第21話 里の者からの便り

「『灰の風』…。シンラの国がかつて抱えていた暗殺者集団…」

シユウがぽつりとそうつぶやく。

「『灰の風』…ですか。彼らのかつての所業を鑑みるなら、このような襲撃を行うことも容易い。ですが、彼らは西ノ国の怒りを買い、東ノ国との連合討伐隊により壊滅した。そのことは何よりもあなたが一番良く解していることかと思いますが」

セシムにそう告げられたトルクはその長い髭を一撫でする。

「そう、灰の風は完全に潰えた。表向きにはそう伝えられておる」

「『表向き』には…?それは一体…」

トルクは再び自身の長い白い髭に、先程よりもゆっくり丁寧に触れる。

「『風狩り』と呼ばれた東西両国による『灰の風』の大討伐。そこに参加し大きな戦果を残したことで儂は帝の腕からこの国の軍部重臣にまで上り詰めることが出来た。…さっきも言ったように重臣という仕事は儂の性分とは少々合っていなかったようじゃが。まぁそれは良いとして、二年に渡る風狩りを終え、最終的に灰の風は完全に根絶やしにされたと、両国の国民達にはそう伝えられた。じゃが、歓喜に震える民衆とは対照的に当時の軍部の間には煮え切らない感情がはびこっておった。確かに風狩りにより儂らはほぼ全ての灰の風を討ち取り、捕えることが出来た。しかしその実、儂らは二年という歳月をかけても『火種』と呼ばれる風達の頭目を見つけ出し、その首を取ることが出来なかったのじゃ」

『…!!』

思いもよらぬトルクの発言に、二人は驚愕する。

「つまり、灰の風は完全には潰えていないと。そういうことですか…?」

「うむ。当時この情報は皇帝と軍部重臣を含めた他の重臣、そして当時の帝の腕にしか知らされなかった。故にお主らが知らぬのも当然のこと。風狩りが終わった後も儂を含めた帝の腕達は秘密裏に『火種』の行方を追っておったが、どれだけくまなく探そうと彼奴の姿どころか痕跡一つ見つけることは終ぞ出来なかった。当初は『火種』の発見に躍起になっていた両国も、『風狩り』後に交易に支障をきたす程の盗賊の大規模な襲来が無かったことや、何より当時は西ノ国では草ノ大陸全土の交易路整備に、東ノ国ではテルーとの貿易に力を入れていたこともあり、もはや灰の風は取るに足らぬ存在として追撃は結局打ち切られることになったのじゃ」

そこまで話したトルクは喋り疲れたのか一度語りを止め、腰にぶらさげた小さな水袋を手に取り中の水を口にした。

「それではトルク殿はかつての風の頭目が、西ノ国にシンラが敗北した後にそうしたように、はぐれ者達を集め再び盗賊団を結成し商隊を襲ったと。そうお考えなのですね?」

セシムのその問いに、喉を潤したトルクは小さく息を漏らした後

「そうじゃ」

という返答と共に大きく頷く。

「しかし、それでもまだあなたの考えには疑問が残ります。シンラの国が征服されたのは今から約十五年前、そして風狩りが終了したのも十一年前です。確かにそれだけの年月があれば、百人規模のならず者達をまとめ上げるには十分かと思いますが、それだけで『灰の風』と断定するにはいささか結論を急ぎ過ぎているかと存じます」

だが、トルクの言葉を聞いてもなおのこと納得がいかぬ様子を見せるシユウが反論をする。それを聞いたトルクは再び懐に手を入れると、先程取り出した目録よりも小さい紙を取り出し二人の前に広げてみせた。

「これは儂の友人から秘密裏に届けられた便りじゃ。これによると丁度一月前に草ノ大陸のとある宿場町で襲撃があり、数名の住人やその時泊まっていた行商の何人かが殺され、そしてその時町にあった重要な品の殆どが強奪されたそうじゃ。その品とは西ノ国の首都から地方の軍部に向けて送られるはずだった大量の刀剣や槍、そして火薬じゃ」

「火薬ですか。それは厄介ですね…」

「お主らも知っての通り火薬は他の武具と比べて特に厳重に管理されており、西ノ国でも東ノ国でも原則として軍部しかその使用は許されておらぬ。しかし、商隊襲撃の直後に起こった正体不明の者によるケハノへの襲撃。これを生き延びた村人達は皆口を揃えて家屋のいくつかはその火薬によって破壊されたと述べておる。加えてこの文には続きがあっての、町に居た者の話によると襲撃者の一部は鼠色の外套を身に纏い、武器を振るうその両腕には螺旋模様の刺青がびっしりと彫られていたそうじゃ」

「鼠色の外套と螺旋を模した刺青…それは『灰の風』の証ですね?それに加え火薬を伴ったケハノ村の襲撃…我らを襲った際にもその奪った武器を使ったとなれば、なるほど、それ程の情報があるのなら『火種』の所在はどうあれ、再び『灰の風』が動き出したと考えてよさそうですが…。しかしそれでは彼らがテルーの宝飾品を狙う理由は何でしょうか?」

「うむ、そうじゃ。そこが肝なのじゃ」

そしてトルクは再び水袋に口をつけ中の水を全て飲み干すと椅子に深く座り直す。

「あくまで此度の件が『灰の風』によるものだという仮説になぞった話だが、かつて奴らが盗賊団を率いて交易を荒らし回ったその最大の理由は征服されたシンラの国の再興じゃ。そして今回も同じ理由で蜂起したとするなら、彼らはまずケハノを襲い再度両国の交易を麻痺させ、そしてその隙に奪った宝飾品を祖国のある草ノ大陸の西端に持ち帰り、それを使って戦力を募ることじゃろう。首都から離れた地域なら中央の息もかかりづらく、またそのような場所に派遣させられる官僚や兵隊長は中央で力を発揮出来ずに左遷されたような、西ノ国にある程度不満を持つような者が多数じゃ。そのような者達に対してなら、テルーの宝飾品を賄賂として渡せば簡単に丸め込める上に、相応の戦力を提供してくれる。そして時が来たら再び西ノ国に反旗を翻す…」

トルクの話す仮説に、二人は固唾を飲んで耳を傾ける。

「これが真であるとしたら、彼らは以前とは比較にならない程の勢力となろう。西ノ国の兵力が取り込まれるということは、それ即ち平地においては最強とされる西ノ国の騎馬兵団が敵に回るということ。もしそうなれば今度こそ西ノ国の都に彼らの魔の手が及ぶかもしれん。そして万が一にでも西ノ国が彼らに下ることになれば、我ら東ノ国に対しても多大な脅威となることは明白じゃ」

(やれやれ、軍部重臣の役に辟易していると言いながら、この短い間にこれだけの予測を既に立てているとは。それに西ノ国内の襲撃を伝えたという友人、恐らくはトルク殿と同じ「里」の人間だろうが、ハイラの山に遮られた隣国の情報をこうも易々と抜き取って来るというのも、情報の収集も抜かりない証。全く、この人は本当に恐ろしい人だ…)

トルクは心の中でそう呟いた。今まで彼の下で剣を振るっていたセシムだからこそ、兵を動かすことに関するトルクの有能さは誰よりも理解しており、そしてそれに裏付けられた彼に対しての信頼も人一倍強いものであった。しかし、そんなセシムとは対象に、彼の弟であるシユウは変わらず腑に落ちない顔をしていた。それに気づいたのか、トルクも彼に対し、

「…以上が儂の考えじゃが、ふむ、シユウよ。ここまで聞いてそのような顔をしておるということは、変わらずお主は疑り深いのう」

と少し困った様子で語り掛けた。

「いえ。あなたを疑っている訳ではないのです。しかし、あなたの言うように本当に『灰の風』が再び動いたとするなら、我々が襲われた際にそれらしき者と会敵していないことに少々疑問が残るのです。聞いた話では、彼らは特殊な技法を用いて暗殺者でありながら鎧を着た兵とも正面から渡り合えるそうですが、私を含めあの場にいた者達は鼠色の外套や特徴的な刺青は勿論、そのような特異な動きをしてくる者など…」

シユウはしかし、そこまで言ったものの急に態度を改め

「いえ、敵が明らかになっていない以上疑問は尽きませんね…。これ以上あれこれ考えても先には進みません。それに敵が何者であろうと我らの役目はこの国の脅威を打ち倒すこと。ここはトルク殿の考えに従います」

とトルクに告げた。それを見たトルクは小さく頷くと、今度はセシムに顔を向ける。

「セシム、お主は何か疑問に思う事はあるか?」

「いえ、私はシユウとは違い襲撃の場に居合わせたわけではありません。『灰の風』が未だに存在しているということについては私にとってもにわかには信じがたいことですが、トルク殿とその文が真であるなら由々しき事態。私も貴方の考えに従います」

弟のシユウとは対照的に疑問を呈さず、トルクもまたそう告げる。

「よろしい。では、改めてお主らに命を与える。お主らは他の『帝の腕』を連れ、目録に記載された行商の内、テルーの品を運ぶ行商達を山に入るまで追え。ただ、あくまで彼らのあとをつけるだけじゃ。行商達を無防備だと思わせなければ賊を釣ることは出来ぬからの。但し、実際に賊が彼らを襲うようなことがあればその時は行商達の守護を優先せよ。ただ、追尾はあくまで山に入るまでじゃ。山に入ってさえしまえばそう簡単に手は出せぬ。使うのが旧道であればなおさらじゃ。それに、お主達が西ノ国の許しを得ずに入国すれば、どうなるかわかっておるだろう?」

『はい』

先程大会議で皇帝に対してそうしたように、セシムとシユウは短く呼応する。

「そして尾行をする行商じゃが、ふむ…」

トルクは目録を手に取る。

「テルーの品を運ぶのはこの『ロク』という行商と『ゴウ』という行商の二人のみじゃが、残念ながら儂らは彼らがどのような行商か分からぬ。少々面倒じゃが、関所での検品に同行し、そこで確かめるしかあるまい。チラク殿やその下の役人達が素直に教えてくれる訳もないからの」

「それでは急がなくてはなりませんね。触れ書きが出ているとはいえ、関所は既に開いている時間です。ぐずぐずしていては先に都を抜けられてしまうやもしれません」

「それについては案ずる必要はない。今回は荷が王宮からの正式な品であることを認める書簡を行商達に持たせることになっておる。これが手渡されるまで彼らは都を出ることは無い故、猶予はまだある」

「左様ですか。しかし、ここから西の関所からは少々時間もかかりますし、我々としては直ぐにでも向かいたい所存ではあります」

「うむ。儂もこれ以上お主らを留めるつもりは無い。では、あとは頼んだぞ」

「承知しました」

「肝に銘じます」

了解の意をそれぞれ示した後、部屋を後にしようとする二人。しかしトルクは

「あぁ、すまん、セシムよ。お主に伝え忘れていたことがあった。なに、大したことではない」

と、セシムのみに留まるよう命じた。同時に足を止めた兄弟は一瞬顔を見合わせると、何を言うでもなく互いに頷き、そしてそのままシユウだけが扉を押して出て行った。

「私に、まだ何か?」

残されたセシムはトルクに歩み寄る。

「うむ。お主には行商達の守護に加え、もう一つ任を…いや、これは儂個人の願い出といったほうが正しいじゃろう。セシムよ、お主はこの任が終わり次第、機会を見て皆と離れて山に入り、そのまま儂の里まで訪れて欲しいのじゃ」

「…!!それは…」

トルクの里、つまりそれは、セシムに宿る「力」を太古より守る者達が暮らす場所を示していた。

「しかし、お言葉ですが私は師匠の里の所在など…」

「案ずる必要は無い。儂のほうから案内人は手配する。セシムよ、以前儂は師として地導使いの武術をお主に教えることを約束した。しかし、重臣としての仕事が立て込んでいる今ではどうもその機会が中々訪れそうもなさそうでな…。故に直接里に訪れ、それを学んで欲しいのじゃ」

「しかし、それは東ノ国を離れてまで…」

「そうじゃ。国を離れてまでも為す必要があるから言っておるのじゃ」

そう言いかけたセシムの言葉を、有無を言わせない圧力を伴ってトルクは遮った。

「此度の件、儂は何かとても不吉な予感がしてならん。『灰の風』は勿論、それ以上に何か、強大で貪欲なものが我らの見えぬところで蠢いているような気が取れる。儂の杞憂で済んでくれればそれでよいが、それでも今お主を鍛えておかねばならぬ気がしての。幸い、シユウも戻って来た故、お主一人が不在だとて国の守りに支障は無い。どうじゃ、頼まれてはくれぬか?」

「…分かりました」

少しの間の後、セシムはその願いを承諾する。

「感謝する。案内人には山で落ち合えるように文を送っておく。では、行くがいい」

「はっ」

部屋を後にしたセシムの姿を見送ったトルクはしばらくの間チラクが用意した目録を見つめていたが、やがて目線をそれから外すと、先程若い兵士の腕を掴んで以降、少々不自然に握られていた右の拳を机の上でゆっくりと開いた。彼が開いた掌の中には丁度親指の爪くらいの大きさの、茶色い堅い種が括り付けられた糸で縛られた小さな紙があった。先程トルクは兵士が身に着けていた腕の鎧の隙間にこれが仕込まれてあることに気づき、彼を起こそうと腕を掴んだ際に誰にも気づかれぬようにこっそりと抜き取っていたのだ。トルクは種付きの紐を丁寧に外し、そしてたたまれたその紙を開いた。紙には炭の欠片か何かで書かれたかのような所々が少し擦れた文字が書かれていたが、それに目を通した途端、トルクはこれまで瞬きを除いては微動だにしなかった細い目を大きく見開き、思わず息を小さく飲んだ。その紙にはこんなことが書かれていた。


『お師匠様。お久しぶりです、チェナです。このような形での挨拶となり大変申し訳ありません。しかし、直ちにお伝えしたいことがあるため急いでこの手紙をしたためた次第です。私は今訳あってハイラの山、丁度ケハノ村の付近で出会ったシャルという青年とともに都にいます。既知のことかと思いますが、ケハノ村は先日何者かの襲撃を受けました。そして彼は襲撃の際に一人で逃げ延びたそうなのです。意図せずとはいえケハノの者に近づいてしまったことについては私自身も反省すべきなのですが、それ以上に彼には信じられないものが宿っていました。他でも無い、地導の力です。彼は偶然村の近くにある試しの泉を見つけ、そこで力を授かったそうなのです。更に信じがたいことですが彼は泉に全身で落ちたそうで、そこから一日程しか経っていないにもかかわらず地導を顕現させ、そして既に共鳴を行うことが出来ました。ここまで書けばお師匠様なら私が言わんとすることが分かるかと思います。彼の処遇については私一人が判断出来るものではないため、一度里まで連れてゆき長老様達に委ねたいと思います。幸いなことに彼自身も里を訪れることを望んでいるため、これから私達は直ちに都を離れ里に向かいます。軍部重臣としてお忙しいと思いますがお師匠様も何かご意見がございましたら鳩を飛ばして便りを送って下さい。里の人達もお師匠様の考えを聞きたいかと思います。それではこれで失礼します。


追記 時間が無かったためこの手紙は私が気絶させた兵士の鎧に忍ばせておきます。私の勝手で王宮に侵入したこと、どうかご容赦ください』


トルクは僅かに震える手でその紙を机に置くと、椅子から立ち上がり、部屋の反対側にある窓に近づいた。トルクの部屋は王宮の西側にあり、そこからは理路整然と区分けされた都の街並みと、そのずっと奥に荘厳に佇むオリス山脈を望むことが出来た。トルクはその景色を眺めながら、

「東側の山に泉が沸き、里の出ではないセシムがそれに選ばれた。それだけでも里の歴史においては考えられぬ事であった。しかし今度は『償いの者達』の子孫が女神に選ばれ、その者はかつて我らに混乱と分裂をもたらした『地導の使者』と同じ力を持っているとは…。やはりこの大地は再び大きな変化を迎えようとしている。それが平和と繁栄への道か、はたまた先代が招きかけた破滅の道になるかは分からぬが、いずれにせよその青年が鍵となるはずだ…。チャナよ、彼を里までよろしく頼むぞ」

と呟いた後、机に戻ると二つの文をしたため始めた。

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