第25話 ヒーローは大抵遅れる
「…………狩野」
思わず漏れた呟きに、狩野は、心底嬉しそうに微笑んだ。
そしてその笑顔が、あまりに記憶の中のそれと変わらない物だから。また、わけもなく涙が溢れてきて、鼻を啜る。
鼻を啜って。
「…………なんで、ここに居る?」
俺の口からは、およそ感情とは乖離した問いが漏れていた。
だって狩野には、グラトニーが監視に付いていたはずなのだ。だからこそ、最弱キャラである俺が、消去法で実働隊になる羽目になった。
「会ってすぐそれ?釣れないね」
そしてその理由は、尋ねるまでもなかった。
「せっかく迎えにきたのに」
「…………っ、」
悲鳴を漏らしかけた口を、咄嗟に抑える。
まるで物みたいに。前髪を掴んで引き摺るそれ──グラトニーの肢体を、その場に無造作に投げる。「大丈夫」と呟いた声音は、どこか無機質なものだった。
「まだ、死んでないよ」
「……」
「無駄にしぶといから。『暴食』は」
首を傾げ、うっすらと双眸を開いて。
伏せられたまつ毛の下から覗いた瞳に、臓腑を撫でられたような心地になる。そこには確かに、怒りが蹲っていたから。狩野が、この類の負の感情を俺に向けるのは、初めてだった。
「狩、野」
「なぁに、圭一」
ごめん、聞いて欲しい事がある、戻れるかもしれない、助かるかもしれない。
言いたいことはたくさんあって、つい先刻まで会いたいと思っていたのに。いざ対面すると、言葉が喉につっかえて出てこなくて。
「……その、俺。お前に伝えたい事があって──」
「奇遇だね、おれもだよ」
「…………」
「だから、ね。部屋に戻って、腰を据えてお話しようね」
その言葉に、咄嗟にモーガンを見る。
肩をすくめてかぶりを振るモーガン。
その一連のやり取りに、狩野の苛立ちが濃くなったようだった。
「まずは、『帰っておいで、圭一』」
微笑んだまま、こちらへ手を差し出してくる。どろり、と。その双眸が、蕩けるように撓んで。
「…………っ、」
その色彩の既視感に、俺は咄嗟に目を塞いでいた。
今ならわかる。あれは、『色欲』の固有魔法だ。
相手を魅了し、傀儡とする力。その効果は、『色欲』の指令を認識することで発動する。声を聞いてもアウトだが、何より、その目を見てしまえば一瞬で自我が持っていかれる。
加えて、時間差で指令を発動するなど汎用性も高く、対であれば最強格の力と言えた。
故に、狩野の目を見ないというのは、咄嗟の判断としては正解だったのだろうが。
「圭一」
暗くなった視界の中。甘ったるい声が、耳元に吹き込まれる。
今の一瞬で距離を詰められた挙句に、腕を掴まれていた。脳ミソ以外が完璧ノーガードになるのが、この対策法の深刻な欠点であった。
「圭一、かえろう?こっちむいてよ」
「………や、」
「いや?いやって。どうしてそんな事言うの?」
「狩野、まって」
「圭一、おれはやく圭一とお話したいよ」
「かの…………!」
奇妙に上擦った悲鳴を上げていた。それでも狩野の言葉は途切れることがない。
「おねがい」「かえろう」「おれをみて」「おれだけを」
そんな神経毒みたいな声が、絶えずぬるい吐息と一緒に吹き込まれては思考を侵す。
冷たい指の感触が、俺の頬を滑った。そして、唇を這っては耳朶を擦って。
「目、あけて?」
「あ──、」
自分の瞳孔が収縮するのが分かった。
がくんと膝の力が抜けたかと思えば、狩野に抱き留められる。身体に力が入らなかった。薄くて温かい胸板に、弛緩しきった肢体を預ける他無かった。蕩けて液体になったような心地のまま、ただ項垂れる。それが最早、精一杯の抵抗だった。
顎に掛かった骨ばった指に、相貌を上向かされる。
薄っすらと開けた視界の中、黄金の星がぴかぴか光っていて。
これでは本当に、あのとき───あの、カフェテラスの二の舞だ。
そんな危機感すらも、沼から無数に這い出てきた腕に、引き摺られては沈んでいって。
「────あれ」
狩野の怪訝な声に、瞼が震える。
「どうしてかな。中に入れてくれない」
刹那。
「~~~~~っ、いっ、」
思いきり小指に、歯を突き立てられたような。
そんな激痛に、急速に意識が浮上する。跳ねる肢体は、そのまま狩野の抱擁を拒絶する。仰け反って、自分の小指が千切れていないことを確認して。
「『中に入れない』、か。それはそうだろうね」
赤い痣が浮き上がったそれに、目を見開いた。
「彼はもう私のものだからね」
「ヴァ――――ッ!!!!」
小指を突き出したまま、俺は思い切り地面を引き摺られていた。顔面から。
終着は、男の足元。そして、襤褸雑巾みたいになった俺の首根っこを、男は乱雑につかみ上げる。
「い……痛…………すごく痛い……」
「大丈夫。すぐに気持ち良くなる」
「へ、変態だ!」
二の腕の鳥肌を主張しながら叫べば、グリードの笑みが深まる。
たおやかに小首を傾げる所作は、嵐の前の静けさに他ならなかった。
「…………三回回ってワンと鳴きたまえ」
「え˝っ」
「おなかを見せることを忘れずに、語尾は『ポン』だ」
「う、うわー!身体が勝手に!ワン!変な性癖押し付けないで!」
「『押し付けないでポン』」
「たすけて……たすけてください…………」
「『たすけてくださいだポン』」
「ポン…………」
泣きながらおなかを晒す俺の隣で、グリードが右手をかざす。
紫電一閃。重量と重量がぶつかり合うような轟音。
大地を舐めるような蒼炎が、黄金の閃光を相殺する。
男──グリードは、俺を猫みたいに持ち上げながら、感情の見えない目で狩野を見据えた。
「そういうわけで、これは一生私の犬なので。主従の上書きには一声かけてほしいな」
「…………『強欲』」
「ええ、私はグリード。お初にお目にかかります」
「お初ではないですよね」
「気付いて──いえ、覚えていていただけましたか。光栄です」
「忘れるわけがないでしょう」
据わった目のまま唸る狩野に、涼しい顔で答える。
確かに、討伐が出来なかった狩野に『強欲』の攻略は物理的に不可能だった。だからこそ、理解不十分な『強欲』とはまさしく、狩野にとってのジョーカーと言えるのかもしれない。
それは分かる。分かるが。
「…………何で今更、俺のもとへ」
「そりゃあ、徒歩で」
聞きたかったのは、howではなくwhyの方であるが。
それだけが、唯一でいて最大の疑問だった。
彼は、情で動かない。彼は、良心で動かない。彼の根本にあるのは非人間的で怜悧な計算だけだ。全ての代替器がそろった今、利用価値の無い人間を助けに、死地に飛び込むような真似はしないはずで。
俺の困惑に、グリードの指先が跳ねる。ややおいて、「逆に聞きたいのだけれど」と零された声音には、どこか呆れの色が滲んでいた。
「ガラクタだけを手渡されて?きみ抜きで、どうあの狂戦士を宥めろと」
「…………?」
「頭が痛いな。もう、いいよ。好きに解釈してくれ」
こめかみを揉み解すグリード。
「ズッ友パワーですか?」と解釈を口にした俺をグーで殴った。
「随分仲良しなんだね」
そして、そんな唸りがどうしようもなく空気を冷やす。底冷えするような殺気が、急速に膨張しては室内を支配した。
「おれに勝てますか?」
「付け焼刃だ。だが、無策というわけでもない」
「へえ」
金眼が鋭く細められると同時に、遠くに鈍い風の音が響いた。
ゴウゴウ、ゴウゴウ。
徐々に大きくなったそれは、鳴動しては大気を震わせて。
そして、気付く。これは、風の音などではない。
「これ、」
────これは、唸り声だ。
「片や一所作一声、代償も無しに能力を行使できる『色欲』。片やなんやかや制限も多ければ、代償の必要な私の固有魔法」
「よく言われるよ。私の固有魔法は『色欲』の下位互換だと」
瞬きの間だった。
地を揺らす轟音と共に、礫の混じった豪風が吹き込んでくる。比喩ではなく、壁に大穴が開いていた。
「事実それは、ある意味最強の能力なんだろう。なんせヒトである限り、だれも『色欲』にはかなわない」
────『ヒト』であるかぎりね。
地の底から響いて来るような呼吸音。
真珠色の牙が生えそろった口から、生臭い息を吐く。紅蓮色の鱗がびっしりと詰まった巨体に、厚い皮膜の張った巨大な翼。鉤爪を白亜の床へと食い込ませて、空を叩く翼を畳んで。
それは、外風にさらされた室内を、満月みたいに大きな瞳でのぞき込んでいた。
「…………ドラゴン……?」
「ジャッケンパイソンだよ」
「ジャッ……?!」
あれが?!あれが噂の!?
巨大な竜を背に、グリードはただ悠然と狩野を見据える。
「魔力を弾く鱗に、防御術式を裂く鉤爪。そしてこれは、ヒトの言葉を介さない」
「…………」
「当然、『色欲』の固有魔法は意味をなさない」
同時に脳裏を過ったのは、グリードの手の中で揺れては飛び散ったドブネズミの像だった。
────「ある程度魔力量を上回っていれば、履行魔法の行使に合意は必要ない」
その言葉の真意を、今更になって理解する。
言葉を介さず、魔力量ですべてをねじ伏せては支配下に置く。それはヒトだけではなく、幻獣さえも。
その特質の意味する、恐ろしさを。
「少しくらいは痛がってほしいものだね」
吹きすさぶ風に藍髪とケープコートを揺らしながら、グリードは顎を引いた。
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