第8話 第二章 地導への覚醒 東ノ国(ルウ・ゼン)と西ノ国(ルウ・バロ)

シャルの行く末を追う前にこの世界について説明をしておこう。少々長くなるがどうかお付き合い願いたい。ケハノ村が国家間の交易を支える重要な村であることは先程伝えたが、その成り立ちはハイラ山脈を挟む形で存在する両国の歴史と深い関わりがある。まずは鍵となる二つの国とその歴史について語ろう。まず山脈の西側に広がる草ノ大陸に存在する西ノ国(ルウ・バロ)は、かつて大陸にひしめいていた数多の遊牧民族が戦を繰り返す内にしだいに束ね合わされ建国された国だ。草ノ大陸は西、南、北側を「テリ・ハイラの両腕」と呼ばれる緑豊かな小規模な山脈に、そして東側をハイラ山脈に囲まれた盆地のような大陸である。そしてその中には広大な草原が広がっており、西ノ国ではかつてはこれを活かした牧畜が盛んであった。しかし草ノ大陸の南端に存在する広大な湖「ハイラの水がめ」に自生する水稲が可食かつ栄養豊富な植物であることが分かると国はこの稲を用いた大規模な稲作に着手。苦悩の末これに成功したことで西ノ国は牧畜に加え稲作という安定した食料の基盤を確保。これまで平服が難しかった遠方の遊牧集団や小規模国家に戦を仕掛けて勢力を拡大していった。しかしそんな拡大政策の最中に西ノ国の初代皇帝が病死してしまい、急遽彼の二人の息子の内どちらが皇帝になるかで争いが発生した。ただ西ノ国においては遊牧時代から身内の争いごとは常に話し合いにより決められなければならないという法があるため、兄弟は議会を立て、政に携わる者達に対しどちらがより皇帝に相応しいか主張した。そして議論による帝位継承戦の結果、弟のほうが皇帝に相応しいと決断された。しかしこの結果に納得しなかった兄は自分に近しい役人や軍人を連れて国を脱出しハイラ山脈を超え、東にある海ノ大陸に向かった。以前から山の向こう側、海ノ大陸にも人々が暮らしていることが分かっていたが、兄はこれに目を付け、彼らを統一して新たな国を興そうと画策したのだ。

そして弟が帝位についてから約五年後、海ノ大陸に新たな国家、東ノ国(ルウ・ゼン)が誕生したとの話が弟の耳に入った。そう、兄は決して皇帝に値しない無能な男ではなく、先住していた海ノ大陸の民を武力と、皇帝の息子として生まれながらにして持ち合わせていた威光でもってまとめ上げ、皇帝として即位するまでを見事成し遂げたのだ。

国の誕生を聞いた当時の西ノ国の役人や将軍は東ノ国が西ノ国の脅威となることを確信し、すぐにこれを征服するよう皇帝に提案したが、皇帝はこれを拒否した。これは当時の西ノ国が草ノ大陸の統一を最優先事項にしていたことも理由の一つであるが、それ以上に皇帝は海ノ大陸に国を興すことの脆弱性を良く知っていたからだ。海ノ大陸は西側から南北まで伸びるハイラ山脈に三方を囲われ、東側は大陸の名の通り全て海に面している。このことから東ノ国建国以前から漁業が盛んであった。しかしこの国は建国以降慢性的な飢餓に悩まされることになる。なぜなら、以前までは海岸線に沿って小規模の集団で暮らしていたことで先住民たちは漁業だけでも生活が成立していたが、東ノ国が出来たことでかつて漁業に従事していた者達が兵士や役人となってしまい、国民の絶対数が変わらないにもかかわらず漁師が少なくなったことが大きな原因だ。また当時魚のような腐りやすい食糧を長期に保存する技術が無く、魚介だけでは安定して国民の腹を満たすことが難しかったことも原因である。以前父親である初代皇帝から「海ノ大陸は征服するに値しない」と教わっていた弟は東ノ国が食糧難に陥ることを予想していたのだ。そしてその予想が見事的中した皇帝は食糧を後ろ盾に東ノ国を勢力に入れようと画策し、両国を挟むハイラ山脈を開拓し、交易路を作り出すことに着手した。この山脈は二つの大地を作った偉大なる女神、テリ・ハイラが住まう神聖な山として畏敬の象徴とされており、これを開拓することに多くの者が反対したが、皇帝は半ば無理やりこの政策を押し進めた。これまで力で支配を広げてきた西ノ国の民は戦いによって敵を屈服させることが誇り高いことであるという価値観を持っており、戦いによって仮に命を落としたとしてもその勇猛さが讃えられていた。反対に戦うことをせず、人質等を用いた脅迫に屈することは最大の屈辱とされていた。弟は食糧という、戦闘以外の政治的な手段を用いて兄にこの屈辱を味合わせようとしたのだ。

そして五年という歳月と数多の犠牲を払って両国の間に交易路が生まれた。交易が始まったことにより長期の保存が効く西ノ国産の米や乳製品が入り東ノ国の民は救われたように思えた。が、しかし彼らを待っていたのは新たな地獄であった。西ノ国は交易が始まるとすぐに自国の通貨を東ノ国に普及させ、自国の数倍もの相場で食料品を売りつけたのだ。勿論過酷なハイラ山脈を超えて品を持ち込む行商の設け分が計上されるため多少値が張るのは致し方ないことであり、開始当初は東ノ国もこの不平等な交易政策を認めていた。しかしこれに味を占めた西ノ国は更なる悪政を敷き始める。当時米や乳製品の相場を決めていたのは西ノ国であったが、国は例え豊作の年であったとしても東ノ国へ送る食料品の価格を決して下げることなく様々な理由で相場を維持または吊り上げ、東ノ国へ送りつけ続けた。さらに東ノ国から送られて来る綿や干し魚といった交易品に対しても「送られた綿で作られた服を着た者が皮膚の病を患った」「魚の状態が悪く、口にした民の多くが腹を下した」といった具合に根も葉もない理由をつけ不当に安く買い付けていたのだ。この交易政策により東ノ国は西ノ国に実質的に支配され、生かさず殺さずの中、民は次々と困窮していった。この状況を重く見た皇帝は幾度も西ノ国に交渉を持ちかけた。自分の弟に帝位継承で敗北しただけでなく、その弟の手で今や自分の国が危うくなっている。それを防ぐために今度は弟の眼前で頭を垂れる。皇帝として、いや兄としてこれ以上の屈辱は無かったが、民を救うために東ノ国皇帝は何度も西ノ国皇帝に相場を下げるよう頼み込んだが交渉は悉く決裂、最終的に東ノ国は西ノ国の実質的な傀儡国家になるまでに落ちぶれてしまった。これにより更なる悪政と苦しみが訪れることが誰の目にも明白であり東ノ国の民は深い絶望に包まれた。

しかし両国の歴史は誰も予想しなかった方向に舵を切ることになる。その始まりはとある漁師が発見したある植物であった。ある日一人の漁師がいつものように海に出かけると浜にぼろぼろの小舟が漂着していることに気づく。船には見たことのない装飾が施されており、漁師が恐る恐る近づいてなかを覗くとそこには三つの樽がありその樽の中には根に深紅の豆を付けた未知の植物、その豆の色とよく似た赤い粉末、そしてその粉末が塗り込まれた魚の身がそれぞれ入っていた。小舟の様子を見る限りこの三つの樽は少なくとも数週間は海の上を漂っていたと考えられるが、樽に入っていた魚は腐敗や虫に喰われた跡が一切なく新鮮な状態を保っていた。これに驚いた漁師は三つの樽を家に持ち帰り、試しにその日採れた鮮魚にこの粉末を塗り込んでみた。するとその魚は樽の中のものと同じく腐敗せず軒先に置いていても虫が一切つかぬ上、長く置けば置くほどうまみが増し、美味な魚が出来上がるという代物だった。また、さらに驚くべきはこの植物の生命力であった。この赤い豆は地中に塩分が多く存在し、綿花ぐらいしか育てられない東ノ国の土壌でも力強く育ち、遅くとも植え付けから半年で多くの豆を収穫出来た。加えて豆自体も可食であり、煮豆や煎り豆といった様々な形で食べられるだけでなく、米よりもずっと腹持ちが良かった。このことはこの漁師が住む漁村に瞬く間に広がり、漁師から商人、商人から王都に住む民や役人といった流れで東ノ国全体に広がり、ついには皇帝の耳にまで届いた。そしてこれに目を付けた皇帝はこの豆をその色から「火豆(ひまめ)」と名付け、西ノ国に気づかれぬように各地に隠し畑を作り密かに栽培を始めるよう命じた。火豆は一つの根に実に多くの豆を付けるため、小規模な隠し畑でも民の腹を満たすのに十分な収穫を得ることが出来た。火豆のおかげで民は食糧に困ることが少なくなり、西ノ国の高い食糧品を買う頻度は減少、民の生活も少しずつ豊かになっていった。

食糧があまり売れなったことに疑問を持った西ノ国の皇帝は東ノ国に何度も密偵を送り東ノ国が食糧を買わなくなった理由を突き止めようとしたが、東ノ国は国民総出で火豆の隠ぺいに尽力、西ノ国はついにその真実を確かめることは出来なかった。食糧の交易という後ろ盾が揺らいだことで東ノ国への支配力が弱まることを恐れた皇帝は次第に当初役人や将軍に提案されたように、武力によって完全に東ノ国を支配することを考え始めたが、そもそも東ノ国、ひいては海ノ大陸そのものにそこまでの価値を見出していなかった皇帝はハイラ山脈を超えてまで兵を送ることに懐疑的であった。また、西ノ国が誇る騎馬兵団は平坦な大地では無類の強さを発揮するが、ハイラ山脈のような高地を越えることには長けている訳では無いため、馬と兵を大きく消耗させることも攻撃をためらう原因であった。しかしそうこうするうちに西ノ国にも大きな変化が現れる。米が十分に収穫出来なくなったのだ。不思議なことに多くの稲穂が病害虫に犯されたわけでも天候不良に見舞われた訳でもないのにつける実を大きく減らすようになり、次第に全ての民に十分に米を行き渡らせることが出来なくなり、拡大政策も滞ることになる。国は収量を戻すべく原因究明に努めたが根本的な解決法や原因は見つからず、次第に西ノ国では東ノ国や草ノ大陸の遠方の民に送る米が無いことで職を失った行商人だけでなく、腹を空かした者達による暴動が起きるようになった。かつて遊牧で生きてきた民たちは、米という食物を手にしてしまったことで、家畜の肉や乳製品だけでは満足できない胃袋になっていたのだ。これを知った当初、多くの東ノ国の民の多くはこれを機に西ノ国に攻め込み、国を奪うことを考えたが皇帝はこの提案を一貫して否定した。依然として小国である東ノ国に山を越えて西ノ国の騎馬兵団をいなせるだけの十分な兵力は無かった。何より皇帝は建国という、自らの行いにより海ノ大陸の民を飢えさせた経験から、皇帝として人々を支配する以上、国民は国を支えるための最大の宝であると信じ、例え憎き国の民であるとしても国民が飢えることは決してあってはならないという信念の下、西ノ国に対し平等な交易を約束する代わりに火豆の存在を教え、西ノ国を救うことを約束。この条件の下で米の不作が始まってから三年後、皇帝は西ノ国に対し講和を申し込んだが、それを受諾したのは西ノ国三代目皇帝、即ち東ノ国を苦しめた元凶である二代目皇帝の息子であった。驚くべきことに二代目皇帝は講和が申し込まれる十日程前、何者かによって暗殺されており、急遽彼の息子が皇帝として即位したというのだ。二代目皇帝は殺される直前まで、以前とは打って変わってまるで何かに憑りつかれたかのように東ノ国に攻め入ることに執着していたとされており、その様子を見た家臣が彼を見限り暗殺を画策したといった様々な憶測が生まれたが、結局誰が、どのような意図を持って皇帝を殺したかどうかは全く定かにならなかった。かくして東ノ国と西ノ国の間に両国の健全な交易を約束する「東西両国交易協定」が誕生し、遂に東ノ国は西ノ国からの呪縛から解き放たれた。

そしてこの協定が出来た直後に出来たのがケハノ村であった。西ノ国が拓いた交易路は当初火山活動が活発な場所を避けられて作られていたが、とある行商の集団が、山の毒が控えめで人が浸かれる程の温水が湧き出ている場所を見つけたとして、新たにこの場所に交易路を拓き、そこに行商達を癒す湯場を作ることを両国に具申した。この提案は皇帝直属の「帝の足」を始めとした行商達に強く望まれ、結果東ノ国側の交易路は「旧道」として実質的に破棄され、新たに湧水地を通る行路が両国の共同の下に拓かれた。そして具申を行った行商集団が湯場を開発し定住、ケハノ村をつくり行商や旅人の憩いの場としての地位を確立したのだ。

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