第32話 エピローグ 下

困っている人間が目につくと、ヌルリと手を差し伸べるお人よし。それでいて、自他の境界がはっきりしていて、他人に程よく無関心。そんな性質は、「何があっても、この人は自分を否定しないのだろう」という、謎の信頼感につながっているように思う。

 加えて妙に肝が据わっているので、誰かのために丸腰で渦中に飛び込んで行ったりする。

 性質を羅列してみてわかったことだが。やつは、性癖以外はむしろ愚直というか真っ直ぐな人間だったのかもしれない。

 だからなのか、前述した通り幼馴染は、度々変なのを引っ掛けてくるやつだった。

 幼稚園生のときは、近所の男子高校生に拉致られかけた。中学生では、女バスのキャプテンに髪の毛入りのチョコレートを食わされ、高校では、彼女でもない女に彼女みたいな束縛を受けた。

 大学では、奴の作ったゲーム?の信者だか何だか、金持ちそうなお兄さんのヒモにされかけていた。

 そんな一本釣り遍歴は、性別、年齢ともに多様性に溢れている。ただ傾向はある程度あって、皆が皆、「妙に重くて湿っぽい感情を向けている」ことと、「人並み以上の精度で社会生活に溶け込んでいる」という点だった。

 だから俺は、あの男の纏う雰囲気に既視感を覚えざるを得なくて。

「そら誤解でござるよォ」

 そんな言葉に、眉間を揉み解す。

「拙者も?最初は?近寄りがたいとか何とか思っておりましたが?」

「ゴリさん…………」

「あれは優しい陽キャ、我々に歩み寄ってくれる、歓迎すべき客人でござる」

 あの夜以来、俺はゴリさんに狩野と幼馴染の動向に気を配るよう頼んだ。2人体制で監視した方が効果的だと思ったからだ。俺はいつも幼馴染につきっきりで居れるわけではない。

 当初は「あの御仁の不穏を感じ取っていたのは拙者だけではない!?」とか何とか快諾してくれた物だが、複数回会って話した今ではこのザマだ。

 完全に懐柔されている。

「狩野氏の勤勉ぷりには拙者も驚かされますぞ。順調にオタクスピリッツを吸収するその姿は、まさにスポンジの如し。今の世の中、あそこまで謙虚で素直な善性人間は居ないでござるよ!陰キャ陽キャ以前に、拙者は狩野氏を人として尊敬していますぞ」

 しかも何かシンパっぽくもなっている。

 わけもなく俺は、冷やかしで宗教団体に潜入して、結局取り込まれて帰って来なくなったyoutuberを回想する。そして、妙な納得を覚える。あの男の妙な吸引力はそういった、宗教とか、拠り所だとかに似たものなのだと思った。

 実際に狩野は、俺たちに対しては一貫して、無害で善良な隣人であり続けた。

「そもそもご友人、なぜ貴殿はそこまで狩野氏を敵視なさる」

 だからこそ、ゴリさんの指摘はもっともな物だった。というか、はたから見たら俺の敵愾心の方が異常に映るくらいだろう。

 厄介だ。実に厄介極まりない。今までのやつらもそうだった。皆が皆、一定以上の求心力を持っていて、下手をすれば、一手の差し違えでこちらが不利な立場に追い込まれる。

 そして狩野幸人という男は、そんなやつ等の完全上位互換とも言える。正真正銘の化け物だった。

「やはり、何かの間違いなのでは…………」

「それはない」

 ゴリさんの言葉を遮って、断言する。最初こそ自分自身も半信半疑だったが。ここに来て俺の疑念は確信に変わろうとしていた。

「目が…………」

「?」

 あいつの、あの、目。

 慈愛と憧憬で、昏い欲望をコーティングしたような。そんな、いやに偏執的で熱っぽい視線。それはとても、ただの『友人』に向けるものではない。

 そして。

 そして、かつての侵略者どもが、幼馴染に手を伸ばす直前に決まってああいう目をしていた。

 1.2秒目を瞑り、唇を引き結んだままゴリさんを見つめる。俺が相当に悩ましい表情をしていたのか、いかつい相貌が困惑に揺れた。


 嫌な予感に限って、よく当たる。

 退院してからはや半年。幼馴染が、狩野とシェアハウスを始めると言い始めた。

 その時の俺の心情と言えば、察するに余りあるだろう。再三警告してきたにも関わらず、あろうことか奴は、猛獣と同じ檻で生活をすると言い出したのだ。

 当然俺は、幼馴染を問い詰めた。正気かと肩を揺さぶった。

「まあちょっと前から、半分同居みたいな生活してたしな……あんま変わらないかなって」

 そんな朴訥とした返答に、重い頭痛に襲われる。無防備が過ぎる。自分に少なからず情愛を向けている人間と、ひとつ屋根の下で寝食をともにすること。その危険性を理解しているのか。

「再三言ったよな、俺。狩野さんは────」

「うん、わかってる」

「は、」

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。だって、幼馴染はいつだって、自分へと向けられた感情に無自覚だった。俺が必死の形相で頬を張って、初めて眼前に迫った尖った爪先に気づく。

 だが、どうだ。聞き間違いで無ければ、幼馴染は今確かに、「知っている」と言ったか。

「この前、改めて告白されたよ」

「…………お前は。それをオッケーしたわけ」

「わからない。俺は狩野が好きだけど、恋人になれるのかどうなのか。…………でもこれが、友情ってだけじゃないことは確かなんだ」

…………「『友情』ってだけではない」?

 よくわからないが。その言葉に俺は、なにか固いもので思い切り頭をぶたれたような衝撃をうけた。視界が一瞬真っ暗になって、反面、頭の中は真っ白で。ともすれば俺は、今この瞬間に幼馴染の首を締め上げていてもおかしくなかった。実際には、指先を軽く折り曲げただけだったけれど。

「俺は、あいつの気持ちに向き合うって決めてるから。確かめなきゃって」

「…………」

「…………どうにしろ。何かしら答えを出さないと、逃がしてはくれないだろうし」

 あの男と幼馴染の間に、どのようなやり取りがあったのかはわからない。けれど確かなのは、男は──狩野幸人は、幼馴染から逃げなかったのだ。

 悟られぬように囲い込もうとした。身勝手な愛を、一生残る傷という形で刻みつけた。拒絶されることを恐れて、自分の想いを伝えぬままに私物化しようとした。

 けれど、狩野幸人だけは逃げなかった。

 だからこそ、幼馴染は今こうして彼に誠実に向き合おうとしている。

 決定的に違うのだ、今までの彼や彼女たちとは。…………彼と、彼女と。そして────

「…………まあ、悪かったよ」

「なにが」

「お前には、今まで色々迷惑かけたから。でも、今回は心配ないよ」

 真っ直ぐな黒目に射貫かれて、何も言えなくなって。

 「じゃあね、ばいばい」なんて。

 幼馴染の言葉に重なるみたいに、そんな幻聴を聞いた気がした。


***

 デスクライトと、パソコンの灯りだけが煌々と灯っている。薄暗い室内のなか、惰性でスマートフォンを眺めながら、ただ微睡んでいた。

「何読んでるの」

 不意に、そんな言葉が降ったので視線を上げる。

 パソコンに向き合っていた男が、椅子を半回転させてこちらを見ていた。

 ただでさえ冷たい男の美貌を、ブルーライトが更に怜悧に縁取っている。

 少し不機嫌そうに見えるのは、きっと気のせいではない。互いに社会人とだけあって──とりわけ、狩野は激務なだけあって、俺たちの休みは中々被ることがない。それなのに今日やったことと言えば、今の推しジャンルのアニメをひたすらに上映することだけだった。

「今日見せたじゃん。あのアニメの同人」

「ああ、おれを椅子に縛り付けたまま延々流してたやつね」

「…………」

「次の映画デートでは、一緒に並んで見ようね。逃げないから」

 同居して、わかったこと。狩野は意外と根にもつ。

 表情こそ頬を膨らませるだけの茶目っ気のあるものだが、にわかに哀愁が滲み出ている。

 布教に夢中になっていてたとはいえ、確かに俺の今日の所業は、狩野の期待を粉々に打ち砕くものに違いなかった。流石に俺が悪い。反省するべきだ。

 気まずくなって「ごめんだったよ」と口をムズムズさせて。結果、話題を逸らすようにスマホを掲げて見せるしかできない。今日も俺の対人スキルはカスだった。

「…………お前も読む?」

「おれはいいよ。『美形×美形』てやつでしょ」

「飯の好みも、漫画の嗜好も大方一致してるのに。何だってカプの傾向だけは合わないんだろう」

 狩野は俺が知らない間に、BLにも精通していた。聞けばゴリから色々英才教育を受けたようで、何度かBL漫画を借りたりもしたらしい。ヤツのチョイスは『ガチ』だ。案の定全てが琴線に触れたようで、狩野は自分でも商業誌などを買ってきては読むくらいにはしっかりハマっていた。

 俺としても、同居人と趣味を分かち合えることは願っても無いことだ。ゴリには感謝している。

「おれは『美形×平凡』派」

 ただ、趣向まで影響されてほしくはなかった。

 シュンとした気持ちのまま、寝返りを打つ。狩野が背後でデスクライトを消したのか、室内が一気に暗くなる。椅子の軋むような音と一緒に、ひたひたと足音が近づいて来て。

「あれ、『マブ』だ」

「勝手に画面覗き込むな」

 丁度、モヤシの名を刻んだメッセージアプリのポップアップを目ざとく見つける。

「『来週華金しよう』だって」

「読み上げてもらわなくても結構」

 スプリングの軋む音がする。俺の相貌のすぐ横に手を付きながら、ベッドに乗り上げてくる。

 独特の湿っぽい雰囲気に、上体を起こしては、敷布団に避難しようと試みる。ただ、こういった場合の狩野の反射神経は常軌を逸していて。手首を捕らえられたかと思うと、事もなげにベッドの上に引き戻される。背後からのハグなんていうオプション付きだった。

 背中に押し付けられた胸板から、等間隔な鼓動が伝わってくる。全身を包み込む体温は、俺よりもずっと熱かった。

「ちゃんと断って?」

 ゼロ距離で耳に吹き込まれた囁きは、砂糖で煮詰めたように甘ったるい。

「恋人とディナーだから空いてないって」

 懇願し、乞い願うような声に、思考が霞みがかっていく。わけもなく、あの世界で頭を弄られそうになったときの感覚を思い出した。俺の身体が強張った事に気付いたのか、抱擁がより強いものになるのがわかった。

「『狩野とディナーだから』ってちゃんと伝えるから」

「ええ。おれたち、恋人じゃなかったの」

「…………モヤシにはまだ伝えてないんだよ」

「『マブ』なのに?」

「マブだからだよ…………」

 ええ、なんて間延びした声音と一緒に、上体に巻きついたしなやかな腕が蠢く。

「かわいそうだよ、ちゃんと教えてあげないと」

 言いながら、俺の喉仏を爪先で弾く。

「知らないんでしょ、圭一がおれとこうして抱き合えること」

 スウェットを捲りあげて侵入してきた指先が、腹を縦に這う。

「手も繋げるね。キスもできる」

ピタと止まったそれが、汗ばんだ手のひらで下腹部をゆっくりと撫でて。

「その先だって」

 ぐ、と下腹部を押し込まれた時には、俺は自分の口を手で覆っていた。薄い腹に充てられた、生白くて大きな手を想像しては、唇が震える。鼓動がうるさい。どこもかしこも熱くて、そのまま溶けてしまいそうだと思った。

 狩野の高い鼻が、うなじにぐりぐりと押しつけられる。稚気の滲む所作に胸を撫で下ろすけれど、歯を立てられる痛みにまた身体が強張る。

 慰めるように傷口に舌を這わせて。恐らく引き攣った腹筋の感触に、狩野は吐息だけで笑った。

「だいすき、圭一。だいすきだよ。おれは圭一だけがかわいいよ」

「…………っ、わかった、から」

「圭一の物になれてうれしい。おれ、いま最高に幸せで……本当に幸せでたまらなくて」

 蕩けきった身体を、向き合うような形に抱きなおされる。

「幸せすぎて、死んじゃいそう」

 同じようにとろけ切った金眼に、目の前がチカチカした。何も言えずに、ただ酸素を求めるみたいに口を開閉して。

 ぱか、と開いた赤い唇に散瞳する。

 引き攣った悲鳴ごと、齧りつくように食べられながら。

 投げ出されたスマートフォンが、幼馴染の通知に震える様をただぼんやりと眺めていた。

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ヤンデレBLゲーモブ「主人公ルート一択なんてあんまりだ!」 ペボ山 @dosukoikokoi

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