第14話 アリス
硝子の家に戻ってくると、硝子は創作を終えていた。
自分が描いた絵に真剣に見入っている。
「お姉ちゃん、家の壁見つめて何してんの?」
鉛汰君が訝しんだ眼を硝子に向けた。
硝子はこちらを振り向かずに、冷淡な声で答える。
「ボケっとしてただけど、何か文句でもある?」
「別に文句はないよ。
てっきり、自分の部屋にいると思ってたからさ」
「自主練はちゃんとできたの?」
鉛汰君は顔を綻ばせて、小さく頷いた。
「高槻さん、もともとサッカーやってたから、いい練習になったよ」
「そう。それはよかったね」
硝子との会話が終わると、鉛汰君は俺の方を向き綺麗なお辞儀をした。
「高槻さん、今日は本当にありがとうございました。
お陰でいい練習をすることができました」
「いい練習になったのなら万々歳。
また機会があればやろう」
「その時は是非お願いします」
お互い熱い握手を交わすと、さようならと手を振って、鉛汰君は碧海家のドア向こうへと姿を消した。
我ながら、仲良くなるのが早いと思う。
これもサッカーのお陰だな。
「あの短時間で、すっかり鉛汰と打ち解けてる」
「初対面の人間と仲良くなるコツは主に二つ。
一緒に遊ぶか、共通の話題を見つけるかのどっちか。
俺と鉛汰君の場合、それが二つとも綺麗に当てはまったんだよ」
「ドヤ顔で言ってくるの、普通に気持ち悪い」
人を気持ち悪いと罵るくらいだから、さぞかし素晴らしい落書きを創ったんだろう。
うんこレベルの絵が描かれていたら、碧海家のトイレで新聞読みながら脱糞して爆睡してやる。
俺は硝子の隣に座ると、碧海家の外壁に描かれた第三のグラフィティアートを拝見した。
一人の少女が国境を越える絵だった。
少女が新たに踏み込もうとしている国には、『No People』と書かれた看板が立っていて、美しい草原が広がっていた。
反対に、少女がいる国は、『Break Heart』と書かれた看板が立っていて、汚染された街が広がっている。
今までのどの絵とも、デザインも色合いも全然違う。
「また、俺の予想の遥か斜め上をいく作品を創ってきたな……」
「私の絵が珪君の予想範囲内の作品になった瞬間、私は二度と絵を描かない」
「それじゃ、想像力を頑張って豊かにしようかな。
そうすれば、碧海が絵を描くこともなくなって、異世界に行けなくなるからな」
少しイジるつもりで言ったつもりだったけど、硝子の反応は俺の予想と違った。
目を大きく見開いて、驚いた表情をしている。
嬉しさと悲しさと迷いを含んだ、綺麗に彩られている瞳。
こんな顔、初めて見た。
「どうかした?」
「あ……いや、何でもない」
硝子は元の無表情に戻ると、誤魔化すように自分の絵に目を向けた。
今の表情の理由を訊こうとしたが、俺より先に硝子の口が開いた。
「今更だけど、珪君サッカーやってたんだ」
「あぁ、中学までやってた」
「何で辞めたの?」
「鉛汰君も訊いてきたけど、少しも楽しい話じゃないぞ」
「いいから話して」
硝子が例の魔眼を発動させてくる。
耐性のない俺はグラフィティアートを見ながら、どうでもよさ気に話し始める。
「中三の最後の大会で色々あって。
それっきり二度と部活のサッカーはやらないって、固く決意した」
「色々って言葉で曖昧にしないで。
多分、今の珪君の人格を形成する原因になったものだから」
鉛汰君とは対照的に、こういう触れられたくない過去にも遠慮なく触れてくる。
RPGでよくある、はいを選択しないと先に進まない選択肢みたいなものだ。
俺は観念して、七割程度話すことにした。
「中学最後の大会。
勝てば県大会に進める決勝戦の試合で、俺たちはPK戦で負けた。
そのPK戦でPK外した後輩に、ネチネチ嫌味言う奴がいて、庇ったら喧嘩になったんだ。
それでそいつに、全校生徒にあることないこと言いふらされて……。
身に覚えのない悪い噂が広まるし、今まで仲良くしてた友人からも無視された。
生まれて初めて、人を信用できなくなった」
俺は自分を蔑むように、馬鹿にした笑いをする。
「しかも、最悪なことに、精神的に参ってた俺を支えてくれた両親が交通事故であっさり死んだ。
………………ふざけた世界だよな」
「でも、今の珪君は立ち直れてる。
その後に、前に言ってた『大切な思い出』があったんでしょ?」
硝子が表情を変えずに、俺の顔を直視してきた。
俺は少し微笑みながら、小さく頷いた。
「苦しんでいる俺に、寄り添ってくれた人がいたんだ。
余計な事は何も言わずに、ただ明日の予定を一緒に立ててくれた。
その人のお陰で、この世界で生きたいと思えたんだ」
「その人って女性?」
「大学生ぐらいの女性だよ。
須磨の海がよく似合ってる、とっても優しい人」
「…………その人のこと、今も好き?」
友達としてではなく、恋愛的な意味でということでだろう。
口に出すのが照れ臭かったが、はっきりと俺は吐き出した。
「今すぐに会いたいほどに……大好きだ」
「その台詞、清々しいほどまでに青臭くて眩しいね。
そんなに想いが募ってるなら、早く告白すればいいのに」
「無理だな。
なんせ、今どこにいるか分からないんだから」
「どういうこと?」
眉根を寄せている硝子に説明する。
「最後に会ったのが、夏休み最終日。
それ以来、一度もその初恋の人とは会えていない」
「それまでは、会う約束をしていたの?」
「毎回、同じ決まった場所と時間に会う約束をしてた。
夏休みが終わった次の日に、急に姿を見せなくなった」
「街で見かけてもない?」
「夏休みの間、毎日会っていたんだ。
すれ違ったりしたら絶対分かる」
泡夏さんの姿を見逃すほど、俺の動体視力は腐ってはない。
誇張抜きで、今までの約二年間泡夏さんを目撃できずにいる。
「夏休みの間だけの幻影だったりして」
「それなら、この醜い気持ちにも諦めがつくんだけどな。
幻影なんかじゃないって俺は信じてる」
泡夏さんを幻影だと認めてしまえば、思い出が全て幻影だと認めたことになる。
絶対に嫌だ。
「その人の名前は分かるの?」
「糸魚川泡夏。
糸の魚の川に糸魚川で、泡の夏で泡夏」
「異世界に行くまでの間に、もし名前聞いたら珪君に教えてあげる」
「よろしくお願いしますね」
俺は頭を下げて頼んでおいた。
話はこれくらいで終わりにしよう。
面白くないのに、少し話しすぎた。
こんな話をしたのは、硝子なら話を信じてくれると確信してたから。
もうすぐ異世界に行くという人間に、俺はなぜ話してしまったんだ。
「私は強くなりたい」
急に硝子は口にした。
目の前に描かれた、自分の落書きに視線を注ぎながら。
「過去は消えないし、逃げることもできない。
成長するって、自分の直面したくない過去を乗り越えることだと思う」
硝子は立ち上がると、俺に手を差し伸べてきた。
俺は黙ってその手を取って、一緒に立ち上がった。
「私は強いと思ってた。
でも、強くなかったから、こんな形でしか答えを出せない。
アリスみたいに夢見てしまってる」
「それってどういう意味ーーーーーー」
訊ねようとすると、硝子は俺の口を手で塞いだ。
困ったように笑いながら、人差し指を自分の口元に持ってくる。
「今日もグラフィティアート見てくれて、ありがとう。
また作るときは教えるから、今日は帰って」
有無を言わせない口調だ。
俺は逆らわず、従ってしまった。
「さようなら、珪君」
「あぁ…………またな」
硝子は手を振り返さず、家の中へと姿を消した。
気のせいか、存在が希薄になっていくように俺は感じた。
女子高生バンクシーはアリスになりたい 大河内雅火 @kozan0926
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