第17話 戻れぬ道へ

「父さん…じいさん…」

シャルが他の村人とも再会を喜んだ後に数人の村人とセナと共に訪れていたのは王宮の地下室。そこには既に手遅れとなった村人と護衛兵の遺体が静かに安置されていた。チムとムイの姿はその中にあった。シャルは本人達であることを確かめる為に、二人の顔に掛かっている白い布を外し、そして思わず顔を引きつらしてしまった。彼らの顔はまるでこん棒で滅多打ちにされたかのように大きくはれ上がり、異様な形に変形していたからだ。

「面目ねぇ、面目ねぇ…!あんな、湯もみ板の一つもまともに動かせないような細っこい女一人に俺達総出でも敵わないなんて…」

「チムさんは最期まで息子さん想いの良い村長だった…。それに比べて俺達は…俺達ときたら…!」

後ろで悔しそうに涙を流す二人の村人にシャルは震える声で優しく語り掛ける。

「いい、いいんです…二人共そんな傷だらけになってまであいつに立ち向かってくれたんです。そんなに謝らないで下さい」

「うぅ…」

嗚咽を漏らす村人達の横で同じようにやりきれない表情で細い涙を流すセナにシャルは訊ねる。

「母さん、父さんは…」

「父さんはどれだけ殴られてもこと切れるまであの女の腕を放さなかったそうよ。とても勇敢な最期だったと聞いているわ…」

「…じいさんは?あいつはじいさんまでわざわざ殺したっていうの?」

「あいつは父さんを殺して、ケムさんを倒した後に私達を追って村を上がってきたらしいわ。あなたを裏口から逃がした直ぐ後にあいつは家の扉を蹴破って家の中に入ってきたんだけど、中にあなたがいないことを察したのか、あっさりあなたを追うことを諦めて広場のほうに凄い速さで戻っていったの。そして集会所の中にいるショウ君をさらうと村を去ってしまったわ…じいさんはその時にショウ君を守ろうとして、そこで殺されてしまったの…」

「それじゃあ、じいさんがあの時に叫んだことは本当だったんだね…」

「そうね。けど一体何故あなたたちが狙われたのか、今じゃ知ることも出来ないわ…」

しかしチェナに出会い、そして自分に宿った力の正体を知ったシャルはじいさんの意図がある程度分かっていた。

(何故かわからないけどじいさんは地導と、それが俺に宿ったことを知っていた…それにあの女が俺を狙い、ショウをさらっていったということはショウもきっと地導に選ばれたんだ…けど、まだ分からない。何故女はわざわざ村を襲ってまで俺達を狙った?それにじいさんが言っていた言葉も気になる。『何故この村の人間が選ばれる』って…。もしかして村と地導には何か関係があるのか…?)

「母さん、俺は…」

「…シャル君か?本当にシャル君なのか?」

シャルがセナに何か言おうとした時、不意に聞き慣れた声がした。振り返るとそこにはイオの父、ケムがいた。彼は顔のあちこちが腫れ上がり、その足には折れた骨を固定するための木片が結び付けられている。彼も二人を守ろうとしてあの襲撃者に立ち向かっていった男だ。しかしチムとは違い、彼は運よく生き残ったようだ。

「おじさん、無事だったんですね…」

そうシャルがこぼした瞬間、ケムはガクッと俯き、いつかのようにまた嗚咽を漏らし始めた。

「すまん…!すまん…!俺だけが…俺だけがおめおめと生き残っちまった…!君の父親を、兄貴を助けられないばかりか、息子まで盗られるなんて…俺は、俺は…!」

そして悲しみと不甲斐なさに耐えきれなくなったのか、ケムはその場で膝から崩れそうになる。だが、

「…!シャル君…?」

「……」

倒れかけたボロボロのケムの体を、シャルはその全身でしっかりと受け止めていた。その目には昼間ショウを想って流したものと同じ、一筋の涙が零れていた。しかし、かつて同じように眼前で泣くケムを見て浮かべた、困惑と動揺の色は無かった。震える声でシャルはケムに語り掛ける。

「いいんだ、おじさん。おじさんは俺とショウを命がけで守ってくれた。ショウのことは残念だったけど、おじさんがあの場であの女に挑みかかっていなかったら俺もきっと攫われていました。そんなボロボロになってまでおじさんは俺を、いや俺達を守ってくれた。本当に、本当にありがとう」

「シャル君…」

そしてケムの肩を持つその手にシャルはぎゅっと力を込める。

「それに安心して下さい。村の無念は俺が必ず晴らします。今はとても無理だけど、俺は必ず強くなる。強くなって、あの女を見つけて、父さんやムイじいさん、ケムおじさんと村の皆の仇を取ってショウを取り戻します。ショウ今もきっと生きている。根拠は無いけど俺にはそう感じるんです。父さんは死んでしまった。けど、ケハノの長はまだ死んでいない。俺が新しい長としてあの日奪われた全てを取り返します」

力強くそう告げるとシャルは静かにケムを放した。これまで見たこともない彼の堂々とした言動に、ケムは勿論、近くでそれを聞いていたセナまでもが目を見開いていた。

「シャル、あなた何を言っているの!?皆の仇を取るって…あなたにそんなことが出来るわけないでしょ!?」

「お母さんの言う通りだ!君がそんな事を言い出すとは夢にも思わなかったが…こうして生きて会えただけでも奇跡に近いんだぞ!?それなのに逃げるどころかあの襲撃者に挑むなんて自分から死にに行くようなものだ!君の正義感は素晴らしいが現実を見るべきだ。こういうことは軍に任せるのが一番だ」

「それは…」

シャルはつい地導のことを二人に言いかけたが寸でのところで言葉を詰まらせた。この力を使えばきっとあの襲撃者に手が届く、シャルはそうチェナに啖呵を切ったがこの二人に対してはそうはいかない。今彼らに地導のことを離せば彼らを余計に混乱させるだけだろうし、そうなれば七色の泉のことも含めて話がとてもややこしくなる。それにムイじいさんの「何故この村の者が選ばれるのか」という発言。そして王宮に向かって走り出した時にチェナが叫んだ気がする「村の人間にあってはいけない」という発言。チェナは気こそ強いが思いやりのある優しい少女だ。そんな彼女がはぐれた家族と会えると知って居ても立っても居られなくなったシャルを理由なく止めるとは思えない。二人の言葉から地導と村には自分が知らない「何か」が関係している、そう考えたシャルは涙を拭うと二人にひとまず

「そ、そうですね。俺、父さんやケムおじさんの姿を見てつい頭に血が昇ってしまったみたいです。一度冷静になります」

と、少し興奮気味になっていた「ふり」をした。その様子を見た二人はほっと胸をなでおろす。

「俺、少し外の風に当たって来ます」

そう言ってシャルは地下室を出ようとする。しかし、その前にシャルは安置されている自分の父親と、かつてのお目付け役の優しい老人の前に近づくと彼らの顔に近づくように膝を着き、背後の者達に聞こえない声で

「父さん、ムイじいさん。俺のために、いや村のために命をかけてくれて本当にありがとう。どうか安らかに眠って下さい」

と合掌しつつ静かに告げる。そしてシャルはしっかりとした足取りで宣言通り地下室を後にした。

地上に出ると磯臭さが少し混じった、海からの涼しい風がシャルの鼻を突いた。時刻は既に夕暮れ時で、大広場のほうからは患者達に振舞われているのであろう食事の良い匂いが漂って来る。シャルはそんな広場のほうには戻らず、大広場を囲う城壁の門を抜けると、先程自分が通った東側の正門の前にやって来た。しかし門は既に固く閉じられ、沈む夕日に照らされ暗い影を落としている。その門を前にしてキオは小さくため息をつくと独り言を零した。

「何とかしてチェナに会わないと…」



「シャル…!起きて…!早く…!」

体を強くゆすられてシャルは目覚めた。シャルを含めた村人達は治療を受けた王宮の大広場をそのまま寝床として与えられ、決死の逃亡の末に得た安息を噛み締めながら眠りについていた。シャルは明日どうやって王宮を抜け出してチェナを探し出そうか色々と考えていたが、考え事をしているうちにまた眠りについてしまっていた。自分の近くで寝息を立てているセナや他の村人や護衛兵を起こさないように慎重に体を起こすと、そこには月明かりにぼんやりと照らされたチェナの顔があった。

「チェ…ナ…?どうやってここに?」

「説明は後よ…!今は大人しく私についてきて…!」

「わ、分かった…!」

チェナの言葉に大人しく従ったシャルは、月明かりを頼りに広場に無造作に広がっている人々の体を踏まないように彼女の後を追った。そして小さな二つの影は堀の上にそびえる外周の城壁の下にたどり着いた。見ると高い城壁には上から一本の長い縄が不自然に垂れており、どうやらチェナはこれを使って王宮に入ったらしい。随分と大胆不敵な侵入方法だ。

「凄いな…見張りや物見はいなかったの?」

「勿論居たわよ。侵入と脱出の邪魔になるから少しの間眠らせちゃったけど。都の兵士とはいえ不意を突けば造作も無いわ。それに、入って来る時に気づいたけどこの大きさの宮殿にしては随分と兵の数が少ない。きっと連れられた村人達や兵士達を見守るために内部に多く配置されているのね。特に村人達に関しては、役人や近衛兵でも無いのに王宮内をうろちょろされては困るだろうし」

さらっとそう言うとチェナは垂れている縄に近づいた。

「これで壁を登るの?」

「…そうよ」

そう返すチェナの声には確かな迷いの色があった。

「…シャル」

チェナは縄を掴もうとした腕を引っこめると少し寂しげな顔でシャルに向き直った。

「ねぇ、私はオアシスであんたが武術を教えて欲しいと言った時に、もしこのまま首を突っ込めば二度と引き返せなくなると言ったわよね?そしてあの時、あんたは言葉を濁した。あそこで言葉に詰まるということは、あんたの中にそこまでの覚悟が無かったってこと。そうでしょ?」

「それは…」

そう、シャルはあの時チェナの言葉にはっきりとした返事を出来ずにいた。このまま地導に関わり続ければ、戻れなくなる。警告を含んだその言葉に、まだ不安が心にあったシャルは尻込みしてしまったのだ。

「いい?今あんたはあの時選べなかった分かれ道を選べる最後の機会に立っているの。もしこのままこの縄を掴んで私と共に来るなら、私はシャルの選択を最大限尊重する。私に教えられることなら何でも教えるし、里に行けば地導使いとして更なる高みに行ける。けどその代わり、あんたが死ぬ思いをしてまで再会した村の人達とは二度と会えなくなるかもしれない。反対にあんたがこの縄を掴まないなら、私はこのまま一人で壁を超えて、二度とあんたの前に姿を見せることはないわ。けど、それも間違った道じゃない。元々あんたは戦いや荒事とは無縁の世界で生きていたんだから、無理に私についてくる必要なんてない。私はそれを最後に確かめにきたの」

それは彼女なりの優しさだった。シャルがチェナを置いて走り出した時、チェナの身体能力を用いれば勿論のこと、馬を使えば直ぐに追いつくことが出来ただろう。けど、チェナはシャルを無理やり止めることはしなかった。それに、あの場でそのまま別れようとせずにわざわざ危険を冒してまで王宮に忍び込んで来たのも、最後までシャル自身の選択を潰さないためであった。

「まぁでも、あの時に無我夢中で王宮に向かったことを考えれば、あんたの返答なんて…」

「俺は、親父を殺された」

「えっ…?」

チェナの半ば諦めたような口調は、シャルの言葉に遮られた。

「親父だけじゃない。俺のことを小さい時から見守ってくれた人も、村を守るために戦った人達も大勢殺されて、傷ついた。そして俺の大事な親友も奪われてしまった。どの道俺はもとの世界に戻る事なんて出来ない。もしこのまま生き残った人達と共に歩むことを選べば、俺は過去の悲劇に向き合うことをせず、どこか欠けてしまった世界に生きることになる。死んでいった人達はそれで良いとあの世で思ってくれるかもしれないけど、それは俺自身が絶対に納得出来ない」

「…っ」

そこでチェナははっとした表情を一瞬浮かべたが、それにシャルは気が付かなかった。

「チャナ。あの時選べなかった選択を、俺はする。お願いだ、俺を連れて行ってくれ。俺を地導使いとして、強くしてくれ。村の皆の無念と仇は、俺が必ず晴らしてみせる」

「…覚悟は決まっているみたいね」

最後に、チェナはそう問う。

「あぁ」

「分かったわ」

シャルの意志を受け取ったチェナは再び縄を掴むと今度はそのまま壁に両足をかけた。

「悪いけど、あんまり呑気していられない。いつ見張りが回って来るか分からないし。シャル、山育ちならこのくらいの壁一人で登れるわよね?」

「大丈夫。これくらいなら遊びの範疇だ」

「流石ね。じゃ、上で待っているから私が登り切ったら直ぐに来なさい」

そしてチェナはするすると縄を巧みに使い、あっという間に城壁の向こう側に姿を消した。それを確認したシャルも縄に手をかける。と、その時である。

「…シャル」

背後から彼の名を呼ぶ優しい声がした。その声にシャルはすぐさま後ろを振り返ると、そこには静かに佇むセナの姿があった。

「母さん…!」

シャルは思わず縄を放す。

「ごめんね、勝手に後をつけてきちゃって。それよりもその縄…」

「い、いや違うんだ母さん!これは、えっと…」

シャルは何とかその場をやり過ごそうとした。地下室での出来事もあり、もしここでセナに王宮を出ようとしていることがばれたなら無理やりにでも止められるに決まっている。

「いいのよ。行きなさい」

「えっ?」

しかし、我が子にかけたセナの言葉は驚きのものであった。壁から垂れた縄、それが誰がかけたものであれ、王宮から抜け出すために使われるものであることは彼女の目にも明白であっただろう。そしてその綱をたった今握っているのは他でもない、愛する己の息子であった。にもかかわらず、セナはシャルを止めようとはしなかった。立ち尽くすシャルの元にチャナはゆっくりと近づく。

「地下室であなたが言った事、勿論最初聞いた時は驚いたし、とんでもないことだとも思ったわ。けどね、今思えばあの時の言葉はあなたが生まれて初めて自分で物事を考えて自分で進む道を選んだことを示していたって母さんは思うの」

シャルに十分近づいたセナは息子の両肩に自分の両手を静かに乗せる。

「母さんね、あなたがこのまま村長として生きていっていいのかって今までずっと悩んでいたの。たまたま村長の息子になったからって後を継がなければいけない。そしてそのことにあなたは何の疑問も持っていなかった。でもねシャル、自分では気づいていないかもしれないけど、あなたは空のように澄んだ正義感と、大木のように折れない芯の強さを持った本当に素晴らしい子よ。そんな子を、一生小さな村に留まらせることはあなたの可能性を摘み取ることに他ならない行為。勿論、村の看板を背負って生きることの使命を否定するわけじゃないけどね。けど、今あなたが進もうとしている道が、あなたの美しい心根を活かすことが出来る道なら、例え母親であってもそれを私は止めるべきじゃないと思うわ」

「母さん…」

「さぁ行きなさい。皆には私が上手いこと話を付けておくわ。詮索はしないけど、あなたがこれから歩もうとする道は、きっとあの時私とケムさんの前で宣言した通りの道なのでしょう。とても危険な道だと思う。けどそれが、あなたが自分の心と向き合い、そして自分で決めたことなら私はそれを尊重する。そしてきっとまた私達の前に姿を見せてちょうだい。全てを取り返してきた、ケハノ村の『新たな』長としてね」

そう言い終えると、セナはシャルの肩を優しく、しかし力強く抱き締めた。シャルも母の体を抱き締め返す。

「…ありがとう母さん。俺は本当に素晴らしい人達の間に生まれてきたみたいだ」

「ふふ。あなたは本当に正直者ね。でも、ありがとう。私もあなたを誇りに思うわ」

二人は互いに最後の言葉を交わすと、互いの腕を放した。

「じゃあ、いってきます。さようなら、母さん」

「いってらっしゃい」

シャルはそれっきり後ろを振り返らず、以前ショウと山の斜面を登った時と同じようにぐっと縄を握り直すとそれを頼りに城壁を登り、チェナの後を追った。

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