第26話 決着
赤竜が、唸り声を上げる。
狩野が左目を瞑った。
空間が白んでは、硝煙の匂いが立ち込める。
遅れて響いた轟音に、クレーターのように抉れた床。
たった今、俺の認識の及ばぬ間に、一瞬の攻防が行われたのだと理解する。
狩野は先刻と変わらぬ態勢のまま佇んでいたが、その頬には裂傷が刻まれ、一筋の血が流れていた。
反面、赤竜には傷一つすら無い。
そして真っ新なまま、車一台分くらいの巨大な頭を、ぐわんと振りかぶっては狩野に襲いかかる。
抉れる床に、もはや半分屋外となった室内。
校舎の下層から、混乱した生徒たちが悲鳴を上げながら転がり出てくる。
紙風船みたいにバウンドして宙に投げ出された俺の首根っこを、グリードが掴んでは引き寄せた。
「返すよ」
言いながら、ショールチェーンと万年水晶とを手渡してくる。手中に伝わる重みに、グリードを見て。
「ペンダントは貸しておいてくれ。大物の使役は魔力消費が馬鹿にならない」
再び響いた咆哮に、弾かれるように視線を前へ移す。
赤竜の片翼に、黄金の槍が突き刺さっていた。
「……切り替えが恐ろしく早いね」
グリードの言葉の通り、物理での攻撃が効果的だと悟った瞬間に、狩野の背後には無数の槍が展開される。
屈強な兵士一人が全身で扱うような重量のそれが、散弾銃のように止めどなく発射された。
蒼天を飛び回る赤竜を、弾幕のように執拗に追いかける。
赤竜の火炎放射を、片手間に防御術式で相殺。
並行して座標を設定し、生成した物質を正確無比に照射する。
歴戦の魔術師でも、回路が焼き切れるような超絶技巧。
設定でもなんでもなく、あの適応能力と処理速度は自前のものであるという事実が末恐ろしかった。
そして、一際大きな唸り声が上がる。翼を穿たれた赤竜が、空中でよろめいて。殺到する金槍が、全身を貫いた。
「潮時か」
そしてそんな冷たい声音と共に、グリードが右手でペンダントを握りこむ。そして、何かを潰すように左手の指を折りたたんだ。
ざわと騒めく空気に、細い藍髪が逆立つ。引き攣ったように弧を描いた口端からは、一筋の血が垂れた。
咆哮。
満身創痍の赤竜が、でたらめに首を振りたくりながらこちらへと突進してくる。鱗を削られ、心臓を貫かれ。それでも止まらぬ重量が、狩野の鼻先に迫って。
回避行動をとった狩野の肢体が、ぐらと傾く。
「────!」
見開かれた金眼。足元に注がれたそれは、地に伏したまま、右足を掴んだグラトニーの手に向けられている。狩野の視線を受け。僅かに相貌を擡げたその口角は、不敵に吊り上がっていた。
轟音の末に、狩野の肢体は直ぐに圧潰されて見えなくなる。そして、床を新聞紙みたいに突き破っては、赤竜の巨体が一階の大理石の床に崩れ落ちた。
「……っ、」
「殺しは、しないさ。殺す気で行がなければ、お話にならなかったけれど」
俺の内面を汲んでか、そんな言葉が補足される。この期に及んで、この状態の男に気を遣われる自分が、情けなかった。
舞い上がる土煙が止むころ。
グリードは、おぼつかない重心のまま、床に空いた大穴を覗き込む。暫く音沙汰がないことを確認して、自らもまた穴の底へ身を投げて。
コアラみたいに柱をよじよじしながら降りる俺をよそに、コートをはためかせては、悠然と着地する。
「起きたまえ」
狩野に命じる。赤竜と地面に挟まれたまま、青白い瞼が震える。やがてその下から現れたのは、どこまでも無機質な金色だった。
きろ、と。グリードへと向けられたその色は、とても下肢を潰された人間のそれとは思えない。
「…………これは、契約だ」
咳き込み、血を吐いて。そして、狩野の細首へと手を掛ける。俺が宣誓もなしに、小指一本で契約を吹っ掛けられたことを考えると、彼がいかに狩野を警戒しているのかが良く分かる。
「ひとつ。私に危害を加えないこと」
「…………」
「ひとつ。代替器に罪源を手放すこと」
グリードの言葉に、依然無機質に瞬きをして。狩野は、「構いませんよ」と言った。
「一つ目、了承しました」
妙な潔さに、グリードの眉が寄る。俺もまた、足元から這い寄って来るような嫌な違和感に、咄嗟に手元の手帳へと視線を遣っていた。
「…………二つめは」
「おれは、あなたを殺しません。『強欲』」
そして、噛み合っているようで全く噛み合わない会話に、違和感の正体を悟る。
「……グリードさん、後ろ!」
怪訝な表情で、俺の叫びに視線を上げるグリード。
狩野の見開かれた瞳孔が、収縮する。
俺達に向けられたそれは、しかし、俺達ではない…………丁度、その背後へと向けられていた。
「────
「~~~っ!」
咄嗟に、グリードの胸を突き飛ばす。
視界の端に、銀色の光線が走る。そしてそれは、瞬きの間にグリードの身体を背後から貫いていた。
白いブラウスに、赤い花が咲く。散瞳した碧眼を塗りつぶすように、赤い鮮血が飛び散った。
手を伸ばし、崩れ落ちる肢体を抱き留めて。
「グリードさん!」
震えながらグリードの傷を抑えれば、血に濡れた左手が、俺の手に重ねられる。どうにか致命傷を避けたのか、かろうじて息はあるようだった。
ゆる、と擡げられた右手が、背後を指さして。「何をしている、間抜け」と。唇だけで俺を叱責する。
荒い息のまま、覚束ない視線でその指の先を追う。
振り返って、そして。
「あぇ……?」
辛うじて人の形を保っていただけの肉塊が、呆然と相貌を擡げた。
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