雲の王国
再考素
黄の王国
第一話 たまご、宝玉、誕生
うるさい風と、雷雨の音。狭い雲上に建つ、崩れた小さな遺跡の上で、全長2mほどの丸い嵐がごうごうと音を立てて浮いている。小さいとはいえ、近くに寄れる気配は無い。
しかし、丸い嵐はだんだん力を弱めている。雷鳴が止み、雨が止み、風がするりと消えていく。丸く形どっていた雨雲も、空に砕け散るように消えていった。
するとどうだろう、一つの小さな影が、ぽとりと遺跡の石床の上に落ちた。
それは子ヤギのぬいぐるみで、頭に布製の王冠が被せられている。王冠には灰色の宝石が縫い付けられているし、分厚いサテン生地のマントも羽織っている。子供用のぬいぐるみにしては、高級仕様だ。
それに加えて、驚くことにぬいぐるみは自分で立ち上がり、遺跡の石床を歩き始めた。暖かな柔らかい陽の光にめんくらったのか、ぎゅっと目を瞑り、しゃがみこむ。
少しして、ぬいぐるみはまた歩き始めた。短い手足を必死に動かし、人間のように歩く。時々もつれて転倒すると、ころころぽてぽてと弾んで転がってしまう。だが転がり終えるとすぐに起き上がり、また歩き出す。
ついに遺跡の石床から降りて、雲上に足を踏み出した。硬い床から、柔らかい床への変化に驚いて、また転けた。気を取り直して歩く。
そして雲の端に立つと、困ったように首を傾げた。下は霧が立ち込めて見えないが、落ちてしまうと戻って来れないだろう。
うんうんと考え込んでいたぬいぐるみだが、ついに途方に暮れたのか、その場で座ってしまった。
「困っているね」
まさか、この狭い雲上に人がいるとは。ぬいぐるみは驚き、素早く顔をその声に向ける。
濃い灰色の髪の、背の高い人だ。ぬいぐるみと同じような、ヤギの角が生えている。薄灰色の優しい目で、ぬいぐるみを見つめている。
「向こうの黄の大陸まで、すごく遠いだろう。それでも、その小さな姿で歩いて行くのかい」
ぬいぐるみは困ったように頷く。それを見て、灰色の人も微笑んで頷く。そしてその人もぬいぐるみと同じように、向こうへ体を向ける。動く度に、リンと鈴の音が鳴った。
「黄の大陸は、美しい所だ」
ぬいぐるみは、話に頷く。
「我々と同じように、黄の人々は魔法が使える」
穏やかな時間である。
「黄の王も、いい人だ。君の力になるだろう」
灰色の人は目を細め、傍にしゃがむ。そして黒いビーズのような目で見つめるぬいぐるみを抱き上げた。
ぬいぐるみは初めての感覚にわたわたと手足を動かすが、次第に大人しくなる。灰色の人はぬいぐるみの額に唇をつけ、また雲上に下ろす。
それから灰色の人は、向こうに橋をかけた。ガラスのように透明で、カンパニュラの装飾が施されている。
突然の出来事に、ぬいぐるみは呆然と立ち尽くしてしまった。
「これは、君の力を借りたに過ぎない」
ぬいぐるみは恐る恐る、橋の上に足を乗せる。石床のように固く、しっかりしている。
「向こうに着く頃には、きっと自分で力を使えるだろう。歩いているうちに変化は現れる。心配せず、自信を持って渡るといい」
声の方向に首を向けるも、そこにはもう誰もいなかった。
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雲島の上に円を書くように建つ、5本の立派な白い柱。それに合わせるように、半円を描く白い屋根。壁は無く、建物の中心には丸いテーブルがある。それを囲む四つの椅子は、それぞれ人を乗せている。
「やはり、皆様のところも…」
青色の宝石をはめた銀の王冠を、腕に着けている小さな少女。宝石と同じような青い目を隠してしまうほど、分厚いメガネをしている。
「あぁ、どうしてたまごを守るために科学を使ってはいけないのでしょう」
「20年前それをして、たまごを全て腐らせた事を忘れたか」
赤い宝石をはめた白い王冠を、首元の鎧につけている大きな女。赤い瞳で、隣に座って嘆いている少女を見て、投げやりにそう言う。
「忘れるものですか。それに、すでに反省しきっていますわ。わたくしはただ、己で何もできないというこの無力感を嘆いているだけですわ」
「青の民は変な奴が多いからなぁ」
信用できない、と続けて言う彼女に、少女は顔を真っ赤に染める。
「なっ、それは差別ですわよ。貴女の方こそ、ちゃんと国民を管理していないせいでたまごを腐らせた事、忘れておいでで」
「小動物はよく喋るなぁ、確かに管理不足ではあったが、腐らせたたまごは二つだ。おまえの所と規模が違う」
「二つだって…」
「おふたりとも、少し落ち着いてください」
ヒートアップする言い合いに耐えかね、緑の宝石をはめた銅のティアラを、長い髪を纏めるようにつけた長身の男性が叱る。
「今すべき話し合いは、過去に過ぎた事ではありません」
「その通りですわ。申し訳ありません、皆様」
「悪かった」
ですが、と、小さい少女はため息をつく。
「いくらなんでも、たまごだけに被害があるだなんて。この世界に、何が起きているというんですの」
「たまごが全て無いとなると、去年に失われた命は…、全体で二千。我が国だけでも三百人越。民達になんと説明したら良いのやら」
「仕方がねえことだ。そもそも自然が相手じゃ文句を言われようが、こっちからはどうすることだって出来やしないんだ」
「それもそう、ですわね。取り敢えずわたくしは、あの突発的な嵐がなんだったのかを調べますわ。天候も自然のうちとは言え、予想できるはずですもの。
あれほど急な嵐は、どう考えても自然の摂理に反していますわ」
「私も、それに協力しましょう」
「そういう事なら、俺に出来ることはねぇな」
「何を言ってらっしゃるの、貴女は雨雲から情報を取ってくださいまし」
「雨雲からだって、あんな奴らと話なんてできるのかよ」
「わかりませんわ。けれど、わたくしは今回の大事には雨雲が関わっている気がしますの」
椅子に座る三人に、自分の考えと計画を伝える小さい少女。しかし、話の途中で口を挟んだ者がいた。
「…あの嵐は王の誕生の前触れ」
今まで一言も喋っていなかったのに、突然そんな事を言い出した。
黄色の宝石をはめた豪華な金の王冠を、頭についた大きな猫の耳に、斜めに被った青年だ。美しいという言葉でさえ足りないほどの
容姿だ。
信じられないと言うように、小さな少女は口を開けたまま、呆気にとられて固まっている。
「驚いた、まさかお前がこの場で発言するとはな。で、その『王の誕生の前触れ』ってのは、一体どういう事だ」
「…どういう事も、別に。…ずいぶん前に、本で見た事があるのだ」
「言葉足らずですまんな、だが俺が知りてぇのはその本の内容だ」
ぎらりと苛立ったその赤目が、美しい青年を睨む。しかし、美しい青年はいつもと同じようにぼんやりとしながら、遠い記憶を探りながら話す。
「…そうだな。…あれに書かれていたのは、灰の王国が、滅びる前の、予言だったか」
ゆったりした口調とは裏腹に、他の三人は緊張した面持ちで、その言葉を真剣に聞いている。
「…当時の、灰の王に、仕えていた一族は、代々賢者を務めていた。…その賢者の予言は…
『王国が滅び、雨雲となった頃、全ての国に、宝玉が生まれるようになる』
…だったか」
「宝玉…、我々がたまごと呼んでいるものですね」
「…うん。『宝玉は、新たな命を宿す。それらはいずれ灰の民となるだろう』…あとは、『いつの日か、激しい嵐の後、各国の宝玉に変わって、灰の王が誕生する』…だった、ような」
だんだん曖昧になっていくと共に、美しい青年は舟を漕ぎはじめる。そしてついに、パタリとテーブルに顔を突っ伏し、静かに寝息を立て始めた。
「あ。まだ聞きたい事がいろいろありますのに」
「それにしても、あんなに話すルニヴァン王は初めて見たな」
「一人でも話ができないとなると…、これ以上会議を進めることは出来ないですし、本日はこの辺りでお開きといたしましょうか」
長身の男性の言葉で、四人(美しい青年は付き人が運んだ)はそれぞれの生活圏へ戻るのだった。
雲の王国 再考素 @saikousu
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