、そんな中で装備も無しに山を越えるなど、それこそ自殺行為だった。寒さに震える内に二人とも意識を失い、気づいたらケハノ村に運ばれていたんだ。当時の村人達曰く、朝方になって村の入り口で倒れているのを見つけたらしいから、俺達はきっと『群青の軽業師』に助けられたんだろう。信じられない話だが、そうでもなきゃ俺達はあそこで野垂死んでいたからな」

(男の人と、女の子…。あっ、そういえば五歳になる前くらいに大人達がそんなことを話していたっけ。あまり記憶が無いけれど、きっとその時助けられたのがゴウさん達だったんだ…)

当時まだ幼かったシャルは灰の風について知らず、大人達にその存在を教えられたのは丁度風狩りが終わった時であった。また西ノ国の都よりも東側、つまりハイラ山脈に面した地域の襲撃はゴウ達が襲われた一件以前は一度も例が無かった為、ケハノ村を訪れる行商達の数は平地程激減している訳でもなかった。だからシャルは今まで灰の風について、あくまで歴史の中の出来事の一つとしか捉えておらず、故にゴウ達の記憶も曖昧なままであった。

「それで、その後はどうなったんですか?」

「ケハノ村である程度傷を癒した後、俺達は山を降りて東ノ国に入った。そして俺は地方に住む遠い親戚に一度その子を預け、俺自身は東ノ国から派遣される風狩りの兵士に志願したんだ」

「それじゃあ、ゴウさんは兵隊を経験しているんですね」

ゴウは小さく頷く。

「あぁそうだ。あの時の俺は友人達を守れなかった不甲斐無さと、そんな友人を奪った灰の風に対する憎しみでいっぱいだった。だから討伐隊に参加したんだ。だが、今思えば本当に愚かな選択だった。死んじまった友人と嫁さんはそんな事俺に望んじゃいなかったろうさ。彼らが望むのは俺が自分達の娘の傍にいてやること、ただそれだけだったはずなのに。けど、それに気づいたのは兵士になってから二年後、風狩りが終わってからだった」

ゴウはそこで大きなため息を一つつく。

「朝から重たい雰囲気にしてすまねぇな。嫌だったらもう無理に聞く必要もないが…」

「いえ、聞かせて下さい」

シャルははっきりとした声でゴウの提案を断った。大切な存在を理不尽に奪われ、それを止められなかった自分の無力さ、不甲斐無さに打ちひしがれる。そんな経験をしているゴウにシャルは自分自身を重ね合わせたからだ。

「そうか。なら最後まで聞いてやってくれ。兵士を辞め、その親戚と子供に久しぶりに俺は会いに行った。家の扉を開いて、そこに立つ奴が俺だと分かった途端、その子は目にいっぱいの涙を浮かべながら俺に抱きついてきた。そして震える声でこう言ったんだ。『おじさんのバカ!もしおじさんまで死んじゃったら私、どうしたらいいの…?お願い、もうどこにも行かないで…』ってな。その時、俺は気づいたよ。俺は何て馬鹿な男なんだろうって。気づいたら俺も気付いたらその子を強く抱き締めていた。最後にいつ流したかも分からねぇ涙をわんさか流してな」

陽は先程よりも昇り、辺りを覆っていた朝靄もどんどん晴れてきている。他の者が起きてきてもいい時間のはずだ。だが、ゴウは構わず続けてくれた。

「兵士を辞めた俺はその時に褒賞として貰った金で荷車と牛を買い、また行商として食っていくこととなった。そしてその時、俺は初めて弟子を取ったんだ。他でも無い、友人の娘さ。本当は連れて行きたくはなかったが俺にはこの仕事しか無かったし、かと言ってこれ以上寂しい思いをさせる訳にもいかなかったからな。だがその子はお喋りできさくな性格で、直ぐにこの仕事に慣れてくれた。おかげで今でも俺はその子に助けられてる」

「え、じゃあその友人さんの娘ってもしかして…」

その時朝靄が晴れ、丘からゆっくりと昇って来る朝日が二人を照らした。穏やかな光に照らされながら、シイがまだ眠る荷車のほうを見るゴウの顔は慈愛に満ちたものだった。

「あぁ。昨日お前さんとヤイノに絡んできた、馬鹿で可愛いあの酔っぱらいさ。俺はあの子がいたから今まで生きて来られたんだ。…なぁシャル。ヤイノ達から聞いたが、お前さんは涙を流しながら『強くなりたい』と言っていたそうだな」

ゴウは荷車に向けていた視線をシャルに向け、彼の目をじっと見つめる。それはまるで父親が息子に人生の教訓とか、生き様とか、そんな何か大事なことを伝えるようであった。

「お前さんが何故昨日そんな言動をしたのか、俺は詮索もしないし問いただしたりもしない。だが、どうかこれだけは覚えておいて欲しい。強さを求めるのなら常にその意味を忘れないようにする、ということを。兵士として生きていた時の俺はそれが出来なかった。だから俺は憎しみに駆られてただただ体を鍛え、がむしゃらに武器を振るい、本当に守るべきものが見えなくなっていた。これからシャルが“そういう力“を身に着けたいというのなら、どうか俺のようにならないでくれ」

ゴウが自身の過去とそこから得たものを吐露し終えたその時、シャルの目頭には熱いものが込み上がってきた。それを抑えるかのようにシャルはぎゅっと目を強くつむると

「辛い過去を話してくれてありがとうございます。そしてゴウさんの教え、決して忘れません」

と先程と同じように力強く告げる。その時、シャルは後ろに気配を感じた。振り返るとソラがトコトコとシャルに近づいてきて、彼の肩をまたはむはむと咀嚼し始めた。

「おう。ソラも頑張れって言っているみたいだぞ」

シャルに甘えるソラを見て、打って変わって笑顔になったゴウがそう言う。

「そうかもですね…。ってあははっ!くすぐったいよソラ!」


次第に大地に繁茂する青い草は減ってきて、代わりに辺りには大小様々な大きさのごつごつとした岩が見え始めている。あれから朝を迎えた一行は出立の準備を整えると更に歩みを進め、少しずつオリス山脈に近づいてきていた。昨日はシャルの涙に驚いていたヤイノやチェナであったが、朝起きた時には元気そうにソラに刷毛掛けをしている彼を見て安心したのか、特に昨晩について言及することは無く、皆きさくに接してくれていた。そんな旅路の夕暮れ、一行はその日初めての休憩を取り、二度目の野宿の用意を始めていた。

「あれ。旦那!スイです!スイだけが戻って来ました!」

荷を括り付ける縄を締め直しながらヤイノが、少し離れた丘を越えて一人でこちらに駆けてくるスイを見つけた。シャル達が野宿の準備をしている間、チェナはスイを連れて狩りに出かけていた。ゴウに遠くには行くなと言われている為、そこまで離れることはないはずだがそれでも出かけてからそれなりの時間が経っており、皆戻りが遅いと思い始めていた。そんな中、何故かスイだけが戻ってきたのだ。加えて、戻ってきたスイの様子も何かおかしい。普段は大人しいはずのスイが今は人間達の周りをせわしなく歩き回り、耳を真後ろに絞りながらしきりに戻ってきた丘のほうに顔を動かしている。まるで彼らに何かを伝えようとしているかのようだ。

「…ムツイ。俺はシャルと一緒にチェナを探してくる。直ぐ戻るからそれまで荷と二人を頼む」

「…分かりました」

「シャル。お前の姉さんの馬を少し借りるぞ。お前もソラに乗ってついてこい」

ゴウはそう言ってスイをなだめると、荷車から細長い包みを引っ張り出して肩にかけ、スイの背中に乗る。ただならぬその佇まいにシャルの全身にも一瞬で緊張が走った。

(何かあったんだ…。そうじゃなきゃスイが一人で帰って来るなんてありえない…)

シャルは急いであぶみを直し、ソラの背に跨る。

「行くぞ」

「はい…!」

そして二人は沈みゆく太陽に照らされながら、丘に向かって走り出した。全力で走る馬になど乗ったことのないシャルは途中で何度もソラの背から落ちそうになる。そのおかげで、チェナよりもずっと体重の重いゴウを乗せているにもかかわらず、スイのほうが少し先を走っていた。走り出してから数分後、一足先にゴウとスイが丘の上に辿り着いた。スイの背から下りたゴウは丘の向こう側を見つめながらシャルに何を伝えるでもなく、手にしていた包みをゆっくりと解く。そして革で出来たその包みの中からあらわれたもの、それが両刃の剣であることは背後にいるシャルの目からも明らかであった。ゴウが得物を持ち出してきていた、それが分かった途端シャルは背に嫌な汗がぶわっと溢れ出てくるのを感じた。

(あれは剣だ…!向こうで一体何が起こっているんだ…?)

そう思った時、シャルが登る丘の頂上から強い風が吹いてきた。吹き降ろしてきた風が顔に当たった時、シャルの鼻はその風の中に確かに血の臭いが混じっているのを感じた。ソラもそれを感じ取ったのか小さく嘶くと顔を上下に大きく振る。

「ソラ急いでくれ!お願いだ!」

それからシャルは嫌がるソラを半ば無理やり前に進ませ、やがてゴウの直ぐ後ろに辿り着いた。

「ゴウさん、一体何が…」


そう言いかけたシャルはゴウの視線の先にあるものを見て戦慄した。


丘の下には数十の死体が転がっていたのだ。腹や首から血を流しながら横たわる骸達は皆あちこちが破れた薄汚い布服を着ており、手には刀や剣、弓が握られていた。何者かに殺されたそれらが盗賊であることはシャルでも理解出来た。そして丘に登った二人の目に飛び込んで来た光景はもう一つ、死体が転がる少し離れたところで小さな人影ともう一回り大きい人影が刀で戦っていた。

「チェナだ!ゴウさん、助けにいかないと…!」

しかし慌てるシャルとは正反対に、丘の下を見つめるゴウの目はいたって冷静だった。

「いや、助太刀は不要だ」

「でも、あのままじゃ…!」

「心配するな。お前の姉さんは負けはしない。それよりもすまない。お前を連れてくるべきじゃなかった」

キンッ、という小さな音が響く。その音を聞き、シャルはチェナのほうに急いで顔を向ける。響いた金属音、それは勢いよく振り上げたチェナの刀が賊の持つ刀を弾き飛ばした音であった。そしてチェナは武器を失い無防備になった男に容赦無く切っ先を突き立てる。

「がはっ…」

腹を深く貫かれた男は最期にそう漏らすとうなだれるように力なく倒れる。その動きに合わせてチェナは体ごと背後に動いて刀身を引き抜いた。体から刀が抜けた男は勢いよくその場に倒れ、他の死体と同じように草と砂が混じる地面に赤い染みを作り始めた。

「あ…あぁ…」

無意識の内にソラの手綱を握るシャルの手は小刻みに震えていた。自分の目で見る殺し合い、その生々しさは想像以上のものであった。目から伝わってくる情報だけではない、立ち込める血と金属の臭い、漂う独特の雰囲気は彼を怖気させるには十分過ぎた。そんなシャルを見たゴウは小さくため息をつくとキオと二頭をその場に残してチェナのもとに向かって一人で丘を降り始める。それをシャルはただ黙ってみているしかなかった。だが、

「うわっ!?」

急に肩に軽い衝撃を受けたシャルは転びそうになる。横を向くと先程まで彼を乗せていたソラが彼の目をじっと見つめていた。彼が転びそうになったのもソラが彼の肩を鼻で押したからであった。

「……」

ソラはじっとシャルを見つめる。思えば今朝ゴウと話していた時、ソラはいち早くシャルに寄り添ってくれた。今朝のソラの行動がゴウの言う通りの意味があるなら、今のソラはまさに尻込みしているシャルを前に進めるように励ましているかのようだった。

(力を求めるならその意味を常に考えろ)

ソラの奇麗な黒い瞳を見てシャルはゴウの教えを思い出し、そこでゆっくりと丘の下に視線を移した。そして生唾を飲み込むとソラに

「ありがとうソラ。そうだね、こんなことで怖気づいている訳にはいかない」

と告げ、意を決し自分も丘を下り始めた。

丘を降り切った時、下から漂ってきていた血の臭いの強さはすえた汗の臭いが混じり、最高潮に達していた。シャルは吐き気を催すその臭いを出来るだけ吸い込まぬよう時折袖で鼻を覆い、死体を避けてゴウとチェナに小走りで近づいていった。


ゴウの気配に気づき、こちらに振り向くチェナは全身を汗と返り血で濡らしていた。一人で数十人を相手していたせいだろう、息もかなり上がっている。

「こいつらが昨日チェナが弓を向けた奴らか…」

死体が転がる一帯を見渡しながらゴウが呟く。

「いえ違います」

「何だと?」

血で濡れた刀を清めながらチェナはゴウの言葉を否定する。

「昨日私が感じた視線は一つでした。それに、あれは針で刺すかのような殺気…少なくともここにいる奴らが発せるようなものではありません」

「お前さん、一体何者なんだ…」

そこでチェナはシャルがこちらに近づいてくるのに気づいた。キオの顔を一目見た途端、チャナは顔を険しくする。

「ゴウさん、シャルを連れて来たんですか?」

その声には明らかにゴウを非難する意志が含まれていた。

「すまない。姉貴が心配だろうと思って連れてきちまった。だが、あいつにこれを見せるべきじゃなかった」

ゴウはチェナに深く頭を下げる。

「…大丈夫です。私がこんなに濡れていたらどの道隠し通すことなんてできません。それに私のほうこそ勝手なことをしてごめんなさい。皆から離れれば視線の正体を釣り出せると思って…」

そこでシャルが二人のもとに辿り着いた。

「大丈夫?」

「チェナのほうこそ大丈夫なの!?体中血塗れじゃないか!」

「これは返り血よ。私は無事。それより、あんなに沢山の死体を見ておいてよくここまで来られたわね。本当に大丈夫?気分が悪いなら直ぐに戻りなさい。ちょっとあんたには刺激が強すぎるわ」

「本当にすまない。お前が見ちゃいけないものを俺は見せてしまった」

ゴウはシャルにも頭を下げる。

「僕は大丈夫です。姉さんがこれだけ強いんです。弟の僕もこれくらいでへこたれる訳にはいきません」

「しかし…」

「それよりもあの盗賊達です。もしかしてあいつらが商隊を襲った…」

シャルは背後に倒れる盗賊達の死体を振り返る。

「チェナ、あいつらはゴウさん達を狙っていたんだろ?」

「それは分からない。ここから向こうに少し行くと天幕が張ってあった。それに近づいて少し調べていたら急に奴らに襲われたの。野営地を装い、不用意に近づいた旅人や行商を襲う…本来これは西ノ国の騎馬兵が用いる戦法の一つだけど、最近は盗賊がそれを真似ているの。でも一つ不可解な点があるわ。罠に使われていた天幕は東ノ国の刻印が入った、とても豪華なものだった。この規模の盗賊がそんなものを持っているとは考えにくいし、それに初めから私達を狙っていたのならそもそも罠なんて張らなくても…」

チェナはそこまで言うと、突然目を見開いて天幕があったという方向を睨みつける。その視線の先を良く見ると、夕日を背にしながら一つの人影がゆっくりとこちらに近づいてきているのが分かった。最初は良く見えなかったそれは、こちらに歩みを進める毎にその仔細が分かるようになってきた。それはシャルよりも少し背が高い位で灰色の外套を身に着け、その外套についた頭巾を目深に被っていた。

「…ゴウさん。シャルを連れて急いで荷車に戻って下さい。それと、あそこで野宿はもう出来ません。とにかく皆で急いでここから逃げて下さい」

その影を一目見るやいなやチェナは声を低くし、二人に直ぐにここから立ち去るように促す。

「嘘だろ…。俺の目がおかしくなっちまったのか…?だってあれはもう…」

ゴウは震える声でこちらに近づく人影を凝視している。シャルはそんな二人をどうすることも出来ず、自分もただ人影を見ていた。

「早く行って下さい。あれが恐らく“視線“の正体、そしてあなたが思っている通りのものです。...信じられないことですが」

「いやダメだ。二人は荷車に戻るんだ。俺は“あれ”と戦っている。だから…」

ゴウは声の震えを懸命に抑えつつ、手に持つ剣を引き抜こうとする。しかしそれをチェナが止めた。

「あなたが戻らないなら誰が荷車を動かすんですか?それに私は用心棒です。あなた達に迫る脅威を排除する。それが私の務めです」

「しかし……クソッ!死ぬんじゃないぞチェナ!行くぞシャル!ムツイ達のところまで戻るんだ!」

そしてゴウはシャルの肩を掴んでソラとスイのところまで戻ろうとする。

「待って下さい!あいつは一体なんですか!?それに、死ぬなって…」

「あれは…あいつは滅んだはずの『灰の風』だ…。何故だ、何故奴らが生きているんだ!?俺の二年間は一体何だったんだ!?」

ゴウの声の震えはシャルにもその恐怖が伝わる程に大きくなっていた。

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