第18話 諦めちゃダメだ
「まだ大学の柔道部だった頃。大学柔道対抗戦をオール一本勝ちで優勝したワシは、いつもお世話になっている居酒屋の祝勝会でベロンベロンに酔っぱらってしまってな、そこで荒くれ者と喧嘩になったんだ。お互い『表に出ろ』ってなって向こうさんは刃物持ち出してきたんだけど、こっちは柔道家とはいえ頭に血がのぼっているだけの酔っぱらいだ。それを見て『いい加減にしなさい! 』とワシら二人をぶん投げたのが居酒屋でアルバイトをしていた今の母さん、総師範だ。酔っぱらっていたとはいえ悔しくてなぁ、それから何度も立ち合いを申し込みに行ったんだけどずーっと断られ続けて……」
お父上は照れ臭そうに頭をポリポリ掻いており、柚子葉ちゃんは両親の馴れ初めを初めて聞くのか、僕の手を握ったまま食い入るように聞いている。
「何度も何度もお店に果たし状を持ってきて、他のお客様に迷惑だから渋々ね。探し当てて道場に来たのはいいけれど、私のお父様にこの人ボロ雑巾みたいに投げられまくって。挙句の果てには『一から修行するからお嬢さんから一本取ったら結婚させてほしい』って。この人バカなんじゃないかって思ったわ」
娘の肩を優しく撫でながら、お母上も優しくニコニコ話している。
「でもね、自分の大切な黒帯をゴミ箱にポイと捨てて、本当にこの人一から修行したのよ。この間竜星君がやったコロンバタンから始めて、お酒も一切は飲まなくなったわね。タイヤ引っ張って河原を走ったり、木にチューブを括り付けて背負い投げの練習したり。自分の癖を全部捨てて毎日ボロボロになるまで練習していたわ。やっと道場で人間相手に稽古できるようになっても『師範から投げて良いと言われるまでは絶対に投げない』と、自分はひたすら投げられてばかり。大学の柔道部も辞めてしまってウチの道場に来て二年くらい経った頃、師範である父がいきなり団体戦の先鋒として試合に出場させたのよ。一度も投げずにずーっと投げ続けられた人よ? そりゃあもうヒヤヒヤしたわ。でも試合直前に父から『投げてよし』って許可をもらって、結局一人で全員オール一本勝ちしちゃったのよ」
「どうして? 父上は投げの練習もしていないのに……どうしていきなり試合に勝てたのですか? 」
「大学柔道部の時は、力任せで何とかなってきたんだよ。でも師範の柔道があまりに早くてキレイで『これは今までのモン全部捨てて取り組まないと絶対に勝てない』ってわかってしまったんだよね。そしてひたすら投げられている内に自分の重大な欠点に気付いたのさ、それが『柔道は凶器ではないのだから叩きつけるものではない』ということだ。これは投げるのではなく、投げられてみないと確かにわからないものだったから貴重な経験だったと思っているよ。おかげでそれから三年掛ったけど母さんから一本取ることができたし、結婚も許してもらえたし。ワシの一目惚れだったんだけど、首を縦に振ってもらえた時は嬉しかったなぁ」
またもや照れ臭そうに頭をポリポリ掻いていらっしゃる。
「もう、この人ったら……努力して柚子葉は大人の男性をキレイに投げてみせた。『子ども達を教えなさい』と言ったのは学費云々の話ではなく『その柔道を子ども達に教えなさい』という意味だったのよ。だから安心して高校生になったら柔道部に入りなさい、そしてあなたの柔道が世界に通用することを証明していらっしゃい。竜星君、これからも柚子葉を支えてあげてくれると私たちも嬉しいわ」
「はい、もちろんです! 一番苦しい時に柚子葉ちゃんは支え立ち直らせてくれました。その思いに応えていきます」
お母上の言葉に一切の迷いなく答えた僕の手を、更にギュッと握ってウルウルしている柚子葉ちゃんが隣にいる。いつも元気で健気に微笑んでくれる彼女の苦しみに気付いてあげることはできなかったけど、ちゃんと正面からお話を聞いてお父上とお母上から前向きな本音を聞くことも出来たし、彼女の知らなかったご両親の馴れ初めまで。
そして迎えた中学三年生の柔道大会、学校に柔道部のある人たちは地区予選を経て県大会、そこを勝ち上がったら全国中学生柔道選手権大会出場となるのだが、彼女の場合は全日本ユースなのでいきなり全国大会、しかも第一シード。昨年度優勝者ということでご両親と自分と母さん、道場のみなさんも応援に駆け付けてその試合を見守った。
第一試合の相手は同じ階級ながら身長が高い、県大会準優勝者。互いに畳に上がる前と審判の前で礼をして
「はじめ! 」
合図とともに長身の相手が柚子葉ちゃんの奥襟を取ろうと手を伸ばした瞬間、キレイに大きく弧を描いて畳に背中をつけた。
「一本! 」
開始わずか六秒……伸ばしてきた腕を掴んで体の下に潜り込んで跳ね上げた一本背負い、鮮やかという言葉が最も似つかわしい試合だった。
その後も順調に勝ち上がっていき、決勝戦。背格好は同じくらいの相手で、昨年も決勝で闘った同じ全日本ユースの子で、寝技の得意な相手らしい
「はじめ! 」
合図にお互い掴もうとしては切られ、足を払おうとしては避けられの攻防が続いていく。見ている限りでは柚子葉ちゃんが押しているように見えたのだけれど、途中審判から止められて両者に『消極的指導』が与えられる。こちらは投げで一本を狙い、相手は何とか寝技に持ち込んで抑え込みを狙っている戦いで、一瞬の判断ミスが命取りとなる相手なだけに慎重になっているのはわかる。
開始一分半ほど、こちらが足払いを出そうとした瞬間に軸足を内側から掛けられて肩から倒されてしまった。
「技あり! 」
相手選手に技ありのポイントが入る。お父上から教えて戴いたのだが『一本』はそれで勝負あり『技あり』は二回貰うと一本と同じとなるそうなので、柚子葉ちゃんは現段階で半分不利な状況に追い込まれた。逆転勝ちするには『一本』を取ってしまうしかない。会場中の観客や関係者が
(前年度優勝者が負ける)
という空気を醸し出している時、僕は二階の観客席から身を乗り出して
「諦めちゃだめだー! 」
大声で叫んだ。その声に反応するように足払いからの内股、背負い投げの猛攻を見せるも、相手選手は逃げ切ろうと必死だ。
すると突然、遠くから見ていてもわかるくらいに柚子葉ちゃんはガックリと力を抜き、相手選手にもたれかかった。それを見逃すはずも無く、掴んで投げようとする相手選手の足を外掛けで転ばせて抑え込み。ガッチリと決まってジタバタしているのは見えるが全く動かない。残り時間はわずかだが抑え込みカウントタイマーが動き出し、三十秒ガッチリと抑え込んで横四方固め抑え込み一本、柚子葉ちゃんの優勝が決まった。
悔しがってなかなか立ち上がらない相手選手を見降ろしながら道着を直し、肩で息をしている彼女は顔だけスタンドに向けてニッコリと微笑んだ。
地区大会などでは下まで降りて行ってワーワーしたりするけれど、全国大会となるとそうはいかない。表彰式もスタンドから観戦、一番高い所に立ち金メダルを首にかけてもらっている彼女は、ガッツポーズしたり手を振ったりすることなく二位や三位の選手と健闘をたたえ合っている。会場中から温かい拍手が全選手に対して送られており、我々もまた立ち上がって大きな拍手を送った。
一連の大会が終わりようやく身内と合流できるかと思いきや、全日本ユース選手は優勝者も残ってミーティングに参加とのこと。僕と母さんも姫嶋家にお邪魔して優勝祝勝会の準備をする運びとなった。道場のみなさんは毎回胴上げをした後に試合の感想を聞いたり実際に動いてみたりと盛り上がるらしい。お母上は門下生の方々の分までたくさんご馳走を作られるというので、母さんと一緒にお買い物に出かけてしまった。
お父上は書斎にこもって録画した全試合のビデオを細かく分析していらっしゃる様子、自分は特に居場所が無いので柚子葉ちゃんのお部屋で『おめでとうの手紙』を書くことにした。
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