第30話 戻ったものと、戻らなかったものと

「行ったなァ。いやあ、潔くて大変よろしい」

 剥き出しになった蒼天を仰ぎながら、モーガンは唸った。照りつける日差しに、眼を細めて。

「…………さてと」

 左目を瞑っては、黄金の剣を拾い上げる。血に濡れた金属は、青年の手の中でショールチェーンへと形を変えた。それをコートに嵌めたまま、瓦礫から飛び降りる。

 半分廃墟と化した廊下を悠然と歩きながら、男の藍髪頭を爪先で転がした。息があることを確かめて、腰を折る。青年の手に握られた、水晶へと手を伸ばして。

「何だ、その目は」

「…………」

 薄ら笑いを浮かべたまま、慇懃な声を漏らす。青年────グリードの碧眼が、反抗的な色を孕んだまま、モーガンを見上げていた。

 水晶を拾い上げた手の袖を、血に濡れた指先が掴む。

「それは、君の物では無いだろう」

「キラキラ光る物に目が無いんだ。なんせ、公爵家なもので」

 おどけた口調で茶化してみても、未だ視線は鋭いままで。諦めたように、ぐる、と気だるげに視線を回す。「このくらいの報酬はもらってもいいだろ」と舌を出す。

「特に、『強欲』。貴様はことさら俺に感謝するべきだろう?恩人だぞ」

「…………だ、れが……」

「貴様の仇──王家に一矢報いたのは誰だと思っている?」

 唸るような声音は、場の空気を急激に冷やした。鳥が一斉に飛び立つ音を遠くに、グリードは醒めた表情のまま相貌を傾ける。

「『憤怒』だろう」

「あはは」

「頼んでも無いことを。物事には順序というものがある」

「負け惜しみは見苦しいぜ。とにかく、これはもらっていくから」

 無造作にグリードの手を払いのけては、水晶を取り上げる。カラカラ軽薄に笑って、きろ、と翠目をペンダントに向けて。

「取らないよ。それを奪ったら、貴様は死ぬだろう」

「……ああ……代替器の在り処を知らないばかりに…………」

「あのさ、俺にあたらないでくれる?お友達に捨て置かれたからって────」

「友達じゃない」

「…………」

「あれは私の犬だ」

 頑なな声に、胡乱な目のまま肩を竦めて。濁った視線が、ぴたりとグリードの背後に釘付けになる。ややおいて眉間を揉み解すその所作は、辟易したものだった。

「ぺろ…………」

 腹ばいのグラトニーが、地面の血だまりを啜っていた。恍惚に蕩けた表情のまま、口をもぐもぐ動かす。「ケーイチだぁ」と呟いた赤目は夢見ごこちにたわんでいた。

 もぞもぞ地面を這いまわる生命体に向ける視線は、もう一秒だってこの空間に居たくないとでも言いたげなもので。

「どいつもこいつも、未練たらしくて嫌になる」

「えん…えん……おいひぃ……エ゛うッ!」

 茶髪頭を蹴とばしながら、「あれ」と声を上げる。

「『憤怒』の代替器って、結局どうなった?」



 ***



 4か月ぶりに退院してまずしたこと。大半が地雷になってしまった本棚を整理すること。

 監禁調教洗脳凌辱死ネタ。もう戻れない俺の青春に別れを告げながら、積み上げた書籍の山をビニール紐で縛り上げて。全てを先日売却した室内は、やけに広く感じられた。

 カーテンの隙間から、細い陽光が差し込む。

 薄暗い部屋の中には、ひたすらにキーをたたく音だけが響いていた。

 文机に立ち上げたPCに向き合ったまま、テキストを打ち込む。続編の執筆作業の最中である。

 あの世界の──彼らの物語の続編を書きたいと思った。何も決めてはいないけれど、今度はほのぼの日常系で。とりあえず、現時点で『強欲』の紹介文に「一方的な契約を吹っ掛けて人を犬扱いするヤベェやつ」という警告テキストを加えて、『暴食』に美味い物をしこたま食わせた。

 眼鏡を押し上げて、伸びをして。

 ポン、と。通知音と共に明るくなったスマホを摘まみ上げる。『狩野幸人』の文字が表示されたメッセージを開くと、丁度、そろそろ到着する旨の内容だった。

 照明をつけて、用意した私服に袖を通す。姿見に映った男は、気まずげな表情のまま口をムズムズさせた。往生際悪くクローゼットを開こうとした手前、チャイムが鳴る。

 重い足を引きずっては、靴を履く。玄関の扉を開けると、隙間からピカピカした金眼が覗いていて。

「うわっ、近い!」

「メガネだぁ~」

 ほにゃほにゃと表情を緩ませた青年を、グイグイ押しながら外へ出る。燦然と照りつけては目をやいた光に呻く。太陽を背負うようにして佇む青年は、カジュアルな服装であるにも関わらず、誰もが振り返るようなイケイケっぷりだった。隣に並ぶことすらおこがましくなるような格差だが、この日のために怯えながらアパレルショップを巡ったあの努力を無駄にはしたくない。

 背を伸ばして、改めて青年の隣に並び立つ。

「おはよう」と言うと、「メガネかわいい~」と返ってきた。なんだその眼鏡への執着。


 酒とつまみ、あとは花を2束買った。

「今週のジャンプ読んだ?」

「え、本誌追ってないって言ってなかった?」

「最近追い始めたの。圭一と話してたら興味出てきて」

「へぇ。今週のワンピ熱かったよな」

「ごめん、俺まだ読んでない。今週のは」

「何で話振ったんだ…………早く読むんだ、語れねぇだろ」

 助手席の狩野と、そんな胡乱な会話を交わしながら車で一時間。駐車してエンジンを切ると、狩野がスマホから目を離す。電子書籍版を読んでいたのか、「ゴジョ先……!」と目をウルウルさせている。ワンピはどうした。

「着いたよ」と言えば、「ありがとー」と間延びした礼と一緒に車のドアを開ける。クーラーの効いた車内に流れ込んできた熱気に、下唇を突き出して。

 倣うように外へ出ると、『霊園』の文字が目に入った。


 酒と、つまみ。あとは花を供えた。

 元々は縁もゆかりもない男の墓参りに訪れるというのは、どうなのだろう。

 そんなことをボンヤリ考えながら、墓石に水をかけて、手を合わせる。

 イガタマコトの墓を見つけるのは、そう難しいことではなかった。

 珍しい名前ということもあるが、何より彼の死に様が壮絶だった。

 地主一家の無理心中。主犯である三男──イガタマコトは、当時18歳だった。

 成人にも満たない品行方正な青年が、父親と長兄、そして長兄の嫁子を惨殺しては家に火を放った。

 凄惨であり、かつ謎の多いその事件は、大々的にメディアに取り立てられては、当時世間を震撼させた。

 彼は言った。現状を憂いてなんていないと。けれど、こうも言ったのだ。人一人殺しておいて、まともでいられるわけがないと。

 彼の内面を計ることこそできない。

 けれど、あれだけの凄惨な事件を起こした内面が、尋常ではなかったこと。それだけは確かで。

 肉親を殺め燃やし尽くして、なお余りあるほどの怨嗟。それを果たして、彼は自ら命を絶つことを選んだ。

 自らの所業の罪深さ。そして何より、自らがもはや正気ではいられないことを理解していたからだ。

 その瞬間、彼は確かに終わることを望んでいた。けれど、終われなかった。

 俺の作った世界が、死者の眠りを妨げては、彼の──否、彼らの願いを踏みにじった。

 目を閉じれば、人々の怨嗟が聞こえてくるようだった。

『死』という選択肢すら奪われ、理不尽な世界の生贄となった人々。こちらを指さしては、口々に責め立て、泣き叫ぶ。

 よくも、よくも。なぜ、おまえだけが生きている。

 油汗が噴き出てきては、手が震える。カチカチと音がすると思えば、それは俺の歯がぶつかる音だった。

「圭一」

 名前を呼ばれて、我に帰る。震える指先を咄嗟に隠して、「どうした」と答える。自分が今どんな顔をしているのかは知らないが、狩野の反応を見るに、相当酷い顔をしているのだろう。

「…………やっぱり、」

「言うな」

「やっぱり、やめておけばよかった」

「言うなっていってるだろ」

 怒鳴るような声が出て、咄嗟に「ごめん」と謝る。狩野は俺を気遣ってくれただけだ。悔やむべくは、自らの脆弱さだけだ。

 自分が作った物が、彼らから奪った。

 ならば、忘却することは赦されない。彼らの死の先を知っているのは、俺と狩野だけだ。彼らを悼むことができるのは、俺たちだけなのだ。

 本当の顔も知らぬ人々の無念。そしてその罪を背負って俺は、これからも歩み続けていく。これは、一種の決意だった。

 狩野は、それ以上何も言わなかった。そよそよと髪を揺らす生ぬるい風に、耳を澄ませて。

 熱い車内に戻った時、俺のハンカチはじっとりと湿っていた。


 「圭一」と。

 また、名前を呼ばれて視線を助手席へ移す。気怠げな反応になってしまったのは、きっと暑さだけのせいではない。

 そして、眼前に迫った指先に散瞳する。骨ばった指が、湿った前髪を摘まんでは、眼鏡を抜き取る。頬を這う指先の。その愛撫の行く先を、強張った心のまま見送って。

「おれはね、医者になるよ」

「は…………」

「人を殺したけれど。あのとき、圭一を処置できて良かったって、心底思ったから」

「急に、なに」

「『憤怒』になったことも、後悔してない。それが無ければ、圭一と生きて会うことができなかったから」

 その言葉に、俺はとうとう仰け反った。仰け反って、指先から逃れた相貌を、今度は更に強い力で引き寄せられる。「逃げないで」と。狩野は、両手で俺の頬を包み込んだまま囁いた。

 昏いようで、爛々とこちらを射貫く黄金。尾底骨から、得体の知れない痺れが駆け上がって来るようだった。

「墓参りのとき、おれがずっと何考えてたか教えてあげようか」

「……………………」

「やっぱり、来なければよかったって。死んでなお前の優しさを享受できる彼らを、心底恨めしいと思った」

「…………お前、自分が言ってること分かってるのか」

「うん、最悪だよね。でも事実。おれはきっと、この軸のまま生きていくしかない」

 睫毛と睫毛が触れ合うような距離で、唇に、温い吐息がかかる。底の見えない瞳孔に捕らわれたまま、俺もまた目を見開いていて。

「おれってこういう人間だったみたい」

「か、の」

「だから、ね。ごめん」

 煙る睫毛が伏せられる。何かを逡巡するような間をおいて、俺の耳朶を撫でる。

「『友達』は無理」

 言葉と共に、狩野はゆっくりと俺の頬を解放した。

「身勝手で、汚くて、醜悪で。こんな感情、『友達』に向ける物じゃないもの」

「圭一の全部がほしいの。そのためなら、やっぱりおれは全部を踏みつけることができて」

「それまでお前を逃がしたりしない。地獄の底まで引き摺りに行く」

 彼奴の吐息の温度が残った唇を、無意識に擦って。

 「というか」なんて言葉と共に、下腹部をなぞった感覚に、整えられた指先をただ視線で追った。

「圭一は、おれから逃げられないよね。だってほら、」

 ────おれのことが、大好きでしょう。

 赤い唇が、弧を描く。

 気付けば、息が上がっていた。熱に浮かされた頭のまま、浅い呼吸で相貌を擡げる。

 蜂蜜みたいな感情を、ドロドロに煮詰めたような。こちらの理性や思考すら溶かして、混ざり合うみたいな、そんな、既視感のある金色。

 熱っぽく細められた瞳に、震える唇が掠れた声を漏らしていた。

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