第20話 軍部重臣トルク

大会議を終えたトルクが自分の部屋に戻ったのは、丁度正午を回った頃であった。軋んだ木製の扉を開け、色褪せた本棚の他には執務用の質素な机と、いくつかの椅子が置いてあるだけの無機質な自室に入ったトルクの目に最初に飛び込んで来たのは、先程大会議を抜けたセシムとシユウ、そして顔を青くした若い兵士の姿であった。トルクの姿が見えた途端、セシムとシユウは恐ろしい速さで背筋を正し、若い兵士もそれにつられてたどたどしい様子で彼らに続く。

「ほれほれ、そんなに堅苦しくせんでもよい。三人ともそれに座れ」

彼らを通り過ぎ、部屋の最奥にある机に腰かけたトルクはすぐ横に重ねられた、少し埃が被った椅子を指さした。トルクの指示する通りに三人は背後にある椅子をそれぞれ持ち出し、机を挟んでトルクと向き合う形で腰かける。

「ん、どうした?お主、腹でも痛いのか?」

三人が椅子に腰かけたのを確認すると、トルクはセシムとシユウに挟まれた、若い兵士に声をかけた。哀れな兵士はトルクが部屋に戻ってきたことでより一層顔色を悪くし、今や椅子の上でプルプルと細かく震え出していた。

「い、いえ。そうではありません…。さ、昨晩私の不注意で何者かに王宮への侵入を許したことについて、一体どのような罰が言い渡されるのかと考えると…」

「おぉそうじゃそうじゃ。その昨夜の出来事についてだが、まずは…」

トルクがそう言いかけた途端、若い兵士は椅子から転げ落ちるように離れるとその場でうずくまってしまった。そしてその突然の行動に目を丸くするセシムとシユウをよそに

「ごめんなさい、母さん、父さん…。『帝の腕』になると豪語した私を快く送り出してくれたというのに、都の兵としてあるまじき失態を犯して死刑になるなんて。あぁ、私は、私はなんて親不孝な人間なのだろう…」

とくぐもった声を漏らし始めた。その様を見たトルクはため息を小さくつくと何も言わずに立ち上がって若い兵士に近寄り、穏やかな口調で

「顔を上げよ」

と告げた。その言葉に兵士は涙でぐちゃぐちゃになった顔をトルクに向ける。

「別に儂はお主の首を撥ねるためにお主を呼んだのではない」

「…へ?」

予想もしなかったトルクの言葉に兵士は思わず素っ頓狂な声を上げる。

「幸い昨日の夜、何者かが巡回の小舟をかいくぐって城壁に縄をかけ、そしてお主の意識を奪って王宮内に侵入した跡があることはお主とお主を発見した兵達、そしてここにおる者しか知らぬ。もしこの事を他の重臣に知られようものなら今日の大会議で儂は商隊の件と合わせて袋にされていただろうが、特に言及されることは無かったからな。それに重臣達に知られれば儂も面子を保つためにお主に何かしらの罰なり刑なりを与えざるを得なかったがの。互いに運が良かったのう」

「し、しかし重臣殿はともかく皇帝陛下に対しては…」

「うむ。陛下に対してもこのことはまだ伝えておらぬ。まずはほれ、もう一度腰かけよ」

そしてトルクは困惑する兵士に更に近づき、彼の身に着ける、肘辺りの鎧を右手で掴んで起き上がらせようとした。

「…!も、申し訳ありません!重臣殿のお手を煩わせるわけには…!」

鎧を掴まれた瞬間、兵士はトルクの意図を汲み取ったのか直ちに立ち上がり、相変わらずたどたどしい様子で椅子に戻った。

「だからそこまで堅苦しくならんでもよい。軍部重臣の名を冠するとはいえ、儂はちいとばかし腕の立つ、ただの老人じゃ」

トルクは少し呆れた様子で兵士が座ったことを確かめると自分も机に戻った。

「して、お主が昨晩何者かに攻撃を受けたことについてだが、その時の様子を聞かせてはくれぬか?お主の鎧を歪ませる程の一撃を叩き込んだ輩がどのようであったか気になるのでな。それさえ聞かせてくれれば、お主を咎めることなど一切せぬと約束しよう」

そう言ってトルクは兵士の胸を指さした。彼の言う通り、彼が身に着ける綿甲(めんこう)の鳩尾付近には拳大程の不自然な歪みがあった。

「は、はい。あれは丁度南側の巡回を行っていた時でした。城壁の淵に月明かりに照らされて一瞬だけ僅かに光るものを見つけた私は不思議に思い、その光があった場所に近づきました。そしてそれが月明かりに反射する鉤縄の鉤であると分かったその時に、私は鉤がかけられた城壁の淵に立ち、辺りを見回すように首を動かすそいつを見つけたのです。そいつは私の存在に気付くと、私が声を出すよりも早く、まるで猫のような俊敏さで詰め寄り、そしてご覧の通り鎧越しに痛撃を与え、私の意識を奪いました」

兵士はそこまで言うと綿甲の外布部分を外し、内部の装甲を露わにさせた。綿甲は小札(こざね)と呼ばれる金属製の小片をいくつも重ね合わせて固定し、これを外布の下に仕込むことで鎧として機能させているが、この若い兵士が着用しているそれは丁度鳩尾に打ち込まれるような形でくっきりとした拳の跡があり、その部分の小札も拳の形に合わせて大きく歪んでいた。

「不運なことに私がそいつを見つけた瞬間、月に雲がかかり辺りが暗くなりました。そのためはっきりと見たわけではないのですが、この傷をつけられた際、そいつは特に武器などを持ってはおりませんでした。つまり、そいつは素手で鎧では防ぎきれない程の一撃を放ったことになります。にわかには信じがたいことですが…」

「背丈や恰好についてはどうじゃ?」

「はい。これも暗かった為に具体的な恰好等は分かりませんでしたが、背丈はかなり小さく、丁度女ほどしかありませんでした。それに、鎧につけられた拳の跡の大きさから見ても大柄な人物とは思えません」

「なるほどな…」

そこまで聞いたトルクは一度椅子に深く腰掛けると、右手の掌を眺めしばしの間考え事を始めた。その様子を若い兵士は不安そうな顔で、その両側に座るセシムとシユウは表情一つ変えずに見守っていたが、やがてトルクは何か自分の中で合点がいったのか、掌を眺めるのを止めると若い兵士に顔を向け

「ふむ。お主のおかげで色々と分かったぞ、感謝する。もう外してもよい。長いこと引き留めて悪かったの」

と告げた。それを聞いた若い兵士は困惑した様子で

「で、では…本当に刑など無しで見逃してくれるというのですか…?」

と訊ねる。

「だから儂は最初からお主に罰など与える気などないと言うておろう。それとも、自分から鞭打ちを望むか?そんなことに時間を割く位なら刀の一つでも振るうほうが余程お主とこの国の為になると儂は思うがのう?」

トルクは若い兵士に対していたずらっぽく微笑みかけた。それを見た兵士は初めて明るい顔を見せると椅子から立ち上がり深いお辞儀と共に

「ありがとうございます!!この御恩は生涯忘れません!!」

と元気な声で礼を告げた。

「うむ。兵舎に戻る前にその涙と鼻たれはしまっておけ、他の兵士に笑われるぞ。では、精進するようにの」

「はい!」

そして若い兵士は部屋を出る前に再度深いお辞儀をしてトルクの部屋を後にした。兵士が部屋を出るのを見届けると、トルクは大きなため息を一つつくと肩の力を抜いてだらしなく椅子にもたれかかった。

「はぁ、全く。こんなことになるのなら軍部重臣などなるべきではなかったわ。肩書きのせいで新兵には不必要な程恐れられ、頭の堅い他の重臣や役人どもが目を光らせるせいで刀の一本も満足に振れぬ。後先短い身として、これは応えるわい」

唐突に威厳もへったくれもない様相を呈し始めたトルクに対して、彼の前で控えるセシムが朗らかな調子で話しかける。

「トルク殿の心労は私も重々承知しております。しかし、あなたは私達兄弟のような市井や平民の出身である多くの者にとって希望となる存在。己の力とそれに付随する実績があれば高い身分が無くとものし上がれるという、この国の制度を体現しているお方なのですから、この国の軍部を束ねる者としてこれ以上の適任はいないかと存じます」

「そうかもしれぬが、この国で己の力が真に公正に評されるのはそれこそ兵士くらいだろう。重臣の一人として多少はこの国の政に関わってきたが、この国を束ねる者達の中ではまだまだ世襲が根強い。まぁ今の重臣達の殆どは建国当初、この国が西ノ国の傀儡であった頃から必死に国と皇帝を支えていた者達の一族だから互いに結束が強く、故に外様に厳しいのは当然であると思うが、特に財や外政、交易といった分野で平民から重臣級に成り上がるのは難しいと思うのう」

トルクはしみじみとそう語った。するとセシムの横に控えるシユウが

「しかしそうだとしても、今日の大会議でのチラク殿の態度は見るに堪えないものでした。あんなに必死になってオウロ殿を貶めようとするなどと…。我々が命を賭して守る国の中にあのような情けない者がいると考えると虫唾が走ります。まぁ、私はその使命を果たせずにおめおめとここにおるのですが…」

悔しそうに声を漏らした。

「おぉそうじゃ。そのチラク殿じゃが、彼は今回中々良い仕事をしておったぞ」

そしてトルクは懐から、一枚の紙を取り出し、対面する二人に見せるように机の上に広げた。

「この目録は一体…?」

彼が取り出したそれは、先程の大会議でチラクが皇帝と他の重臣達に配ったものであった。見慣れぬ名と、その横に書かれた品々の名を見て、トルクは疑問の声を上げる。

「どうやらシユウ達が王宮に帰還し、荷が奪われたと知ったその時からチラク殿は既に動いていたようでな。ここに連なっている名はその横に記載されている品を買い付けた行商達で、チラク殿は自身に仕える役人達を使ってその者達に『その品を売るのではなく、西ノ国への謹呈品として無事に送り届ければ褒賞を与える』と持ち掛けたそうだ。新道とケハノ村が封鎖されて旧道を使わざるを得なくなったり、そもそも荷を運ぶことを諦めざるを得なくなったりした行商達にとってはこれほど美味い話はない。我が国にとっても失った品々の埋め合わせを素早く行うことで西ノ国からの信頼を損なうことを最小限に食い止めることが出来る。中々どうして上手いやり方だとは思わぬか?」

トルクは二人に目録を見せながら、チラクが大会議で話した内容を伝えた。それを聞いた二人は、少し感心した様子で

「確かに、普段のチラク殿からは考えられない程の仕事ぶりですね。この短期間で誰がどの品を買い付けたか把握し、その者達に素早く命を与えるとは」

「兄者の言う通りだ。トルク殿の粗探ししか能がない男だとばかり思っていたが。なるほど、これなら皇帝が通商重臣として置く理由が僅かながら分かった気がします」

と各々口にする。

「しかし、何故わざわざこれを私達に見せたのです?私達のチラク殿に対する評価を上げたところで何も有益なことなど無いと思うのですが」

「それは、この紙がお主達をここに呼んだ理由だからじゃ」

トルクがそう告げた瞬間、部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。セシムとシユウの顔は先程までの和やかなものから一転、敵を打ち倒すための武人のそれになる。

「では、仕事を始めようか」

トルクも打って変わって低い声になり、椅子にしっかりと座り直すとゆっくりと広げられた目録を見つめ始めた。その様相は部屋の緊張感も相まって、正に「軍部重臣」といって差し支えない程の静かな、しかし圧倒的な威圧感を醸し出していた。

「さてこの目録なのだが。シユウよ、商隊を護衛していた者として何か気づくものはないか?」

そう言われたシユウは何も言わずに目録の全体を概観し始めたが、やがて何か分かったかのように眉を動かした。

「商隊が運んでいた荷よりも明らかに多い。総量としては二割、いや三割ほど増えているでしょうか」

「その通り。ここに書かれている荷を全て合わせると明らかに商隊が運んでいたものよりも多くなる。その理由は分かるか?」

「…荷の到着が遅れたことを詫びるための追加の品、ということでしょうか?」

オウロの問いに今度はトルクが答える。

「勿論それもあるだろう。しかしそれは“荷が全て無事に西ノ国に届けられた場合”の話だ」

「…!!という事は…」

「そう、チラク殿は初めからこれらの荷のいくつかは件の賊どもに奪われることを前提としておるはず。いくら百人規模の盗賊といっても、これほどの数の荷を個別に運ばれてはその全てを奪うことは容易ではない。例え一部が犠牲になっても全体としての損害が少なくなるならそれで良いだろう。王宮としては『荷が無事に届けられること』、それが最も優先すべき事だからの」

「…皇帝はこれを容認されたというのですか?」

不意にセシムがトルクに対して疑問を投げかける。しかしその声は心なしか震えているようだった。

「皇帝もこのことに気づいているようだった。彼の性分ならあの場でチラク殿を叱責していても何らおかしくはないが、国益に大きく関わる事柄故、今回ばかりは己の信条よりも王宮としての立場を優先したようじゃの」

「そう…ですか…」

セシムは煮え切らない態度でそう答える。

「だがこの策は決して悪いことばかりでは無い。荷が奪われることを前提にしているのならば、あえて言えばこの中の荷のいずれかに賊どもが近づく可能性が高いということ。これは我らにとって有利に働くはずだ」

「シユウの言う通りじゃ。現時点で儂らは敵の仔細な情報を何一つ得ていない。今奴らがどこに潜んでおるのか、それすら分からぬ以上下手にこちらから動くよりも奴らが動くのを待つのが最善と言えよう」

「しかしそうだとしても奴らがどの荷を襲うのかどうかなど我々には予測がつきません。仮に『帝の腕』を総動員しそれぞれ分散させたとしても、この数の行商を全て網羅することなど到底できません」

「それについては私も兄者に同意します。確かに我々を襲撃した際、賊は百人程の規模ではありましたがそれが敵の全てなのか、はたまた一部なのか、それすらも明らかになってはおりません。盗賊達が徒党を組むこと自体はさして珍しいことではありませんが、百人規模の徒党を組んだ盗賊が他の誰にも悟られずに我らの商隊を襲ったという事実からみても敵の力は未知数です。その中で襲撃される荷を特定するなどと…」

兄の発言に合わせ、シユウも目録を睨みながら腕を組み、セシムと同じように難しい顔をする。

「確かにこの中からどの荷がいつ、どの程度の規模の賊に襲われるか。それを完璧に予測することは難しいだろう。しかし、それでもある程度は絞ることは出来る」

そしてトルクは机の上に置いてある筆を握り、目録の上のほうにある行商達の名を指した。

「ここに記載されている行商達の荷は少々特別じゃ。なんせこれらが運ぶのはテルーからの宝飾品じゃからな。儂が思うに、もし賊どもが次に襲うとしたらこれらの品じゃ」

『…』

しかしトルクのその言葉を聞いた二人は沈黙の後、眉をひそめて彼の考えに疑問を呈した。

「トルク殿。盗賊というものは確かに時には金目の物を略奪しますが、それはあくまで稀なこと。このシユウ、『帝の腕』として数多の賊どもを捕え、屠ってきた経験から言えることですが、現在盗賊として東ノ国や西ノ国に蔓延る者達は主に西ノ国に祖国を征服され、行き場を失った敗残兵や、生業が上手くいかなくなり仕方なく盗賊にならざるを得なくなった元行商。そして、そんな中でその日暮らしをしている彼らにとって一番の獲物となり得るのは火豆を始めとした食糧です。いくら徒党を組んで大所帯になったとはいえ、腹の満たしにならないこれらの品をわざわざ狙うとは考えにくいかと私は存じます」

「私もシユウと同じ考えです。テルーからの品はその希少性から売ればとても高い金になりますが、反面その希少性故に買い付けることが出来る行商も限られることからとても足がつきやすいという点もあり、うかつにこれを奪い、売ろうものならすぐさま目をつけられることは多くの盗賊達にとって自明のことです」

「…ふむ」

二人の反論を聞いたトルクは、しかしこれに納得していないのか、先程まで目録を指していた筆を置くと顔を上げてセシムとシユウの顔を見つめた。

「二人のその意見は至極真っ当なものじゃ。しかし今お主らが話したことはあくまで“ただの盗賊”に当てはまる事」

“ただの盗賊”、二人はその意味深長な発言に目前の、ただ腰かけているように見えて、その佇まいに僅かな隙も見せぬ老人が何を考えているか、皆目見当がつかなかった。

「敵はただの盗賊ではないと…?しかし、それはつまり…」

「此度の襲撃、そしてケハノを襲ったという女。儂はこれらを『灰の風』の再来であると考えておる」

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