5, 戦士としての第一歩

不意に鼻がむずがゆくなり、シャルはソラの背の上で大きなくしゃみをした。シャル達は既に都を出て、東ノ国を背にして再び「海原へ至る草原」に敷かれた街道を進んでいた。しかし今回の旅にはチェナだけでなく、気の良い四人の行商達が一緒だ。一列で並んで動く三台の荷車の横を進むシャルが立てたくしゃみの音を聞いたゴウが先頭の荷車からこれまた大きな声で

「おう大丈夫か?」

と聞いてくる。シャルは鼻を擦ると

「大丈夫です」

と答える。

「ははっ。誰かがお前さんの噂でもしていたんじゃないか?」

「確かにそうかもね。だってシャルとチェナ、少し神秘的というか、つかみどころがない感じがするもん。姉弟であんまり似ていないし、それにチャナはその年で用心棒やってて、その仕事をこなせるだけの力があるのも、何だか不思議。昨日二人は私達と出会う前にも他の行商に話しかけていたんでしょ?ならその人達が二人の話をしていてもおかしくないと思うな」

相変わらず少し抜けた調子で、しかし二人が隠している秘密に迫るような発言をしたシイに対し、シャルは内心ぎくりとしつつも

「あ、あはは。確かに僕たち姉弟なのに似てないって良く言われるので、そうかもしれませんね」

とぎこちない感じで言葉を返した。

「やっぱりそうだよね。あ。でも、例え似ていなくてもシャルは良いお姉ちゃんを持ったと思うよ。昨日シャルが王宮のほうに走っていっちゃった後、チェナはシャルのことをずっと気にしていたし、あそこで無理に引き留めなかったのもシャルの気持ちを押さえつけない為でしょ。それに…」

「おい、シイ。そこまでにしとけ。家族の前でそんなこと言われるの、二人にとっちゃ恥ずかしいだろう」

またまたシイのお喋りが止まらなくなりそうになったその時、真ん中の荷車にヤイノと乗っていたムツイが荷車から上半身を乗り出し、背後のいる彼女をたしなめた。

「あっ、そ、そうだよね!?良かれと思って言ったんだけど、良く考えれば家族のそういうところ聞かされるの、お互いに気まずいよね…。無遠慮でごめんなさい」

ムツイにそう指摘され、シイは初めて少ししおらしい態度を見せる。それを見たムツイは体を荷車から乗り出したままため息を一つつくと

「すまんな。だが決して悪いやつじゃないんだ。それに明るくて喋るのが好きってのは商売人向きの性だからな。どうか許してやってくれ」

と彼女を擁護する。

「相変わらずムツイは優しいね。でも、そういう言葉、今度は私にとって少し恥ずかしいかな。えへへ…」

ムツイに擁護されたシイは顔を少し下に向け、ほんの僅かに紅潮した顔を隠そうとした。それを見たムツイも、図らずとも先程のシイと同じことをしてしまったことに気づき、気まずそうな顔で体を戻す。

「…す、すまん。俺も無遠慮だった」

そんなやり取りをムツイの横で聞いていたヤイノも話に入って来た。

「だけどムツイさんの言う通りです!シイさんはほ~んの少しだけ口が多いのが玉に瑕なだけで、自分達をいつも元気づけてくれる大事な存在なんです!商品が上手く売れなかったりとか、そういう辛い時もシイさんの底抜けの明るさがあったから自分も今まで付いてこれたんです!」

「止めてくれヤイノ~…。そういうのが恥ずかしいんだってば…」

ヤイノが良かれと思って放った渾身のその一言は、彼女の頬を更に赤く染めた。

「おいお前ら、そういうことは仕事が終わってからやれ。元気なことはなによりだが、今回はケハノ村に入れないんだぞ。体力は山を越えるまでしっかりと残しておけ」

彼らの会話は、先頭から放たれたゴウの鶴の一声で収まった。

「二人も体力は残しておけよ。特にチェナ、警戒してくれているのは有難いが、そんなに難しい顔のままでいるのは疲れるだろう。商隊が襲われたことで気が立っているのだろうが、こんな真っ昼間のだだっ広い草原にいる奴を襲う馬鹿はそういない。そういつも気張る必要はないぞ」

そしてゴウは雇われのシャルとチェナにも声を投げた。彼の言う通り、チェナは都を出てからというものずっと顔をしかめており、更に時折背後の草原を気にしているように後ろを振り返っていたのだ。ゴウに指摘されたチェナはスイの背の上から

「確かにその通りですね。少し緊張しすぎかもしれません。すみません」

と、そう答える。ただ、昨晩良く眠れなかったのか、その声には少し疲れがあった。


やがて一行は街道を少し外れ、前にシャルが初めて野宿をした際に立ち寄ったものと同じようなオアシスにたどり着いた。

「さて、ここで一度休憩としよう。ムツイとシイは俺と一緒に向こうの丘の方に来てくれ。今回は久々に旧道を通るからな。改めて旅程をしっかりさせておきたい。本当はヤイノ、お前も交えたいところだがあいにくとちょっと複雑なもんでな。悪いが荷を見張っていてくれ。シャルとチャナも俺達の話し合いが終わるまで自分達の馬達の面倒を見るなりしていてくれ」

そしてゴウ達三人はオアシスのほとりに荷車を止め、そこから少し離れた丘の上に登って何やら三人で話し合いを始めた。荷車と三人の距離はさして離れてはいないものの、彼らが何を話しているかについては聞き取ることが出来なかった。荷車はヤイノが見張ってくれているのでシャルはソラにまた刷毛掛けでもしてやろうと思い、ソラの背から降りた。するとそれと同時にチェナもスイの背から降りると荷車の上でゴウたちをじっと見ているヤイノに向かって行った。

「ヤイノさん、ごめん。私達も少し荷車から離れてもいいかな?私達の馬、まだ若くてあまり私達以外の人に慣れていないから、今の内にゆっくりさせておきたいの。勿論何かあれば直ぐに戻ってこられるようにするから。いいかな?」

チェナにそう問われたヤイノは、水を飲ませてやるため荷を引いていた牛達の留め具を外す手を止め、ニカッと笑うと

「勿論です。もし何かあれば直ぐに呼びますね。声の大きさには自信があるんですよ!」

と答えた。彼の返答に対しチェナはありがとう、と短く礼を告げるとスイの手綱を握り、シャルに向かってついてくるように目線で促す。シャルはそれに従い、自身もソラの手綱を持ち、彼女の後を追って荷車から少し離れたほとりに移動した。

「ねぇ、ソラとスイが人慣れしていないって変じゃない?スイは誰が近づいてもいつも大人しいし、ソラはちょっと刷毛掛けしてあげただけでこんなにも俺に懐いてくれたし、ヤイノから離れる必要なんてないんじゃ」

「あぁ、今のは勿論嘘よ。別にこの子達を休ませたくてヤイノから離れた訳じゃない。それじゃシャルはあの辺に立ってて」

キオの言葉を軽く受け流すと、チェナはシャルをほとりから少し離れた場所に誘導し、それと同時に彼とオアシスの間に挟まれるような形で二頭を並ばせた。

「よし。これで行商さんたちからはソラとスイが壁になってくれて私達が何をやっているか分かりにくい。これならなんとかなりそうね」

「あの、今から何をするの…?」

わざわざ嘘を吐いて荷車から離れただけでなく、馬達を目隠しに使ってまで知られることを避けたチェナに対し、シャルは不安な気持ちになった。

「時間がある内に、あんたに地導使いとしての戦い方を教えてあげるの。本格的な鍛錬は里に行かないと出来ないけど基本の立ち回り方とか、心構えとかそういうことなら今でも教えられるから」

その言葉にシャルは全身に緊張が走った。自分自身が戦えるようになること。それこそがこれまでの生き方を捨ててまでここまで来た理由なのだから当然だ。

「…よろしくお願いします」

改まった態度でシャルは答える。その様子が可笑しかったのか、チェナはクスッと小さく笑った。

「そんなに緊張する必要はないわ。今から教えることは本当に基礎の基礎。実際に戦えるようになるには経験と時間が必要よ。だから、もっと気楽に聞いてちょうだい」

そう言われて、シャルは少し肩の力を抜く。

「早速始めていくわよ。まずは質問。私達地導使いは地導をその身を纏うことで体を岩のように硬くすることが出来る。ならば極端な話、全身ずっと体を硬くしていれば何者にも負けないと思わない?だって全身が岩のような人間よ?そう易々と傷つけることは出来ないし、おまけにその硬い体で強力な攻撃をすることも出来る。既に攻守ともに完璧だし、それならわざわざ武術とかを学ぶ必要もない。これについてシャルはどう思う?」

「う~ん。確かに言われてみればそうだね。この力があればわざわざ武術とかを身に着ける必要は無いように思う」

「やっぱりそう思うわよね?じゃあシャル、今からその無敵の人間になってみて。体中の力を使って全身に地導を纏うの。あんたなら出来るはずだわ」

「分かった。やってみるよ」

そしてシャルは両手の拳をぐっと握り地導を出そうとする。だがその時点で、キオは今まで気づかなかったある重大な点に気が付いた。シャルはこれまで能動的に地導を出したことが無かったのだ。チェナや自身の共鳴、そして村から逃げる際やチェナに刀を向けられた際に無意識に体に纏っていた以外は自分の意志でこれを出したことは無かった。

「ごめんチェナ…。俺、今まで自分で地導を出したことが無いんだ。共鳴とかで出したことはあるけど」

「…そういえばそうだったわね。でも大丈夫、自分で出すのもそんなに難しくないわ。まずは呼吸を整えて、それから自分の体の中心、丁度へその辺りに意識を集中してみて。まずは体の内側に意識を向けてみるとやりやすくなるはずよ。勿論最初はゆっくりでいいわ。さ、やってみて」

シャルはすぐさま目をつむり、自分自身の呼吸の長さを心の中で数えるようにしてから息を整え、そして言われた通りゆっくりと体の内側に意識を向けた。その一連の動作はちょうど武人が戦いの前に瞑想をするかのようで、しばらくするとシャルは全身の感覚がそのまま身体からにじみ出て来そうな感覚を覚えた。そしてその状態のままへその辺りに意識を向ける。すると本当に下腹部にじんわりとしたあの火照りが少しずつ生まれてくるのを感じた。

「お腹の下が温かい。これで合ってる…?」

目を閉じながらシャルはチェナに声をかける。

「それで正解よ。そしたら次はその温かさが全身に広がるように意識してみて。布に垂らした水滴がそこからじわじわ円の形に広がる様子を想像するといいわ」

シャルは再び意識を体内の火照りに戻すと、言われた通りにそれが波紋のように体全体にゆっくりと広がってゆく様を頭の中で想像した。するとその想像通りに、下腹に留まっていた火照りが腹から胸、首、手足の先端にまで広がっていった。

「そう、その調子。目を閉じているから分からないでしょうけど、今シャルの全身にはあの陽炎のような淡いゆらぎが纏わりついている。ここまで来たら、後は体の力だけで自由に地導を操れるわ。シャル、全身に思いっきり力を入れてみて」

火照りを纏ったままシャルは一気に体を強張らせる。その瞬間、まるで熱い湯に飛び込んだかのように、熱を増した火照りがキオの全身を瞬時に包んだ。また先程までとは違い、腹や胸だけでなく爪の先端や頭髪にまで、その熱が強く感じられた。

「上出来だわ。シャルは今全身に力強く地導を纏っていることで、体が岩のように硬い人間になっているわ。自分では到底分からないでしょうけど、今この時、あんたに傷を負わすことの出来る人は誰もいない、まさに鉄壁の鎧そのものになっているの」

その言葉にシャルは全身を覆う熱とは違った、別の熱いものが胸の内から込み上がって来るのが分かった。

(誰も今の俺を傷つけることは出来ない…最初は不気味だったこの感覚も慣れてくれば何だか懐かしいというか、安心すら感じられる。これが女神様に選ばれた者だけが使える力…)

「そしたら次に進むわよ。今度はその状態を保ったまま、私のもとまで歩いてきてみて。そのまま声だけを頼りに進むのは難しいだろうから、まずはその閉じた瞼を開くところからね」

(目を開けて歩けだって?これからもっと難しいことをするものかと思ったのに何でそんなことをわざわざ…でもまぁいっか。まずは目を開けよう)

そんな無意識にでも出来ることを命じられたシャルは少々拍子抜けしたが、変わらず彼女の指示に従おうとした。しかし…

(な、何だ?瞼に力が入らない?い、いや違う…これは、動かない…!?)

ごく自然に開こうとした彼の瞼は、まるで糸で強く縫い付けられたかのようにぴくりとも動かなかった。力を入れている自覚はあるものの、それを全く受け付けないような、そんな奇妙な感覚だ。

(くそ、ならせめて足だけでも…ぐっ、そ、そんな馬鹿な、足も全く動かせない…!?)

シャルは瞼を動かすことを早々に諦め、それなら目を閉じたままでも歩き出そうとして両足に力を入れるものの、こちらは足裏から根が生えているかのように彼の意志に反して微動だにしなかった。いや、足や瞼だけではない。今まで火照りに気を取られて気づかなかったものの、体に力を入れてから腕や顔の筋肉でさえ、シャルは全く動かせなくなっていた。

「はい、そこまででいいわ。全身の力を抜いて。あ、でも気をつけてね。一気に力を抜いたら…」

しばらく動かない体と格闘していると不意にチェナの声が耳に届いた。その瞬間、シャルは硬直の感覚から逃げ出すかのように一気に体を弛緩させる。それに合わせて全身を覆っていた火照りも消え、同時に体の自由も元通りになった。だがそれを安堵する暇もなく、今度は彼の体を凄まじい疲労感が稲妻のように駆け巡った。

「あ、あぁ…」

強烈な疲労に耐え切れず、シャルは情けない声を上げながらそのまま後ろ向きに派手に倒れた。倒れた後もその疲労感から立ち上がる気にもなれず、仰向けのままやっとのことで開いた瞳で澄んだ青空を眺めていた。その視線の間に、チェナが彼を見下ろす形でにゅっと顔を出す。

「お疲れ様。一気に力を抜いたらそうなるから気をつけてねって言いたかったんだけど...」

「言うのが、遅いよ…」

気怠そうな声でシャルは愚痴をこぼす。

「馬鹿な事言わないで。あんたが言い終える前に力を抜いたからじゃない。でもこれでさっき言った、全身に地導を纏っていればいいんじゃないかっていうのが最善ではないというのが分かったでしょ?地導は強く纏えば纏う程、その体を硬く強靭にしてくれる。でもそれは良くも悪くも人の体を岩や石に近づけてしまう行為なの。さっきシャルは自分の体が言う事を聞かなくなって焦ったと思うけど、地導は力強く纏えば私達の皮膚だけでなくその内部、つまり腱や骨、筋肉までを硬くしてしまう。だからその場から全く進めなくなるばかりか、瞼すらまともに動かせなくなってしまったの」

「なるほど。防御は完璧でも一歩も動けなくなるっていうのは不味いことだね」

「それだけじゃないわ。地導の力は女神様から与えられた神秘の能力だけど、それを実際に扱うのは私達の身体。私達が走ったり、重いものを持ち上げたりすると疲れるのと同じように、その力を行使すれば肉体に疲労として蓄積されていくし、強く力を使うほどその蓄積は大きくなるわ。戦場のど真ん中で防御を解いて、今のシャルみたいに疲労からその場に倒れこんだら、あとはどうなるか分かるわよね?」

「確実に死ぬね…」

「そう、残念ながら全身を常に硬くすることは現実的な方法ではない。だから私達は地導使いとしてその扱い方と、そして戦士となるならそれを応用した武術を学ばなければならないの。ほら、立って」

そしてチェナはまだ疲れが抜け切れていないキオの腕を掴み、半ば無理やりに起こした。

「少し話を帰るけど、昨日私があの下品な用心棒に蹴りを入れた瞬間、私が膝に地導を纏ったのをシャルは見ていたでしょう?」

「それは俺でも分かったよ。本当に一瞬だったけど」

急に立たされたことで若干の立ち眩みを覚えつつも、先程よりもずっとはっきりとした声色で答える。

「それは良かったわ。早い話、昨日私がやったことが地導を使って戦うことの基本であり、全てなの」

「えっと、それはつまり?」

「つまり攻撃を当てる瞬間、その部位のみに地導を纏うの。例えば目の前の相手を殴ろうとする時、拳が相手に触れるそのすぐ手前で拳だけを硬くすることで打撃の威力を上げつつ、体の硬直や疲労の蓄積とかの負の部分を大きく軽減することが出来るわ。これが地導使いの攻撃の基本よ」

「そういうことか。攻撃を振りぬく瞬間だけに集中することが出来れば…。あれ、でもそれって凄く難しくない?自分と相手の間合いとか、自分の攻撃の速度とかを良く分かっていないといけない気が…」

「良いところに気が付いたわね」

チェナはいつかの夜と同じように、人差し指をぴんと立てた。

「シャルの言う通り、この方法は言葉では言うのは簡単でも、実践するのは難しいわ。それに今のシャルみたいにいちいち呼吸を整えないと地導を出せないような状態では攻撃の刹那に特定の部位だけに地導を纏うなんてことは到底出来ない。だから地導を使った攻撃は言ってしまえば応用技、自分の戦い方をある程度知っている人間でないと使いこなせないの」

「う~ん。やっぱりそう簡単にはいかないね…」

シャルは少し肩を落とす。今まで武術などまともに習ってこなかったシャルは、すぐに戦えるようになれるなど思ってはいなかったが、先程仰向けに倒れたこともあり、武術だけでなく地導を織り交ぜて立ち回るということが果たして自分に出来るのかという不安が少しずつ蔓延り始めていた。

「別に落ち込む必要はないわ。確かに地導を攻撃に組み込むことは一朝一夕にはいかない。けど私が今攻撃は応用技だと言ったように、地導使いの戦いの基本と本質は攻撃じゃなくて防御にあるの。それを今から教えるわ。まずはこれを持って」

チェナはそう言うと腰にぶらさげた刀を外し、それをシャルに投げて寄こした。慌てて刀を受け取るとカチャッ、という音と共にずっしりとした独特の感覚がシャルの腕に伝わる。

「前に野宿した時にもちょっと言ったけど、私達里の人間は地導の力を邪な目的の為に使ってはいけない。暴力は他者を傷つけたり、何かを奪ったりする時に振るうものだけど、そういうことをするのは勿論その時に地導を伴うことは許されないの。だから私達が戦いでこれを使うのは殆どの場合自分自身を守るときだけ」

そしてチェナはシャルに刀を持たせたままソラとスイの影から出ないようにシャルから数歩程離れる。

「それじゃ、シャルにまた質問よ。あんたは今刀を持っている盗賊で、目の前には武器を持っていないが金目のものを持っていそうな女が立っている」

そこでチェナは自身が丸腰であることを強調するかのようにまるで小さい子供のように両腕を大きく広げてみせた。

「ただその女は気が強くて刀で脅すくらいでは怯まない。さて、この状況で盗賊のあんたはどうする?」

「えっと、刀を見せても怯まないなら殺して奪うとか?」

その回答を聞くとチェナは満足げにほほ笑み、そして

「分かったわ。なら、実際にその刀で斬りかかってみなさい」

と、自身を攻撃するように促した。その言葉にシャルは目を丸くする。

「冗談だろ!?刀なんて指で数える程しか触ったこと無いんだぞ!?」

「あら、忘れたの?私もあんたと同じ地導使いよ。私がシャルの喉を貫けなかったのと同じように、もし仮にあんたがどれだけ剣術に長けていたとしてもその刀じゃ私に傷一つ負わすことは出来ない。いいから遠慮なく来なさい」

「そういえばそうか。な、なら仰せの通りに…」

シャルは渋々柄を握り、鞘からゆっくりと刀身を抜き出した。以前シャルに突き立てられた刀身は、変わらずに日光に照らされ鈍い光を放っている。そして両手でしっかりと柄を握ると、シャルはその切っ先をチェナに向けて構えた。いくら相手を傷つけることはないということが分かっているとはいえ、刃を知人に向けるという行為はかなり気が引けるものであった。しかし、ついさっき彼女の前で情けない姿を晒した手前、これ以上恰好の付かない様を彼女に見せたくはない。

「それじゃあ、行くぞ!」

覚悟を決めたシャルは刀を構えたままチェナに駆け寄り、その頭に向かって少々遠慮気味に刀身を振り下ろそうとした。しかしシャルが刀を振り上げたその時、チェナは自身の額の斜め上辺りで左腕を横に、右腕を縦にするようにして十字を作り、それに地導を纏わせた。

(なっ…!?)

シャルがそれを防御の姿勢だと認めるよりも早く、刀身はチェナの交差した腕に吸い込まれるように振り下ろされ、そしてキンッという短い音と共に横にされた左腕により見事に受け止められてしまう。だがチェナはそれだけにとどまらず、刀の衝撃が完全に殺されるよりも早く右の足を後ろに下げると同時に、刀身を受け止めた両腕を交差させたまま、全身を右側に回転させる動作を伴って自身の股下に引き落とした。その動きにより縦向きに交差した右腕に刀身を引っ掛けられたシャルは体幹を崩され、そして思わず手から刀を落としてしまう。

「…はい。あんたの負け」

刀を止められてから数秒にも満たない、流れるような動きで斬撃をいなされたシャルは中腰のままチェナの足元に落ちた刀を呆然と眺めていた。そんな彼にチェナはやや挑発的な声で敗北を伝える。

「丸腰の私に斬りかかるということを決めたその時からこうなることは決まっていた。これが地導使いの防御法よ。硬化した体を使って相手の一撃をその身で受け止め、相手が動揺している隙に体術を駆使して武器を捨てさせる…ってほら、いつまでそうやって屁っ放り腰でいるの。しっかり立ちなさい」

チェナは足元に刀を拾うと相変わらず情けない恰好で固まっているキオに渡した。柄を向けられたシャルはそこで目が覚めたかのようにぴょこんと姿勢を正すとチェナの手から刀を受け取った。

「俺、何されたのか全然分からなかったよ…。刀を受け止められた瞬間刀ごと真下に押さえつけられるような感覚がして気づいたら刀から手を放していた。あの、正直あまり聞きたくないんだけどもし俺が本当の盗賊だったとしたらこの後どうなっていたの?まさか、武器を奪われてそれで終わりじゃないよね?」

「良い質問ね。あんたの想像通り、武装を解除した後は相手に対して今度はこっちから手痛い反撃を加えるの。例えば今の方法は自分より背丈が高い相手に斬りかかられた時に有効で、相手は武器を落とすだけでなく真下に力を加えられることで自分の顔をこちらに近づけてくれるわ。そして降りて来たその顔に向かって拳や、下げたほうの足を使って膝蹴りを叩き込むことが出来る。あんたが本物の盗賊なら今頃ちょうど昨日の用心棒みたいに鼻から大量の血を出して意識を失っていたでしょうね」

「ひえっ…」

その反応が面白かったのか、チェナは再びくすりと笑うと

「ひとまず今回はここまでにしましょう。私達の基本の戦い方は防御を初動とする、まずはこれをしっかり覚えておいて。これから里に着くまでまた時間が作れたら今みたいな防御の型を教えてあげるわね。ただ最初に教えた、自分で地導を出す方法は暇があれば自分で練習しておくように。これを反復しないと体の一部を素早く硬くすることは出来ないわ」

「分かったよ。チェナ、ありがとう。これからまたよろしくね」

そして二人は稽古の間大人しく壁になってくれていたソラとスイを連れ荷車とヤイノのもとに戻っていった。

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