第13話 第三章 東ノ国(ルウ・ゼン) 草原で迎える朝にて

「ほら、起きなさい」

「う、う~ん…」

不意に肩をゆすられて目を覚ましたシャルはあくびと共に眠たそうな声を出した。あれから星空を見上げながら色々と考え事をしていたシャルだったが、気づかぬ内に眠ってしまっていたようだ。辺りは既に朝霧に包まれ、一面を覆う草にも朝露がぽつぽつと付着している。シャルが重たい体を持ち上げるとそれに伴い足元の草に付いていた露がぱらぱらとはじけ飛んだ。

「ん、おはよう…ございます…」

半分寝ぼけた調子でチェナに朝の挨拶をする。

「よく眠れたかしら?」

「あんまり…かなぁ?野宿なんて初めてだったし」

シャルは寝ぼけるあまり、つい昨日までつけていた、ですます口調を怠っていた。しかしそんなシャルをチェナは特に咎めることはなく

「そう。じゃ、顔洗ってきなさい」

と促した。言われた通りシャルはとぼとぼとした足取りでオアシスのほとりに近づきバシャバシャと顔を洗う。冷たいオアシスの水で顔を濡らしているとシャルのすぐ隣にソラがやって来た。

「おはようソラ。お前も顔洗いに来たのか?」

シャルの冗談に答えるようにソラはブフッと鼻を鳴らすと、しゃがんでいた彼の腕を唇でハムハムと咀嚼しだした。そのこそばゆい感触にシャルは耐え切れず笑みをこぼす。

「アハハッ!!止めろよソラ、くすぐったいだろ!」

その様子を後ろで見ていたチェナもスイを連れてほとりにやって来た。ソラにじゃれつかれているシャルを見たチェナはくすりと笑うと

「馬がそうするのはその人を信頼している証よ。昨日の刷毛がけがよっぽど気に入ったみたいね」

とシャルに告げる。

「そっか、じゃあまたしてあげるから今はよしてくれソラ。くすぐったくてしょうがないよ!」

そうして何とかソラの鼻先から抜け出したシャルに、チェナは茶色い牛革製の水袋を四つ手渡した。

「私は食事の準備をしておくから、シャルはこれに水を詰めておいて」

「でも都まであと一日半くらいなんだろ?それならこんなに水は要らないんじゃない?」

「いいえ、これに詰める水は私達が飲むんじゃなくて都で売る分のものよ」

「あぁそうか。東ノ国では水が売り物になるんだっけ」

真水を井戸から確保することが難しい東ノ国では内陸部のオアシスや地下水から採れる水も売買の対象となっている。ただ、水の確保は人々の命に関わることであるため、主に水の採取を行うのは「帝の足」を中心とした、皇帝の勅令を受けた者である。そのためそれ以外の者が採取して売る水はあくまで余剰分として扱われるが、その余剰分も東ノ国によって厳しく相場が決められている。需要が高まる夏場では多少は高く売れるが、それでも大した稼ぎにはならず、山からの雪解け水が流れ込んでくる春先は多くの水が採れる関係上一年で最も相場が低い。水自体も重いため総じて割に合わない商品であり、わざわざこれを好んで運ぶ行商などまずいないが、行商人の子供達にとっては商売の基礎の基礎を勉強する上での良い練習台となっている。シャルはそんな水をせっせとオアシスから汲み取っていた。彼のすぐ隣では二頭が並んで水をがぶがぶと飲んでいる。

やがてシャルは全ての水袋に水を詰め終わった。先程までしわしわで両手に収まるくらいの大きさしかなかった袋も今は水でパンパンに膨れ上がり、両腕で抱えられるほどの大きさになっていた。漏れが無いか全ての袋を確認したシャルは一度袋をその場に放置しチェナの元に向かった。チェナは先程まで燻っていた火をつけ直し、その火で肉を焼いていた。

「ん、終わったの?」

そう訊ねるチェナに、シャルはこくりと頷く。

「ありがと。この時期じゃ水なんて二束三文だろうけど、それでもないよりはずっとましだわ。ほら、座って。朝飯にするわよ」

火の傍に座ったシャルにチェナはまだじゅうじゅうと音を立てている串に刺さった肉を差し出した。良く焼けた表面にかぶりつくと口いっぱいに肉汁が広がる。

「これ、赤染め肉だ…」

赤染め肉とは火豆の粉末を塗り込んだ肉のことである。鮮魚に対して用いることで驚異の保存力を発揮する火豆であったが、その効果は牛や羊といった家畜の肉に対しても同様に発揮された。肉の旨味を上げる効果も同様で、今や火豆は西ノ国にとっても無くてはならない存在になっていた。

「最近西ノ国には東ノ国からの品があんまり入ってこないの。おかげで赤染め肉もとても高くて。でも山越えする以上火豆は欠かせないから買わざるを得ないでしょう?わざわざ水を持っていくのも増えた出費を少しでも補填するためよ」

「それは村でも一緒だったよ。最近は東ノ国から全然行商が来ないから西ノ国の食べ物ばかり食べていたんだ。おかげでこんな新鮮な肉は久しぶりだ」

シャルは再び手元の肉にかぶりついた。赤染め肉は生肉に火豆の粉末を塗り込むだけで長期の保存が効くようになるため、干し肉や塩漬け肉よりも簡単に作ることが出来る上、火豆の力でそれらよりもずっと美味な肉になる。

「そういえばシャル」

「?」

「あんた、昨日まで私に対してずっと『ですます』をつけていたのに今はないわね」

「…!えっと、それは…んぐっ…」

チェナに指摘され、シャルは危うく肉を喉に詰まらせるところだった。年が二つしか違わないとはいえ、チェナは年上だ。朝の出来事で砕けた調子になったこともありついつい丁寧語を使わずに話していたが流石に不味かったか…

しかし苦しそうに喉を鳴らすシャルに対しチェナは少し焦った調子で

「ちょ、ちょっと落ち着きなさい。別に私に対して丁寧に話せってわけじゃないわ!そんなことでいちいち驚かないでよ!」

とシャルを気遣った。喉を大きく鳴らして何とか肉を胃袋に流し込むとシャルは大きくため息をつく。

「えっと、それじゃあ年上だからって特に気を使わなくてもいいと…?」

「シャルがそうしたいならそれでいいけど。でも正直いちいちそんな他人行儀な態度だと私も調子狂うし、何よりさっきみたいに話してくれるほうが、その、なんて言うか、シャルらしいと私は思うわ」

そう言うとチャナはまるで照れ隠しをするかのように手元の肉に豪快にかぶりついた。


食事を終えた二人は火種だけを回収してから火を消し、荷物をまとめて水を詰めた水袋と共にソラとスイに括り付けていた。シャルは村で出立前の行商の荷造りを何度も手伝っていたおかげでこの手の作業は慣れっこで、そのためソラへの括り付けをチェナに一任されていた。

「あんた、本当に手際がいいわね…」

チェナよりも荷造りを早く終えたシャルに対して、チェナは少し驚いていた。

「俺が出来るのは荷造りだけだよ。馬の動かし方とかは全くの素人だ」

少し照れながらシャルは答える。

「私も終わったわ。それじゃ、出発よ」

同様に荷造りを終えたチェナはスイの手綱を引いて共に歩き出そうとする。

「チェナ、少し待って欲しい」

そんなチェナをシャルは突然呼び止めた。彼の前を歩く彼女はぐっと手綱を引いてスイを止めるとシャルの方を向いた。

「どうしたのよ、用でも足してきたいの?」

「いや、そうじゃない。昨日チェナが寝た後に色々考えたんだ。村のことや、俺に宿った力のことを。それで一つ、チェナにお願いしたいことがある」

「何よ。言っておくけどソラとスイが十分休んだからって今から山に戻ることは出来ないわよ。朝の肉で食糧も全部尽きちゃったし…」

「それは勿論分かっている。お願いっていうのは、チェナ。俺に武術を教えて欲しいんだ」


武術を教えて欲しい、シャルのその願いに対しチェナは何も言わずにシャルをじっと見つめていた。その奇麗な目に対しシャルは訴えかけるように続ける。

「昨日の夜、俺はずっと地導の力が何故に授けられたのか考えていた。ケハノ村の言い伝えにこんなものがあるんだ。 『テリ・ハイラは例え罪人であってもその命に意味を与える』 里の人間でもない俺がこの力を得たというのは、きっとそれが、女神様が俺に与えた『命の意味』なんだと思う」

「……」

「本当なら今すぐにでも村に戻りたい。皆が生きているか死んでいるかどうかも分からない状態で生きるなんて俺には耐えられないことだ。だけど、今の俺にそれを知る力はない。もし今うかつに村に戻ってまたあの襲撃者に襲われたりしたら命がけで俺を守ってくれた父さんや母さんに顔向け出来ないから。それに襲撃者を野放しにも出来ない。地導を使って人殺しをするようなやつだ。いや、村だけじゃない。商隊を襲った盗賊もきっとそいつが率いていた。放っておけばいつまた殺しや略奪をするか分からない。けど、奴と同じように、この力を使えば奴をきっと止められる。チェナ、お願いだ。俺に地導使いとしての戦い方を教えてくれないか。ここまで来てただ傍観者でいられるなんて、そんなことは俺には出来ない」

チェナはしばらくの間腰に手を当てながらあれこれ考えている様だったが、遂にゆっくりとシャルのほうを向き、静かで、そして重みのある言葉をキオに返した。

「元々地導の力を得た以上、あんたを一度里に連れてゆくつもりだった。でもね、昨日私があんたに刀を突き立てる程怯えていたように、里の人間以外が力を得たことやシャルの村に起きたことは本来なら決してあってはならないことなの。今この世界には何か異常で、とても不吉なことが起きようとしている。あんたが経験したことはきっとその予兆に過ぎない。もしそれにこのまま首を突っ込めば、シャル、あんたはきっと二度と引き返すことが出来なくなる。その覚悟があるというなら、地導使いの戦いを教えてあげるわ」

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