第16話

翌日の朝食は、二人とも喉を通らなかった。五十分の十五、つまりは三割しか生き残っていないというのだ。しかも、二人の故郷であるナトの里は、アスクラピアまでかなり遠く、馬車を使っても二カ月近い旅が必要であった。当時はタツらも幼くて、その距離にどういう意味があるのかもよくわかっていなかったのだが、今となっては出発の時点ですでに弱っていたユリが、どこまで耐えられたかは正直自信を持てるものではなかったのだ。

 

「よし、じゃあ行こうか」

「はい」

 昨日より少しきちんとした格好をした宿の主人に連れられて、二人は国立総合医療センターを訪れた。石造りでどこかの宮殿かというほどの大きさがあるが、装飾性はあまりなく、実用的な作りという感じである。今まで様々な国を目にしてきた二人にとっても、あまりなじみのない建物であった。


 受付には患者の長い列ができていた。宿の主人はその列には並ばず、奥の方に進んでいく。

「あの、すみません。秘書のターニャさんにお会いしたいんですが」

 目立たない場所にある守衛の部屋で主人は申し出た。

「秘書に?何の用です」

 訝しげに問われると、主人は商人らしい笑みを浮かべる。

「私は町の住民なんですがね、ちょいと、お届けものがありまして」

 主人がちらりと懐に手をやると、守衛は頷いてどこかへ消えた。

「なんです?今の」

 タクが尋ねると、主人はにやりと笑った。

「ここの秘書にはね、俺のこれなんだ。女房には内緒だよ」

主人が小指を立てるのを見て、二人は呆れた。やがて現れた守衛によって、タクらは狭い事務所のようなところに通された。

「ちょっとテッド、今忙しいから早くしてよ」

 きちんとしたスーツを着た若い女性だった。その言葉を裏付けるように、大量の書類に埋もれるように座っていた。

「いや悪い、ちょっと頼みがあるんだ。なに、ちょっとした人探しだ」

「人探し?見て分かんない、すごい忙しいのよ」

「あんたならすぐわかるって。な?頼むよ」

 主人が拝むと、秘書はため息をついた。この普通の親父のどこがいいのかわからないが、秘書がこの主人に惚れぬいているのはタツたちにもわかった。

「もう…しかたないわね。いいわ、誰よ。医者?患者?」

「特別奨学患者なんだが。もう医者になってるかもしれない。ユリっていう名前で、このお客さんの幼馴染なんだそうだ」

「特別奨学患者ぁ?」

 秘書の目が初めてタクとタツに向けられ、値踏みするような目になった。

「この子たちと同じ年頃ってこと?すごい若くない?」

「えと、今十六歳のはずなんですけど」

「んー、じゃ、アスクラピアに来たのは何年前かわかる?」

「十年前です。初めての募集で通った」

「初年度か…それならそんなに多くないからわかるわよ。ちょっと待って」

 秘書はそれまで手にしていた書類を置くと、脚立を持って部屋の隅の巨大な書棚に立てかける。

「十年前…十年前…特別奨学患者……あった、これだ。名前は何だって?もう一回」

「ユリです。銀髪の女の子なんですけど」

「なんか聞いたことあるわね…あ、この子だわ、きっと」

 秘書は高いヒールの靴をものともせずに身軽に脚立から降りると、束ねた書類の中の一ページを見せた。

「あっ!これです、これ!」

 タツとタクが揃って高い声を出す。そこには白黒だが写真も載っていた。

「えーと、…うん、生きてるのは確かだわ。医者になってるみたいね。カルテ番号と…職員番号が…ああ、こっちの方が早いわね。これでいくと、内科所属ってことかしら」

 色めき立つ二人の前に、脚立を移動させて秘書は再び分厚い書類を持ってきた。

「Gの一八九四六四九…あ、これかしらね。ユリ、アテルイ村出身、十六歳、あら、内科所属だけど今は期限付きで外科にいるみたいね。女の子で外科は珍しいわね」

 見せられた書類に二人は飛びつくように見入ったが、そこには写真はなく、簡単なデータが並んでいるだけだった。

「アテルイ村?」

 聞いたことのない地名に二人はその部分にだけ首をかしげたが、とりあえずこの手がかりは重要である。

「とりあえず、外科というところに行けば会えるんですね」

「そういうことみたいね。ここで管理してるのは簡単なデータだけだから、外科の中のどこにいるかはわからないけど。外科の建物に行ったらたぶんわかるわ。特別奨学患者あがりは有名なことが多いから」

「ありがとうございます!」

「ところで、幼馴染を探し出してどうする気なの?単に再会を喜びたいだけ?何か大事な知らせでもあるの?」

「あの、できたら一緒に旅に出たいと思いまして」

 タツが言うと、秘書は素っ頓狂な声を出した。

「旅ぃ?それはあなた、悪いけど無理だと思うわよ」

「えっどうしてですか?」

「この国の医者って結構管理厳しいのよ。守秘義務だなんだのもあるし、ものすごい忙しいし、休み取るのも難しいと思うけど。それに特別奨学患者でしょ?すごい管理されてると思うわよ。毎週血液検査してデータの蓄積してるくらいだもの」

「えっ、そうなんですか?こんな十年も経ってるのに?」

「いやーだって、慈善事業で患者集めたわけじゃないもの。研究目的でもあるんだから、そりゃいつまで経っても研究対象ではあるわよ。治療後の余命ってすごい大事だもの」

「……」

 沈黙してしまった二人を前に、宿の主人が励ますような声を出す。

「ま、まあ外科に行ってみようじゃないか。まず会えるってことが大事なんだろ?」

「そ、そうですね。ありがとうございました。まず、行ってみます」

「そんじゃ、まあ、いい再会になるよう祈ってるわよ。外科は、ここから東に三つ行った建物。もしかしたら非番でいないかもしれないけど、連絡はつくんじゃない」

「ありがとうございました!」

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