第9話 海辺のバンクシー

「まさか、碧海さんが常連さんだとは思わなかった」


 バイトが終わって、俺は仕事後のコーヒーを堪能していた。


「週に一回はこの喫茶店に来てる。

 高槻君が気づいていないだけ」

「俺がここでバイトしてることは知ってたのか?」

「当然。皿を割ってたの見たことある」

「……俺の失態を見逃さない天才だな」

「逆。高槻が私に失態を見せる天才」


 数学の命題みたいだな。

 そういう見方も確かにできる。


 ただし、俺はそんな羞恥プレイをするほど道化じゃない。

 道化と遊び人は全くの別物だ。


 硝子はコルタードを飲み終わると席を立った。

 俺は構わずにゆっくり飲もうとしたが、店長に肩をぽんぽんと叩かれた。


「高槻君、駅まででいいから送ってあげて。

 夜に女性一人で帰るのは危険だからね」

「分かりました」


 コーヒーを一気に飲み干して、お疲れ様でしたと頭を下げた。

 もう少し、コーヒーを味わいたかった。






 店の扉を開けると、硝子がスマートフォンをいじりながら待っていた。

 走って追いかける必要がなくて安心する。


「今日、俺のバイト先に来たのは偶然じゃないだろ」

「うん。夜の海を観に行くのに、高槻君も一緒にと思って」

「そういうことなら、別に行くけどさ」


 硝子はスマートフォンを鞄にしまって歩き始めた。

 俺も隣に並んで歩調を合わせる。


「碧海さんって家ここら辺?」

「違う。私の家は須磨駅周辺」

「まさかだけど、わざわざ喫茶店寄るために一駅降りてるのか?」

「そうだけど……悪い?」

「一駅分の運賃が無駄になるでしょ」

「だから週に一回。

 毎日行くとお小遣いなくなっちゃうから」


 歩道橋を渡って、須磨海浜公園に入る。

 夜八時ということもあって、公園内は閑散していて、たまにカップルとすれ違うだけ。


「あろえさんや店長とよく話する?」

「よくがどれくらいの頻度なのか分からないけど、二人とも話しかけてくれるから話してる。

 あろえさんも店長さんもいい人」


 言われてみれば、あろえさんから積極的に話しかけていた。

 あろえさんは、あまりお客さんと関わろうとしないから、少し新鮮な感じがした。


 広場を通り過ぎて、砂浜に出た。

 昼と変わって、暗い色をした海が広がっていて、左手には神戸の綺麗な夜景が広がっている。

 

 兵庫最強の海は間違いなく須磨の海だ。


「……静かな海。

 時間が止まったかのように感じられる」

「碧海さん、須磨の海好きでしょ」

「好きじゃなくて大好き。

 でも、やっぱり私の描いた海には敵わない」

「すごい自信だなぁ。

 ま、異世界の海には敵わないか」


 俺と硝子は波打ち際に座った。

 それからしばらくの間、二人とも何も話さずにただこの静寂を楽しんだ。


 たまに吹く海風が心地よく、雄大な景色は心の汚れを洗い流してくれる。


「高槻君は、何でそんなに須磨の海が好きなの?」


 海に貝殻を投げながら、硝子が訊ねてきた。

 砂を海にばら撒きながら、答えようとする。

 

「これは、真面目に答えた方がいい?」

「適当に答える選択肢なんて、高槻君にはないから。

 真面目に答えてほしい」


 硝子が俺の瞳だけを瞳で捉えてくる。


 この瞳だ。

 この不思議な輝きを含む瞳に見つめられると、俺は使役されたような、逃げられないような気分になる。


 中二病的に表現するなら、魔眼ってやつだ。


「俺にとって、須磨の海は大切な思い出が詰まった場所なんだ。

 そんな海は他にはない」


 実際に思い出しながら答えた。

 思い出すだけで頬が少し熱を帯びて、胸が苦しくなる。

 

「大切な思い出って、どんな?」

「今の自分を形作ってる一番大事な要素。

 俺の過去はその思い出が全てと言っても過言じゃない」


 須磨の海を眺める度に、胸が締めつけられる。

 ーーーーーーーに恋焦がれていく。


「私が異世界に行くまでに、もっと詳しく話して。

 聞いて触れてみたい、高槻君の大切な思い出」

「…………考えておくよ」


 全てを話さなかったのは、暗くて重い過去を話したくはなかったからだ。

 少し話したのは、その過去があったからに会えたからだ。


 もし、俺が硝子の過去を背負う覚悟ができたのなら、その時こそ打ち明けようと思う。


 硝子は柔らかく笑うと、靴を脱いで裸足で海へ歩いていった。

 ピチャピチャ水をねながら、両手を大きく広げる。


「海の暗さ、漣の音、吹く波風。

 その全てが私を穏やかな気分にしてくれて、同時に寂しさを感じさせる。

 本当に海が大好き……私は」


 月明かりの下で壊れそうな笑みを浮かべる硝子は、幻想的でとても綺麗だった。






「じゃあ、俺家ここだから」

 

 住んでるマンションの前まで来て、俺は別れようとした。

 しかし、硝子は俺の手首を掴んできた。


「これあげる」


 硝子は鞄の中を漁ると、写真のような物を俺に渡してきた。

 見てみると、写真ではなく白ウサギの絵が描かれていた。


「これ何?」

「ゴミ。いらないからあげる」

「いや、人にゴミ渡す神経何?」

「失敗作でも高槻君には、もったいない代物でしょ」

「なんか釈然としないけど、せっかくだし貰っとくよ」


 ありがたく可愛い絵を頂くと、俺もお返しするために鞄の中を探った。

 そして、0点の漢字の小テストを見つけると、それを硝子にプレゼントした。


「これ何?」

「ゴミ。いらないから差し上げるよ」

「ゴミっていうより、ただ恥晒してるように見えるけど。

 ……『道標みちしるべ』くらい漢字で書けないの?」

「モーマンタイ。

 漢字知らなくても生きていけるから」

「……一応貰っとくね」


 ゴミを丁寧に折りたたむと、硝子は鞄にしまった。


 マジか。

 0点のゴミ受け取る人世界にいたんだ。

 俺は姉貴の可愛がりを受けずにに済んで、めちゃハッピーだけど。


「それじゃ、高槻君。

 また明日」

「あぁ、また明日な」


 硝子は振り返ることなく、そのまま駅へと向かっていった。

 俺は白ウサギの絵をもう一度見てから、丁寧に鞄に入れた。


 マンションに入って、ポストの中を確認すると、一枚の白い紙が投函されていた。

 白い紙には、赤い字で『愛してください。』と書かれていた。


「……たちの悪い悪戯かな」


 最近、このマンションに子供たちが悪戯してるらしい。

 悪戯じゃなかったら、メンヘラストーカーに俺の家族の誰かが目をつけられたことになる。


「こういう時は、ポストを間違えたってことにしておこう」


 俺はその危険物も鞄に入れると、エレベーターに乗りこんだ。

 そこで俺は気づいてしまった。


「あ、結局碧海さん駅まで送ってない」


 この瞬間、あろえさんに処されることが確定した。


 

 

 

  

 

 

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