6, ヤイノの夢

二人が荷車に戻った時、既にゴウたち三人は話し合いを終え、番をしていたヤイノと共に牛達を荷車に繋いでいた。

「おうお前さん達。ちょうどいいところに帰ってきたな。シャル、すまんが牛達に留め具を付けるのを手伝ってくれ。こういうのは得意なんだろう?」

「勿論です!すぐにお手伝いしますね!」

ゴウに仕事を振られたことが嬉しかったシャルは先程の疲れを忘れたかのように、威勢の良い声で返事をすると荷車に向かって駆け出して行った。その時である。

「……!!」

チェナが突如血相を変え、スイに載せていた自分の荷から短弓と矢筒を素早く取るとなんと彼女から六、七歩は離れている荷車にたった一跳びで近づき、そしてその勢いのまま荷車に飛び乗ると矢筒から矢を抜き取り弓につがえたのだ。人間離れしたその動きと、鷹のような目つきで背後の丘を睨むチェナを、他の者達は呆気に取られた表情をして見ていた。

「嘘…今あそこからここまで跳んできたの…?」

スイが立っている場所とチェナを交互に見るシイは信じられないといった面持ちだ。しかし、当の本人であるチェナはそんなことは一切意に介さず、変わらず弓をかまえ続けていた。

「…チェナ。い、一体どうしたんだ?そんなに鬼気迫る顔をして…」

自分の乗っていた荷車に物凄い勢いで乗って来たチェナに、ムツイが恐る恐るたずねる。

「あの丘の向こうから気配を感じたんです。私達を狙っているかのような、そんな視線を感じて…」

その言葉に一同は一斉にチェナが睨みつける丘に顔を向ける。しかし、時折吹く風に短い草が揺れる以外は特に何の気配も感じられない、ただの丘にしか見えなかった。

「う~ん…。自分にはいたって普通の丘に見えますけど…。チェナさんにしか感じられない何かがあったんでしょうか?」

額の上に手を当てながら丘を見るヤイノだったが、やはり特に異常は感じなかったようだ。そしてそれは他の者も同様で、各々不思議そうな顔をしたり、首を傾げたりしている。やがてチェナ自身も何も感じなくのか、丘のほうを気にしつつもゆっくりと弓を構える腕を降ろした。

「す、すみません…。やっぱり私の勘違いだったのかもしれません。昨晩あまり眠れてなくて、それで神経が過剰に尖っているみたいです…」

申し訳なさそうな表情でチャナは荷車から飛び降りた。

「だが気のせいとはいえ、俺達を狙っている存在がいるとしたら厄介だ。直ぐにでもここを出発しよう」

ゴウの提案により、一行は急いで準備を整えオアシスを後にした。けれどこの一件以降、周囲を見渡すチェナの目はより一層険しくなってしまった。


時刻は既に夕刻を回っていた。オアシスを出発した一行はその後も順調に歩を進め、今は沈む夕日によって橙色に美しく染め上がった広い草原を進んでいた。シャルは最初こそ山では決して味わえない、地平線の見える広大な大地を眺めながらソラの背に揺られることに心躍らせていたが、どれだけ進んでも殆ど変わらない景色に少々飽きてしまい、今は距離を表す為に街道の横に等距離で設置された石碑の数を心の中で数えていた。そしてその数が二十を超えた時、先頭を進むゴウが荷車を止めた。

「よし。今日はここまでにしておこう。山まではまだ二日程かかる。その為に今日はもう休んで明日に備えよう」

そして一行は一度街道を外れ、小高い丘のふもとで一夜を過ごすことに決めた。荷車を止めた行商達は、牛達を再び荷車から外してやると、荷の中から薪や寝具、調理器具といったものを引っ張り出し野宿の準備を始めた。

「おいシャル。すまんが火を起こすのを任せていいか?」

恐らく肉が入っているであろう、葉で出来た包みと薪を抱えながらムツイがキオに火おこしを依頼してきた。

「はい、お任せ下さい!」

「悪いな。火打石と着火用の綿はゴウの旦那が乗っていた荷車に積んである。すまんがそいつらは自分で取ってきてくれ。シャルが火を起こす間に俺は夕食の用意をしておく。旦那の頼みで今日は豪勢な食事にしろと言われているからな。期待してろよ」

にやりと笑いながらシャルにそう伝えたムツイはキオの前に薪をどさりと置くと、自分は少し離れた場所でごそごそと食材の下ごしらえを始めた。シャルも一度荷車に戻ると油を染み込ませた綿が入った小箱と火打石を探し出してきて薪の前に並べた。

「それじゃ、始めるか」

シャルはまず油を染み込ませた綿の上に細い薪を数本起き、綿に近づけた火打石を勢いよく擦りつけた。チャッ、チャッ、という音と共に火花が上がり、そして数回目で綿に小さな火がと灯った。その火が綿から細い薪に燃え広がるのを確かめたシャルは火が大きくなるに合わせて太い薪を順々に放り込んでいった。やがて全員で囲めるほどの火になった時、背後からムツイがやってきた。

「良い感じだな。ありがとよ。それじゃ、こいつをちょいと借りるぜ…」

そしてムツイは手にしていた鍋を火の中に入れた。彼が持ってきた大柄の鍋には上から挟み込む形で同じ大きさの鍋がもう一つ重ねられており、二つの鍋の隙間からは僅かに魚の尾びれが二つはみ出ているのが分かった。

「よし。あとはこいつらに火が通るのを待つだけだ。俺はここで鍋と火の番をしているからシャルは旦那達を手伝ってやってくれ」

「分かりました」


そうして言われた通りにしばらくの間、寝具の用意や牛達の世話等を手伝っていると

「旦那、出来ました。飯にしましょう」

とムツイがゴウに話しかけて来た。その声に応えるかのように、火のある方向からは香ばしい香りが漂ってくる。

「そうか。それじゃあ皆で飯にしよう。シャルとチャナも一緒に来てくれ」

そして火のもとに戻ったシャルの目に飛び込んできたのは、人数分の椀に盛られた米と、見事に蒸しあげられた大きな魚が二尾入った先程の鍋があった。魚達にはべっ甲のような色の餡がかけられており、その香りがキオの食欲をたちまちに湧きあがらせた。

「うわぁ、美味しそう…!」

無邪気に声を漏らしたシャルに対して得意げな顔を見せるムツイ。そんな二人を嬉しそうに見つめていたゴウは

「さぁ、早く食おう。俺は腹ぺこだ」

と言って椀の傍に腰を下ろすと、椀に添えられた箸で魚の身をほぐし始めた。

「あ、親分ずるい!私も食べる!」

「いただきます!!」

「俺も頂こう。さぁ二人も遠慮なく食ってくれ」

ゴウに続いて残りの行商達も食事を始める。それに続いてシャルとチェナも椀を取り、ムツイがつくってくれた料理に箸をのばした。魚の白身は少し箸を入れただけでほろりと少し崩れる程に良く蒸されており、それに良く餡を絡めて口に運ぶ。その瞬間再びシャルは

「美味しい…!」

という言葉を口にしていた。魚の身はふわふわの食感で、少し淡泊ではあったがそれが少し濃い目の味付けの餡ととても相性が良かった。米に身を乗せて共に食べると、身の食感と魚の旨味が染み込んだ餡が、良く炊かれた米とも抜群に相性がよく、シャルはいつの間にか夢中になって米をかきこんでいた。ふと隣に座るチェナを見ると、彼女も頬を緩めて美味しそうに魚と米を頬張っている。

「都を抜けてから初めて笑顔を見せたな。どうだ、うちの料理人の腕は中々のものだろう?」

火の反対側で二人を見ていたゴウに急に話しかけられたチェナは少し恥ずかしそうな表情で箸を動かす手を止める。

「はい。とても美味しいんでつい気が緩んでしまって…」

「はっはっは!!そうだろうそうだろう!何ていったってこの俺が見込んだ奴だからな!」

胃が膨れて気分が良くなったのか、ゴウはこれまた大きな声で、隣で鍋をつつくムツイの肩を叩いた。

「えっと、ムツイさんは料理人としてゴウさんに雇われている、ということですか?」

ゴウの発言に、シャルは箸を動かす手を止める。今まで数多の行商をケハノ村で見て来たシャルだったが、わざわざ料理人を引き連れるような行商を見たことが無かったからだ。

「いや、別に俺は雇われてここにいる訳じゃない。俺は前まで西ノ国の都にある食事処で働いていてな、そこでゴウの旦那と出会ったんだ。そして酒に酔った旦那に絡まれた時に言われた、『俺と一緒に行商をすれば旅をしながら美味いものをつくることが出来るぞ』っていう言葉で俺はその食事処を辞めて、今はこうして行商をしているって訳だ。まぁ、言うなら旦那に絆されちまったって訳だな」

ムツイは少し困ったように笑ってみせる。

「おいおい、それじゃあ俺が無理やり連れて来たみてぇじゃねか!別に辞めたきゃいつでも西ノ国に戻っていいんだぞ?」

「冗談ですよ旦那!それに旦那についていこうと決めたのは完全に俺の意志です。元々旅をすることには興味があったし、それに店で働いているだけじゃ中々手に入らない食材にも、この仕事をしていれば出会うことが出来る。この魚とかは特にそうです。火豆は確かに魚の身に塗り込めば保存も効くし旨味も増してくれますが、こういう上品な白身の魚に使うとかえって素材そのものの味を損なってしまうんです。でも西ノ国に居たままなら、こうやって火豆が使われていない東ノ国産の新鮮な食材をその日の内に調理するなんてことはまず出来ません。俺は旦那についてきて本当に正解だと思っていますよ」

既に半分以上が骨と頭だけになっている魚を見ながらそう話すムツイの表情は本当に満たされていた。


「それでその時親分がね!…」

「馬鹿言うな!それにあれは元はと言えば…」

「旦那の言う通りだ。あの商機を逃したのは俺達全員のせいだ」

「色々あったんですね。あ、ゴウさんもう一杯如何ですか?」

途切れ途切れではあるが、ヤイノを除いた行商達とチェナの声が少し離れたここからでもシャルの耳に入ってきた。魚と米を堪能したゴウ達は火を囲んで酒を飲んでいた。都を出てから常に緊張感のある面持ちをしていたチェナも、今は酒が入ったことで気分が高揚したのかゴウ達の経験談をニコニコしながら聞いている。だがシャルは彼らには混じらず、荷車の上で腰かけ、夜空を眺めていた。しかし、しばらくそうしていると急に聞き慣れた声がすぐ近くで聞こえてきた。

「シャルさんは吞まないんですか?」

声のした方向に顔を向けるとヤイノが荷車に登り、荷物の上から顔だけを出してこちらを覗いていた。

「うん。あまりお酒は得意じゃないんだ」

「そうなんですね。あの、もし嫌じゃなかったら自分もそこに座っていいですか?自分も酒は旦那から『お前にはまだ早い』って言われて飲んだことないんです。それにこうして年が近い人と都以外で話せる機会ってあまり無くて…」

「勿論!それに俺達のほうがお邪魔している側なのに断る理由なんてないよ」

ヤイノのお願いをシャルは快諾する。それに対しヤイノは

「ありがとうございます!」

と返事すると荷車に慣れた様子でよじ登るとシャルの隣にちょこんと座った。

「それにしても昼間のチェナさん、凄かったみたいですね。都にいた時に旦那が雇った用心棒に商取りであっさりと勝ったって聞きました。シャルさんのお姉さんはどうしてあんなに強いんですか?」

(え、お姉さん…?あ、あぁチェナのことか…)

自分達が姉弟だと騙っていることを忘れていたシャルはヤイノの質問に少し戸惑った。それにシャルはまだチェナに出会ってから数日しか経っていない。彼女の身体能力が高いことはこの短期間で十分に分かったが、彼女の本当の実力と、それを如何にして身に着けたかをシャルは何一つ知らないのだ。

「う、う~ん。俺も実は姉さんが何であんなに強いのか分からないんだ。もとから凄いお転婆でそれに旅が大好きな人だから、俺が十歳を過ぎてからは滅多に家に戻らなくて。そして気づいたら用心棒になっていたんだ」

「へぇ~、そうだったんですね。確かに姉弟にしてはちょっとお互いに余所余所しいというか、距離がある感じがしたんですがそういうことだったんですね」

シャルはチェナの性格から適当な彼女の過去を捏造した。しかしかなり無理のあるものであったのに加え、彼女が背後の酒の場でゴウ達と違うことを喋っていれば面倒なことになる。

(これ以上俺達のことを話すと色々と厄介なことになりそうだな…話題を変えないと…)

そう思ったシャルはこちらからヤイノに話題を振った。

「そうなんだ。だから俺達のことを話してもあまり面白くないよ。それよりもヤイノのことについて聞かせて欲しい」

「え?自分ですか?」

「そう。今の東ノ国ではケルレン皇帝の意向で身分に関係なく実力があれば上級の役人とか、交易船の船員とかになれる。だから若い人はわざわざ地味な行商になろうとする人がどんどん少なくなってきているって親父から聞いたんだ。だから、どうして行商になろうとしたのかが気になってさ」

この問いは決して偽りでは無かった。これまで山間の小さな村で育ってきたシャルにとって、ケハノ村に生まれた子供は湯場で働く為の知識を大人から教わり、代々湯場を営んでいくことが当然のことであった。しかし従弟のショウが村を出ることを決め、そして自分自身も苦しい道であると知りながら皆といることを捨てたことで、自分よりも年下のヤイノが周りと同じ道を進まないことを決めたのか気になったのだ。

「う~ん、そうですね…」

シャルの問いにしばらく腕を組みながらあれこれ考えていたが、やがて何か諦めたように組んでいた腕を力なく解くと

「上手い言い訳が思いつかなかったので正直に言います。えっと、笑ってくれても構わないんですけど、自分には夢があるんです。それを叶えられるのがこの仕事しかなくて」

「勿論笑わないよ。それを是非聞いてみたい」

「ありがとうございます…!え、えっとその夢なんですけど、自分、いつか『帝の足』になりたいと思っているんです」

帝の足。それは襲撃された商隊を率いていたケルレン帝直属の運び屋達だ。普段は他の行商と同じように物品の売買を行うが、皇帝の命があれば西ノ国の王宮に向けた品や、武器や火薬のような国防に関わる重要な品を各地に運ぶ名誉な役職だ。中にはオアシスから水をひたすら都に運ぶだけといった地味な仕事もあるが、それでも各地に繋がる街道や宿場町の位置を熟知し、盗賊の襲撃や天候の変化を予見した上で安全に品を運ぶことが出来る能力、何よりも宝飾品や武器のようなものを目にして邪な事を考えることなく、東ノ国の国益の為に任を遂行することが出来る忠誠心が認められなければ帝の足になることは決して叶わない。そんな存在にヤイノはなりたいというのだ。

「例えどんな良い品や作物を作れても、行商がいなければそれを誰かの手に届けることが出来ず、結局意味の無いものになってしまいます。だから自分は国を根っこから支えるこの仕事が好きなんです。そして『帝の足』になれればそんな仕事の最高峰に立ったと認められることになります。それって、とっても素敵じゃないですか!?」

(……)

ヤイノから放たれる少し恥ずかしそうな、しかし熱い志がこもった言葉はシャルの心を確かに揺さぶった。自分よりも幼いながらしっかりとした自分の夢を持ち、その為に自分で自分の道を選ぶ。目の前の人懐っこい少年がそんな生き方をしていることを知り、シャルは彼に尊敬を抱くと共に、今まで村で過ごしてきた自分の人生が少し恥ずかしくなった。勿論村での仕事を否定する訳ではないが、セナが言っていた通り、こうして村を出るまでシャルは自分の道を自分で決めたことなどただの一度も無かったからだ。

「聞かせてくれてありがとう。何だか、ヤイノは格好良いね」

「え。か、格好良いですか…?」

シャルのその言葉を聞いたヤイノは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐにきれいな丸い目を輝かせながら満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます!!今までこの夢を聞いてくれた人で自分のことをそう言ってくれたのはゴウの旦那だけなんです!弟子入りしようとしてこのことを話した行商は皆鼻で笑うか、愛想笑いを浮かべるだけで自分を受け入れてはくれませんでした。でもそんな中でゴウの旦那だけは『いいじゃねえか、坊ちゃん中々格好いいぜ』って笑いながら弟子にしてくれたんです!!」

「え、えっと…」

嬉々とした表情でまくし立てるように自分の過去を話すヤイノに圧倒され、シャルは困惑してしまった。ヤイノは直ぐにシャルが困った顔をしていることに気付き

「す、すみません。つい…」

と申し訳なさそうに頭を下げる。

「でも、本当にありがとうございます。久しぶりに夢を応援して貰った気がします。ゴウの旦那は勿論、シャルさんをがっかりさせない為にも絶対に『帝の足』になってみせますね!」

そしてヤイノは再び太陽のような笑顔を見せる。それに釣られてシャルもヤイノに微笑み返す。

「お~い、若いもん同士で何コソコソ話してんのよ~!あたしも混ぜなさ~い!」

その直後、彼らの後ろから顔を真っ赤にしたシイが千鳥足で近づいてきた。どうやらかなり出来上がってしまっているようだ。

「あちゃ~…、飲みすぎちゃったみたいですね。シイさん、結構酒癖悪くて…って危ないですよ!?」

しかしシイはヤイノの声に耳を貸さず、ふらふらの足取りながらもシャル達の乗る荷車に器用によじ登ってきた。

「にひひ、二人とも元気~?」

荷車に登ったシイは蕩けた表情でシイはヤイノの肩にもたれかかってくる。昨日シャルがゴウの下に戻ってきた時に酒臭いあの用心棒の事を嫌がっていたことを話していた割には、当の本人はその用心棒以上に酒の臭いを辺りにまき散らせていた。

「すいません…。こうなったシイさんは面倒くさくて…。一通り喋り倒したら死んだように眠るんで少しだけお付き合いしてもらえるとありがたいです…」

「も、勿論いいよ…」

苦笑いを浮かべる二人に対し、シイはそんなことお構いなしに話しかけてくる。

「で、何話してたの~?」

「シャルさんに何で行商の見習いをやっているのか聞かれたので答えていたんですよ」

「おぉ、親分がヤイノを弟子に取った時に言ってた奴だね!?いや~あの時の親分の嬉しそうな顔ったらなかったよ!弟子入りしたいなんて言って来る若い子なんて久しぶりだったし、そんな子が『帝の足』になりたいなんて言ってきたらそりゃあんな顔にもなるよね!ヤイノなら絶っ対なれるよ!!ね、シャルもそう思うでしょ!?」

「えっと、僕もそう思います。話を聞かせてもらって、ヤイノは行商という仕事に本当に誇りを持っているんだと分かりました。その心意気があれば今は見習いでもいつか絶対に叶うと思います」

「あ、ありがとうございます…」

二人の言葉にヤイノは顔を赤らめてしまう。

「そうそう!だから頑張れよ!私達応援してるんだからね!」

そしてシイはそんなヤイノの頭を嬉しそうにわしゃわしゃと撫で回す。その様子を見た時、シャルはいつも自分の頭をがさつに撫でていた父親を思い出してしまった。

(そうか、俺にはもうあんな風に頭を撫でてくれる人はいないのか…)

そう思った瞬間、シャルは自分の心の中から強い喪失感が沸きあがって来るのを感じた。息が詰まるようなそれはみるみるうちに彼の身体を包み、無意識の内に頭の中で忘れようとしていた地下室での光景を無理矢理引き出してしまう。

「あ、そうだ。シャルにも何か夢とかあるの?あったら私、聞いてみたいな~」

「え…?僕のですか?」

そんな黒い感情がいよいよシャルの涙腺を刺激しようとしたその時、ヤイノに纏わりついていたシイがこちらに話を振ってきた。

「そうそう!それにヤイノだけに話させておいて自分は何もっていうのもちょっと卑怯だと思わなくて~?」

「ちょっとシイさん失礼ですよ!」

「いいじゃん別に減るもんでもないし~」

(俺の夢…)

シャルは目頭に溜まり始めた涙を流さぬよう、頭上に広がる星空を思い切り見上げた。満天の星空は初めてチェナと野宿をした時と同じようにキラキラと美しく瞬いている。

「…あれ?どうしたんですか?」

それまで鬱陶しそうにシイを見ていたヤイノが、何かこらえるような顔で空を仰ぐシャルに首を傾げる。

「俺に…夢はないんです。でも、今はただ強くなりたい」

「え?」

「俺は姉さんみたいに…いや、チェナみたいに強くなりたい。俺は大事なものをいっぱい失いました。だから、もう奪われたくないんです。俺が強くなれば皆はもうあんな悲しい顔をしなくていいはずなんだ…。だから、だから俺は…うぅ…」

そこでシャルは耐えられなくなった。強くなりたい。そう吐露した瞬間、今まで傍に当たり前のように傍にあった家族と親友の沢山の笑顔が脳裏に浮かび、いつの間にかキオは深く俯き、大粒の涙を流していた。

「だ、大丈夫ですか!?」

「わわっ大丈夫!?別に泣かせるつもりなんて全然無かったんだけど…。ご、ごめんね…」

急に泣き出してしまったシャルを見て、ヤイノは勿論、完全に酔いが冷めてしまったシイも心配そうに彼を見つめる。

「お~いヤイノ、すまねぇな。若いお客さんがいるもんでつい飲ませすぎちまった。酔っぱらいはもう静かになったか…っておい、大丈夫か!?」

「シャル…?どうしたの!?」

宴会が終わり、そろそろ寝ようと荷車に戻ってきたゴウやチェナも、シャルを一目見ると慌てた様子で荷車に乗る三人の下に駆け寄ってくる。天上の星々はそれを何も変わらず、同じ場所でただ見守っていた。

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